2月1日(日) 曇り
またまたご無沙汰です。
先日、鹿児島の今給黎さん(きゅうり)からメールがあって、「zenさんのHP、1月4日から全然替わっていない」とお叱りを頂きました。
まあ、書くほどのことがないのは事実ですが、私自身の生活の怠惰からご無沙汰している訳で、お許しをいただきたいと存じます。
さて、連載の「その先の海」も第4章が終わり、次回からいよいよ最終章の第5章に入ります。
ご存知の方も多いとは思いますが、この先で遂に万策尽きて航海を断念することになる訳ですが、そこに至るまでの軌跡は、航海を達成するのとは全く別の苦難と、命を絶つにも等しい苦渋の決断が凝縮されている訳です。
はたして私の筆でどこまでその逼迫した心境を書き写せたかは読者の皆様のご批判にまつしかありませんが、若し描き切れていなければ、それは誰あろう私自身の文筆の未熟というしかありません。
ご批評をいただければ、今後の精進の糧といたしたいと存じます。
昨年半ば頃から、航海の話をせよとのご要請にお応えして、時折ヨット仲間の楽しい集まりの末席をけがすことがありますが、私の弁舌では、到底航海の素晴らしさを語り尽くすことは出来ません。特に、世界に忘れられたような孤島の人々との素朴で、温かく、まるで絵本の中のように純粋な心の交わりなどは、如何に言葉を尽くしても語り尽くせるものではありません。お話しする側といたしましては、まことに歯痒いことではありますが、言葉の限界、更には私の表現の拙さと嘆息するばかりです。
そんな時、半分自棄のやんぱちで発した言葉が、意外にも聞いて下さる方々の心に響いたというので、それをここでご紹介いたします。
聴衆の多くは、或る程度人生の機微を経験された世代の方々です。そして、程度の差こそあれ、皆さんなにがしかの慙愧の部分を胸に秘めています。そういうシチュエーションを想像して読んで下さい。
「皆さんは、若し、或る年代から人生をやり直すことが出来るといったら、何をおいてもやり直してみたいと思いませんか?
しかし、残念ながら、それは無理な相談ですよね。
それでは、この人生以外に、もう一つ別の人生を歩めるといったらどうでしょう?
或る程度の犠牲を払ってもやってみたいと思いませんか?
そうなんです。世界の海を航海するということは、正に、今までとは全く違うあなたのもう一つの人生なんです。航海を終わってみると、あなたの心の底にずっしりと量感のあるもう一つの人生が居座っているのを感じるはずです。それも至福の人生の記憶、想い出す度に、思わず頬がゆるんでくるような温かく懐かしい記憶です。
皆さん、躊躇している暇はありません。どうか、もう一つの人生を探しに出掛けて下さい」
世界の海を旅する人々には、誰もが羨むような豪艇を操る人もいます。でも、ほとんどの人は、日本のマリーナに繋がれている、或いは、陸のクレードルに鎮座しているヨットのように立派な船には乗っていませんよ。多少の装備を加えれば何処へでも行けます。それなのに何週間かに一度、それも日中だけ舫を解くヨットを見て、私は、無限の可能性をみすみすやり過ごしてい現実に悲しくなってしまいます。
まあ、人それぞれです。
私なら、一度しかないこの人生にあり余る花を添え“わが人生満ち足りたり〜”といって生涯を終えたいと思いますがね。
まだまだ寒い季節が続きます。皆様、どうぞお体を大切に!
外から帰ったら、うがいと手洗い忘れずに。
Zen