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6月14日(水)/曇り・16℃・南東25kn / Stormy

先週金曜日以来、毎日が嵐のような天気。

昨日、gale warning(暴風警報)がstrong wind warning(強風警報)に緩和された。とはいえ、時化ていることには変わりがない。

Strong wind warningは、風速25Kn【ノット】(13m/秒)を超えると発令され、35Kn(18m/秒)を超えるとgale warningになる。Galeとは、「疾風」という意味だが、18m/秒を超えると気象学的に「暴風」といわれるから、暴風警報といったほうが分りやすい。

10日(土)〜12日(月)は、南東の風33Kn〜40Knのgaleで、オフショアの波の状況は、ラフ、または、ベリーラフといっていた。

昨日今日は、イージング、すなわち軽快、または回復とでもいうか、いくらか時化は和らいできている。それでも、この状況は、今後24時間ないし40時間続くとコースト・ガードの予報はいっている。当分、時化は収まりそうもない。

何度もお話しているが、オーストラリア沿岸(特に東岸)の気象は、一度或るパターンにはまると、一週間から十日間続く。晴れても十日、曇って雨模様でも十日、嵐も十日間という具合だ。

オーストラリア東岸は、南北の緯度だけで見ても30度以上ある。直線距離にして1800海里/3240km。実測5000km近いかも知れない。気象は地形と関係するし、特に、陸と海との境界線である沿岸は、それ自体が前線を形成する要因を含み、等圧線が東岸に差し掛かると、それが折れ曲がってコンバージョン・ゾーン(収斂帯)を作って風が卓越する。それが延々たる沿岸をゆっくりと展開してゆくのだから、時間がかかる。そういう理屈らしい。

折角、日本から旅行で来た人が、サンシャイン・コーストという地名だから、いつも晴れているかと思ったら、一日も青空が見えなかったと腹立たしそうにいっているのを、よく耳にする。そういう不運も往々にして起こる。運がよければ、一片の雲も見ずに過ごす人だっているというのに。

いずれにせよ、今週末までに出航できるかどうか。同航するブラジル艇のGuardianのJohnと奥さんも、諦め顔で、近所のヨットの小さな子供の手を引いて散歩なんかしている。

また風が強くなってきた。30knを超え、空がゴウゴウと唸っている。

6月16日(金)/半晴、時々にわか雨・22℃・南東15kn

夕方、ジェリーとビビアンが訪ねて来た。彼らは、今日、東京からここに着いたばかりだそうだ。私の航海のサポートでお世話になっている木暮和美さんの家に、一週間滞在したとのこと。Zenの友達に、随分世話になったといっていた。

彼らとは、ツアモツ環礁でいっしょになって以来、着かず離れず、NZまでいっしょに来た仲だ。イギリス人で、カナダのバンクーバー島に住んでいる。自分の広大な土地に、ジェリーもそうしたように、私の家を自力で建てるように勧めてくれている。私にとって、最も親密なヨッティの一人。

彼らのヨットは、今、バンダーバーグ(Bundaberg)に置いてある。Zenがそちらへ行けば、また会えるね、といって別れた。

いよいよ明日、出航と決まった。コーストガードの予報でも、月曜日までは、平穏な天気が続くといっている。南東15〜20knの風だそうだ。まあ、出てみなければ分らないが、気象Faxには、オーストラリアの南にある977hPaの低気圧が、大陸を二分する高気圧の間に、猛々しい前線を伸ばしている。これがどう展開するかだが、それを憂慮していたのでは、出航するチャンスがない。それに、気象台では、我々が見る気象Faxを作成するために、膨大なデータを持って予報をしている。当たるの当たらないのをいう前に、その膨大なデータを信じるしかない。

出航は、フレーザー・アイランド(Frazer Island)の北端の暗礁地帯を日中(早朝)に航過するために、明日の夕方となっている。出てすぐに夜を迎えるが、幸いにも満月である。さらに一日走り、もう一晩を航行して過ごす。フレーザーの北端を90度西へ転舵し、月曜日の夕方、バンダーバーグ到着の予定である。

大分、出航が遅れ、ダーウィン(Darwin)到着に日数が余りない。この分だと、グレート・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)の南側、本船航路の広いところは、オーバーナイトで走ることになるやも知れない。

明日は、水タンクをもう一度満タンにし、オーニングやセール・カバーをはずし、キャビン内の可動物を固縛し、エンジン・テストをして・・・・。あまり、のんびり朝寝をしている訳にもいかない。早めにシャワーを遣い、早めに眠らなくては。明日と明後日の夜は、ほとんど眠れないのだから。

6月19日(月)/半晴、時々雨・22℃・南東15kn

17日、10時にJohnが来た。「今日は出るかい?」と聞くと、「月曜日に、また、吹くと予報がいっているから、少し時間を早めて11時に出よう」という。

たった一時間しかない。まあ、いいか。バタバタと準備をして、11時に出航した。

ところが、エンジンの冷却水が、ほとんど出ていない。修理のため、慌ててマリーナの空いたバースへ禅を入れる。今しがた“Have a nice sailing”と送ってくれた人々が、どうしたと集まってくる。みっともない話だ。およその見当はついていた。インぺラではなく、単に、冷却水を取り入れるインテークが詰まっていると考え、ホースを外し、針金で突く。勢いよく水が吹き上がった。これでよし!

水路を出てみると、Guardianが見えない。まあ、そのうちに、何処かから現れるだろうと、私は、予め計画してあったコースをとる。風は、南東20kn。予報より、少し強めだ。それでも、追手だから、どうという事もない。

ところが、しばらく走ると風は東へ変わり、夜には北東30kn以上に吹き上がった。風上航の30knである。本格的なセーリングは一年振りという私は、このコンデションにたちまちシーシック。こんな激しい船酔いは、ニュージーを出る時以来だ。

キャビンの中のあらゆる物が、あちこち飛び散る。戸棚の中の食器が、ロッカーの瓶類が凄まじい音を立てる。もう、醜悪としかいいようのない有様に、何でこんな思いをしなければならないのかと自らが腹立たしい。

睡眠は、15分から30分刻み。オイルスキンを着て、デッキシューズを履いて、しっとりと濡れたままソフアに足を投げ出してうたた寝する。勿論、食べ物は一切受け付けないし、紅茶を飲んだだけでも戻してしまう。憔悴して、何もかもが投げやりになってゆく。船酔いしているから手足に力がなく、時化の海を荒馬のようにジャンプするデッキを、フォアデッキへ出て何かを片付けたり、直したりは到底出来ない。

二日目の午後三時だった。激しく吐いた後、胸の中央部が締め付けられるように痛み、脂汗が流れる。呼吸は浅くなり、苦しさに胸を抱えて、ひたすらうずくまるより手はない。以前、日本で健康診断を受けた時、狭心症や心筋梗塞に注意するようにいわれたことを思い出した。恐らく、狭心症だろう。狭心症なら、死ぬこともないだろうという、変な安堵が頭を過ぎる。そしてまた、「シーマ」の松浦氏が、若しもの場合にとくれたニトログリセリンの舌下錠があるのを思い出した。

薬の効果で、15分か20分ほどで痛みと苦しみは去った。しかし、その後は、全身の力が抜け、ひどい脱力感。体が思うように動かない。それでも船は、私が与える針路を求めて、暗闇の大時化の海をひた走っている。誰も、私のこんな状況を知らないし、誰も、手を貸してはくれない。ライフハーネスに体を固定し、大波の打ち込むコックピットへ這いずり出て、ウインドベーンやシートの調整をする。航程を半分以上来ている今となっては、一刻も早くBundabergへ着くことだけが、私の唯一の行動目標だ。

ここばかりは日が暮れてからは通らないとJohnと申し合わせていた暗礁地帯を、真夜中の0時半に通過。残航50海里、後10時間の辛抱だ。

朝8時少し前、無線のシーガル・ネットが入港準備と重なってチェックイン出来ないこと、そして、昨日午後、心臓発作を起こしたことを、早くからネットをワッチしていた野村氏に告げた。

9時少し前、Bundabergに接近し、マリーナをVHFで呼んでいると、「Beyond1」の木綱さんの奥さんLueが出た。昨夜、このマリーナに着いたそうだ。シーガル・ネットで聞いたが、様子はどうか?と、とても心配してくれている。地獄に仏だ。マリーナに着くと、木綱ご夫妻をはじめ、「Guardian」のファミリー、周りの艇の人々、マリーナのマネジャーなどが、心配そうに出迎えてくれた。医学博士のLueは、艇がマリーナに入ると、すぐデッキに駆け上がって来て、「後は、みんなでやるから、じっとしているように」と、私を、コックピットに座らせ、みんなで舫いからフェンダーまでやってくれた。マリーナのマネジャーは、病院のアレンジメントをしておくから、11時のシャトルバスで病院へ行くように、といってくれる。隣のヨットのオーナーは、「俺も狭心症持ちなんだ。辛さがよく分かるよ。これは、スプレー式のニトロだ。これを船に常備しておくように」と、一瓶くれた。それこそ、泣きたくなるような苦しい状況から、一遍に温かい厚意のど真ん中に置かれて、もう言葉も出ない。

11時のバスで、病院へ。そして、マネジャーが、Emergencyと書かれた入口へ案内してくれた。

かた通りの問診のあと、血圧、血液検査、レントゲン、心電図。その間、医師が、何度も様子を見に来て、検査の経過を説明してゆく。随分、時間がかかった。結果としては、コレステロール値が異常に高いが、他はオール・オーケーだ。差し当たって問題はない。専門家でもその判定に戸惑うのだが、若しかすると、過激な嘔吐の後、胃神経の急激な痙攣の可能性も考えられるとのことだった。

私としては、以前から、心臓に一抹の不安を持っていただけに、ほっとする反面、そんなはずはないという気分もあったが、まあ、これで航海を中断せずに済むと胸を撫で下ろした次第。

次なる不安は、保険もなく、いくら請求されるかだ。木綱氏も、外国の医療費は高いからねェ、といっていただけに気になる。受付で尋ねると、“No, it's free.”という。えっ、ただ?そんな馬鹿な!と思ったが冗談でもないようだ。何事もなく、ほっとするやら、無償と聞いて驚くやら。

午後、そして夜、代わる代わる“Zen, are you OK?”と、みんなが立ち寄って聞いてくれる。ありがたいことだ。これも、ヨット社会の善意の形。

明日は、少しゆっくりしよう。直すところや、整理するものや、いろいろあるけど、慌てずに、ゆっくり、のんびりやろう。昨日の発作も、精神的なストレスが原因ともいっていたことだし。

6月21日(水)/快晴・24℃・北東の風10kn / Fine

明日の予報は北寄りの風10kn。今日とほとんど変わりがない天気。出航の時と違い、予報が納得出来る気象配置だ。小型の高気圧がこの辺りをすっぽりと包んでいる。先日のような禍々しい前線も見当たらない。時化に掴まると、海は地獄のようだが、いい天気に当たると、世の中の幸せを、私一人が独占しているように思える時もある。そんな天気に、恵まれたら最高だ。

明朝6時半に出航と決めた。

他のヨットも、今夜遅くとか、明日未明に出航するといっている。「Guardian」は、午前3時に出航。行き先は、Lady Musgrave Is.とのこと。コーラル・リーフのラグーンが美しい所と聞いている。喜んでくれる人がいれば、私も同航するだろうが、一人で行っても何の面白みもない。

「Beyond1」は、深夜0時に出航。60浬北のパンケーキ・クリークという静かなアンカレッジへ行くそうだ。彼らとは、Rosslynか、その先のLaguna Quays Resortのマリーナで、また会うことになるだろう。

私は、Bundabergから北西133浬のRosslyn Bay Marinaへ、オーバーナイトで直行するつもりだ。到着は、23日の正午頃になるだろう。

それにしても、先日、Mooloolabaに私を訪ねてくれたGerryとVivianには、遂に会えなかった。同じBundabergでも、彼らがいるBoat Harbourへは、歩いて行ける距離ではない。一旦、街へ出て、それからタクシーで行く。もう何日間かここに居れば行けるだろうが、たった3日間の滞在では、如何せん遠すぎる。Eメールで、ごめんなさいと、メッセージを送っておこう。

6月22日(木)/快晴・24℃・北西7kn / Very fine

今朝6時50分、Bundabergを出航した。

天候は、申し分ない快晴。朝のうちは海霧が深かったが、頭上は青空。ほとんど風もない。もっとも、ヨットにとって風がないということが必ずしも好い訳ではない。仕方がないので、出航以来ずうっと機帆走だ。但し、帆は、帆走のためではなく、ヨットの横揺れ対策として揚げている。

5時10分頃、ゴージャスな日没を見た。そして、今は、満天の星だ。通常見るそれとは、明らかに違う。どう説明しても、私の貧弱な語彙では説明がつきそうもない。まあ、水族館のイルカや鯨と、野生のそれとの違いとでもいうか。はたまた、地鶏とブロイラーの違いとでもういか・・・・? だんだん、問題の核心から遠ざかって行きそうだ。

滑らかに球形を感じさせる水平線には雲もない。瑞々しい果物のように美味しそうな太陽が、宙吊りのまま、熟れて甘いジュースを滴らせながら海に溶けていく・・・そんな日没といったら、もっと混乱しちゃいますか?

それに、星空ときたら!一等星が屑星に紛れて見えにくいほど、全ての星が輝いている。雲が出てきたのかな?と思うと、それはミルキーウエー、すなわち天の川である。太陽の光を反射し、しかも、何光年も大昔に発した光だなんて、そんなの嘘にきまっている。たった今、星が自分で、力いっぱいピカッと光ったのだといった方が、ずっと納得しやすい。

仰向けに、コックピットに寝転んでそれらを見ていると、ヨットの揺れで、星空全体がリズミカルに揺れている。そして、私は、私を取り巻く一切に向けて、“俺はまた帰って来たよ。この素敵な歓迎の饗宴を、ありがとう”と呟く。

船酔いしていると物凄く眠いものだ。前回がそうだった。周囲の安全を確認しては、10分、15分と小刻みに眠ったが、今回は、0時を過ぎても全然眠くならない。夕食の時に作っておいた夜食のシチュウが、たちまち空っぽになった。

以上は、航海中、操船の合間に書き、ここからは、Rosslyn BayのKeppel's Marinaに到着してから書いている。陸酔いというのか、陸を歩いていると地面が揺れているし、昨夜は一睡もしていないから、頭がくらくらしている。文章が書ける思考力が残っているかどうか・・・。

すぐ前に眠くないと書いたが、Keppel Is.の際を抜け、Rosslyn Bayの暗礁だらけの海域へ入った午前4時以降の眠気といったら、睡魔という言葉がぴったりの眠さ。ホームページの最新作「エレンの消息」でも、そんな情景が出てくる。ちょっと宣伝させてもらうと、あの小説は、正にこの海域が舞台になっている。お暇の折にご一読願いたい。

眠気醒ましにコックピットへ出てみると、昨夜同様、凄い海霧だ。雨が降っている訳でもないのに、全身がぐっしょり濡れるし、セールがシバーする度に雨のように水滴が落ちてくる。今まで見えていた灯台も、全く見えなくなってしまった。

しかし、睡魔という奴は、如何に状況が緊迫していても関係なく眠いものだ。突然、目の前に漁船でも飛び出して来ないとも限らないのに、目を開いていることが出来ない。レーダーに、今まで画面にないものが入って来たらアラームが鳴るようにセットし、ナビゲーション・テーブルに頬杖をついて居眠りをする。横になったら、恐らく、熟睡してしまいそうだから。

6時を大分回った頃、やっと夜明けだ。レーダーには、無数の島影が映っているのに、何一つ見えない。半径100mのドームの中にいるようだ。今、頼りにするのは、出航前に、チャート上に作った航路の正確さだけ。正しくその針路に船を乗せ、レーダーの画像と比較して前進する。従って、艇速も3Knといつもの半分近い。

8時。突如、霧が晴れた。後ろを振り返って、あんなに沢山あった島の間を通って来たのかと驚く。知っていたら、絶対、沖で霧が晴れるのを待っただろう。

9時。VHFでマリーナを呼ぶ。さっぱり要領を得ない。理由は簡単だ。私の英語が下手で、向う側の男の英語が、べらんめー調のコテコテのオージー英語。互いに解かる訳がない。何度かやり取りした後、「兎に角、入って来いや。空いてるとこに船とめて、その後で話をしようぜ。それでどうだ?」という。「No problem」私は別に、彼と話をしたい訳ではないが、そう答え、初めてのマリーナへ進入した。

今、午前11時。トロピック・カプリコーン(南回帰線)を越えたせいか、快晴の日中は、真冬というのに24℃。短パン・Tシャツに着替えなくては!

6月28日(火)/晴れ・26℃・南東の風10Kn / Fine

26日(日)、今日はランドリーデー。のんびりと洗濯などしていると、気分のどこかに、そんなことしていて好いのか?という思いがある。マリーナに入ると、どうも次の航海への腰が重くなる。

オフイスのガラス戸に貼り出している気象予報によれば、今夜は20knだが、明日は15kn、明後日は10knで、Mostly fineとのことだ。出るなら今日か明日早くかだ。

次は、Laguna Quays Resort Marina。航程にして214浬、43時間の計算だから、またしても、2 over nights。

マリーナのマネジャーに天気予報を聞くと、一切がノープロブレム。こんないい天気は、そう、ざらにはないという。その言葉に乗せられて、出航手続きを済ませた。艇に戻って、気象Faxをとると、私の解釈では、マネジャーのいうほど楽観できるとは思えない。とはいっても、吹いて30Kn。ま、いいか!

3時、出航。20Knの向い風を突っ切って、Great Keppel Is.とNorth Keppel Is.の間へ艇を進める。島々が大小含めて30個ほどもある海域だから、外洋へ出るまでは、収斂した風と、きつい潮と変則的な波はしょうがないと思った。ところが、外洋へ出てみると、風は30Kn吹いているし、巨大な波は、斜め後方からやって来て、艇を激しく8の字に揉む。右後ろを持ち上げ、左へ大きく傾け、右へ揺り戻し、そして、艇の行き足を止める。また次のが来て、同じ動作を繰り返す。並みの神経なら、いっぺんに船酔いするパターンだ。極限の不快感が、強烈な航海への嫌悪を惹起する。歯軋りしながら一夜を過ごした。

27日は、まあまあの天気。風も15Knほどになった。但し、波は相変わらずだ。

昨日辺りから、右腕の付け根から脇の下へかけて、時折、鋭い鉄棒を突き通すような激痛があった。それが前兆だったのだろう。夜半、またしても狭心症の発作が起こった。今度は、二度目で気持ちの準備があったのと、前ほど激しい発作ではないので、暫く、安静にしていれば、さしたる問題はなかった。しかし、発作の後の脱力感は、人生への絶望感のようなものを感じさせる。

コックピットに寝そべって、快晴の星空を見上げつつ、何処かでこの航海に終止符を打つことになるのだろうかと考える。それでも、前の時のように、天候がひどくなかったのが幸いして、深刻にはならない。気分としては、そうなった時は、その時に考えよう、といった具合。

風は強くないのに、後ろから寄せる波に乗せられ、艇速は、軽く6、7Kn出てしまう。5Kn平均で計算していたので、この調子では、真夜中か未明にLagunaへ着いてしまう。ジブセールをファーリングして取り込み、メインセールを3ポイントリーフにしても、なお5Kn以上だ。レーサーなら、0.1Knだって艇を早く走らせようとするだろうに、クルージング艇は、遅くすることで苦労をしている。

午前8時半、Laguna Quays Resort Marinaに接近。VHFでコールするが、どうも私の無線機の送信トラブルがあるらしく、誰も応答しない。兎に角、入港して、マリーナ・オフィスへ行けばいいと考え、艇を進める。ハーバーに入ってみると、ポンツーンで誰かが手を振っている。近づくと、マリーナのマネジャーと近くの艇のヨッティたち。入港して来るのが見えたから、待機していたのだそうだ。「無線機が故障しているみたいなんだ」というと、ヨッティの一人が、「見せてごらん」といって、持って行った。暫くすると、直しておいたよ、と届けてくれた。

ここには、最高のRestaurantがある。久し振りに、美味い料理を楽しむことにしよう。一週間ほど休養だ。

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