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ニュージーランド旅行記

西久保 隆

オアシス30 AD-401(12V電源で稼働)が一ヵ月前、そして今日30AXが沈黙した。

30ADは航海中でも創作ができたし、AXの方はAC電源のあるところで紙にプリントすることができた。共に私の綴り方に不可欠な存在だった。

双方共に動かぬとあって、原稿用紙も持ち合わせぬ私は当惑した。このニュージーランドにこれらのワープロを修理できるところがあろうはずもない。

しかし、この四年間近く、洋上という精密機器にとって最も苛酷な環境にあって、よくぞ私の駄文のために労を惜しまず働いてくれた。明るくならないディスプレーを見つめ、私は何かの命の終焉を見守り、惜別の言葉を送る如く、「よくぞ私のために働いてくれたよなァ」と独り言ちていた。

先般、次の航海に先立ち、ニュージーランド(以後NZと記す)南島を含む陸上旅行記を送るとホームページのキーマン、増田氏に約束していた。

さて、とりかかろうとしてワープロが動かないのを発見した。それでも手紙で報告する形をとればと気をとり直した。好(よ)き仕事仲間との訣別の後、悲しみを乗り越え、実に立ち直りが早いのである。

日本の友人に、「NZの国内旅行に行くんだ」というと、「クライストチャーチミルフォードサウンド、それにフランツジョゼフ氷河も廻るの?」と尋ねられた。何でそんなに詳しいのか問うと、テレビでよくNZの特集があるのよ。南島には素敵なところがいっぱいあるわ。」とのこと。私は艇(禅)に戻ると、それらの地名を地図の上に探した。

ここツツカカから北島の南端、首都であり、また南北両島間のフェリーが出るウェリントンまでは、自動車道路の距離にして約800km以上ある。どうしても中継点をはさみ2日間で走りたい距離である。

2月5日(木)

朝9時、ツツカカを出発。三週間に及ぶ留守に備え、マリーナオフィスに艇の鍵を預けに行った。オフィスのリンダが、「預かってもいいけど、どうして?」と尋ねる。こちらでは長期船を留守にしても、鍵を預けたりしないものらしい。「私の艇が沈みそうだったり、どこかの船に火事でも起きて私の艇を動かさなくてはならないことがあるかもしれないと思ってさ。」リンダはただ首をすくめ黙って引き出しに私の鍵を放り込んだ。

今日の目的地はタウポ。約470kmの長駆になる。

190km走るとオークランドだ。ベイブリッジを渡ると、目の下に巨大なウェストヘブンマリーナが見える。来る2000年のアメリカズカップ(こちらではキウイカップという)が行われる中心的な場所だ。その向こう、クィーンズワーフにはクイーンエリザベスIIの颯爽とした巨躯も見える。

NZで渋滞があるとすれば、おそらくこのベイブリッジだけ。それでも橋を渡り終え、市街地への出口をいくつか過ぎると車はみるみる少なくなる。

市街地を抜けたと思うと、周囲はなだらかな緑の丘の牧草地。まるでNZの看板みたいにのどかに羊の群れが草を食む。

NZの連中の車の運転ときたら、実に荒っぽい。都市を出はずれるとほとんどが分離帯もない一車線だ。郊外はどこも制限速度100km/hだが、それ以下の速度で走る車はまずないといっていい。80km/hほどで走ろうものなら、次々と反対車線を通って追い越していく。初めは、「そんなに飛ばしてこの狭いNZ、どこへ行くの?」と訝っていたが、そのうち私も郷に入れば郷に従えの格言通り80km/hの車は追い越すことにした。

タウポまでの3分の2の位置にハミルトンがある。豊かな水量をたたえたワイカト河流域の中都市だ。名前からして英国風の街並みを想像していたが、ステイトハイウェイ1号線(ただの1車線の国道。日本でいう高速道路ではない。)は期待に反してどんどん街をそれていく。NZには交通信号はあまりない。代わりにランニングアバウトという日本でいうロータリーがあり、右の車優先だけのルールで車を捌いている。そのランニングアバウトがどんどん1号線を街から遠ざけ、ついに工業団地沿いに、そして市街地を過ぎてしまった。(帰りに市街地に入ってみたが、並木の美しい静かな街だ。)あとはタウポまで都市といえるものはない。美しい丘陵と群れなす羊を見ながらひた走った。

途中、ワイカト河のほとりのマクドナルド(こちらではアメリカでもそうだが“マクダーネル”に近い呼び方になる)で30分程昼食休憩をとり、タウポに着いたのが午後2時半。470kmを5時間?ちょっと飛ばしすぎ。途中50km/hの所を何ヵ所も通ったのだから。反省!

タウポではブレイドショーB&Bに予約を入れておいた。B&BとはBed and Breakfastの略で、たいていはトイレとシャワーは共用、テレビとコーヒー・紅茶はラウンジで、部屋にはベッドと机・椅子・洗面台がある。そして朝食がつくのでこのように呼ばれる。

ブレイドショーの親父は陽気なキウイ。

「車?中庭のどこか空いている所に突っ込んでおけ。」

「設備の説明は必要かい?」

「それよりどこから来た?日本?ふーん、休暇かね?」

「え?ヨットで太平洋廻ってるって?おい、その話詳しく聞かせろ!」

...................

こんな調子で着いて早々長旅の疲れも何のその、1時間ばかりこの親父の話し相手をさせられた。やっと宿の親父から解放されると、私はそう遠くないところにあるバンジージャンプを見に出かけた。

途中、コーラを買いに入った店でその場所を尋ねると、店にいたおばさんがわざわざ道の曲がり角までついてきて、

「ほら、あそこにいろんな色の旗が見えるでしょ。あそこがそうよ。あんたあれ飛ぶつもりかい?」

とそのおばさんが私に尋ね、

「まあ、行ってみてから決めるよ。」

と答えると、

「お止しよ。寿命が縮んじまうよ。私はいやだよ。あんな高いところから飛び降りるなんて。」

私は何となく、このおばさんの言葉とは裏腹に飛ばなければいけないような気になった。私は少年時代スキーのジャンパーだった。オリンピックで改築される前の札幌の大倉山シャンツェだって飛んだことがある。国体の少年組の選手だったことだってあるのだ。家の都合で北海道は小樽市から東京へ引っ越した後は、私は水泳の高飛び込みの選手になった。落下することに恐怖はないし、どちらかといえば得意だった。ちなみに早稲田の入試にだって一度落ちた。

高さ45m。真下にタウポ湖から流れ出るワイカト河の蒼く渦巻く流れがあった。これなら飛べる!と思った。受付で尋ねると、ただ飛ぶだけなら$90、写真とかビデオとか、そんなものがセットになると$150近くなる。私のこの旅の一日の予算は$100だ。写真を何カットか撮り、宿に戻った。

NZで一番大きな湖、レイク・タウポを見ながらピザの夕食をとった。8時になってもやっと夕方といった様子で、湖にはたくさんのレーザー(小型ヨットの種類、一人乗り)がレースをしているし、岸辺ではこの涼しさのなか泳いでいる家族がいた。

宿に戻り、ロビーを覗くと若い日本人女性が15人ほどもいる。まさか修学旅行でもあるまい。尋ねるとさる女子大のゴルフ部の合宿だそうだ。娘たちの願いをかなえている親たちの疲れた顔が思い浮かんだ。

ロビーの前庭の芝生でパイプを吸っていると、煙草を吸う女の子たちが私を取り囲んだ。

「ヨットで来てるんですって?」親父から聞いたのだ。

「ここに一緒に座ってもいいですか?」

ああまた、いつものお決まりの質問が始まるぞと思いつつ私の頬は意思に反してゆるみ、にこやかに、

「どうぞどうぞ。」

といっている自分に気がついた。

2月6日(金)

快晴。今日は北島の南端ウェリントンまで380km。NZの首都に敬意を表しここには3泊する。宿はローズメア・バックパッカーズ。ドミトリー(合部屋)と個室があり、私はシングルの個室を予約していた。

ウェリントンの街はクック海峡の入江、ウェリントン湾の海とすぐ後ろに迫る山々の間に広がる街だ。居住区はたいていその山側にあり、恐ろしく急な坂が至る所にある。ここローズメア・バックパッカーズもまさにそうで、歩いて登ると2度、3度の休憩が必要だ。そんな急坂に片足をもたげるように木造の古い建物が危なげに建っている。道路から宿に入る石の階段がまた物凄く急だ。足を滑らせたら途中では絶対に止まらないだろう。そんな階段に、この宿に泊まっているらしいバックパッカーが何人も腰掛け、何か話し込んでいる。私は重い荷物をかつぎ、

「ちょっとごめんよ。」

と声を掛けても上体を少し開く程度だ。彼等の足の間を一段々々踏みしめてやっと受付のある1階に着いた。昔でいえばヒッピーの溜まり場のようだ。みんな薄汚れて心なしか目つきだってちょっと怪しげだ。だいたいこの宿の受付の男がいちばんヤバそうだ。

「Zenだけど。予約してあるんだけど。」

怪しい目つきがにっこり笑った。

「Zenか。待ってたよ。今日はどこから来たんだ?」

彼は、私があたかも旧知の友人であるかのように手を差し伸べ握手をした。

部屋は3階。こちらの流儀(1階はGround Floor、2階が1階、3階が2階となる)では2階というので、重いバッグを担いで私は迷った。私の部屋は、いわば屋根裏部屋だった。

こんなに急坂と急な階段、加えて3階まで上った甲斐があって、見晴らしは素晴しい。真っ赤なシーツのベッドが2基、他には何もない。バッグを置くと私がいられる場所はベッドの上だけになった。

到着の日、外出したのは夕食のためだった。「地球の歩き方」で十分にウェリントンを研究していなかったから、どこで安くて旨く、ボリュームのある食事にありつけるか見当もつかない。キューバストリートのとあるレストランに飛び込んだ。パキスタン料理だった。陽気な日本人のウェイトレスがいて、色々教えてくれ、焼きうどんのような料理を食べることにした。

ウェリントンはニュージーランドの首都にあたり、街は官庁や民間企業のオフィスで占められている。従って土曜・日曜は灯が消えたようで、商店もカフェも首都のプライドに賭けて門を閉ざしていた。

2月7日(土)

2日後にピクトンへ渡るフェリー乗り場を確認し切符を買い、ケーブルカーで山頂の見晴らし台へ上り、プラネタリウムを見たいと思った。しかし、プラネタリウムは午後まで待たなくてはならず、観ることはできなかった。南半球の星座に興味があったのにー。

天気がよくなかったので、山頂からはじきに降りることにした。街には石造りの古い建物がたくさんある。しかしその何割かは使われておらず、取り壊し中のものもあった。使用中の建物は生気があって威風堂々としていると思った。それにしても、現代的な建物とのバランスという点では、ウェリントンの都市計画はどうなっているのか疑問に思えた。こんな方針では、古い建物はいずれすべて取り壊しになるしかない。あんなに美しい姿と威厳は新しいビルの及ぶところではないのに。

フェリーの切符は朝一番のリンクスをとった。リンクスは新しく就航したフェリーで、旧来のインターアイランダーが3時間20分を要するのに対し、1時間45分でウェリントンピクトン間を結ぶ。料金は少々高いが、早く着くので、その日のうちにクライストチャーチまで行けるメリットがある。車搭載料が$190、乗客$59だが、シニアサービスがあり、車$133、人間$42となっていたので、「俺はシニアだぞ!」と声高にいってみたが、対象は居住者に限ると断られた。然らば、と往復割引をと帰りの切符も買ったら車と人合わせて$210。$39の得になった。

ウェリントンには国立博物館がある。これをぜひ観なくては、と思ったが来週新博物館オープンとかで目下移転中。仕方なく宿へ戻ると、入り口のロビーにたむろする人々の中に3人の日本人の若者がいた。2人は女性でココとイクエといった。男の名前は忘れた。3人ともワーキングホリデイで来ていて、今仕事を探しているとか。男性の方は目下宿の客室のシーツ替えをする代わり宿泊はただ。

少し仲間に入って話しているうち、西洋人はやがて立ち去り日本人4人だけとなった。ココが、

「禅さん、晩ご飯一緒に食べませんか?」

といった。正直いって今夜の夕食をどうしようかと思案していたところだ。私が、先日私を訪ねてきた友人から届いたコシヒカリでご飯を炊き、彼らが適当なおかずを作るということになった。ココが指揮し、他の2人も甲斐甲斐しく働いた。食事はこのうえなく楽しかった。なるほど!バックパッカーやホステルはこういう風に過ごすものなのだといい勉強になった。

食後、雑談の中で私のヨットによる航海のことが彼らに知れ、話はそこから途方もなくあらゆることへと拡がり、気がつくともう午前4時。早発ちする客が動き出す気配もする。どうせここまで起きていたのだからとコーヒーを飲みつつ話は夜が明けるまで続いた。私まで若者に戻ったような情熱的な議論に酔った一夜であった。

2月8日(日)

今日は、そんな前夜を踏まえなにもない一日。夕方また彼らと食事をし、明朝6時起床(フェリーは8時発、チェックイン7時)ということで早めに部屋へ引きとった。別れ際、ココが、糸のような紐で編んだ指輪をいくつか取り出し、

「Zenさん、このなかの好きなの、言ってください。そして、フィジーへ行っても、どこへ行ってもずうっと指にしていてください。」

といった。私はちょっとパープルがかった一つを選んだ。ココはそれを私の薬指に結び、その結び目にアロンアルファを一滴落とした。

後半に続く


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