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ニュージーランド旅行記

西久保 隆

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2月9日(月)

私と海の関わりは強風・時化・悪天候。私がフェリーに乗るとあって、ひどい時化だ。この因果関係は日本を出帆したときから続き、変わることがない。

リンクスはいったん港を出てしまうと余りにも速く走る(40ノット)ので時化が分からない。船尾は推進力となるジェット噴射の水煙で何も見えない。広い客室のいくつかの箇所にテレビ受像機があり、GPS(注:衛星による位置確認システム)の航路と航跡を映し出している。

ピクトンは深いフィヨルドの奥にある港。狭い水路をリンクスはスピードを落とすことなく突き進む。

午前10時、車はピクトンの路上にあった。ガソリン(こちらではペトロールという)を入れState Highway1号線を南下。やがて海岸沿いの道となる。快晴かと思うと、たちまち雨になり、すぐまた晴れたりと、気象の変化が激しい。

ブレンハム辺りまで美しい緑だった山々が、突如オークルジョンに変貌する。ツルンとした山々が茶色と黄色のクレパスで描いたようだ。この地方特有の植物系なのだそうだ。左には南太平洋の荒磯、右には珍しい山々を望みピクトン〜クライストチャーチまでの336kmの行程を走り終えたのは、3時頃。

道に迷い、サウスシティまで行ってしまったが、そのおかげでスーパーで3日分の食料を買い込み、親切なカフェのウェイトレスに道を教えてもらいシティコート・モーテルに着いた。

部屋は7号室で2階。シングルを予約しておいたのに部屋に入ってみて驚いた。テレビ、ソファのある大きなリビングルーム、キングサイズのベッドとウォークインクロゼット、ドレッサーなどのついたメインベッドルーム、シングルベッドが2台入ったサブベッドルーム、それに冷蔵庫、電子レンジ、その他食器からナイフ・フォークまで完備したキッチン&ダイニング、それにバスタブつきのバスルーム(こちらでは安宿ではシャワーだけということが珍しくない)。スイートにキッチンを加えた豪華な部屋だ。これで一泊$65?急に不安になり受付へ急いだ。

「いいのよ。ちょうど空いていたんだから。あなたはラッキーだったということよ。」

品のいい老婦人がいった。夕食を作っていると夕暮れの街からバクパイプの合奏が聞こえてくる。さすがクライストチャーチ。いいムードだ。

食事を終え、夜の街へ出てみた。バクパイプはまだ聞こえている。音を頼りにいってみると、タウンホール前の広場で合同練習をしている人々を発見。暫く聞き入っていた。コロンボストリートを大聖堂へ向けて進む。途中エイボン川の畔、林のような木立の中に灯がともり人々がディナーのテーブルを囲んでいる。急に一人旅の寂しさを覚えた。隣は素敵なバー。完璧な渋い大人の雰囲気だ。こういう素敵なところに限って日本人はいない。

大聖堂から1、2ブロックの辺りからギフトショップが多くなる。巨泉の店などというのもあり日本人の団体で込んでいる。日本人の店員にヨイショされ、すっかりいい気持ちになっている。何のためのNZ旅行なんだろう。こういう人達が惜しげもなく買い物をするから、値段は日本並み、現地感覚の3倍はする。

夜の大聖堂はライトアップの中に毅然とそびえていた。黒っぽい石と白っぽい石のゴシック的組み合わせ。見上げるとライトアップの光の中を斜めに小雨が降っている。

カテドラルスクェアの方へ歩く。銅像の脇の暗がりに高校生ほどの子供がたむろしている。通りかかると、

「おじさん、素敵な夜を過ごしている?」

と女の子が声を掛ける。

「もちろんさ。最高に素敵な夜だ。ちょっと雨なんかも降ったりしてさ。」

子供達はどっと笑った。

クライストチャーチは南緯43ないし44度に位置する。日本でいえば網走、北見の緯度だ。道理で寒いはずだ。夏というのに綿ニットのセーターを重ね着してもなお寒い。急いで宿に戻った。

2月10日(火)

今日も晴れたり降ったり、暑くなったり寒くなったりの変な天気。車の警告灯の一つ、“タイヤローテーション”がつきっ放しだ。AA(日本のJAFみたいなもの。アメリカではAAA…トリプルAがある)の指定工場へ。

「前輪がずいぶん減っているよ。長旅なら代えるべきだと思うが。」

専門家の意見は尊重すべきだ。

「新品のタイヤで一番安いの、1つ上のはいくら?」

と訪ねると2輪で$65(約4900円)とのこと。後輪の左右入れ替えとしめて$70也。

美術館、博物館、そしてハグレー公園で一日を過ごした。両館とも、石材、建築様式は大聖堂と同じだ。美術館の前庭は洒落たカフェがあり濃い緑の木陰の休息は本当に心がなごむ。英国風な街にヨーロッパのトラディショナルといった趣のトラム(市電)が通り、美術館の前で人々が乗り降りしている。美しい街だ。

ハグレー公園は広すぎて、とても歩き切れない。広大な芝生に老木が地面まで枝を垂れ、そこここに恋人達や家族連れが寝そべっている。遊歩道沿いは目を見張るばかりの花壇。NZには青とか紫の花が多い。あじさいも各地でみられる。

2月11日(水)

午前中は路面電車に乗り中心部を一周した。路地の線路脇にまでテーブルを並べたカフェがあったりしてとても楽しい。この電車は乗車のとき、大きな黒い鞄を胸から下げたおじさんに5ドル払うと1時間有効の切符をくれる。1時間以内ならどこででも乗り降りは自由である。まさに観光ガーデンシティの乗り物だ。

午後はカテドラルスクェアでボーとして過ごした。一昨夜の寒さで風邪をひいたか、少々熱っぽい。宿に帰り、体調がすぐれないので一日宿泊を延長したいというと、宿の親父は「いいだろう」といった。薬を服み早めに床についた。

2月12日(木)

薬のおかげでよく眠った。朝十時、そろそろ起きなくてはと思っているところにドアを激しくノックする音。扉を開けると宿の親爺だ。薮から棒に

「今日、この部屋を使う。」

「え?昨夕、もう一日延長OKと言ったでしょう?」

しかし親爺は今日この部屋を使うの一点張り。

「分かったよ。他の部屋に移ろう。」

というと他も全部ふさがっているという。押し問答しても始まらないから急いで荷物をまとめだした。気がさしたか、

「もう少し郊外に出れば今夜の宿が見つかると思うよ。」

と親爺が言った。こういうところはアメリカもそうだが実に自分勝手だ。チェンジマインド=気が変わる、移り気、心変わり…我々には恥ずかしいことという認識があり、一度した約束は万難を排しても守ろうとするが、彼らは気軽にチェンジマインドする。約束したじゃないか!と詰め寄ると、チェンジマインドしたんだ、といった具合。

少々頭に来た。体調も十分眠ったせいか、そんなに悪くない。よし、Mt. クックまで行ってしまおう!

11時、クライストチャーチ出発。Mt. クックまで330km。途中でブランチ(朝昼兼ねた食事)をとりながら走ることにした。1号線でアシュバートンを過ぎ、79号線に入る。フェアリーで8号線に入るのだが、迷って暫く逆へ走った。

道は次第に山にさしかかる。まさにNZらしい風景。ゆるやかにカーブし、坂の頂に出ると、目下に美しいコバルトブルーの湖が広がる。丘陵は滑らかな緑に覆われ、羊や牛が放牧され、その向こうに雪をいただくサザンアルプスが澄み渡る青空の中にそびえる。

レイク・プカキが見えてきた。Mt. クックには、この湖の西岸に沿って進む。湖が終わったところがMt. クックという村だ。Mt. クック山頂(標高3764m)は、この村から8kmの所にある。従って、この村自体が2000m程の標高に位置しているわけだ。

湖に沿ったカーブにヒッチハイカーがいた。少し通りすぎて車を停め、乗せても大丈夫か観察する。カップルかと思ったがよく見ると2人とも女性だ。急いでバックし、ドアを開けてやった。

私もフレンチポリネシアではずいぶん好意で車に乗せてもらい助けられた。だから不都合がなければできるだけピックアップすることにしている。

彼女らは本物のヒッチハイカー、そしてキャンパーだ。荷物の量が物凄い。後部座席(トランクは私の荷物でいっぱい)に押し込めると人の乗る余地がほとんどない。それでも後部に小柄な方、助手席に大柄な方が乗り込んだ。行き先は問うまでもない。この道はMt. クック村に続く一本道だ。大柄な方がダリ(Dali)小柄な方がアヤ(Aya)といった。イスラエルから来たそうだ。

50km余り走り、村に、そしてビジターセンター(どこの町にもあって旅行者の面倒を見てくれる)、ユースホステルを訪ねたが安い宿はすべて一杯。村をさらに1.5km程奥へ進み、Mt. クックのガレ場のすぐ下のキャンプ場へ直行した。

まだ開封もしていないテントを広げてみる。大昔の三角テントの経験しかない私は、設営を彼女達に教わった。私のテントができ上がると、1.5m程離れたところに彼女らのテントを建て、車を横に停め、夕食の準備を始めた。

Tシャツ一枚の私は少々寒い。彼女らはフリースのジャケットを着ている。南緯44度、標高2000m... 私も慌ててフリースのジャケットを着た。

夕食の後、夕映えが美しいというMt. クックを見がてら散歩に出かけた。山の天気は急変する。小高いケルンのある場所へ登ると、立っていることもできないほどの強風だ。しかも雲がどんどん山頂を包んでゆく。遂にMt. クックの夕映えは見られずじまいでテントへ戻った。

夜半、まるで激流のほとりに寝ているような風の音。時折テントが内側に凹み、浮き上がる。続いて滝のような雨だ。キャンプ経験のない私は、大丈夫なのか訝りながら横になっていた。

夜半を廻ったころ、怒涛が頭上から崩れかかってくるような風音を聞いた。そして、2、3分後、ずぶ濡れの2人が私のテントに飛び込んできた。

「どうした?」

と問うと、テントのグラスファイバーの梁が損傷しテントがつぶれたという。

「風に飛ばされちゃうからテントはたたんじゃったの。今夜、ここに泊めて。」

という。寝室に枕を抱えて泊めて!と言ってくるのとはちょっと様子が違う。持ってきたのは雨に濡れた寝袋だ。早速、予備のマットを広げる。幸い、私のテントは3人用。何とか寝場所を作れるだろう。

濡れたシュラフの中で2人とも寒さに震えている。私は乾いている私の寝袋のジッパーを全部はずし毛布状にし、彼女らのもそうしてそのうえに重ねる。私を間に3人は抱き合うように横になった。

しかしこんな状態で眠れるとしたら聖人君子か余程の唐変木だ。次第に体が暖まってくると雨と風の音も余り気にならなくなり、代わって体の変化に困惑した。フリースのジャケットにGパン、靴下まではいている私がもぞもぞ動くので、彼女らに感づかれてしまった。2人の手が伸びてきて、私の硬化したものに触れ、

「ワーオッ」

とか叫んでいる。私が必死に耐えているというのに、まして、これから登山でもするような服装で3人とも寝ているのでは何も始まりようもない。2、3時間ふざけ合った末疲れて眠ってしまった。

2月13日(金)

翌朝、いくらか収まってきたとはいえ、テントに居られる天気でもない。2人は朝食のオートミールを作りにテントを出て行った。

「Zen、オートミールができたけど食べる?」

とアヤが私に尋ね、ダリが3人分のオートミール、ソーセージ、の缶詰、コーヒーをトレイに載せ、テントに入ってきた。

食事をしながら、ダリが

「こんな天気じゃ、Mt. クックに登ることもできないし、私たちはワナカへ行くことにしたの。Zenも行かない?という。一瞬、昨夜の欲求不満を晴らすチャンスだと思ったが、

「OK、ワナカまで載せて行こう。私は今日、クイーンズタウンへ行く。」

と答えていた。予定では2泊のMt. クックを1日縮めたので、他で使えるメリットを優先させたのだ。私のおかしな癖だ。こういう局面で常に私は変に理性的になる。そして後でいつも悔やむ。

高所ではあんなにひどい天気だったのに、下って来るとレイクプカキは美しかった。何度も車を停め写真を撮り、景色に酔った。

ワナカまで210km。午後2時少し前、ワナカのビジターセンター前で彼女らを降ろした。頭の上にまでそびえる荷物を背負ったのを見計らい、私はアヤの唇にキスをし、

「夕べのお返しだよ。いい旅行を続けてね。」

といい乳房をついでにつついた。振り返ると、私より10cmは背の高いダリが立ちはだかっていた。たじろぐ間もなく、私はダリに抱きすくめられ、熱っぽいキスを唇に受けていた。

「私たち本当にいい人に会えた。Zenもこの先、いい旅を続けられるよう祈っているわ。」

ダリがいい、アヤがうなずいていた。

クイーンズタウンへの道中、ワナカに留まるべきだったかなあと思いつつ車を走らせた。余り景色も見ずに。

洗練された美しい街、クイーンズタウン。こじんまりとした、家ごとに(あるいはホテル・モーテルごとに)素敵な世界を展開している。

ビジターセンターで$60程のモーテルはないかと尋ねた。係の女性が気の毒そうに

「モーテル(キッチン付)だと$80位からになるわ」

という。しかも空きがあるのは$100以上とのこと。Mt. クックでは1銭も使わなかったのだから、という気のゆるみもあり、AAの割引で$95(税別)という一流ホテル“ノボテル”に2泊することにした。

ワカティプ湖を目下に見おろす素晴しい部屋だ。こんなホテルには、もう3年近く泊まっていない。旅のコツは、一流ホテルの安い部屋に泊まり、一流の設備を享受するのだそうだ。然らばと、メインダイニングを覗いて見ると、ディナーで$45程にもなる。車に乗り街に出て安い中華料理で腹を満たした。

2月14日(土)

美しく晴れ渡った朝。しかし湖面には強い風にあおられ白波が立っていた。見るからに急で高いゴンドラに乗り、山頂に登ってみた。目下に街と湖があり、その向こうに雪を頂いた山並みが続く。まさにパノラマ。美しいパノラマだ。こんな時一人というのは辛いものがある。感動が完結しない。感動というものには共鳴、または共感が不可欠なのだ。それもできれば本当に心を開ける誰かとの共感が。

1時間以上もボーっと景色を眺めていた。景色に酔う反面、何か家が恋しくなってくる。もっとも、私にたどり着くべき家はない。あるのは艇、ヨット禅だけだが。

再びゴンドラで下山。上からみると垂直に降りていると思えるほど急だ。

湖の入江の向こう側の小さな岬はガバメントガーデン。細い流れを渡る橋の向こうは静謐な別世界だ。テニスコートやローズガーデンがあるとはいえ、何かで遊べるという設備は一切ない。それでいて品格がある公園なのだった。ただそぞろ歩き、時にベンチや芝生に腰を降ろす。

スケジュールに追い回され、バスで次の観光地へ急ぐのが日本人の旅行者だが、この公園で日がな一日読書をしている日本人旅行者を見た。私は何かほっとするものを感じ、声も掛けず傍らを通りすぎた。

2月15日(日)

クイーンズタウンを出、レイクワカティプに沿ってSH 6号を走る。曲がりくねった湖畔の道。景色は素晴しいが、時折カーブの向こうから100km/hで車が飛び出してくるので油断はできない。やがてSH 94号へ。本当の田舎道。テ・アナウへ行く、あるいはテ・アナウから帰るバスやキャンピングカー、またはバンやセダンが時折行き交うのどかな道だ。

いつもは300km以上走るのに、今日はたった160km。昼すぎにテ・アナウ・ホリディパークに到着した。洗車場で久しぶりに車を洗い、シャワーを使い、ランドリーで溜まった衣類を洗濯した。受付で明日のミルフォードツアーを予約し、レイク・テ・アナウの湖畔の街を歩いてみた。ミルフォードサウンドとダウトフルサウンドの玄関口で、フィヨルドランド国立公園の中心という以外には何もない小さな街だ。30分も歩くと街の隅々まで歩けてしまう。

キャビンに戻り夕食の準備だ。3人連れの日本人の女性がスパゲッティを煮込みうどんのように煮ていた。

ここは南緯45度を越えている。夕食を終えてもなかなか日は暮れない。キャビンの向こうの芝生にはたくさんのテントが並んでおり、その前に寝そべって歓談にふけるカップルやグループが多い。ああ、また寂しい夕暮れ時!

2月16日(月)

朝8時15分、レセプションの前に大型バスが止まった。私を迎えに来てくれたのだ。私を乗せたバスは数ヵ所のホテルやモーテルに立ち寄り、ツアーの客をピックアップした。

バスがテ・アナウを後にすると、運転手はマイクを通し自己紹介し、つづいて今日のツアーのあらましを説明した。実に軽妙なジョークをたっぷりはさみながら。途中、見所にさしかかると詳しい説明を加え、バスを停め降りて案内までする。さる渓流にさしかかると、この流れはおそらくどんな瓶詰めのミネラルウォータよりも美味しい水だという。

「もっとも、日頃飲み物にはウィスキーが混じっているものだという常識をお持ちの方には物足りないでしょうが。」

といった具合。バスを停め乗降口で一人一人に紙コップを配り、客がバスに戻るときにはその回収もやる。客の送迎、ツアーの説明、景勝地の説明と案内、そして客一人一人の世話をし、しかもジョークを絶やさずにこやかに...仕事とはいえ本当に感心してしまう。

ホーマートンネルは岩をくりぬいただけのちょっと凄味のあるトンネルだ。中では場所によってバスが擦れ違うのは難しい。そのトンネルを抜けると世界ががらりと変わる。通常の尺度感覚が役に立たなくなるのだ。その高低感に加え、傾斜角が限りなく垂直に近くなる。まさにフィヨルドの始まりである。1000m以上の垂直の崖、それはかつて氷河によって削りとられたものなのだそうだ。

やがてミルフォードサウンドワーフ。バスを降りクルーズ船へ。トンネルの向こうはあんなにいい天気だったのに、ミルフォードサウンドワーフ側は雲の中、そして時折激しい雨。かと思うと、パッと晴れ陽光が奇景を照らす。ちなみにミルフォードの年間降雨量は6000mm、クイーンズタウン(内陸へ70km)は890mm。極度の多雨地帯だ。

クルーズ船はNZ一高い滝、ボーエンフォールを見せながらフィヨルドを沖へ向かう。目の前の海面からほとんど垂直に立ち上がるマイターピーク(1692m)が雲の切れ目にのぞいている。NZの代表的景観だ。船はタスマン海に舳先を進め、そこで踵を返す。外洋に出ると船は激しく揺れた。

帰りのクルーズは激しい雨の中。時に何も見えなくなる。かと思うと雲間に高い岩の峰が...最後のお楽しみはボーエンフォールの滝に船ごと入っていくらと見える限りない接近。船は滝のしぶきの真っただ中にいた。

2月17日(火)

今日はワナカまでの270km。先日、ダリとアヤを降ろしたところだ。ワナカモーターパークのキャビンで旅装を解く。静かないい街だ。しかし、テ・アナウもそうだが、ワナカも寒い。夏というのに涼しさを通り越して寒いのだ。長袖のラガーの上にセーターを着込む。あれからもう4日経っている。ダリたちがまだいることはちょっと考えられない。

2月18日(水)

いよいよ氷河だ。ワナカからフォックス氷河はハースト峠という難所を通る250kmだ。初めレイクファエアに沿って進み、次にレイクワナカに沿って北上する。次第に山深くなり、周りを見渡すと山頂が白く氷河や雪に覆われた2000〜3000m級の山々。その山々の間をSH6号が走り、目下に渓谷の激流が見える。13日未明の嵐で起こったという崖崩れや川の氾濫はまだ修復されていない。道端の崖から滝が何本も激しい勢いで道路に落下している。

突然景色が変わったのはハースト岬にさしかかる前だった。草原が深い森林に、しかも木々の幹は厚い苔に覆われている。山脈が多雨と乾燥地帯を明瞭に分けていた。

山を下り西海岸のハーストに出た。私が見るタスマン海が陽光に輝いていたことはない。緑灰色に泡立つ海の際を走り、少し内陸に入りレイクパリンガのカフェでランチ。フォックス氷河に着いたのが3時だった。街というよりは村。氷河を体験する手段としてのヘリ、セスナ、徒歩ツアーの会社と小さなカフェやレストラン、それ以外はホテルやモーテル以外には何もない。

私はアルパインガイドという会社へ行き、明朝のグレイシャー(氷河)ウォークのハイキングツアーを申し込んだ。

2月19日(木)

快晴。朝8時15分、アルパインガイドに集合した。総員25人、うち日本人は3人。卒業旅行で来たという眞理と彩子、そして私。

8時半になると全員が重い登山靴に履きかえた。15ポンド(7kg)近くの鋲が打ち込んである奴だ。さらに、バスに乗る前にかんじきを一対ずつ渡された。

氷河へ行く道も河の氾濫で一般車は進入禁止になっていた。あの嵐で河川のみならず氷河も一部姿を変えたそうだ。険しく遠い山道を歩いた。チェーンやロープを伝う難所を何ヵ所か越えていく。やがて氷河の全貌が見えてくる。想像以上に壮絶な光景だ。時折地響きを上げて氷河の崩れる音が山間にこだまする。

いよいよ氷河にアタック。かんじきを装備し、ガイドに従って氷河にアプローチする。氷は不思議な青い色をしている。頭上にはちょうどグレープフルーツか夏蜜柑の実を縦に開いたように鶏冠状に反り返った巨大な氷塊群が天をさすようにそびえ立つ。時折、深いクレバスがある。これらが日に何十センチか数メートルか動いていると聞くと、とても不思議な感に打たれる。

午後2時過ぎ、堪能した氷河に別れを告げ、またあの険しい山道を戻る。少し雲が出てきたようだが、私たちがグレイシャーウォークする間は幸運にもずっと快晴。眞理と彩子を含め、いい写真がどっさり撮れた。

2月20日(金)

今日は23km離れたフランツジョゼフ氷河にいる。昨日フォックスのグレイシャーウォークから移動してくる途中、イギリス人青年のヒッチハイカーを2人乗せた。今日宿(フランツシャトウ・バックパッカーズ)で目を覚ますと、昨夜の豪雨にもかかわらず快晴。雨の後のきれいに澄み渡る青空が美しい。

氷河は昨日十分に楽しんだので、フランツジョゼフは展望台から眺めただけ。氷河から流れ出る渓流が水蒸気に覆われている。水温と朝日に暖められた気温差によるものだ。

2月21日(土)

昨日のフランツジョゼフでこの南島旅行の主要部は終わった。後はできるだけ楽しそうなところを通り帰路をたどるのみ。

グレイマウスのさらに北、昔石炭の積み出し港として栄えたというウェストポートへ。距離280km。

グレイマウスの手前50km辺りからは海沿いを走る。今日もタスマン海は荒れている。近く航海を再開するものとして、こうした時化の海を見ると気が滅入る。

シールコロニー・ホリテイパークに宿をとる。近くにアザラシのコロニーがあり、その生態を近くで観察できるというが、あいにくの雨でどこにも出られず1日が終わった。

2月22日(日)

フッと、今日は弟の誕生日だということを思い出す。2のゾロ目だから覚えやすいのだろう。

朝はまだ雨が降っていた。9時になると雨が上がり、私はその雨雲の後を追うようにブラー河沿いのSH 6号線を東へ走る。曲がりくねった急峻な何度か線路の通っている橋を渡る。列車とまったく同じ橋、線路上を車が走るのだ。主要国道とはいえ、片側通行の橋や鉄道と共用の橋が沢山あるのは面白い。

やがてブラー河がいくつかの源流に分散し分水嶺を越える。西側の荒々しいまでに変化に富んだ風景がなだらかに起伏する草原へと変わってゆく。いつの間にか天気は快晴、心も軽くなり何度も車を停め羊の群れが草を食む風景の写真を撮った。

午後2時半、ピクトン着。ワイカワベイ・ホリデイパークで旅装を解く。高台の宿で、目下にはピクトンの深い入江に舫うたくさんのヨットが見える。

車の警告灯がタイヤローテーション、オイル交換、オイルフィルター交換と3つも点灯している。タイヤは先日クライストチャーチで替えたばかりだから、たぶん空気圧の調整で済む。旅行中は時折ゲージを見てはオイルを補充していたから、フィルターともどもすっかり取り替える時期に来ているようだ。しかし今日は日曜日、何もできない。

2月23日(月)

フェリーの帰途便が25日で予約してあったので今日のに変更したら、割引分の$39をそっくり変更料として取られた。

朝8時半、車を修理工場へ持ち込み30分で仕上げてもらった。9時に車でのチェックインを済ませ、ブロムナードデッキの客室へ上ると出航を待たずに眠ってしまった。南島旅行がこれで終わったという達成感と安堵感が入り交じったとても安らかな深い眠りだった。


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