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6月2日(土)/晴・23℃・東の風15Kn/Fine

山のコンポジション

 今日はいい天気で温かでしたが、この辺りも、もうすっかり冬になりました。明け方は、10℃を割って寒さで目が覚めることがよくあります。

 ボートはなかなか売れないので、一計を案じ、人に貸すことにしました。

 直に借り手が決まったので、まるまる6年間の外国暮らしにもピリオドを打ち、帰国することにしました。私の所帯道具は、一応日本へ送ります。それで、昨日から引越しの準備に入りました。

 ブリスベンに日本郵船が会社を出していて、New Wave Logisticsといいます。そこでは、日本と同じシステムで引越し業務を引き受けてくれます。外国には、通常、パッキングからドア・ツー・ドアの引越し配送までやってくれる会社がないので、初めはどうなることかと心配していましたが、海外協力隊関連の人から、こういう会社があることを教わり、本当に助かりました。

 しかし、どの引越しでもそうですが、いざ荷物を引っ張り出してみると、その量の多さにびっくりします。こんな小さなヨットでも例外ではありません。よくぞ、こんな狭っ苦しい所に、これだけの物が入っていたものだと驚いています。

 昨日、New Waveの永山さんという人が見積もり方々、段ボール箱を持ってきてくれました。その箱に、差し当たって、他人では分類が出来ない書籍やアルバム、日記や航海日誌などを詰め始めました。何と、中型の箱(40×30×45cm)に、本だけで、たちまち8函のパッケージが出来上がってしまいました。狭いキャビンの中は、動くのさえ窮屈なほど本の詰まった箱でいっぱいでした。

 動く場所もないのはいいとしても、まだ詰めていない本を箱詰めしなくてはならないのに、それをやる場所がないのには困ってしまいました。もともと、心臓の弱点に配慮して力仕事をしないために業者を頼んだのに、場所塞ぎだけは何とかしなくてはならず、マリーナの倉庫を借り、一時預かってもらうことにしました。勿論、運ぶのは私自身です。

 一個が約40Kg(本は物凄く重い!)ほどもあり、しかも抱えて運ぶには大きすぎます。かといって、担ぐには手の掛るところもないツルツルの箱です。運の悪いことに、マリーナ内の重量物を運ぶ手押し車が全部出払っていました。箱を抱えて10歩進んでは休み、10歩進んでは休みして、8個の箱をヨットから倉庫まで運びました。もう、体中の関節と筋肉がぎしぎし軋んでいます。

 キャビンが広くなってホッとしたら、また箱詰めです。本と写真類で、さらに2函が出来上がりました。それでもまだ、詰め残しの本がワインの空箱に一つあります。

 ドックへ出てヨットの喫水を見ると、何と、2インチ以上も浮き上がっています。本だけで、半トン近く積んでいたことになります。これだけの本を繰り返し、繰り返し読む時間があるほど呑気な暮らしをしていたのですね。勿論全部ではありませんが、好きな本は5,6回も読み返しているのですから、並みの暇人ではありません。

 こういう暇を享受して6年間も過ごした者が、はたして日本で生きて行けるかというのが、今の私の心配です。

 西洋人が日本というと先ず口にするのは、Busy(せわしない)、Close(密集した)、Expensive(物価が高い)という言葉です。ですから、現在の私の境遇と、丁度、正反対な訳です。いくらでも時間(暇)があり、キャビンは狭いとはいえ、すぐそこのビーチへ行っても人間はまばらにしか居ないし、もっと北や内陸へ行けば人っ子一人いない所がいくらでもあります。物価は日本の約半分(2年前は3分の1だった)。お米は、日本に食管法があって比較するには公平ではありませんが、カルローズという美味しいお米が5Kgで5ドル少々、約350円です。一ヶ月20万円あったら金持ちの部類に入る国です。

 しかし、何よりも私が外国で気に入っているのは、人間関係がマイルドなことです。前にも何度か書きましたけど、オーストラリアでもアメリカでもニュージーランドでも、まず笑顔で挨拶することから人付き合いが始まります。

 相手を牽制して強面に構えたり、圧倒しようとハッタリを噛ませたりなんていうことは皆無です。知らない人でも、すれ違いに目が合えば、ハロー、素敵な日だねェ(Hello, beautiful day today!)なんて声を掛けます。或いは、Hello, mate!(やあー、相棒!)なんていう砕けた挨拶も時々あります。もっとも、オーストラリア英語では、ハロー、マイトと発音しますが。

 以前、ニューカレドニアでイル・デ・パンという美しい島へ行った時のことは、以前にもお話しましたね。この島は、何とかいう作家が“天国にいちばん近い島”と紹介して、日本でもすっかり有名になりました。そのせいか、観光客の半分以上は日本人です。それもハネムーンがほとんどです。

 私たちは、コバルトグリーンのラグーンにアンカーリングしたヨットからディンギーで上陸しました。そして、目を開いていられないほど眩しい真っ白いパウダーサンドのビーチに、のんびりと南国の太陽を浴びているハネムナーの若い男性に“こんにちはー”と声を掛けました。久し振りに日本語を発音出来る楽しみもあったのでしょうが、何よりも、気軽に声を掛け合うのが当たり前と思っていたからですし、挨拶か自然に返ってくれば、完璧な一幅の情景です。

 しかし、その若者から、挨拶は返ってきません。そればかりか、私たちが通り過ぎてから、男性は、連れの女性に“おい、オレ、あいつに何処かで会ったっけ?”と尋ねていました。あァ、日本じゃ、通常、面識のない者は、挨拶したり、声を掛けたりしないんだったなァと、ちょっと寂しい気持を味わったものでした。

 帰国を目前にして、人間関係や、住まいのことなど、これからの日本での生活が、はたして私に上手くやってゆけるかどうかが、いま、私の心配の種です。

6月4日(月)/曇・22℃・南東の風25Kn/Rough weather

Coral Island 8

 不穏な天気です。マリーナ中のヨットのマストやリギンが、風にぴゅうぴゅう鳴っています。そして、時々、しぶくような雨がハッチから打ち込んできます。

 書籍関係は全部で11個のパッケージになりました。倉庫に預かってもらった箱が8個、キャビンの場所塞ぎをしている箱が3個。もう、倉庫にもキャビンにも空きスペースがありません。これ以上のパッケージを作ることは不可能です。

 それで、昨日からは、不要品や日本へ持ち帰れない品物を見つけ出しています。

 いちばん初めに処分を考えたのは、封を切ったお酒類です。

 飲めもしないくせに、お客にカクテルをもてなすという趣味のせいで、キャビンには、ちょっとしたバー並みのお酒があります。リキュール類は、特に封を切って残り少ないものは捨てるしかありませんが、ウイスキー、ブランデー、ラム、ジン、ウオッカなどは、あまり残りが多くなくても、酒飲みなら、捨てるなんてもっての外でしょう。

 それで、ブローカーのRogerや友人のLyleに、それらを差し上げました。二人とも、相当の酒好きらしく、とても喜んでくれました。

 ウイスキーは、オールドパーの18年もので、ほとんど封を切ったばかりで、残りは90%ほどあります。ブランデーはカミユ(コニャック)のVSOPで、残りは半分ほど。他のものも劣悪なのは一つもありません。どうも、酒飲みにしてみれば、封が切られているとか、残りが半分ほどしかないということは、あまり問題ではないようです。大喜びしてくれて、お礼の言葉も、他の時より真意がこもっています。差し上げた私もほっとしました。

 ラッキーなことに、昨日、キャンベラの長女を訪ねていたWendyとJoeffがみえました。

船が売れず、地元の人に借りてもらったことや、日本への引越しのことなど話したあと、日本の扇子(舞踏用)や美しい一口メモをWendyに、重くて持ち帰るには不都合な(それに、私が日本で使うこともない)ボルトカッター、そして、タヒチで買った刃渡り60cmもあるブッシュナイフ(鉈)をJoeffにプレゼントしました。いずれにせよ、ブッシュナイフがX線で検出でもされれば、それが原因で、他の全てのパッケージが開封される可能性がありますし、刀剣類の登録という厄介な問題も出てきます。そんな訳で、折角の思い出の品ですが、持ち帰りを諦めました。

 さらに、コンピュータのプリンターを、彼等の娘であるDebyに。これは240Vですから、日本でコンバーターを買わなければ使えません。それくらいなら、日本の地域にマッチしたサイクル(関東は50サイクル、関西は60サイクル)のものを買った方がベターです。

 彼等も、大喜びしてくれて、それらを手にすると、あたかも私の気が変わらぬうちにみたいに、急いで帰って行きました。

 他にも、買い置きのオイルや古くなった電気ストーブ、240Vのヘアドライヤーや扇風機などなど、引越し荷物の軽量化のためにも処分すべき品がどっさりあります。時間的な余裕があれば、マリーナの芝生に店開きしてガレージセールでもやればいいのですが、今は、そうする時間や労力の余裕が十分ではないので仕方がありません。

 住まいの件も大きな問題です。

 鹿児島に住むということに、大きな期待があったのですが、先日、懐かしい仲間であるケンちゃんが、ガールフレンドのJenyといっしょにハワイへ向け出航してしまいました。私自身気づいていなかったのですが、ケンちゃんに対する親しみは相当のものだったのでしょう。彼がいなくなった鹿児島が、何だか、急に遠いものに感じてきています。

 勿論、今給黎さんや片嶋ファミリー、それに魅力いっぱいの鹿児島の若いセーラーたちがいて、私の日本での暮らしに、今までにない新たな側面を与えてくれると思いますし、関東での私個人の旧弊を脱ぎ捨てた全く別な人生が展開するという期待もあります。

 考えてみれば、ケンちゃんとの付き合いは、マルケーサスのヌクヒバ島、タイオハエでの初対面以来、ソサエティ諸島のタヒチ、モーレア、ライアテァ、そして、いっしょにクルーズしたボラボラまでの短い期間でしかありません。それでも、私は、彼の内面にひそむ山奥の清水のように澄み切った感性に、喩えようもない懐かしさを感じるのです。

 彼に再会したら、こんなことを話そう、こんな試みをやってみよう・・・そういう期待があったことを、彼が出航してしまった今になって思い当たります。

 それに、考えてみれば、湘南地区でやらなければならないことが、どっさりあります。まず、私の住民票の復活です。

 これは、居住してもいない所に住民票をおいて、あたら住民税を取られるという不都合を避けるため、5年前、葉山で住民票を抜いてしまいました。世界の多くの国では、住民登録というシステムがありませんから、私に定住所はなく、日本の制度的にいって住所不定ということになっています。従って、まず住まいを決め、そして住民票の復活を図らなくてはなりません。

 その上で、年金関係の住所変更や日本を留守にした間の年金給付資格の未解決な諸問題への対応・・・銀行関係も同様です。さらには、国民年金の給付申請、健康保険関係の申請等々・・・・それから、航海中にお世話になった方々へのお礼と挨拶・・・・その他、もろもろの用件が待っていることを思えば、帰国してすぐに鹿児島へ安住の地を求めてなんて贅沢は云っていられない訳です。

 全ての用件を片付け、関東のしがらみが鬱陶しいと感じるようなら、すぐにも鹿児島へ飛んで行こうと思っています。

 私のサポートの方や弟や息子に、湘南の借家やアパートメントの状況をメールで確かめてみています。まあ、湘南に住むとしての話ですが、何とか、予算や私が望む環境の住まいが、すぐにでも得られそうなので一安心しているところです。

6月7日(木)/曇・23℃・北西の風20Kn/Miserable weather

 今日、引越しを完了しました。

 9時過ぎに、引越し業者のJohnが来て、倉庫に積み上げられていたパッケージをトラックに積み込みました。その後、キャビンに隙間もなく犇いていたパッケージをドックへ持ち出し、キャビンに作業するスペースを作ります。

 さすがはプロです。見る間に5個、10個のパッケージを作ってゆきます。しかし、作っても作っても、ヨットの中の物がさっぱり減ったようには感じません。営業の永山さんに、何個くらいの予定?と尋ねると、30個以下とのことです。彼は、その予測をベースに$3190(約20万円)という代金を算定しているのです。

 やがて、箱詰め出来ないもののパッキングが始まりました。20枚ほどを巻いて筒に入れたチャートが6本とか、カシオのキーボードとか、80cmの幅のツールボックスなどです。

 永山さんは、一つ一つのパッケージの内容物を書類にして、番号を記入します。個数がどんどん増えて行き、彼は当惑気味です。Johnは、パッケージを3個つくると、トローリー(手押し車をそう呼びます)に乗せてトラックへと運び、意外な量に驚いています。

 途中、Ian Douglas(マネジャー)が様子を見に来て、「凄い量だね、Zen。喫水線が随分浮き上がったよ」といいます。私は、「荷物はまだまだ残っている。全部運び出したら、“禅”はもっと浮き上がって、しまいに飛ぶことになるかも知れないよ」

「違いない。まあ、セーリングで3Kn速くなったかも知れないね」といって、Ianは笑っています。そして、永山さんに、「ヨットの荷物って、想像もつかないほど詰まっているものなんだよ。驚いただろう?」といいます。

「本当ですね。すっかり予測が外れました。この仕事で、もう利益は見込めませんよ」そういって、みんな、呆れて笑い出してしまいました。

 やっと終りになりました。何と、37個のパッケージです。小さな、普通の家庭と変わらないそうです。やれやれという感じで、私は書類にサインし、Johnと永山さんが帰って行きました。さて、これからが私の精神的な引越しです。

 ガラーッとなんにもなくなったキャビンに、私は30分ほど座り込んでいました。何というか、索漠としたというか、普通の寂しさとは違った虚しさの混じったはかなさです。私の場合、ひと時、ヨットを人手に委ねるということに過ぎませんが、航海を中断して帰国するということは、あれほど入れ揚げていた「海」との縁が薄れて行こうとしている訳ですから、何だか、知らない道へ迷い込んで行くような侘しさがあります。

 でも、そういうことは、既に考えに考え抜いたことです。今さら、感傷的に考え込んでも仕方がありません。やがて、私は立ち上がり、掃除を始めました。徹底的に、今までやったこともないほど隅々まで掃き清め、拭き清めました。これほど愛着を感じ、南北太平洋を共に20,000NMも歩いた“禅”を、ピカピカにして、暫定的なオーナーに会わせてやりたい。或いは、絶対に“禅”に恥ずかしい思いをさせてはいけないという思いです。

 雑巾掛けが終わると、床やチークの木部をワックスで磨きました。続いて、デッキとコックピット、そして船体を、プレッシャーを掛けた水で洗い上げ、風呂上りみたいな瑞々しい禅に仕上げて、後は、振り向きもせず、“禅”を去りました。

 今は、ツインパインというヨットクラブからそう遠くないモーテルにいます。明日から3日間は、暫定オーナーにセーリングのレクチャーです。そして、一週間後には帰国します。オーストラリアへ戻ってくるのは、多分、3ヵ月後の九月頃でしょうか。それでも、以前のように、世界の海へ向けて眦を決し、ワールドセーラーの一人として、名だたる航海者達の仲間入りをするということは、もう、ないのかも知れません。

6月8日(金)/曇・25℃・南東の風15Kn/Generally

 余程疲れたのでしょうか。7時に起きるのが、こんなにも辛かったことは久し振りです。何しろ、暫く「禅」の仮オーナーになる彼等が9時に来ることになっています。何時ものように、好きなだけ寝ているという訳にはいきません。

 やっとベッドを離れ、トーストとコーヒーの準備をしてシャワーを浴びます。いつもならそれで目が覚めるのに、今朝ばかりは何時までたっても眠気が去りません。足を引き摺るようにしてマリーナへ向かいました。マリーナオフイスに寄って彼等が来ているかと聞くと、何と、午後2時に来ることになったといいます。今さらモーテルに帰るのもたいへんですから、キャビンの鍵を開け、バースに倒れこむように寝ました。

 目が覚めたら12時でした。疲れはいくらか抜けていました。それでも、まだ2時間あります。ディンギーを降ろし、Kawanaのショッピングセンターへ行くことにしました。

 用は、携帯電話のプリペードカードがそろそろ乏しくなったので、それを買うこと、持病の偏頭痛の痛み止めを買うこと、そして、オーストラリアでその快適さを覚えた黒いブリーフを10枚ほど買うことです。オーストラリアでは、何故か下着(パンツ)は黒が一般的です。多分、日本ではかなり特殊で、同じようなものは見つからないと思ったので、前から買い置きしようと思っていたものです。オーストラリアには、これといって特産物がありませんが、黒いパンツは、私が見つけた数少ないオーストラリア特産品の一つです。

 ヨットに戻って暫くして、彼等が来ました。

 これからのセーリングでは、出たら直ぐ帰って来なければなりません。今日は、設備やその使い方を説明することにしました。バウから始め、一応船内は全て説明を終えました。明日は、デッキとコックピット周りの設備の説明と、午後からはセーリングです。

 そうしたら、彼等の中の年長者が、明日から3、4日間、オーバーナイトでクルージングしないかといいます。ヨットのヨの字も知らぬ彼等3人を乗せて、80NM行かないとアンカレッジがないこの辺りで、いきなりオーバーナイトとは・・・。ちょっとヨットを甘く見てはいないか?と警告しました。というのは、この頃の天気の移り変わりは、非常に目まぐるしく、しかも、いきなりサンダーストームが来たり、35Knほどの強風が吹いたりと安定しません。それも、いい方向に変わることがほとんどないのです。

 それに、お別れということで、ディナーに呼んでくれている友人も大勢いて、時間が作れないという事情もあります。余程ご執心とみえ、彼等はなかなか引き下がりませんでしたが、自分達の技量を磨いて、自分達の計画を立て、自分達だけの力で行くことを楽しみにした方がいいよといって納得してもらいました。

 帰国の日が決まっていなくて、残りの日数が少なくなければ、或いはクルージングもいいのですが、難所で有名なダブルベイ・バーが越えられず、アンカレッジに3日も5日も足止めなんてことになっては大変ですし、そういう危惧を抱えては、セーリングものんびり楽しめません。

 明日もまた、ビギナーのヨット教室です。

 後5日間でオーストラリアともお別れです。日本に落ち着き先を見つけるまでは、少々ご無沙汰になると思いますが、今後共、よろしく。

Zen/西久保 隆


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