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9月12日(水)/晴れ・30℃・南東の風強し・湿度65%/very warm

 昨夜10時前、アメリカで悲惨なテロが発生しました。

 それ以来、TVを睨むように、朝まで眠らずに見続けました。何とも残念なことです。そして、人間とは、どうしてこうも愚かなのかと嘆かずにはいられません。

 我々の常識に於いて、テロは卑劣な行為です。しかし、異なった文化圏では、それは英雄的行為であり、また聖戦であるといいます。自爆や、自らの体と命を張ることが崇高な行為と評価される国が、この世界に共存しています。(かつて、日本にもそういう思想があったのですから、他人事ではありません。) どう説得してみても、テロを聖戦と信じる人々を変えることは出来ません。それが異文化というものです。異文化は、民族の感性の根っこにあるものです。だから、常識そのものが違います。

 パレスチナで、アメリカでの惨状を狂喜する群集がTVに写っていました。それが彼らの当たり前な姿です。当たり前であるだけに、それを見る私たちには不気味にさえ映ります。この不気味さとは、理解しえない感覚の落差が彼らと私たちの間に存在することを意味します。

 異文化はまた、異なったイデオロギーを培養します。そして、それを中東に定めていうならば、モスラムの宗教的戒律と無縁ではありません。宗教的戒律が、或いは、預言者ムハマドの言葉が憲法である彼らにとって、古典的ドイツのワイマール憲法を下敷きにした我々のそれがイコールであるはずがなく、それは、アメリカだって同様です。

 その食い違いや認識の落差が生む誤解や痛みが、こうしたテロを導く素地に発展すると考えるとぞっとします。中東諸国にしてみれば、冷戦後、アメリカは圧倒的強権を振り回し、彼らが尊いと考えるものを踏みにじったと感じています。サウジアラビアへのアメリカ軍やNATO軍の立ち入りや駐留は、中東民族の感情でいえば、聖地を蹂躙されたと感じる訳です。サウジはアメリカの同盟国ですから、アメリカにしてみれば、ただ友好的行為でしかありませんし、痛みの感情など微塵も理解出来ません。しかし、中東の民族感情は「足を踏まれた者の痛み」(=踏んだ側には痛みが分らない)ということをいいます。

 基本的に、国際理解などというものは絵に描いた餅でしかありません。類推は出来ても、異文化を、または異文化が依って来たす感情を真に理解することは出来ない訳ですから。

 勿論、国家間では、それらの隔たりや、そこに生じる不利益を外交的手段で埋め合わせ、平和的に処理しようとします。しかし、民族感情は、国家とは別な次元で培養され醸成されて、やがてテロという形で昇華しようとします。悲しいことですが、こういう感情の展開やそれによる行動、その一つがテロですが、それを防ぐ手はありません。

 話は違いますが、人間の発想には限界があるようです。誰が考えても同じようなことにしかならないというか、或いは、余りいい考えが浮かばないから、誰かのアイディアを拝借するというか・・・。 昔、「サリン事件」という忌まわしくも愚かな事件がありました。

 あの展開を見ていて、私は、村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」という小説を思い出しました。あの物語も、最後には、毒ガスが新宿を死の街と化して行きます。あの愚かな首謀者は、そんな情景を夢見ていたのかも知れません。

 また、今回のWorld Trade Centerへの航空機突入は、先頃読んだ、トム・クランシーの「Executive Orders(邦訳・合衆国崩壊)」に酷似しています。物語では、ワシントンの国会議事堂にJALのB747が突っ込む訳ですが、事実関係が後先するとはいえ、背景として、大統領が替わって、まだ十分に政権が安定していない状況下でのアメリカの屋台骨を揺るがす意図や、アメリカ国家機構のそれぞれの根幹を標的としたことなど、何だか、アメリカが蒙る打撃のみならず、アメリカが試されているような状況までがそっくりなのです。

 当然ながら、為にアメリカが選択する対応は、まるで物語りのシナリオそのままです。ブッシュ大統領の声明にしても、FBIの動きにしても、さらに、電子的情報のみに依存して、人的情報源(スパイ)が不足していた為に今回のテロの予兆が把握できなかったという(従って、スパイ網を拡張する必要がある)ことまでが・・・。

 勿論、単なる偶然の符合と思いますし、そうでなければ困ります。ただ、今回のテロは、在るジャーナリストがいっていましたが、“テロ手法が深化(進化)している”というように、単発的テロ行動というよりは戦争行為に限りなく近いというのが気になります。戦争行為なら、戦略的継続があって当たり前です。

・・・であれば、「Executive Orders」にあるように、第二弾、第三段があるのではないかという懸念が湧いてきます。物語の中では、次は生物兵器、つまり治療手段のない伝染病の蔓延をはかるというテロでした。

 いろんな国を航海しながら、中東ほどの違いがないにせよ、私も随分異文化体験をしました。こればかりは、異文化の生活に実際に首を突っ込んでみなければ体験しようがありません。

 〇〇ツアーと称するパック旅行では、予め用意され、誰にも楽しめるものしか見せてもらえませんから、そこに異文化はありません。ある種の生活習慣は、私たちにとって不快なものであることも多々あります。そうしたものは、口当たり好くアレンジされていますから、もう異文化とはいえない訳です。

 私が航海した地域では、インド文化が混在するフィジーや、トンガなどが顕著だったと思います。特に、物を贈る習慣は非常に変わっています。褒められた物は、それが例え家宝であっても贈るのが当たり前。贈った側は、ここぞとばかりに法外なものを要求してきます。褒められた物を差し上げなかったり、贈られた物を遠慮して受け取らないのは、最高の侮辱として受け止められます。うっかり相手が持っている物を褒めたりすると、後でエライ目に会うことをしっかり肝に銘じておかなくてはなりません。

 いや、全く、異文化というやつは、その人々にとって何の疑いもないものだけに、その食い違いや常識の落差というものには十分気をつけなければなりませんね。

9月22日(土)/快晴・北東の風・22℃/cool

 随分間が空いてしまいました。毎日、猛ハッスルして航海紀行を書き綴っています。

 三日前、台風17号が関東直撃かと思われました。しかし、一昨日、それは東へ向きを変え、秋雨前線を残して通り過ぎました。それ以来、一度に秋が来てしまいました。

 航海中の6年間、私は冬らしい冬を経験していません。何しろ、南太平洋では、サイクロンシーズンの夏は南下してオーストラリアやニュージーランドにいましたし、サイクロンの危険がなくなる冬は、北上して赤道近くの熱帯にいた訳ですから、暑い所ばかりを旅していたことになります。

 ですから、この秋雨前線の冷雨と冷たい風は、私にとっては、まるでみぞれと木枯らしのように感じます。温度計を見れば、夜でも15℃くらいなのに、何か火の気が欲しいと思うほど堪えます。今日も、バイクでスーパーマーケットへ行った時、電気製品売り場へ行って手頃な物はないかと探したほどです。確かに、シーズンはまだ残暑の季節が過ぎたばかりですから、電気ストーブも見当たりませんでした。ただ、シーズンに先がけ、家具調電気コタツが出ていました。それが、なんと魅惑的に見えたことか・・・。

 こんな調子では、この冬が思い遣られます。もともと、いつも風邪ばかり引いている私のことです。本当にこの冬が越せるのかと考え込んでしまいます。

 かつて、私がオーストラリアにいた頃のこのページをご存知の方はご記憶かもしれませんが、私は、かなり執拗に帰国を忌避していたと思います。

 それにはいろんな事情もあった訳ですが、その中の一つに、日本には、私を心待ちにしてくれている人なんて居ないという思い込みがありました。待たれてもいない所へ帰るというのは、かなりの厚かましさと勇気が要るものです。

 ところが、先日は、かつての勤務先の仲間が訪ねてくれましたし、音信の途絶えていた息子も、非常に気を遣ってくれます。あれ?多少は私などを待っていてくれた人もいたのかな?と思い、驚きと嬉しさがありました。

 ところが今日、かつて鎌倉にいた頃、私がPTAの役員をしていた時の仲間の浅羽さんから電話がありました。毎年、同窓会みたいに、あの頃の仲間が寄り合って、かつてを懐かしんでいたというのです。一度などは、私に送るために全員揃って写真を撮ったそうです。しかし、送り先が不明で送れなかったとか。そして、若し、私が出席するのなら、今年はできるだけみんな集まって、楽しい会を持ちたいといってくれました。

 本当にうれしいことです。勝手に、誰にも待たれてもいないと自分を決めつけていたけれど、そんな私でも、誰かの心に、ささやかでも何かを残していたということなのでしょうか。

 そういえば、息子の友達が集まって、私の所へ押しかけたいという話もありました。彼らは、私がPTAの役員をやっていた時の生徒たちなのです。当時の仕事がマーケティング・プランナーという、いわゆるアイデアを売る商売でしたから、PTAの活動も、あまり前例のない突飛なことばかり発案して、先生たちや他の役員の方々を面食らわせたはずです。でも、それらは、子供達には大受けだったようです。お陰で、先生でもないPTAの一役員の私に、子供達から仇名を頂戴したという勲章があります。

 その子供達がもうすっかり成長して、一人前の社会人になっています。そして、彼らが私を訪ねてくれる・・・こんな喜びはありません。

 出航前、私は、身勝手な暮らしの中で、社会に良い種なんか何も蒔かなかったと思います。でも、その中にも、いくつかの良い種が混じっていたのかも知れません。社会的にいって欠点だらけの私に僅かな美点を見つけた或る友人が、その美点を称し、「キズに玉」といいました。勿論、「玉にキズ」をもじったもので、本来なら、美点の中にひそむ僅かな欠点をいう言葉ですが、私の場合は、欠点がほとんどで、時折、その中に見え隠れに美点が・・・ということのようです。

 まるで、間違ったかのように混じっていた良い種子が、成長した子供たちの心の中に生きていたとしたら・・・これは、素晴らしいことです。そして、本当にうれしいことです。人生、捨てたものでもないなァー・・・そんな独り言を、今夜は呟いています。

10月6日(土)/晴・25℃/fine

 ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。すっかり、著作に没頭してレターを書かずじまいでした。

 もっとも、書くことといったら、いま、夢中で航海紀行を書いているということ以外ニュースはありません。

 著作は、第一章・日本→カナダを書き上げ、第二章、アメリカ西海岸編もほとんど終りに近づいています。既に、原稿用紙で300枚を超えました(1、2章)。若し、出版することが出来たら、第三章もある訳ですから、相当厚い本になるなァ、と想像しています。文学は目方(重量)や厚さで評価するものではありませんから、いくら厚い本になっても、それだけでは何の価値もありません。とはいえ、取りえといえば、やっぱり目方くらいしかないのかも知れませんが・・・。

 話は飛躍しますが、暑かったり寒かったり、足早に秋が近づいてきます。

 前のレターでも書いたとおり、6年振りに経験する秋、そして冬に、いまからビビっています。先日も、電気製品の安売り店へ行って、電気ストーブを買って来ました。明け方まで紀行文の著作をしていると、結構今でも役に立ちます。

 しかし、寒さへの恐れか、時折覗いて歩く電気店にも石油ストーブやガスストーブが出回ってきました。石油ファンヒーターというのは、私が日本を出航した頃もあったとは思いますが、いま目にするような形ではなかったと思います。お店の人に、“これは石油ストーブかガスストーブか?”と尋ね、“いいえ、そのどちらでもありません。石油ファンヒーターです”と教えてもらいました。随分、進歩したものです。

 それでも、老いの一徹でしょうか、炎が見えて、部屋中が石油臭い従来の石油ストーブの方が、私にとっては信頼感があります。お店の人にそういうと、“暖房能力では、格段にファンヒーターの方がいいですよ”と笑われました。

 丁度、部屋の中心に座卓がなくて困っていたのですが、家具調コタツというヤツが、かつてのコタツとはまるで別物になっていて、コタツとして使わなくても、座卓として十分役に立つことが分りました。しかも、座卓より遥かに安い!

 結局、目についた電子カーペットと家具調コタツを買いました。後は、本当に寒くなったら、石油ファンヒーターを買えば冬が越せそうです。尤も、私の好みでいえば、部屋中にコタツ布団が広がるあの醜悪さは大嫌いです。余程寒くなって、好みなんかいっていられなくなるまでは、これはあくまでも座卓として使うつもりです。

 通電していないカーペットとコタツが、部屋の中央にデンと鎮座しています。冬に向かって心強い限りですが、今日のように温かだと、何とも目障りで仕方在りません。

 コタツ兼座卓は、現在、著作の資料置き場です。何枚もの全紙大のチャートやら、クルージング・ガイド、そして航海日誌やログブックなどなどが、所狭しと積み上げられています。

 また、話が飛躍しますが、私の住まいは、厚木のアメリカ軍基地に遠くありません。そして、北風が吹く日は、丁度、着陸する戦闘機のコースになっています。正に頭上を軍用機が飛行しますから、先日までは、時折、話も電話も出来ず、テレビも全く聞こえなくなりました。

 ところが今、厚木の戦闘機が全部ペルシャ湾へ行ってしまって、とても静かです。でも、この静けさは、はたして喜んでいいものかどうか・・・。

 第二次世界大戦を朧にでも記憶している者として、また、あんな悲惨が、例え他所の国であれ繰り返されなければいいのだがと、願わずにはいられません。

 まだ当分は、著作に忙殺されて過ごすことと思います。折々、レターを書き、新しい情報を送るつもりですが、若し、レターが更新されていなくてがっかりされることがあるようでしたら、zenは今、航海紀行文を一生懸命書いているとご理解ください。決してサボるつもりはありませんが、お叱りを受ける前に、前倒ししてお詫びしておきます。

Zen/西久保 隆


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