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1月3日(土) 快晴

2004年賀状・笠地蔵

みなさん、どんな風に2004年のスタートを切りましたか?
私は、暮れからインフルエンザの高熱で寝込んで年を越しました。
それでも、悪い癖で、毎日明け方まで絵を描いたり、コンピュータに噛り付いたり、本を読んだり、何かをやっています。
午前3時か4時に寝床について、10時過ぎに起床、食事は腹が空いたらといった具合ですから、容易に良くはなりません。

それにしても、昨年は戦乱に明け暮れた年でした。アフガニスタンやイスラエル・パレスチナの戦塵がくすぶる最中、今度はイラク戦争です。
挙句の果て、日本が自衛隊の海外派兵を決議し、航空自衛隊の飛行機が暮れに先遣隊としてクウェートへ出発しました。
小泉さんは復興支援といっていますが、いずれにせよ軍隊で物事をかたづける発想は、やはり軍事的な平和政策?…そんなことって、本当に平和なのかと首をひねってしまいます。軍事バランスだけが平和を維持すると考える人々にとって、真に非軍事的平和なんて、絵に描いた餅、または、童話的理想主義なんだそうですが。
自国の安定を他国に守ってもらうことがいいとは思いませんが、何だか歴史はいつまで経っても同じところを堂々巡りしているように思えてなりません。人間って、簡単には利口になれないものなのでしょうかね。

「その先の海」は、フィジーの島巡りに差し掛かりました。
フィジーは、トンガ共々、いろんな意味で異文化を体験した所でした。
前の手紙でも書きましたが、観光旅行ならいざ知らず、或る程度その国で生活するヨッティーとしては、珍しいといって楽しんでばかりいられないことも多々あって、必ずしも異文化は快いとばかりはいえないものなのです。
特に、インドの文化に強く影響された無邪気なフィジーの人々は、あのうんざりするような執拗さを当たり前のことと受け止めているのだろうかと、私たちは考え込み悩んでしまいます。
そういえば、フレンチ・ポリネシアでのことですが、現地の人々は普通にフランス語を話しています。当然彼らの祖先から受け継いだ言語があるのに、です。それを、私たちヨッティーは、一つの文化がいまや崩壊しようとしているのを目の当たりにするような危なさで眺めていたものです。
でも、ヨッティーも所詮は旅人です。根深いお国の事情に首を突っ込む立場にはありません。
そうしたことがある程度深化すると、そこに不思議な異文化が新たに誕生するのでしょう。
フィジーのインド文化との混血の過程もそんなだったのでしょうね。
例え、それが西欧の先進国文化から見て不快なものであろうとも、それが地域文化というものです。他国、または他の文化圏の人々は、それを固有の文化として、その存在を尊重しなくてはなりません。
話は戻りますが、中東文化とアメリカの関係が正にその通りです。パレスチナ問題などは、旧約聖書の記述まで遡る事情に裏づけされた紛争です。それを、民主主義という合理主義の物差しで計って、どちらかに肩入れしようとすること自体が、そもそもの誤り(紛糾)の始まりなのです。しかも、冷戦時代、ソ連に対抗するためアフガニスタンにレジスタンス運動を組織したのがアメリカのCIAであり、その組織がムシャヒデンと称して英雄視されていました。やがてムシャヒデンは冷戦の終結と共にアメリカの支援に見放され、タリバンの組織の根幹を形成し、さらにやがて、テロ組織として貿易センターをはじめとする同時多発テロの組織母体へと繋がっていった訳です。
そして今、イラクの自立を支援するとしてアメリカ兵がイラクに駐留して紛争を泥沼化させています。だから、前にも書いたとおり、人間は、いつまで経っても利口になれないのかと嘆息する訳なのです。

話は戻ります。
島巡りの航海は、様々な意味で航海者として成熟しつつあった時期の私の紀行を綴ったものです。確かに、初めのように何事にも目を見張るというような感動には出会わなくなっています。或る程度の珍しさは、それに巡り合う前におおよその見当がついてしまうようになっていたのです。いってみれば、航海のマンネリ化とでもいいましょうか。
でも、それだけに、今までには見えなかったことも発見できるようになっていた訳で、ニュージーランド以降、これからは益々洞察の確かな目で見た記述が豊富になってくるはずです。
どうぞ、これからも大いに期待していただき、続けてご愛読くださるようお願いいたします。

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