愛の密度
〔ジャカランダの花が降る日〕

西久保 隆

挿絵・愛の密度

夕べ、クミコとヒル・クレストに映画を観にいった。
フィルムは「サバイバリング・ピカソ」。話としては面白かったけれど、ピカソの芸術に触れることを期待して行ったぼくとしては多少がっかりした。内容は、ピカソの老年からの恋物語。ピカソは次々と恋をすることで詩情豊かな作品を精力的に制作していったという筋書きだ。そういう芸術的衝動はよく分かる。なぜなら、ぼくも芸術家の端くれだし、時に誰かを夢中に好きになったりすると自分でもびっくりするような作品が生まれることがよくある。また、ぼくはフォト・グラファーのくせに恋をすると詩を書くというおかしなタレントがある。それなんかも、そうした芸術的衝動というやつかも知れない。

サンディエゴの5月は、街路樹のジャカランダが見上げる空の一角を青味がかった紫に染め、その落花もまた舗道を埋めつくして美しい。クミコは詩と写真をそれぞれの対抗ページに載せたぼくの写真集を見て、4か月ほど前、ジャカランダの花がたわわに咲きほこる一枝を手土産に、ぼくに会いに来た。彼女は東京の短大を出てみて何かすごく物足りなさを感じ、サンディエゴの大学へやって来た。舞台美術を専攻し、将来はオペラの舞台づくりをするのが夢だそうだ。サンディエゴに来て一年に満たない今はまだ、ひたすら英語の習得に専念しているが。ぼくのスタジオで初めて彼女を見た時、ぼくはこいつは写真になると思った。ずば抜けた美人というのではないが、何か写真にしてエスプリをかもし出す表情がある。

でも、こうした内面的なディテールをフィルムの上に引き出すということは随分時間のかかるものだ。まず、彼女自身も知らないその個性を、それが何なのか、彼女にさとられぬままぼくが熟知する必要がある。本人が自分の個性の素晴らしさを知って、それを自分の魅力として活用するようになったら、生臭くてもう写真には使えない。さらに、その美しい表情をカメラの前で彼女自身が自在に表現できるようにリードしなくてはならない。つまり、ぼくが彼女の心理の或る一端を自由に操るということだ。

最初にぼくは、彼女の心の壁をぶち破る目的で、いきなりヌードを撮らせて欲しいといった。しかし、その目論見は失敗した。それ以降、ぼくはしばらく彼女を写真に撮る話はしないことにした。ただ、クミコと仲良くなり、気兼ねのない関係になり、個性の秘密をさぐること。そうすれば、そんなに遠くない将来、彼女はぼくの秘蔵モデルの一人になってくれるかも知れない。そんなことで夕べもいっしょに映画を観に行った。

しかし、ぼくはどうやら彼女に恋をしたようだ。クミコをテーマにした詩が次々と生まれてくるし、2、3日会わないと彼女のことがとても気になる。出来ることなら、いつも側にいて欲しいと思うことさえある。

それでもぼくは、彼女と寝ることだけは我慢しようと思っていた。なぜなら、一度寝てしまうと被写体に対する客観性が甘くなり、あの内面的な表情の神秘性が希薄になってしまうし、それに、写真の上に何か生々しさが浮き出てくるものだから。

そんなシリアスな決意にもかかわらず、夕べぼくはクミコと寝た。

いい訳じゃないが、それは肉欲とは全くちがう精神のセックスといったものだ。

彼女に対する想いがどんどん高まり、もうどこにも行き場がない極限で、言葉なんか全然意味をなさなくなり、ぼくが彼女に同化し、彼女をぼくの形而上的な分身かなんかにしてしまいたいという渇望。そんな言い方が正確かどうか知らないが、まあ、そうした衝動に突き動かされて彼女をぼくのアバートメントに連れてきた。

クミコは初め、ぼくの意図を察してガチガチに自分をガードしていた。それでも、ぼくが自分の内面を何一つ隠したり省略したりせずに話していくうちに、彼女は自分からぼくの前に体を開いていった。

全ての芸術は詩情をそれぞれ固有の手法で表現することだが、その時ぼくは、自分が写真家であることを完全に忘れ詩人になっていたんだと思う。

何と美しい肉体なのだろう。それは外形のフォルムではなく、クミコの体から発する透明でよどみなく流れるオーラのようなもの。

真っ白なシーツの上に打ちつける波のようにバッと展がった亜麻色の髪そして滑らかで透明な肌、柔らかに隆起し肩から腕へ流れるカーブ、恥じらいで膝を立てた右足でわずかに見え隠れする薄いヘア・・・そうしたものの上を水のようなオーラが覆っていた。

ぼくは彼女の横に滑り込み、その体の温もりをしばらくじっと抱いていた。そうしているだけで、充分にぼくはクミコと一つになっていた。

突然、クミコがぼくの腕の中で寝返りを打ち、ぼくの方を向いた。
「ねえ、ツトム。愛?それって何?互いを愛し合うようになると二人はどうなってゆくの?ねえ、ツトム。私、何だか怖い」
「愛は所詮エゴだ。ぼくはきみに求められてきみを愛した訳じゃない。ただ、ぼくがそうしたかっただけだ。そしてぼくは、きみにもぼくを愛して欲しいと思う。それは、すごく身勝手で全く個人的なものでしかない。それでも人間はそんな愛でつながり、そして互いをいたわり合う。

これからぼくらがどうなって行くのか、ぼくも知らない。でも、たくさんの愛のつなぎ合わせがそれぞれの人生じゃないのかな。

生涯きみをぼくの愛で包み通すなんてことはいわない。何の保証もないんだから。でも、ぼくがきみを愛し、きみがぼくを愛し続ける間、ぼくらは世界中でいちばん幸せなカップルでいられる」
「でも、それってやがて終わる訳?」
「やがて、ね」
「そんなの嫌だよ」
「じきに終わる場合も、そうじゃない場合もあるさ。それに、ずうっと続いたとしてもやがては人間の命の終焉が二人を分かつ。それはしょうがないよ。問題は、どれだけ密度の高い幸せをかちえるかだ。それにクミコ、いま始まったばかりで、もう終わりを想定して悲しむなんておかしいよ」
「嫌だ。終わらないと約束してくれなきゃ」

そこでぼくは、うっすらと涙を滲ませているクミコの目にキスをする。何だか、ぼくまでが水のようなオーラに包まれているみたいな感じだ。 そんなせいか、二人のセックスは淡く、透明で、それでいて心を悪魔にやってもいいほどに充足していた。 二人は何度も交わり、そして、明け方に眠った。

十一月になった。

ぼくたちは、互いを心から愛し合い充足した日々を送っていた。

ロスで出版のミーティングを終えた帰り道、ぼくは先日のサンタ・アナという異常気象でワイルドファイアーのあったラ・コスタに近いカールスバッドを通りかかった。まだ日暮れには2時間ほどあったので、物凄いスケールだった山火事の跡を見てみようとキャニオンへの道を入って行った。

それは、物凄いなんてものじゃなく、ただ唖然とするばかりに凄惨な風景だった。ぼくは昔、35フィートばかりの小さなヨットで長距離レースの途中ひどい嵐に出会ったことがある。その時、大自然の人智を超えた神の営みのようなものを実感した。それは一途に破滅的で、絶対で、そしてひたすらに荘厳だった。この風景にはそれに通ずるものがあると思う。日本ではどう考えたってありえないことだし、日本にいて想像することだって難しい。

しかし、何かソフトで美しいものと対比させると不思議な美しさが創造できるとぼくは確信した。そして、それはクミコ以外のなにものでもないことをぼくは知っていた。

スタジオに戻ってみると、クミコがぼくのワーキングデスクで英語の宿題をやっていた。ぼくは、前置きもなく、
「クミコ、明日、きみを写真に撮る。何かスケジュールが入っていたら、やりくりしてお昼前にここに来て」といった。
「えっ、何よそれ。ただいまもいわないで、人の都合も聞かすにいきなり写真を撮るだなんて。プロが私なんか撮ってどうするつもりよ」
「ごめん。ぼくは今、凄いインスピレーションに興奮しているんだ。それは明日じゃなければいけないし、そして、きみでなければならない。衣裳はいらない。ヌードだから」
「嫌だよ、ヌードなんか。私、明日来ないからね」
「お願いだ。これはぼくの今までで最高の仕事になるはずだ。これに比べれば、今まで撮ってきた全ての写真は芸術じゃなかったといってもいいほどのアイディアなんだ。

ロケーションはラ・コスタのワイルドファイアーの焼け跡。人目は全くない」
「それでもツトムが見るじゃない」
「それはそうだけど。でも、ぼくは美しいものを引き出すレンズになりきっているから恥ずかしがらなくてもいいと思う。クミコはバスルームで鏡が自分を写していることを恥ずかしいと思うかい?」
「そんなことはないけど。でも、ツトムの最高の仕事に私が値するなんて信じられない」
「実をいうと、ぼくは、きみが最初にここに来たときからきみを撮りたいと思っていたんだ。きみには、誰も持っていない凄い美しさがあるんだよ。知っているかい?」
「知らないよ。そんなのある訳ないじゃない。おだてたってヌードなんかなって上げないから」
「お願いだから、ぼくに協力してくれ。いや、二人で凄い傑作を作ろうよ」

クミコはついに承諾しなかった。しかし、翌日のお昼前、彼女はスタジオに現れた。
「いろいろ考えたんだけど、ツトムが命がけでこの仕事を考えているんだということが分かったの。そうであれば、私の恥ずかしさなんか問題にならない。だから来たんだよ。そこんとこ、ちゃんと分かって欲しい」
「勿論だとも。熟慮し決断するというプロセスを経たということは、むしろ、ぼくがそうして欲しいと願うところなんだ。もしクミコがふたつ返事でOKしていたなら、恐らく、ぼくのいう特別な表情の美しさはそんなに引き出せなかったかも知れない」

ぼくらはフリーウエィ5号線を北へ走った。やがて、右前方に風車が見えてくる。ジャンクションを出て右に曲がると、春には山全体が花で覆われる花畑がある。しかし、晩秋のいまは、ただ赤い土の隆起でしかない。

さらに、飛行場を過ぎ、サンマルコス・ドライブからキャニオンの尾根を走る道に折れると、すぐに累々たる焼け跡が前方に展開した。ぼくは、クミコが言葉もなく息を呑むのが分かった。やがて彼女は、
「えー、こんなだったんだ。テレビで見ていたけど、こんなだったんだ」と言葉にもならない慨嘆の声を上げた。

ぼくらは、いちばん殺伐とした焼け跡に近い道路で車を停めた。道端には随所に「立入禁止」のサインがある。
「入っちゃいけないと書いてあるじゃない。何だか恐ろしい景色だよ。ねえ、ツトム、帰ろうよ」
「何いってるんだ。死ととなり合ったというか、死そのものみたいな景色だからこそ、その中にきみを置いて、見た人が目を離せなくなるような絵ができるんだよ。
天気は上々。撮影は4時から始めよう。この絵には、傾いて少し赤い光線が理想的だから」

ぼくは、太陽の位置と被写体にあたる光線の角度をチェックし、30カット以上の写真が撮れる場所をメモし、やがて出来上がるであろう写真を頭の中に描いてみる。それは、あたかも完成した写真を見るように鮮明でリアルにぼくの脳裏に展開する。

ポラロイドで分かりにくい場所を何箇所か記録すると、ぼくらは来た道を風車のあるレストランへ遅い昼食をとりに戻った。食事をし、お茶を飲み、その間にクミコのマインドを整えるのが目的だ。

ぼくは人間の孤独ということについて話した。青年期とか壮年期とかいう時代で区切ってみれば、人間は他との出会いや愛憎に包まれ目先をくらましてもいられるが、一生を単位でみた場合、人間は弧絶して独りきりの存在だという、そんなことだ。

なぜ、そんな話を持ち出すかといえば、ぼくはクミコの目の中に底知れぬ孤独を見るからだ。それが不思議な翳となって、ぼくを引きつける特異な表情や魅力になっていると思う。いままで、とりたてて彼女の身の上話など聞いたことがないのでその背景は知らないが、ぼくが今日撮りたいのは、あの殺伐とした風景の中のクミコの孤独な翳なのだ。

はじめ、彼女はそんな話には乗り気じゃなくただ耳を傾けていたが、いつの間にかぼくは彼女を泣かせてしまった。彼女が泣くとは思っていなかったけど、泣くというマインドの展開は間近かに迫った撮影にとって悪くない。勿論、泣き顔では写真にならないから、いろいろと慰めてやっと笑顔を引き出すことに成功したが、それでも、彼女の目にはあの陰影が色濃くあらわれていた。

全体がマットな黒で覆われていた。それは全ての光を吸い取ってしまうというブラックホールみたいだとぼくは思う。その中に焼け残って虚飾を全て削ぎ落としたような炭化した低い木々がうねるように立っていた。

そんな情景の中にクミコかいた。少し傾きかけた太陽光を受けて白い肢体がまるで蝋のように輝いて見える。こいつは思っているよりも凄い写真になる、そんな手応えみたいなものがひしひしと伝わってきた。

しかし、日が傾くことでコントラストが鮮明になるのは意図したことだが、日陰とか光量が落ちた背景ではディテールを出すことが難しそうだ。つまり、光そのもののコントラストではなく、クミコの白い肌色と焼けて炭化した黒との色彩のコントラストがフィルムのラティチュード(描写限界)を超える部分があるということ。そうした状況では、明色の部分は色がとんでしまい、暗色の部分はつぶれ込んでディテールを失ってしまう。

スタンバイしてから撮影が可能な時間は、ものの30分ほどしかないかも知れない。落ち込み過ぎるシャドウにはガーゼを数枚重ねてディフューズしたストロボを当て、ぼくは死のような世界と、その中に弧絶する命の象徴のようなクミコを浮き上がらせていった。

6×6のハッセルブラッドを猛烈なスピードで廻しながら、40分少々でぼくは12枚撮りのフィルムを11本撮った。それでも撮り足りないと思ったが、光量が落ち、それに気温が急激に下がりクミコが寒そうだったので終わりにすることにした。
「寒くなってきたから、この辺で終わりにしよう」とぼくがいった。
「私、寒くないよ。ツトムがまだ撮りたいのなら、私、大丈夫だから続けていいよ」と彼女がいう。
「光量が足りなくなってきているし、ちょうど潮時だ。お疲れさま」

彼女は衣服を着けながら、「知らなかったけど、撮影ってまるで格闘技みたい。こんなに一生懸命仕事をしたことって、生まれて初めてだと思う。撮影中は全然寒くなかったのに、終わって服を着たら急に寒くなって震えてきたわ」という。ぼくは、そんなクミコを温めるように両腕でしっかり抱いて、「頑張ったね。いい写真が出来たよ。さあ、何か温かいものを食べに行こう」と労い、クミコの手を引いて急なキャニオンの斜面を登って行った。

写真の上がりは上々だった。

昼過ぎ、学校から帰ってきたクミコは、ライトテーブルの上のポジ・フィルムを覗いて興奮していた。
「ねえ、どうしてこんな写真ができる訳?これ、私じゃないよ。私、こんなにきれいじゃないもの。ねえ、ツトム、これって本になるの?」
「そうだよ。そして、まぎれもなく、これがきみの本当の姿なんだ。分かるかい? これはぼくの最高の傑作だ。ありがとう、クミコ。

ぼくは出版社を何社も呼んで、ここで出版権のオークションをやるつもりだ。お金なんかより、ぼくの制作趣旨を完璧に理解し履行してくれるところに任せたいと思う。ただ、こうして並べて見ると、夕方の光線だけの写真というのが、ちょっと画一的に見えなくもない。検討してみて、必要なら日中の写真を撮り足すことになるかも知れない」

結局、十一月の半ば過ぎ、2度目の撮影が行われた。今度も写真の出来ばえは申し分なく、ぼくはこれでどこへ出しても遜色のない写真集になると確信した。

ロスの著名なグラフィック・デザイナーであるビルはぼくの仕事のよきパートナーだ。

十二月の初旬、電話で写真集の出版計画を説明すると、ビルは、
「すぐにも見たい。素材はもう揃っているのか?」といった。
「写真も詩も、そしてぼくの作ったラフ・スケッチも。あとは、ビル、きみがクックする番だ」

その日の午後、彼は車を飛ばしてサンディエゴのぼくのスタジオにやって来た。
「アメリカ人にしては珍しく俊敏じゃないか。サンディエゴに嵐が吹き荒れなければいいが」と、ぼくはビルを茶化した。
「ツトムの電話を聞いていて、おれ頭のなかでアラームが鳴ったのさ。こいつはただ事じゃないとね。いつものきみの声じゃなかったもの。さて、そのマテリアルを出し惜しみせず、おれに見せてくれ」

写真を見て、ビルはただ唸っていた。
「どうなんだ、きみの批評は?」というと、
「グレイト」と力を込めて彼がいった。
「これはセンセーションを巻き起こす。出版社は決まっているのか?」と畳み掛けるようにビルが尋ねる。
「まだだ。オークションにするつもりだが、どう思う?」
「いいだろう。ビッグビジネスになるぜ、こいつは。ただし、おれの装丁デザインが不可欠だ。だから、デザインはおれに任せろ。いいだろう」
「勿論そのつもりだ」

写真と詩を携え、ビルは夕食の誘いも断って午後遅くロスへ帰って行った。

その後、ぼくたちは、ひとときの興奮も醒め、のんびりとクリスマス・シーズンを楽しんだ。

ホテル・デル・コロナドの豪華なクリスマス・ツリーやシュガーケーン通りの街ぐるみのクリスマス・デコレーションを見に行ったり、街角で繰り広げられる中世風の衣裳を着飾ったディケンズのクリスマス・キャロル合唱隊を聴いたり。そして、ぼくたちはスキー場でクリスマスを過ごした。
アスぺンはこじんまりとしたアーリーアメリカン風な小都市で、街外れに5つのスキー場がある。メインストリートにはリゾートらしいお洒落なホテルやギフトショップ、映画の西部劇でみるようなバー、そして路上にはクロスを掛け花を飾ったテーフルを設えたカフェが軒を並べている。

道路にはほとんど雪がなく、陽が射すと暖かで歩道にせり出したカフェがとてもカンフォタブルだ。

ぼくたちはイヴの3日前にアスペンに来て、スキーばかりじゃなくそうしたリゾートの奢侈を充分に楽しんだ。

朝、目覚めると、ぼくたちは新聞を持ってカフェに出掛け、ヨーロッパ風にカフェ・オレとクロワッサンなんかの朝食をとり、午前中いっぱいを過ごす。お昼頃からスキーを担いですぐ近くのゲレンデへ行き、リフトやゴンドラを乗り継いで山頂まで登る。リフトに並んで乗る順番を待つなんてことがないから、いたって簡単だ。

スキーに傾斜をつけ、テールを深く雪に刺し、それを背もたれにして、まるで箱庭のような地上の景色を楽しむ。空を見上げると抜けるような青空。その天蓋の濃い青の中を、音もなく小さく銀色に輝くジェット機が横切って行く。
「ツトム。前にあなた、幸せの密度ってこといったよね。私、あの夜のこと、全部覚えているよ」
「そう、たがいに愛し合うことで、どれだけ密度の高い幸せをつかむかという、そんなことだったと思う」
「あれ、いま分かる気がする」
「うん」とぼく。

そして、しばらくの沈黙。

寒がり屋のクミコが、 「寒くならないうちに降りようか」といい、まだスキーの背もたれに体をあずけているぼくの額にキスをした。

ゲレンデを3つほど下った尾根に洒落たヒュッテがあり、スナックを出している。今日もそこで、ぼくは遅れて降りてくる彼女を待つ。ビールとハンバーガーとサラダをとり、ぼくたちはさらに麓へと下って行った。

夜は、きまってホテルのレストランでディナーをとる。なだらかに山に向かって広がるガーデンに雪が積もり、その中に大きなクリスマス・ツリーがある。色とりどりのイルミネーションが点滅し、雪に映えてとてもきれいだ。時には松明を掲げたスキーヤーがゲレンデを軽やかに滑り降りてくる姿が遠景に見えることもある。クミコはそれら全てが気に入って、毎日、ディナーはここに来る。

アスペンに着いた夜、雪の中のクリスマス・ツリーにクミコが感嘆の声をあげていると、ボーイ長が来て何日滞在するかと聞く。1週間と答えると、あなたのパートナーであるチャーミングなレディがあんなに喜んでいるのだから、このテーブルをリザーブしてはどうかと勧め、彼女は「映画みたいだね」とはしゃいだ。だから、ぼくはこのテーブルをリザーブしてしまった。彼女は、まさに「映画みたいに」毎晩ドレスを替える。きっと、自分で描いたストーリーのヒロインかなんかになっているのかも知れない。それにしても、あの程度の荷物によくぞ何着ものドレスが入ったものだ。都度、ぼくは感心してしまう。

クリスマスの夜遅く、部屋の電話がぼくをコールした。シャワーをつかいバスローブ姿のぼくが電話をとると、
「ツトム、どこへ雲隠れしているんだ。随分探したぞ。急いで、SDに帰って来い。装丁デザインも上がっているし、きみの写真集で出版社が騒いでいるんだ。ニューイヤーを待つより、いま、センセーションの中でオーディションをしてはどうかと思う。SDに着いたらおれのオフィスに電話をくれ」ビルはそれだけいうと、ぼくの都合なんか聞かず電話を切った。やれやれ。滞在予定が1日短縮になるが、まあ、仕方がない。
クミコにそれを告げると、彼女は、「いよいよだね。1日くらい滞在が短くなってもいいよ。私、もう充分に楽しんだから。明日の朝早く発ちましょう」といった。出版に向けて大きく一歩前進することで、彼女はちょっと緊張しているみたいだった。

サンディエゴに着くと、ぼくはすぐにビルのオフィスに電話を入れた。
「コンプリヘンシブを作るために、写真を数枚プリントに出したんだ。それが誰かの目にとまったらしく、業界でたちまち話題になってしまった。おれのところに出版社から電話がかかってきて「出版の際はよろしく」といってきた。不本意に情報が漏れたのはおれの責任だが、漏れてしまったものはもうしょうがない。試しに、近々、オークションを開くかも知れないというと、翌日からはオークションの予定を知りたいという電話がしきりだ。情報機密の維持もできない、何とも節操のない業界だぜ。まあ、そんな具合だけど、もし、きみがすぐにもオークションをやるつもりなら、この盛り上がりは悪くない。どうだ、ニューイヤー・イヴのパーティに出版社を招待してオークションをやるというアイディアは。どうせマスコミもしゃしゃり出てくるから、クミコをデビューさせるにはいいチャンスだ」ビルが一気に捲くし立てる。ぼくは、こいつはビルが仕組んだプロモーションだとすぐに分かった。美味しそうな情報の断片を故意に流し、鵜の眼鷹の眼でビジネスチャンスを伺っている連中のアテンションを喚起する。業界のインナープロモーションと称し、広告界でよくある手だ。
「OK、ビル。話は分かった。オークションは年内にやろう。しかし、パーティはやらない。いざ出版となって出版社がどうするかは知らないが、ぼく自身、前評判でこの写真集を売るつもりはないからね。それに、クミコは今回切りだ。デビューはさせないよ。もう一度あのエスプリを引き出すことは多分無理だと思うし、それに彼女自身、そんな世界に馴染める女性じゃない。ぼくは、もしかすると彼女と結婚するかも知れない」
「そいつはグレイトだ。幸せな結婚にゴールできるよう祈っているよ。しかし、デビューさせないというのは、どう考えてもきみのエゴだ。クミコの意思を確かめるべきだよ。女性は、案外そんな世界に憧れるものだ。もし彼女がデビューにOKだったら、パーティを開く。そういうことで、どうだ?」
「了解。彼女が来たら聞いてみるよ」

クミコはぼくの考えていた通り、そんなの嫌だよ、と実に簡単にデビューを蹴った。

いつもそうだけど、ビルのデザインは本当に素晴らしい。それはデザインの美しさが一人歩きするのではなく、ぼくの写真の質感をがっちりと支え、さらにぼくが写真に塗り込めたテーマや思想を浮き彫りにしている。

オークションは大成功だった。これは、ビルの仕組んだプロモーションの効果かも知れない。

案の定、マスコミからはクミコにインタビューさせろと執拗な要求があったが、彼女はそれを察してオークションには姿を現さなかった。

出版権は日本の大手出版社が獲得していった。

校正とかに不都合はないか心配だったが、製版をデジタル化しコンピュータでアメリカにある工場へ送り校正刷りを出すという。校正刷りはコンピュータ制御されているので、どこで刷っても仕上がりは基本的に同じということだ。いざという時には、翌日には届く宅配便という手もある。ぼく本人が何度も日本へ飛ぶのはかなわないので、これなら任せられると思った。進行計画がとてもきめ細かく信頼感があったので、ビルもぼくの意向で納得した。

初校は1月20日。原則的に5校までを考え、本刷りは3月初旬から始める。

フィルム上の10ミクロンまでのキズやごみは完璧にコンピュータ修正し、製版は黒の深みとディテールを補いモデルの肌の透明感を出すために補色を使い7版に分解する。文字部分は写真と別版にするから、従って印刷は8色刷りになる。

その他、デザイン上の諸問題はビルと緊密に連絡をとり、ビルの指示のもと自社のデザインスタジオで対処する。

出版に先立っての宣伝は、自社雑誌をはじめ、新聞と一部テレビを活用する。販促ツールとしてパンフレット、リーフレット、ポスター等を必要量制作する。

アメリカ国内向けの宣伝は、ニューヨーク、ロス、シカゴの3大都市の主要新聞に発売告知の広告を載せる。

部数は初版を1万部に抑える。品薄感を背景に予約キャンペーンを実施し流通に拍車を掛け、話題性を高める。

発行は4月1日。詩などを英訳したアメリカ国内版の刊行は4月15日。

3月31日に出版記念パーティを東京のホテルで行う。パーティ出席とサイン会のため、クミコとぼくは出版社の招待で東京へ行く。3月25日から4月10日まで、約半月間の滞在だ。クミコは嫌がるかも知れないが、まあ、これは写真家のぼくとしては仕方かない。

お正月明けから、ぼくの身辺は急に忙しくなった。出版社から詩の英訳文にはじまり、巻頭のことばを入れたいと思うがどうかとか、それは誰がいいかとか、詩の言葉遣いについて、例えばこの詩ではこうなっているが別の詩ではああなっている、統一するほうがいいか、それともそのままでいいかとか。ぼくは毎日、電話とEメールに追い回されていた。

クミコはそんなぼくを他人事みたいに笑って見ていた。時折、「たいへんだね」と労ってくれるが、それだって半分はぼくを茶化してのことだ。

また、彼女はTOEFLをクリアし、この春、大学に入学することが決まった。英語の実力は一応証明されたとはいえ実際の授業についてゆけるかどうか、彼女はかなりナーバスになっている。そんな訳で、授業の先取りをするのだと毎日ライブラリーに入り浸りだ。まあ、今のところ彼女の手を借りなければならない仕事もないからいいけれど。

1月20日、初校が出た。

ビルのオフィスと出版社が近いので、ぼくはそれをロスでビルといっしょに見ることにした。

上がりは概ね完璧だったが、写真の階調が多少フラットに感じられた。ぼくは細部のチェックを済ませると余白のスペースに赤鉛筆で二重丸を書き、その下に、「いい感じで上がっています。ただ、階調の立ち上がりがいまいちです。本刷りになるともっとフラットになることが予想されますので、その辺をよろしく!」と書いた。ビルは「それはなんじゃ?」と聞くから概略を説明してやった。
「まあ、そんなところだろう」そういいながら、ビルは版のキズやゴミを丹念にマークしている。

2校は初校よりずうっとだめになった。多分、分解の次のプロセスでフィルムをいじり過ぎたのかも知れない。ぼくは、「初校に戻して下さい。全然ダメになってしまいました。初校のつもりでの次の3校を出して下さい。それから、対抗ページの詩の刷り色のブラックが強すぎるとビルがいっています。別添の色見本のグレーに替えて下さい」

3校は2月半ばに日本の宅配便でぼくのスタジオに届いた。今度はビルがすっ飛んで来る番だ。

詩の刷り色も程よく、写夏の階調も申し分なかった。2校は、もしかすると、コンピュータ制御の校正刷りが理論通りに働かなかったのかも知れない。
「いいだろう。校了だ」ビルは上機嫌でいった。

校正というやつは、約束だからといって無理に5校までする必要なんか全然ない。むしろ、校正のいじり過ぎはろくな結果を招かない。特にこの手の自社出版物ともなると、出版社は社運をかけ、最新の技術を駆使し、膨大な作業を費やして自主的にセンシティブな改善を加える。校正はその単なる節目、作家と出版社の合意作業に過ぎない。

ぼくは、今度は赤鉛筆で三重丸と「お疲れさま。校了です」と書き、アメリカの宅配便で送り返した。

2月の末、本刷りに入る少し前に、今度は試し刷りを所定のA3変形に製本した、いわゆるツカ見本というやつが届いた。ビルに電話でそれをいうと、俺のところにもきているという返事だった。
「恐ろしく精緻にできたツカ見本だ。なかなかいい感じだぜ。おめでとう。いい本が出来たね。しかも凄い迫力だ。こいつはフィーバーするぜ。見ていて、目が離せなくなる写真が随所に出てくる」
「きみのデザインのお陰だ。それにしても、きみがぼくの詩を読めないのが実に残念だ。それが分かれば、きみは感動に打ち震えぼくの前に膝間づくことになるかも知れない」
「いやいや、分からなくて幸いだね」そんなヨタを飛ばしながら、ぼくらは目の前にせまった写真集の完成を喜び合った。

その夜、クミコが来た。 ぼくはツカ見本の見返しに「この本をクミコに捧げる」と書き署名してきれいにラッピングした。そして、カードに、
「クミコへ。きみのお陰でいい本が出来た。ありがとう。ツトム」と書いて彼女に贈った。

彼女は正に飛び上がらんばかりに喜んだ。ぼくに飛びつき、「素晴らしいわ。おめでとう。それから、ツトム、ありがとう」とキスの雨を降らせた。

しかし、クミコの表情や動作に何かいつもの精気がないように見える。「具合が悪いのじゃないか?ちょっと熱もあるようだし」とぼくが尋ねると、
「ううん、そんなことないよ。図書館通いの疲れだと思う」と彼女が答える。

額に触ってみると、やっぱり少し熱があるようだ。
「勉強もいいが、少しは体を休めなくちゃ。きっと疲れからきた風邪だと思うけど、無茶してはいけないよ。送って行くから、薬を飲んで早く寝るといい」

いつものクミコなら、「大丈夫。自分で帰れるよ」というところなのに、今夜は、余程辛いとみえ、ぼくのいう通り車に乗った。車を降りると、ぼくはクミコのアパートメントまで彼女の手を引いて行き、薬を飲ませベッドに寝かせた。そして、薬が効いて彼女が眠るまでその手をとってベッドの脇についていた。初めは時々目を明けてぼくを見、ニコッと笑ってまた目を閉じていたが、やがてそれもしなくなり、静かな寝息が聞こえてきた。ぼくは彼女の手を布団の中に入れ、ナイトテーブルの上に薬と水、そして、「元気になったら電話をするように/ツトム」と書いたメモを置いた。

仕事に追われるまま3日間が過ぎた。彼女から電話はかかってこなかった。電話をしてもアンサーフォンがメッセージを促すばかりで要領を得ない。きっと元気になって、また図書館通いだろうと多寡をくくってさらに2日間が過ぎた。

ぼくは何だか無性に気になってクミコのアバートメントを訪ねた。鍵がかかっていたが、合鍵があるので部屋に入ることに支障はない。

クミコはベッドにいた。痩せ細り、目だけが異様に大きく光っている。
「どうしたんだ」といったきり、ぼくは次の言葉もなくベッドに駆け寄った。
「おなかと背中が痛くて、食べると、すぐ全部吐いてしまう。だから、あれから何も食べていない。電話をかけに行くこともできなかった。ツトムがそのうちに来てくれると思って待っていたの」クミコは吐く息で、辛うじて聞き取れる程に弱々しくいった。

ぼくは5日間も苦しみの中にクミコを放っておいた自分の無情と、苦しみを耐えながらひたすらぼくを待っていたクミコを思って涙が出てきた。
「ごめん。図書館に通っているとばかり思っていた。いますぐ救急車を呼ぶからね」そういって、ぼくは電話に飛びつき、911をコールした。

簡単に事情を話すと、「アドレスは?」と聞く。ぼくは、「ステイト・ストリート1736、アパートメント402」と告げる。「5分待て」といって電話は切れた。

5分も待たずにチャイムが鳴った。ドアを明けると、折り畳みのストレッチャーを持った二人の男が立っていた。ぼくは、「入ってくれ。彼女を大至急総合病院へ連れていってやって欲しい」といった。
「病名は分かるか?」と男は聞いた。
「分からない。5日前に、風邪と思って寝かせたが、それから食べることも、起き上がることも出来ないまま、こんな風に衰弱してしまった」
「その間、誰も彼女の様子を見に来なかったのか?」
「その通りだ。ぼくが来なければいけなかったのだ。それなのに、ぼくは5日間も彼女を放っておいた。どんなに辛かったことか」後は言葉にならなかった。

クミコは救急車でミドウエィにある総合病院へ運ばれた。

救急処置室で、医師の診察に、「おなかの上の辺りが痛い、そして、背中も少し。食べ物は全部吐いてしまうので、何も食べなかった」と答えていた。医師は看護婦に点滴の用意をさせ、その瓶に、注射器で何種類かの薬を加えた。
「どなたか身内の方はいませんか」と医師が小声でぼくに尋ねる。
「彼女は留学生で日本から来ました。サンディエゴに身内はいません。あえていえば、ぼくが彼女のいちばん身近な者です」
「彼女の病気は多分膵炎でしょう。検査もしていないので正確ではありませんが。ご存知かも知れませんが、もし膵炎なら非常に危険です。あれほど衰弱していると炎症が止まらないこともあり、そうすると死亡の可能性さえあります。日本の身内の方に連絡はとれませんかね。それに、入院手続きや医療処置に身内の方の署名も必要ですから」
「分かりました。彼女に聞いてみましょう」

ぼくはそういうと、ストレッチャーで病室に運ばれてゆく彼女の傍らに付添い、点滴をしていない方の手をとって廊下をいっしょに歩いて行った。
「入院手続きに身内の誰かがサインしなくてはいけないそうだ。誰か、こちらに来られそうな人はいない?」クミコは緩慢に首を左右に振った。
「身内は誰もいない」細い声で彼女がいう。
「両親とかじゃなくても、親戚の誰かでもいいんだけど」
「私、誰もいないよ。ほんとに、誰もいない」

それから少し間があって、
「あなただけ、身内・・・」といった。

ぼくは、力ない彼女の手を強く握り、
「分かった。ぼくがきみの身内になろう。退院したら結婚だ」といった。クミコの目が、ただぼくをじっと見ていた。

ひととおり病室の整頓が終わると、ぼくは医局にさっきの医師を訪ねた。
「彼女には誰一人身内はいません。ただ、ぼくは彼女のフィアンセです。法的に身内とはいえないでしょうが、ぼくが身内の代行をつとめる以外に方法はありません」
「分かりました。あなたを身内と認めましょう。それでは、この書類をよく読んで、署名してください。それから、この病気は気力と栄養の経口摂取が鍵です。できるだけ側にいて元気づけて上げてください」

それから1週間、ぼくは片時も離れずにクミコに付き添った。彼女は少しずつ元気になっていった。やがて、ぼくは仕事に戻り、時間を遺り繰りしては病室を訪ねるようにした。
「ツトムが来ると痛みも消えて元気が出てくるのに、ツトムが帰ると時々吐いちゃったりする」とクミコがいった。
「ぼくがいない時も元気を出さなくちゃ。気力が大切だとドクターがいっていたよ。ぼくが東京へ行ったらどうするつもりだい?早く元気になって、そして、ビルなんかも呼んで結婚式だぞ」そういうと、クミコは、「がんばるよ。でも、時々私を見に来て」といった。

それから、初めてぼくは彼女の身の上話を聞いた。それはとても悲しく波瀾に満ちた話だった。

クミコの父親は彼女が7歳の時、肺炎で亡くなった。それを追うように、母親がその翌年に交通事故で死んだ。クミコは父方の叔父の家に引き取られ、中学生までを過ごした。ところが、義父が脳溢血で倒れると間もなく、義母は失踪して行方が知れなくなった。義父はじきに亡くなった。クミコより小さい二人の子供たちは母親の祖父母のところに身を寄せたが、クミコは多少は血の繋がりのある遠い親戚に移った。夫婦は既に老人だった。クミコが高校生になって間もなく、病気がちの義母が老衰で亡くなり、義父は老人ボケで精神病院に入った。それで彼女の数少ない親戚は誰もいなくなった。クミコは孤児院に移った。

クミコの生い立ちを知る人々は、彼女を死に神と噂した。だから学校でも彼女に友達はなく、誰もが彼女を不吉な存在として遠ざけた。ひねくれた自分を、彼女は本当に不吉な存在なのかも知れないと思った。

そんな時、高校の担任の東山先生がクミコを励ましてくれた。先生は、
「両親がいないことは確かに寂しく不幸なことだけど、突きつめて見れば、人間は所詮独りのものだ」といった。そして、
「両親がいて、いま何一つ不自由のない人達はそれに気づいていない人でしかない。気を落としてひねくれたりしてはいけないよ。一生懸命頑張ってみんなの上に出ればいい。そうすれば、誰もきみを見下げたりは出来ない。心が挫けそうになったら、いつでも先生の家においで。きみが納得するまで人生の話をしよう」そういってくれた。

それまでは他人を直視したことのない彼女が、その時から全てのものをまっすぐ見ることが出来るようになった。考え方も実際の視線も。成績は悪くなかったので、先生はクミコに進学を勧め、少ない俸給から学資を出してくれた。

しかし、短大に入って間もなく、先生は急遽教職を辞め、本家の稼業を継ぐために北海道へ移って行った。羽田空港へ見送りに行くと、先生は彼女に小さな書類封筒を渡した。「がんばるんだぞ。くじけちゃいけないよ。ホームに帰ったらこれを開けてごらん」そういって先生は東京を発って行った。

封筒の中身はクミコ名義の預金通帳と印鑑、それにバンクカードだった。便筆に太いペンで「いつでもきみを見守っている。これは、短大卒業までの学費としては余りにも少ないが、私が一度に用意できる限界だ。不足はきみ自身で補うこと。時々、手紙で近況を先生に報告すること。元気で!」とあった。朴訥な東山先生らしい手紙として、それはいまも彼女の宝物だ。以来、クミコは先生に月に一度は必ず手紙を書くという。

彼女は預金にできるだけ手をつけぬよう、学業の傍らバイトに精をだした。過労で何度か倒れたりもしたが、何とか若さでそれを凌いだ。

短大卒業も間近になると、クミコは留学奨学金を申し込んでみた。意外なことに、それはそんなに困難もなく受理された。
「そしていま、私はサンディエゴにいます。東山先生と全く同じことをいうツトムに見守られて。先生には、ツトムのこと随分手紙に葺いて知らせてあるよ。この次の手紙には、ツトムと結婚すると書くの。びっくりするだろうな」そういって彼女はいたずらっぽく、ふ、ふ、ふと笑った。

ぼくは、クミコの目の中の翳が、壮絶ともいえる生い立ちと先生の絶大な影響によるものだったということがやっと分かった。そしてぼくは、軽々しく写真に撮るなんていった自分が、何だかとても恥ずかしかった。

やがて、3月24日がやってきた。 旅行鞄をぶら下げて病室へ行くと、クミコはベッドの上に座って本を読んでいた。
「行ってくるよ。今、医局に寄って先生に2週間程日本へ行くのでサンディエゴを空けるといってきたけど、本人さえ気力を保てばもう心配はないといっていた。いいか、ぼくが帰ったら退院できるように元気になっているんだよ」
「分かった。がんばるよ。だから早く帰ってきて。遅かったら勝手に退院しちゃうから」 ぼくは滞在先のホテル、出版社の担当デスクの電話番号を書いたメモを彼女に渡し、
「何か困ったことがあったらビルに電話すること。分かったね。彼にはぼくの留守中のことを頼んでおいたから」といい、心をこめたキスをして病室を出た。

成田に降り、長い通路を歩きながらいつも感じることは、何とタバコ臭い国だろうということ。考えてみれば、どこの国へ行っても最初の印象はその国の空気の匂いだ。

手荷物を受け取りロビーへ出ると、サンディエゴのオークションで会い、自社のプレゼンテーションをした出版社の増田が駆け寄ってきた。
「先生、お迎えに上がりました。その節は当社をご指名いただきましてありがとうございました。旅はいかがでしたか?」
「いつもながら、退屈な11時間です。それから増田さん、その先生というのは、どうぞ止めてください。ぼくは山崎努です」
「承知しました。それでは先生、いや、山崎さん、何かいいにくいですね。車が待っていますので、こちらへ」増田は荷物をぼくの手から奪うように取ると、先に立ってせかせかと歩き出した。何とせわしげな人だろうとぼくは思う。しかし、周囲を眺めると、別に彼だけがせわしい訳ではない。彼はこの国のテンポで動いているだけのことだ。

京葉道路から首都高へと続く車の渋滞はいつもながらひどいものだった。成田エクスプレスなら40分程で都心に出られるものを、車は2時間半を費やしてホテルに着いた。

チェック・インして部屋に落ち着くと、
「山崎さん、お疲れでしょうから、私はこれで失礼いたします。今夜はごゆっくりお疲れを休めてください。

それから、本来ならこちらから出向くのが筋というものでしょうが、明日午後、車を差し向けますので当社においでいただき、社長はじめ当社の重役にお会いいただきたいのです。よろしいでしょうか。

その後4時から重役会議室で記者会見が予定されています。さらにその後なんですが、山崎さんの歓迎のディナーがございます。予定ずくめで恐縮です。本当なら、のんびり寛いでいただければいいのですが、どうも、これが日本流というものでして」そういって増田はせかせかと退散した。

独りになると、ぼくは両手を大きく拡げて仰向けにベッドに倒れ込み、「やれやれ」と呟いた。そして、ベッドの脇の時計を見て、サンディェコはいま午前8時。クミコは元気に目覚め、朝食をとっている頃かな、と思った。


ツトムがサンディエゴを発って3日目あたりから、クミコの病状は下降しだした。彼女自身、気力を振り絞ろうとするのだが、体のどこにも力が入らない。検温にきた看護婦がそんなクミコに、
「ツトムが帰ってきてもクミコが元気になっていなければ彼はガッカリするよ。さあ、元気を出して!」と励ましてくれた。クリッブボードを抱えドアを出ようとして看護婦は立ち止まり、振り返って、
「ねえ、クミコ。結婚式はいつ頃?」と尋ねた。
「さあ、まだ分からないけど、多分5月。ジャカランダの花が咲く頃」
「あゝ、いいなぁ、結婚かぁ。クミコ、結婚式には私も呼んでね」そういって看護婦はウインクし、そして静かにドアを閉めた。クミコは、「よーし、元気になるぞォ」と自分を励ますように独り言をいった。

それでも、1週間目には、小康状態にあるとはいえ彼女は目に見えて痩せていった。医師はロスのビルに電話で状況を告げた。このままでは憂慮すべき事態になりかねない、と。

翌日、ビルは病院に駆けつけ、クミコを見舞った。確かに状況は深刻だと彼は思った。ロスに戻ると彼は東京のツトムに電話をし、クミコの様子を知らせた。「小康状態にあり、医者も、これから回復に向かうか悪化するのか分からないといっている。うわごとのようにきみの名前を呼び、ジャカランダがどうとかいっているそうだ。とにかく、きみが側にいないことが全ての原因なんだ。すぐに帰って来い」
「分かった、ビル。いろいろありかとう。 明日の出版記念パーティが終わったら、後のスケジュールを全てキャンセルして帰る。すまないが、それまで彼女を頼む」

ビルはツトムの代わりにクミコに付き添った。彼女は時折痛みに悶えた。鎮痛剤で痛みを抑えひととき眠りに落ちると、うわごとにツトムの名を呼んだ。 東京に電話をして3日目、つまり、出版記念パーティの日、クミコの病状が急変した。意識が薄れ、痛みに体を捩りながら、叫ぶようにツトムの名を呼ぶ。

ビルは何度も東京に電話をしたが、ついぞツトムは捉まらなかった。 クミコは、意識が戻ると、
「ビル、ツトムはどこ?」と尋ねた。
「もうすぐ帰ってくるよ。頑張るんだ、クミコ」彼女の手をとってビルがいう。クミコは目だけで頷き、
「もし間に合わなかったら、ツトムにゴメンネといって」といった。
そんな言葉にせかされるように、ビルは病室と電話室を涙をぬぐいながら何度も往復した。「こんな時に、こんな時に!」と吐き捨てるように呟きながら。

午後7時に始まった出版記念パーティは、いまや最高潮に達しようとしていた。 出版社社長の挨拶に始まり、各界の著名人たちのスピーチが続いた。やがて、ツトムの芸大時代の恩師であり、彼がプロとして独立するまでの師匠でもある写真界の大家、松田先生がツトムの修行時代のエピソードを披露した。名スピーチは会場を沸かせ、時折、爆笑が広いホールを揺るがせた。先生は壇を降りるとツトムの肩を2度、3度叩き、「いい仕事をしたね」といってくれた。みんなが温かな目でツトムを包み、彼の芸術的成果を祝福していた。

スピーチが一区切りしたところで、今度はツトムが壇上のマイクの前に立った。
「皆様の祝福をいただき、これに勝る悦びはありません。ぼくは今、最高に幸せです。

惜しむらくは、この幸せを、この写真集のモデルをつとめてくれたクミコと共に分かち合えないことです。彼女は今、サンディエゴの病院に入院中です。クミコは・・・」 その時、ツトムは何かか頭の中で破裂するような音を聞いたと思った。話していることが何だったのか分からなくなり、いい知れぬ憔懆感が心を領していった。彼は壇上に放心したように立ちつくしていた。

午前2時半、医師はクミコの臨終を告げた。ビルはベッドの脇に膝間づき、クミコの手をとって慟哭した。 やがて、彼女の体からフッと力が抜け、細い呼吸が途絶えた。室内に置かれたディスプレーのパルス音が沈黙し、波動のサイクルが一本の平坦な線に替わった。医師は時計を見ると、「ツー サーティーワン。シー パスド アウエィ」といった。ビルは涙にかきくれながら、
「もうすぐツトムが帰ってくるというのに、クミコ、なぜ待てないんだ」と叫び、彼女の肩を欲しく揺すった。

そんなビルの手に何か固いものが当たった。彼女の体の左側から胸の上にかけて、大きな板のようなものがあった。ビルはそっとブランケットをめくってみた。

クミコの左手にはツトムが贈ったあの写真集があった。彼女はしっかりと、それを胸に抱いていた。

苦痛に悶えたクミコの顔が、いまは安らかな眠りの中を漂い幸せな夢でも見ているようだった。かすかな微笑さえ浮かべ、クミコはいま、ツトムの腕にすがりジャカランダの花房が降りしさるヴァージンロードを歩いているのかも知れない、とビルは思った。

[終]Nov.3, 1996
(サンディエゴにて)


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