■Part―4・The South Pacific Ocean / to Australia 《その先の海》


[ニュージーランド余滴]

1997年11月21日、僕らは、ニュージーランドのオプアに着いて、南太平洋クルーズ・パート・ワンを終えた。サンディェゴ出航以来の八ヶ月の日々、僕は何と濃密に体感して『生きる』ということを実践してきたことだろう。

あたかも、一日一日が固有の物語であるかのように、立ち向かう日々のテーマが新ただった。それに向かって、力の及ぶ限り、夾雑する何ものもない真摯な格闘が繰りひろげられた。それらの連綿がこの八ヶ月間だった。振り返って、そこには、生きることへの生真面目さがあった。

時に、投げ出してしまいたい局面もあったとはいえ、それさえも苦難に真正面から立ち向かう全身全霊の取り組みであり、微塵の妥協も衒いもなかった。今、ツツカカの静謐な泊地に[禅]を舫い、過ぎ越しの日々を遡ると、あの耐え難かった辛苦さえも至福の色合いを帯びて見えてくる。ましてや、この胸に抱え切れない感動の数々を何と云おう。不遜な云い方が許されるなら、僕は、この八ヶ月の間、他の人々の何倍もの人生を生きたと確言することが出来た。

**

僕は、ニュージーランドでの半年間、どういう生活を繰りひろげようかと考えた。

いろんな情報を集めてみると、オークランド(Auckland)のウエストへブン・マリーナ(West Heaven Marina)は、長期滞在するには必ずしも便利でないことが分かった。それに、碇泊料が恐ろしく高い。10メートル用が塞がっていたので、12メートル艇のバースに碇泊することになるらしい。そうすると、一日の碇泊料が12ドル(約700円)。しかも、長期碇泊の割引がないから、1ヶ月なら360ドル(21,000円)にもなる。ツツカカ・マリーナ(Tutukaka Marina)なら、200ドル(11,600円)で、4ヵ月以上になれば、1ヶ月160ドル(9300円)と格段に安い。

ファンガレイ(Whangarei City Basin)には多くの仲間が集まっていたし、生活に便利だということで随分心を惹かれたが、繋留はパイル・ムァリング(水中に立つ杭に繋留する方法)で個々の桟橋がない。上陸には常にディンギーが必要になるし、その水面はお世辞にもきれいとはいえない。僕は、ツツカカの料金だけではなく素晴らしい自然環境も大いに気に入ったので、迷うことなくツツカカ・マリーナをニュージーランドのベースに決めた。

ツツカカの問題点は交通の便が悪いことだ。日常の買い物が出来る最寄の街が、バスで三十分ほどのファンガレイだか、そのバスが日に一往復しかない。そうすると、どうしても車が必要になってくる。

車があれば、生活だけでなくニュージーランド観光にも便利だろう。半年も滞在するのだから、美しいこの国を隈なく見て歩きたいものだ。

北島には、ロトルアやワイトモ、タウポ湖、トンガリロ国立公園などの景勝地やマオリ族の史跡、ネイティヴのマオリ文化のデモンストレーションも多い。南島には、英国よりも英国的な街といわれるクライストチャーチやダニーデン、箱庭のようなクインズタウン、それにマウント・クックを主峰とするサザンアルプスやフランツジョセフとフォックスの氷河、ミルフォードサウンドの豪快なフィヨルドなどがある。本当に、目を見張るばかりに美しい景勝地がいたるところにあって、しかも、ニュージーランドの人々の優しい心に触れることも出来る。車があれば、日本とほとんど変わらないこの狭い国土を、隅々まで走り回ることに何の苦労もない。

僕は、車を買うことを決意した。ニュージーランドには、車のオークションがあって、出品された車を競りで買い取ることが出来る。値段はピンキリだが、最低で1000ドル(6万円弱)、高いものでも3000ドル(約17万円)程度だ。しかも、不要になったら、再びオークションに出して処分することも出来る。車検という厄介な制度がないから、認定された整備工場で三十ドル払って検査を受け、問題がなければ一年間有効のステッカーをウインドに貼ってもらう。ドライバーライセンスは日本のものがそのまま使える(現在は、免許証を英訳したものが必要)から、後は、AAにでも(ダブルA。日本のJAFのような組織。アメリカにはAAA、トリプルAというのがある。)加入すれば万全だ。

オークションで、僕はホンダの81年型という恐ろしく旧い車に注目した。水色のその車は、試乗してみると非常に丁寧に乗られたものであることが分かった。僕は、それを約8万円で競り落とした。

ホンダはよく走った。南島へ3回も往復し、ニュージーランド中を本当に隅々まで走り回った。それでも一度も故障はしなかった。唯一、タイヤのローテーションの折、前輪に30ドルのタイヤを新調しただけだった。

さらに、翌年5月、フィジーへ出航する寸前、車は、マリーナの仲間に七万円で買い取ってもらった。半年間にわたり相当な距離を走り、溢れるばかりの感動を頂いて、損料はたった一万円だった。

南太平洋を航海すると、11月から翌年5月頃まではサイクロンの圏外へ避難し次のシーズンを待たなくてはならない。若し、あなたがニュージーランドでその半年間を過ごす計画なら、是非車を買って全国をドライブ旅行されることをお勧めする。これは航海記だから、陸上の旅については書かないが、ニュージーランドには、息を呑むほどの素晴らしい自然や民族文化が無尽蔵にあって、心に残る旅行をすることが出来た。クルージング・ポイントも豊富でそれぞれが素晴らしいが、陸上もまた、いたるところで感動に出会えるというのがニュージーランドという国なのだ。

《グレートバリア・アイランド》

ドライブ旅行の帰り道、オークランドの北、ガルフ・ハーバー・マリーナ(Gulf Harbor Marina)に停泊中の[4・4・II]と[独尊]を訪ねた。

その折、[独尊]の提案で、グレートバリア・アイランド(Great Barrier Island)へいっしょにクルーズをすることになった。[4・4・II]のクニさんとノビさんは、ニュージーランドの永住権取得の試験勉強に忙殺されていたから、彼らは参加しない。

1998年4月27日、午前7時、僕らは、目の前に迫った南太平洋クルーズ・パート・ツーのストレッチを兼ね、ツツカカ・マリーナを出航し、グレートバリア・アイランドへ向かった。

天気、BC(ブラボーチャーリー/晴)。北の風12ノット。航程は僅か48浬。長閑なハイキングのようなクルーズだ。

針路を113度にとると、コンパス偏差の関係でほぼ南東へ向かう。右舷に、ヘン・アンド・チキン・アイランズ(Hen & Chicken Islands)が見える。やや大きめの島が母鳥(hen)で、それにまつわる四つの小島がヒヨコ(chicken)ということらしい。

さらに進むと、リトルバリア・アイランドが現れる。ニュージーランド沿岸は、本当に島が多い。それらのほとんどがマリン・リザーブ(海洋保護区)に指定され、厳正な自然保護が行われて確かな成果を上げている。だから、或るヨッティが、南太平洋を巡って、いちばん美しい海底風景は、ツツカカの北東十二浬の小島、プア・ナイト・アイランド(Poor Knight Island/島には特殊な生態系があり、保護のため上陸は許されない。碇泊に錨の使用不可。ブイの数だけしか碇泊出来ない)だったといった。勿論、この見解には多少のウイットもあろうし、天候や海況という気象条件も関係してくるから、一概に鵜呑みには出来ないが・・・。

午後2時、[禅]はグレートバリア・アイランドに接近した。既に、数日前から碇泊中の[独尊]との無線交信で、本島とカイコーラ・アイランド(Kaikoura Island)の北側の水路を入るように指示を受けた。

午後3時、[禅]は鏡のように真っ平らなフィッツロィ・ハーバー(Fitzroy Harbor)にアンカーを落とした。早速、馨くんといっしょに仲良しの碧ちゃんがディンギーでやって来た。いつものように、ひと時、僕は童心に返って彼女と遊んだ。

29日には、隣りのブッシュ・ベイへ移動した。錨泊した位置から20メートルほどの海面が干潮で干上がった。僕らは潮干狩りをしようということになった。

干潟(ひがた)の砂に手を差し込むと、掬った砂の中にツツというアサリのような貝が最低でも5個は混じっていた。2つのバケツは、30分もせずに満杯になってしまった。

ツツの処理を倫子さんの任せ、僕ら4人は鯛釣りを始めた。ディンギーで潮通しのよい辺りへ行き釣糸を垂れると、何の工夫もなく25センチほどの鯛がいくらでも釣れた。小さなものや雑魚は全てリリースし、大きさを揃えて五匹釣れると、僕らは鯛釣りを終えた。

その夜の食卓は、鯛めし、鯛の刺身、鯛の塩焼き、ツツの潮汁(うしおじる)、ツツの酒蒸し、ツツのアサリバター風という豪華メニューだった。それでもツツは食べ切れなかった。倫子さんがツツの佃煮を作ってくれた。それは、グレートバリア・アイランドの磯の香と心豊かな思い出が薫るとても素敵な保存食になった。

さらに5月1日、少々風が出て泊地がローリーになったので、僕らは、いちばん奥のスモークハウス・ベイ(Smoke House Bay)へ移った。

スモークハウスとは、燻製小屋という意味だ。そして、このベイには、本当に燻製小屋があった。

入江を囲む山で枯れ枝を拾い集め、小屋に備えられた鋸と斧で薪を作る。スモークハウスに釣果の鯛やレィンボーランナー(ツムブリ)を吊り下げ、かまどで火を焚くと数時間で美味しい燻製が出来上がる。しかも、このかまどは、小屋の屋根に設えた水タンクを暖め、燻製小屋の壁を隔てた風呂を沸かしてくれる。

設備とはいえ、それらは極めて素朴で必要最小限のものだ。楽しみたければ、全て自らの労力で賄わなくてはならない。その労働がかつてなく楽しく、限りなくアウトドア・ライフの充実感に溢れていた。

僕らは、魚を釣り、燻製を作った。それが出来上がるまで傍らの水場で洗濯をしたり、誰かが木立の高みに掛けたロープだけのブランコで遊んだり、バーベキューをしながら歓談したり、移ろう時が描く入江の景色を眺めたり、ふと吹き抜ける柔らかな風にデジャヴのような不思議な懐かしさを覚えたり、温かな風呂に入ったり・・・過ぎて行く時間を惜しむかのように、僕らは究極のアウトドア・ライフを楽しんだ。

何という豊かさだろう。それは、南太平洋の島々で体験したのとは趣きを異にした新たなパラダイスだった。

僕は、生牡蠣が大好きだ。レモンの汁を搾りかけ、砕いた氷を敷きつめた銀の大皿に並ぶ一ダースほどの牡蠣はたちまち平らげてしまう。

馨くんが[禅]に牡蠣を届けてくれた。何処で獲ったのと尋ねると、スモークハウス・ベイの岸辺の岩にたくさんついているといった。

翌日、干潮の時刻を見計らって、僕はドライバーとレモンを持って岸辺へ渡った。彼のいうとおり、岩はロック・オイスターに覆われていた。

僕は、一つの岩に陣取って、ドライバーで牡蠣を岩から引き剥がし、殻をこじ開け、レモンを搾りかけて食べた。どんなに高級なレストランでも、あんなに美味しい牡蠣にはお眼に掛かれまい。それほど美味しかった。

気がつくと、掌は貝殻とドライバーで傷つき、血が滲んでいた。それにもかかわらず、僕は20個の牡蠣を平らげていた。

翌日もまた、僕は岸辺の岩に腰を据え、牡蠣の味覚に魂を奪われた。

美味しい料理を食べる時いつも思う・・・若し僕がお酒を飲めたらどんなに素晴らしいことだろうと。レモンを搾りかけた冷たい生牡蠣を、まるで壊れやすい精密機械でも扱うように慎重にふんわりと口に含む。潮の香を帯びた上品な味覚が口中いっぱいに広がり、その味を追いかけるように芳醇な白ワインが喉を潤す・・・。あァ、しかし、残念ながら僕はアルコール・アレルギーだ。ワインを楽しめないグルメ。美味しい料理の味を、本当は半分しか味わっていないのかも知れないと思う。それでも僕は、蓮の葉に鎮座した雨蛙のようにあの岩の上に腰を据えて牡蠣の美味しさに我を忘れていた。

僕はさらに牡蠣を剥いて食べた。掌は新たな傷を加えて潮に沁みたが、その日僕は25個の牡蠣を食べた。素晴らしいグレートバリア・アイランドの想い出のハイライトとして、あの絶妙な味覚のデテェィルを、今でも鮮烈に思い出すことが出来る。

僕にとって、グレートバリア・アイランドほど想い出に満ちたクルーズは他にない。ニュージーランドには、恐らく、グレートバリア・アイランドにも劣らぬほど素晴らしいクルージング・ポイントがいくらでもあり、それが本土の眼と鼻の先に点在する。ヨッティーにとってニュージーランドは正に天国であり、憧れの国といっても過言ではない。

5月5日、僕らはグレートバリア・アイランドからツツカカへ戻って来た。その頃を境に、ニュージーランドは急速に秋を深めていった。暑いところばかりを渡り歩く僕らは、その寒さにたちまち震え上がってしまった。汗が滴り落ちるような暑さが恋しい。渡り鳥セーラーの僕らとしては、熱帯地方を目指してそろそろ北上を開始するタイミングだった。

[南太平洋クルーズ・パート2]

《フィジー(FIJI)》

5月27日、朝九時半、[禅]はマリーナの仲間たちに見送られてツツカカを出航した。快晴、微風の美しい朝、紺碧の海に屹立する緑濃いツツカカ・ヘッドの頂上に、僕らを見守る真っ白い灯台が眩しかった。

さらばツツカカ。どこよりもニュージーランドらしい長閑さを湛えた美しいツツカカ。航跡を振り返りまた訪れることがあるだろうかと思いを巡らすと、僕の内に、単なる仮泊地とはいえない切々とした惜別の情が湧き上がってきた。

行き先はフィジーのスヴァ(Suva)。ほとんど真北へ向けて1078浬(1970km)の航程だ。順調にゆけば10日間の航海になる。

五浬ほど走って第一のウエイポイントを通過し、1,008浬先のカンダヴ(kadavu/スヴァの南50浬の島)の東六浬、第二のウエイポイントに針路を合わせた。その頃から天候が急変した。

15ノットほどの軽風が突然35ノットの向かい風になり、沿岸ということもあって沸き立つような波が立った。遭難事故が発生したようで、無線機からはコーストガードとヘリコプターの交信がしきりだった。半年間も楽をし過ぎた罰で、僕はひどい船酔いでダウンしてしまった。

因みに、正常な人なら誰でも船酔いする。敢えていえば、船酔いすることは心身が健康な証でもある。

昔、海軍で艦艇に乗船する水兵を選別する場合、100人中、航海に適さない者二人を排除したそうだ。一人は、船に足を踏み入れただけで船酔いする者、もう一人は、どういう状況でも絶対船酔いしない者だという。船酔いしない者なら理想的な船乗りのように見えるが、実は、船内の団体生活で必ず深刻な争いや問題を引き起こすといわれる。

船酔いは一過性のものだ。正常な人なら誰でも船酔いし、2日から一週間ほどで船の揺れに異常を感じなくなる。大切なのは、船酔いを深刻に考えないこと。数日して気がつくと、船酔いは通り過ぎているものだ。

ベイオブ・アイランズに移り、フィジー行きに備えていた[独尊]が後方27浬にいて[禅]を追いかけている。船影が見える訳でもないのに、VHFが届く距離に連れがいるというだけで心強い。

馨くんが、ラッセル・レディオで僕らとは逆にニュージーランドへ向け南下するヨットがいることを確認したといった。こんなシーズンに南下するとは珍しいことだ。スミコが胸騒ぎがするといって、バッテリーを節約して消していた航海灯を点しハッチから外を見た。何と、たった100メートル右舷をかすめて反航する緑の航海灯が過ぎた。大海のど真ん中では、100メートルの間隔は無いに等しい。どちらかの針路が少しでもずれていれば正面衝突だってありうる距離だ。僕は、航海灯を点していなかったことを詫びようと慌ててVHFでヨットを呼んだ。しかし、件のヨットも無警戒に眠っているのか応答はなかった。

5月29日。昨日同様、空は雲に覆われていた。風は収まったというのに、光のない海は陰鬱な表情をひそめようとはしない。どうした訳か、スミコは元気なのに、僕の船酔いだけが回復しなかった。

不調な体を癒そうとバースに横たわった。ウォッチでは目を開けていることも出来ないほど眠いのに、いざ眠ろうとすると目が冴える。そればかりか却って神経が敏感になって、様々なことが体感される。スターンに波が当たって針路が五度右へずれたとか、ロッカー内で燃料のポリタンが横滑りしたとか、スターボのシュラウドがゆるくマストが小刻みに振動しているとか・・・。こんな状態では、眠ろうとすることが却ってストレスになってしまう。

月もない暗闇の夜、僕はコックピットに出てざわざわと騒ぎ立つ海を見渡した。三角波に覆われた海面は、それぞれの波の先端に夜光虫が蒼く燃えていた。まるで鬼火に埋め尽くされた海だった。

あァ、いやだ。詩情のかけらもなく、妖気だけが漂う海。こんな海だけは見たくもなかった。僕の内に、海にひそむ魔性の領域に踏み込んでしまったという慙悸があった。僕はそそくさとキャビンに引き返し、再びバースにもぐり込むと、打ち震える心に毛布を引っ被った。

どうしてこんなことを続けているのだろう。どうして煩いもない陸で交わす海のホラ話に満足していられないのだ?こんな苦労を自ら買って出るどんな意味があるというのだろう。

人間には、オーディエンス(観客)とフィールドマン(実践者/註・僕の造語)がいる。オーディエンスは他人のパフォーマンスを楽しめる人、或いは社会性を備えた健全な市民。そして、フィールドマンは自らフィールドへ飛び出して実践し、戦わなくては納得出来ない人、或いは、反社会的な一匹狼、またはいくつになっても精神的に大人に成り切れないガキ。明らかに僕は後者に属する。それにしても何と因果な性分なんだろう。

5月31日、時化は収まり、光に満ちた美しい海が戻ってきた。それに南緯三十度を越えて二十度海域に入ったせいで随分温かくなった。それだけで、僕の心から出航以来の気鬱も消えていった。

夜、目を欺くばかりの満点の星が、物凄い迫力で僕に迫る。おかしな表現だが、一つひとつの星が、それぞれの色合いばかりか距離感さえも明確に識別できると感じる。

じっと見ていると、あたかも信号を発するかのようにあちこちで星が瞬く。星雲は時折その背後に閃光が煌き、宇宙の彼方に何かを伝えようとする意思が存在するかのように感じてしまう。勿論、それらの多くは凝視することで生じる視覚的錯覚なのだが、そこからは様々な空想が生まれてくる。

色や光の強さに合わせ、それぞれの星に音色と音程とリズムを与えてみたらどうだろう。青色の星には金管楽器の高い音程、赤い色の星には木管の低い音程の音を。かすかな光には小さく、強い光には大きな音量を。一瞬の瞬きはスタッカート、連続する瞬きはシンコペーション、星雲のかなたの閃光には雄大に響くファンファーレとシンバルを。ちかちかと瞬く無数の星屑には澄んだ音色のトライアングルが似合うだろう。さあ、星々のオーケストラ、演奏を始めよう。

コックピットに寝そべって、僕はそんなことを想像しつつ夜空を見上げていた。そして、じっと耳をすませていると、[禅]の船縁を洗う水音の向こうに、壮大な天体の音楽が聞こえてくるようだった。

**

早くも6月になった。

過激な時化に捉えられることもないが、天候が安定することもない。

15浬後方の[独尊]も難儀しているようだ。倫子さんの船酔いが深刻で、馨くんが操船から料理、碧ちゃんのお相手まで一人でやっているらしい。心なしか、彼の声にも疲労が感じられる。 [独尊]はミネルバ・リーフに寄って、一日休養をとることにするといった。何か気晴らしがあればいいのだが、走っている狭いヨットの中では何もすることがない。

スミコに星のオーケストラの話をしたら、星を題材にしたお遊び俳句大会をやろうよといい出した。面白いアイディアだ。無線で告げると、[独尊]もよろこんでくれた。発表は明後日ということで、制作に中一日をおくことにした。

6月3日、いよいよ発表の日。[独尊]はミネルヴァ・リーフへ針路をとったので、僕らとは100浬も離れてしまった。当然VHFは届かないから、HF(短波)での交信になった。たがいの句を交換しつつ笑いが絶えない。そのいくつかを紹介しよう。

『天の川 お空の上を 流れてる』

『タスマンも 見たかこの星 十字星』

『禅号は 横揺ればかり スヴァ遠し』

『天の川 ワッチの友の 夜光虫』

『星アマタ 私のアタマは フケだらけ』

『星を見て どうもサソリに 見えないなァ』

『星を見て 航海した人 すごい人』

『流星に ふとおふくろと 呼びにけり』

まあ、こんな調子だ。作者は記さない。勿論、この句会に芸術性など誰も求めていない。無聊を慰め、束の間、発想や視点の面白さに笑えればそれでいい。

しかし、駄洒落のようなこれらの17文字に、航海途上でなくては捉えられない実感がこもっていることに驚いてしまう。

暢気に句会などやって遊んでいたら、遂に6月3日の真夜中から本格的な時化がやってきた。しかも、不都合なことに、針路北北西に対し風向は北北東、風速は35ノット。

出航時、少々手荒く揉まれたとはいえ、その後はわりと順調だった。僕らより一日遅れて出航した連中は、前線に付き纏われてずっと苦難の航海を強いられているらしい。ラッセル・レディオでそれを聞きながら、僕らはラッキーだったと嘯いていたものだ。しかし、長期の航海にラッキーなんかない。いま穏やかなら、やがてツケは後からやって来る。

僕らは、スヴァへの通過点としてカンダヴ島の東六浬へ向かっているが、ぎりぎりに風上へ登ってもラムラインを西へずれ、どんどん島へ近づいてゆく。しかも、カンダヴの東海域は、海図に『未調査。多くの未確認のリーフが存在する』と書かれているのだ。勿論、こういう事態を想定して針路を東寄りにとり随分ルームをあけてきたのに、この時化で貯金は瞬く間に底をついていった。

35ノットの風に向かって暗闇の時化の海をクローズドホールドで走ることは、クルージング・ボートの[禅]にとって我知らず呪いの言葉が口をついて出るほど過酷だ。もう、睡眠どころではなかった。僅かな風向の振れを見つけては針路を東寄りにとり、未確認リーフの魔の海域を逃れようと必死に舵を引いた。

明け方になって風速は25ノットに、そして風向も北東、または東北東になった。失速するほどぎりぎりのクローズドホールドから開放されたとはいえ、それでも大きな波に叩かれて、[禅]は都度行き足を奪われてしまう。

悪戦苦闘で2日間が過ぎた。追っ手の走りとは違い、船の動きが鋭角的に揺れるから食事もままならない。夕食時、お椀では危ないからマグカップで味噌汁を頂いていたら、衝撃でそれが飛び上がり、僕の胸にぶちまけてくれた。もう、悪態も底をついて、笑うしかなかった。何だか敗北感めいた虚ろな笑いだった。

[独尊]も真正面からの風に悩まされていた。休養でミネルヴァへ向かったのに、そこへ辿り着くために過剰な忍耐を必要とした。馨くんは、ミネルヴァを諦め、針路をスヴァへ向けたと無線で告げてきた。しかし、これが片嶋一家を救う結果になろうとは、運命なんてどこに曲がり角があるか分からないものだ。

***

6月6日、午前六時、カンダヴ島の東六浬を航過した。島影もそれを取り囲むリーフも全く見えなかった。ただ、GPSがスヴァまであと46浬と表示しているだけだ。それと、海図上に僕が引いた鉛筆の一本の線。無機質なそれらに支えられた僕の存在ほど不確かで不安なものはない。

未確認のリーフが散在するというくらいだから相当浅い海なのだろう。変則波がいろんな方向から押し寄せる。さらに、度々スコールが接近して強風と激しい雨をもたらして視界を奪う。

カンダヴのウェイポイントを過ぎて針路はコンパスコース320度、35度西へ変針し、風は東に安定した。[禅]は、数日来の風上航から解放されてランニングの帆走に入った。

波は悪く、加えてスコールが[禅]を苛むとはいえ、まるでジェットコースターからハイウエーを走る高級車に乗り換えたほど追っ手の走りは快適だった。

11時、フィジー本島のヴィチレヴ島の山並みがスコール雲の合間に見えてきた。やっと来た。そして、もうすぐ11日間の航海が終わる。




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