正午少し前、小高い山が二つ重なる景色のケープ・ベドフォード(Cape Bedford)を、さらに三時間後にはケープ・フラットリー(Cape Flattery)を通過した。これから先は、岩礁帯を縫う航路に入り、いよいよ正念場に差し掛かる。
横をコーストガードのガンシップが通り過ぎた。例によってVHFで船名や乗員、行き先などを質問された。出航前、僕はコーストガードに凡その予定航路を通報していたので、彼らは好意的に対応してくれた。そして、「ハッピーな航海を!」といいつつ、「これから吹いてくるから気をつけるように」といった。
もうじき夜が来る。障害物もない外洋なら、追っ手の四十ノットも脅威ではない。しかし、こんな時化の中、夜中にホーウィック・グループ(Howick Group)の岩礁海域を乗り切れるだろうか。僕の中でけたたましい警鐘が鳴り響いていた。
近くにリザード・アイランド(Lizard Is.)がある。グレートバリアリーフで最も美しい島というだけでなく、アンカレッジとしても最高の入江を擁すると聞く。僕は、VHF無線でリザード島に停泊するヨットを呼んでみた。そうしたら、さっき[禅]をチェックしたコーストガードが応答してくれた。僕は、ワトソンズ・ベイ(Watsons Bay)の錨泊の余地や入江の安全度などを尋ねた。
日没が二時間後に迫っていた。しかし、リザードまではまだ優に十八海里はある。エンジンを三〇〇〇回転で回し、ツーポイントにリーフしたメインとフルに展帆したジェノアで、[禅]は壮絶に荒れ狂う海をかっ飛んだ。
***
今まさに水平線に太陽が没しようとする時、僕は全身ずぶ濡れになってリザード島のワトソン・ベイに駆け込んだ。ベイの入口では、件のコーストガードのガンシップが見守っていてくれた。
僕は、入江の奥深く入ってアンカーを沈めた。近くには、[Bounty]がいたのに、僕はそれさえ気づかなかったほど疲れ果てていた。
ベイの中でも風速は三十ノットを越えて[禅]は激しく揺れ、アンカーチェーンは不気味に軋んだ。しかし、今や暮れようとするこの時化の海を、命を脅かすばかりに禍々しい航路で難渋していることを思うと、僕はリザードに錨泊した幸運に素直に感謝した。
リザード島のワトソン・ベイは美しい入江だ。白い砂浜、聳え立つ山とあふれるばかりの緑に囲まれた珊瑚礁の海。ヨットが十艘ほど碇泊し、その景色に彩りを添えている。
しかし、強風が収まる様子はなかった。時には、アンカーが保つだろうかと不安になるほど吹き募ることもあった。初めのうちは気にも掛けなかったが、三十ノット以上の風が一週間も吹き続くと、いい加減、嫌気も差してくる。
そしてついに八月になった。
僕は本気で焦った。こんな状態で、今年のシーズン中にオーストラリアを出国できるだろうか。後のないこの時期に、為す術もなく無為な日々が続く。焦りながら、毎日、大時化の海ばかり眺めてもう十日間も過ぎてしまった。それは、実に巧妙な精神の拷問だった。そして、気分は際限もなく打ち沈んでいった。
今にして思えば、僕は極度に疲労していた。そこへ身を捩るばかりの焦慮がストレスとなって圧し掛かってきた。肉体の疲れが精神の疲労へと浸潤し、僕の内に僅かに残っていた気力さえも奪い尽くした。
航海だけでなく、何もかもが物憂かった。立ち上がることもできないほど、僕は心が重いと感じた。その重さに引き摺られるように、僕はさらに、傷悴した精神の奈落に落ち込んでいった。
僕の内で何かが切れた。
それは、余りにも執拗な時化という理不尽な暴力と、終わりのない航海の苦しみに耐え続けることへの徹底的な嫌悪だった。
何故、こんな苦しみを耐えているのだろう。そして、この航海は、僕にとって一体何なんだろう。
航路の危険とかナヴィゲーションの難しさなんか問題じゃない。そんなものは今までやってきたように、この先もやっていける。それよりも、そういう苦しみを耐える意味が見えて来ない。
****
「航海を止めたいだって?止めて、お前に何が残るんだ?」
「多分、何も・・・」
「航海を止めるなんて、きれい事で自分を誤魔化すなよ。それは人生の挫折だろ。精神の敗北だ。航海を止めたその時からお前は人生の負け犬だよ。
航海を止めるということは、敗北を受け入れることだ。お前にそれができるか?それを受け入れて、お前は生きて行けるのか?」
「多分、できない・・・」
「航海が楽しくない?当たり前じゃないか。シングルの航海がルンルンだなんて誰がいった?昨日今日の駆け出しセーラーじゃあるまいに、ムルラバを出る時、それを承知で出て来たんじゃないのか?」
「・・・・・」
「でも、喜びだってあっただろう?」
「しかし、分かち合わない喜びは不毛だった」
「喜びを分かち合う対象を持たない航海もまた不毛だったというのか?」
「うーン、そうは云わないよ。でも、分かち合わない喜びや報われない苦しみにどういう意味がある?
人間は、誰かに理解されたいと願う生き物だろ。そして、喜びは誰かと共有することで真の輝きを得るし、感動だって一人じゃ完結しなかったじゃないか。随分ドラマチックな場面にも遭遇したよ。そして、その極まる感興を誰かと共鳴させて、初めて感動として昇華するということも学んだと思う。つまるところ、人は孤独に徹しては生きられないのかもしれない・・・」
「フン、人生に共感に孤独か。今時、少年少女だって洟もひっかけないぜ。ところで、航海の継続がお前の存在理由だったよな。それを捨てて、それでもお前、生きて往けるか・・・?」
その時僕は、北太平洋以来はじめて、函館の穴澗(あなま)の情景を見ていた。そして、シドニーで自害された多田雄幸さんの苦悩が、明瞭な形となって僕の脳裏を過ぎったと思った。
*****
僕は正に背水の陣にいた。精神の極度の圧迫感で胸がきりきりと痛んだ。
リザード島のワトソン・ベイに投錨して二週間目のその夜、二度目の心臓発作が僕を襲った。激烈な発作だった。胸郭を内側から突き破るように痛んだ。息を吐くことができるのに吸うことができず、肺の中が空っぽになった。僕はキャビンのソファから転げ落ち、体を丸めて床の上で悶えた。
そしてそれが、僕の逡巡に止めを刺す出来事となった。
僕はもう、敗北の屈辱を受け止めるしかなかった。そして翌朝、僕はシーガルネットで、航海の中止を宣言した。
全てが終わった。
僕は一人っきりのキャビンで号泣した。間断して一日中子供のように泣き続けても、口惜しさという感情だけが洗い流せなかった。
その時僕は知った。口惜しさとは、人間の最後の希望でありエネルギーであることを。口惜しさという感情があるからこそ人間は絶望の底から再起できるのだ。
苦しみを耐え続ける意味が見出せないことと、耐え続けてきた六年間の意味が対称形に等価だった。その六年間の意味が、いま潰えようとしていた。口惜しさはそこから来ていた。それを受け入れてしまったその時、僕は正真正銘の敗者となるのだ。
畜生!挫折してたまるか!
夜が更けていった。僕は米を研ぎ、飯を炊き、熱いにぎり飯を握った。そして、まんじりともせず夜明けを待った。
漆黒の夜、キャビンの外では半月間も吹き続いた強風が、僅かに衰え出しているようだった。
ご感想をお寄せください。
感想はこちら