■Part―5・East Coast of Australia《その先の海》

[再起。そして・・・]

八月六日朝六時。
僕は、やっと明るくなりはじめたリザード島のワトソン・ベイを、決戦に立ち向かう者の気迫で出帆した。
どの船もまだ目覚めてはいなかった。[Bounty]には随分心配をかけたが、出航したことは後ほど無線で知らせよう。
あれほど荒れ狂っていた海が平穏の素顔に戻りつつあった。そして、たった今出航してきたばかりのリザード島の向こうに朝日が昇った。力強い命の波動が伝わってくる日の出だった。

僕は再起した。
僕は今、航海者として甦った。

口惜しさをバネにして、僕は絶望の淵から起ち上がった。誇らしい想いが歓喜となって僕を満たし、打ち萎れていた僕の体の隅々にまで力が漲っていった。
昨夜目の前に現出したのは、紛れもない僕の人生の岐路だった。そして、やっと間に合った勇気が背を押して、僕を再び挑む者の道へ進ませた。
選ばなかった人生の道筋は今、波打つように曠野の果てに続いて見渡せた。そこを歩む憔悴した自分を想像して、僕は人生のきわどさに戦慄した。
僕は、呪文のように「やっと間に合った」と、安堵の想いで何度も胸の内に繰り返していた。

無線ネットの時間、僕は日本のサポートの方々に再起を報告した。みんな、心から僕の決断を喜び、拍手をおくってくれた。松浦氏は、[禅]がアンカリングするホーン・アイランドの泊地へ移って僕を出迎えるといった。

**

寄港地は、一六〇海里先のナイト・アイランド(Night Is.)。はじめに予定していたフリンダース島を真夜中に航過し、ナイト島には明日午後の到着になるだろう。
天候は快晴。風は南東二十五ノット。真後ろからの風で走りにくいが、先日の大時化のことを思えば快適といわなくてはなるまい。
予測していた通り航路は狭く、いたるところに岩礁があった。せめてもの救いは、この辺りの沿岸は海図が正確なことだ。検索したウエイ・ポイントとそれを繋げたGPS上の航路を正確に辿れば、夜中でも何とかなりそうだった。
ただ、狭い水路がツーウエイになっていて、時折、本船が爆走してくるのには肝を冷やした。航路を外れると岩礁の危険があるから、僕は僅かに脇へ除け、停船して本船をやり過ごすことになった。
真夜中になると、漁船が操業を始めた。その数が驚くほど多い。そして、漁船の常で、網を引いて滅茶苦茶に蛇行する。それが明け方まで続いた。幸か不幸か、漁船のお陰で僕は眠気と戦う暇もなかった。

八月七日午後三時、僕は本船航路を外れてナイト島の泊地へ入って行った。島陰は今夜の操業の準備を整える漁船でいっぱいだった。
僕は明朝未明の出航に備え、本船航路へ出やすい島の北側の外れに投錨した。そして、錨泊位置を観測する傍ら、出航水路の方位もハンドベアリング・コンパスで測定した。
食事を摂ると、僕はまだ明るいうちに寝床についた。一晩眠っていなかったから僕はたちまち眠りに落ちていった。しかし、逸る気持ちが眠りの中を駆け巡り、僕は脈絡のない切れ切れの夢ばかり見て朝を迎えた。

***

八月八日午前五時、海面に仄かな朝霧が流れ、夜明け前の薄明かりの中で本船航路の灯浮標が弱々しい光を放って明滅していた。
もうすぐ新しい一日が始まる。僕は、濃いコーヒーを淹れて芳しい香りを楽しみ、眠気を醒まして出航に備えた。
五時半になると、島の形がはっきりと見えてきた。さあ、気迫を込めて出航だ。
次の寄港地は、ケープ・ヨーク(Cape York)の根元にあたる本土とタートルヘッド・アイランド(Turtle Head Is.)の隙間に入り組んだエスケープ・リヴァー(Escape River)だ。凡そ、一五四海里の航程だから、一泊二日の航海になる。
天候は快晴、南東の風十八ノット。理想的なクルージング日和だ。[禅]はまだ朝日も昇らぬ海に勢いよく飛び出して行った。

九時にディレクション岬(Cape Direction)を、十一時半にウェイマゥス岬(C.Weymouth)を、さらに午後四時にはパイパー・リーフ(Piper Reef)とインセット・リーフ(Inset Reef)の間の狭い水路を抜けた。ナイト島を出航以来、もう六十二海里も走った。いい風を満帆に孕み、折々エンジンの補助を充てているとはいえ順調な走りだ。
これからの薄暮の時間にグレンヴィル岬(C. Grenville)の水路を通る。包み込むように接近するリーフを縫って進みながら、はじめ右へ三十度転舵し、グレンヴィル岬とその鼻先に密集する島々を過ぎて今度は大きく左へ六十五度転舵する。
右へ針路を変えて間もなく、夕空が黄と黒の斑模様に変わっていった。嵐の前兆だ。
六時、辺りが闇に覆われ出した頃、サンダー・ストームが襲来した。前方間近かには小島が密集しているはずだが、前からの五十ノット近い風と突然の豪雨で視界はゼロだった。
逃げ場はなかった。クラーク島を囲むリーフは、最接近時には一〇〇メートルも離れていない。僕は、設定した航路の正確さのみを信じ、そのラムラインを僅かも外れぬように走り続けた。
一時間後、難関は通り過ぎサンダー・ストームも去った。しかし、風は三十ノット以下には衰えず、風向はやや前からの東北東で安定した。
グレンヴィルを過ぎると、フレーザー島以来続いた本土際のリーフ群が終わる。グレートバリアリーフ内の航路は、それらのリーフと本土の間を通ってここまで続いていた。この後は、東に七十海里も遠いグレートバリアリーフ外縁のリーフとその内側の広大な浅海が拡がっているばかりだ。
僕ははじめ、この海域に入ると航路が広々して、安心して航海が続けられると考えていた。
ところが、この地形に加え、折からの東風が災いして物凄く早いテンポで巨大な横波が次々と押し寄せてきた。一つ乗り越えたと思うと、もう次の波が[禅]を持ち上げている。居心地は最悪だったが、それ以上に舵が安定せず直進することができななかった。夜九時頃から翌朝まで、僕はGPSとコンパスを見据え、舵を握る手を片時も離すことができなかった。

****

八月九日。それは僕にとって、正に運命の日となった。
朝六時、[禅]はオーストラリア最北端のケープ・ヨーク(Cape York)に近づいていた。左前方に真っ白い崖が低く連なり、その一部がアラン・ルーカスのガイド誌にある通り、ボーキサイト質の真っ赤な壁になっている。あそこが本土側の切れ目のシャープ・ポイント(Sharp Point)、そして、その右側がタートルヘッド島だ。ここからでは水路は判然としないが、その間のやや低く見える辺りを入るとエスケープ・リヴァーの静かな泊地へ続いているのだろう。
しかし僕は考えた。
まだ今日は始まったばかりではないか。しかも、この先たった四十数海里走り抜けば、ケープ・ヨークを踏破して、この航海の重要な区切り点でもある木曜島(Thursday Is.)に着く。そうすれば、今日中にホーン・アイランド(Horn Is.)の快適なアンカレッジに投錨し、しかも心から達成感を味わえるではないか・・・。
六日以来、かつてないほど充実し弛むことのない気迫がさらに驀進させようと僕をけしかける。しかし僕は躊躇った。
いやいや、急いてはいけない。木曜島はもう目と鼻の先だ。ゆっくり体を休め、それからでも遅くはあるまい。
それに、ケープ・ヨーク周辺の潮流は半端じゃない。時間によっては七ノットになる所もある。十分に潮汐を見定め、航路を再検討する必要もあるだろう。

七時、僕は本船航路を外れて針路をタートルヘッドに向けた。水深はたちまち十メートル台になり、陸地の際のサンドバンクでは二、三メートルになった。最後に二・一メートルになり、これ以上は進めないと思った直後、水深は回復をはじめ八メートルに戻った。
海図にも、アラン・ルーカスのガイド誌にも、エスケープ・リヴァーへの道筋にハザードの記載は全くない。ただ、この辺りまで来ると、海図には所々にInadequately surveyed(不十分な調査)という記載があり、障害物の記載がないことが即安全と理解する訳にはいかない。
セールを降ろし、[禅]は僅かにタートルヘッド側に寄った水路の中央をしずしずと機走で前進した。しかし、上げ潮に押され、実際は相当のスピードが出ていたのかもしれない。
測深計が数秒ごとに水深を告げる。
八(メートル)・・・八・・・八・・・五・・・八・・・。そして突然一メートルを表示し、けたたましくアラームが鳴った。何がなんだか分からなかった。ただ、懸命にクラッチを後進に入れた。
その瞬間、[禅]に破壊的な衝撃が走った。何故か分からないが、恐ろしく大量のガラスが一度に割れるような轟音だった。
僕は、コックピットの後部から弾き飛ばされ、コンパニオンウエィのバルクヘッドに激突していた。空中を飛ばされながら、僕はキャビンの中で粉々に砕けた木片が飛散するのを見て不思議な気がした。何が飛び散っているのだろう?
マストを見た。そして、それを支えるステイを注意深く眺めた。あの衝撃でマストとステイに支障がないなんて幸運だと思った。しかし、キールが海底の岩に激突したのだから、船底には相当の被害があったに違いない。
僕はキャビンに降りて見た。じわじわと浸水が始まっていた。水を感知して自動的に始動するポンプで排出できる量を越えているようだ。
キャビンを仕切り、チャート・テーブルと反対舷のギャレーを繋ぐ背の低いバルクヘッドが中央でへし折れ、ささくれて山形に突き立っていた。さっき見た木片は、このバルクヘッドの固いチーク材が瞬間的かつ衝撃的な力で圧壊したものだったのだ。それを見た時、僕は初めて事の深刻さを実感した。
硬く頑丈なチーク材が、折れるというのではなく、衝撃的な圧力で押しつぶされ、粉砕されて飛び散る力を想像すると、僕の全身を悪寒が走り抜けた。
[禅]が沈む。僕はそう信じて疑わなかった。
コックピットへ出て見た。両岸は砂浜で、その向こうはマングローブの茂み、さらに陸地はジャングルだった。[禅]の衝撃音に驚いたのか、鳥の声もなかった。全くの無音、そして、完全な無人だ。
沈没するにせよ、こんな無人地帯で沈んではどうにもならない。兎に角、人目のある所へ行かなくては!
この辺りで人目がある所といえば、木曜島しか思い浮かばなかった。しかし、タートルヘッドへ入ってきた水路を戻り本船航路を行く余裕はなかった。海図をあたってみると、直線的に北上すると十五海里も近道になる。しかし、それは「不完全な調査」の、しかも洗岩や暗岩の岩礁がいたるところにある浅海を突き進むことになる。行けるだろうか?
もう、選択の余地はなかった。逡巡している間にも[禅]が沈んでしまうかもしれない。ましてや、航行に有利な潮汐を考えている暇はない。若し、激流の逆潮に当たれば、運がなかったと諦めるしかない。

僕は、そろそろと[禅]を後退させた。深みに出ると、丁寧に[禅]を出船に向きを変えた。
さあ、急げ。目を皿のようにして浅い海を見据えた。しかし、この辺りの海水は濁っていて海底が見えない。海面が黒っぽく変色していれば岩礁があると判断し避けて走った。
左舷をアルバニー島(Albany Is.)が過ぎ、荒ぶる海峡として名高いアルバニー・ストレイトが向こう側まで見通された。そして僕は、さらに[禅]を必死に走らせた。
少しでも直線を走れる海域に来ると、ほんの束の間でもキャビンに降りて浸水した水をバケツで汲み出し、そしてまた走った。
途中に、マウント・アドルフス・アイランド(Mount Adolphus Is.)というのがある。安全の確認と、停船して排水作業をするために立ち寄ることにした。しかし、ブラックウッド・ベイ(Blackwood Bay)は二つの山の間を吹き降ろす収斂した風で荒れていた。余計な寄り道だった。もう、真っ直ぐ木曜島を目指すしかない。
アドルフス島を出たのが正午を僅かに過ぎた頃だった。あと二十六海里。何とか明るいうちに着けそうだ。幸いにも潮流は斜めやや後方から来ていた。南へリーウエィするとはいえ、前進を妨げるほどのことはない。
途中、想定した航路の南(左)側六〇〇メートルほどにアルファ・ロックというのがある。アドルフス島から木曜島への航路は、それ以外ほとんど障害物もない直線だ。
僕はオートパイロットに舵を任せてキャビンの排水作業に専念した。暫くして、そろそろアルファ・ロックも近いかと左前方を見た。さっきまでは、はっきりと見えていたロックが見当たらなかった。目を転じると、何と右前方に見えるではないか。コンパス・コース二七九度をリーウエィ修正して二八五度で走っていたのに、2.5海里(4.5km)ほど進むうちに、潮流は0.7海里(1.3km)も南へ[禅]を押し流していた。
何と激しい潮流だろう。もしこれが前方からの潮だったら、手負いの[禅]は木曜島に辿り着けず海の藻屑になっていたかもしれない。
針路を修正してさらに進むと、四つの小島からなる火曜島(Tuesday Islets)があり、さらにそのすぐ隣りに水曜島(Wednesday Is.)がある。ここまで来れば、もう安心だ。目の前には巨大なホーン・アイランドが居座り、その向かい側は木曜島だ。火曜と水曜の島の中間辺り、正に水路のど真ん中に悪名高いスコット・ロック(Scott Rock)がある。水深はたった八十センチというのにロック本体は見えなかった。慎重にさらに進むと、木曜島への航路入口に二基の灯浮標がある。その間を抜けると二海里前方がアンカレッジだ。
木曜島の沿岸は潮が早く、常時強風に吹き曝されている。だから、多くのヨットは対岸のホーン島の岸辺に錨を打つ。僕も迷わずホーンの岸を巡って静かで奥まった辺りにアンカーを落とした。八月九日、午後五時だった。

よくぞここまで無事に来たものだ。不幸にも起きてしまった事故は仕方がない。これからどうするかは別にして、僕は、[禅]を必死に守り通してここまで来たことが誇らしかった。
キャビンには、海水が床上十センチほども浸水していた。これ以上水位が上がるとバッテリーやエンジンに被害が及ぶ。
僕は排水量が大きいマニュアルのビルジ・ポンプを引っ張り出し、排水作業に掛かった。しかし、手動だから手を休めるとたちまち水位が上がってしまう。
このままでは追いつ追われつのいたちごっこだ。何とか、決定的な手を打たなくてはならない。僕は、VHFでコーストガードをコールした。しかし、何度コールしても全く応答がなかった。
暫くすると、VHFを傍受していた周囲のヨットから何人かのヨッティーが来てくれた。カタマラン・ヨットの[Tao]のボブ、そして、[Summer Breeze]のゲーリーたちだった。彼らは[禅]の床板を剥がし、船底に走る醜いクラックや砕けたバルクヘッドの惨状を見て驚きの声をあげた。二人は大急ぎで自艇に戻り、電動ポンプを持って来てくれた。そして、「今夜はこれで何とか凌いでくれ」といった。

ポンプが稼動して、床上から水が引いた。彼らは、エスケープ・リヴァーでの顛末を聞きたがった。やがて、夕食の差し入れを持ってボブの奥さんまでが来てくれた。あんなアクシデントの後だけに、僕はみんなの手に支えられている自分を実感してうれしかった。体の芯まで疲れ果てていたのに、深夜まで僕は心温まる語らいを楽しんだ。
全てを語り終えて分かったことがいくつかあった。
一つは、エスケープ・リヴァーで沈没したとしても、岸が近いから命の危機は感じなかったと僕がいった時、ボブがしみじみといった。
「zen、そいつはダメだ。あそこはソルトウォーター・クロコダイル(海水に棲息する鰐)の巣みたいな所だぜ。お前が水に入ったら、恐らく岸までは生きて辿り着けなかったはずだよ」
ボブは、鰐の捕獲が禁止される以前、クロコダイル・ハンターを生業としていた男だった。
もう一つは、木曜島にはコーストガードがないことだった。なるほど、いくらコールしても応答がなかったはずだ。

夜更けて、僕はドロのように眠った。それでも二時間毎に目覚ましをかけて起き出し、ポンプを稼動させて排水作業を続けた。

翌朝、ボブがアルミのディンギーでやって来た。対岸の木曜島へ行って、[禅]を上架し修理してくれるボートヤードを探そうということだった。
実にありがたかった。ボブならこの辺りの事情に通じていて、どこにボートヤードがあるか、どこのボートヤードなら適切な仕事が出来るかを知っている。僕が造船所を一軒一軒訪ね歩くより、数百倍も話が早い。
最初に訪ねた造船所はオーナーが老齢の日本人だった。百数十年も昔、真珠養殖の事業にたくさんの日本人がこの辺りに入植した。パール・プランテーションには当然船が必要だから、船大工もここに根を張ったのだろう。彼はその末裔だった。
余談になるが、街を見下ろす小高い山の頂には、当時南洋真珠の養殖に携わった日本人の夥しい数の墓が並んでいる。そして、現在パール・プランテーションを営む日本人や定住して木曜島で働いている日系人たちが足繁く墓地を訪れ、先人の霊を手厚く弔っていた。

僕らはさらにいくつものボートヤードを訪ね歩いた。しかし、岸辺が遠浅だから漁船の上架には好都合だが、キールが深いヨットを上架する設備は、この島に皆無であることが確認されただけだった。
僕は、ボブに船具屋へ案内してもらい、大容量の電動ポンプを購入して[禅]に戻った。

ボブやゲーリー、それに周囲のヨットの人々が集まって、[禅]の上架の方法を相談した。いろんなアイディアが出たが、唯一可能性があるものは、ホーン島の船着場にあるクレーンを使って[禅]を上架し、無数に積み上げられている空きコンテナを船体の両側から挟んで修理作業をするというものだった。
ゲーリーは船会社のシースイフト社(Sea Swift Co.)に顔が利くというので、早速交渉に出掛けてくれた。しかし、交渉はあっけなく暗礁に乗り上げてしまった。シースイフト社は荷役作業に関与していなかったのだ。さらに荷役会社の作業員に尋ねてみたが、そういう用途にクレーンを使うことに許可を与える立場の人にまでは辿り着くことはできなかった。

そうこうするうちに、足早に数日が過ぎていった。
僕は、船具屋にあった水中ボンド(粘土状のエポキシ製剤)で船底のクラックを内側から応急補修し、ダーウィン(Port Darwin)へ行って本格的に修理するといった。
 全員から猛烈な反対が出た。ボブは、
「zen、考えてもみろ。ダーウィンまで最低でも一週間の航程だぜ。仮に海況が穏やかだったにせよ、一週間もヨットがローリングし、キールが左右に振り動かされたらどうなる?今でもぶら下がっているのが不思議なほどのキールだぜ。間違いなく脱落して[禅]は沈没する。そんな危険を、俺たちが黙って見過ごすと思うか?」
「でも、このまま電動ポンプで排水しながら居続ける訳にもいくまい。僕としては、少しでも可能性のあるものに賭けて行動してみるほか手がないんだ」
「zenの気持は分かるよ。だがもう少し決断を待て。ダーウィンまで行ける可能性があるかどうか、外側からも見てみようぜ。友人にスコットというダイバーがいる。そいつに頼んで、潜って見てもらおう。ここは鰐が多いから、素人には潜れないんだ」
そういうと、ボブは早速スコットを探しに行った。そして夕方、明朝スコットが潜ってくれると知らせてくれた。
翌日、スコットが来た。
何度かダイビングを繰り返し、やがて彼がコックピットに上がって来た。急き込むように、僕は「どうだった?」とスコットに尋ねた。
「Terrible!(ひどい!)」
スコットは一言そういった。
その後、彼は集まったみんなに船底の状態を細かに説明した。そして、ダーウィンまでの航海に[禅]が耐えられないことを僕に力説した。しかし、それでも僕の気持は今一つ釈然としなかった。
夕方、ボブが僕を呼びに来た。[Tao]へ行ってみるとスコットが来ていた。そして彼は、黙って数枚の写真を差し出した。
それは、彼が[禅]の船底に潜った折に撮ってくれたものだった。そこには、船乗りなら誰だって全身から血の気が引くような戦慄を覚えるものが写っていた。
あア、これはダメだ!
船内から見た船底には、キールの取り付け個所を囲むようにクラックが入り、さらにいろんな方向へも亀裂が走っている。そして今、外側から見た船底にもキール周りに明瞭なクラックがあり、キール後端の船底は一部脱落した個所さえあった。本当に、キールがぶら下がっていることが不思議なほどのダメージだった。
「僕の気まぐれにここまで付き合ってくれて、みんな、本当にありがとう。スコットが撮ってくれた写真で、僕はやっと納得がいったよ。このままではもう前進はありえない。取り敢えずケアンズへでも戻る方法がないか考えることにするよ」
僕はそういってみんなに頭を下げた。
そうしたらゲーリーが、
「zenの残念な気持は分かるよ。でも、ケアンズへヨットを運ぶ方法ならある。シースイフトの貨客船が、週一回、こことケアンズを往復しているんだ。[禅]の船積みはちょっと料金が張ると思うけど、zenがそれでよければ話をしてみようか?」といってくれた。僕は早速ゲーリーにお願いした。

どうしてこんなに親切にしてくれるのだろう。戸惑いという感情以外で向き合うことの出来ないあまりにも無垢で一途な親切。まるで自分の肉親の一大事みたいにみんな一生懸命やってくれた。利害のかけらもないこの親切は、一体何だろう。同じような事態に遭遇し、誰かが困っていたら僕にこれだけのことが出来るだろうか。
つい先日までは[禅]や僕の存在すら知らなかった人たちが、肉親やかけがえのない親友のように僕をありあまるほどの親切で包み込んでくれた。
彼らはみんなヨッティーだから、今頃はもうどこかへ散ってしまったに違いない。だから、あらためて感謝の気持を伝える術もない人たちだけど、僕は、届くことのない「ありがとう」の一言をひそかにここに書きとどめておきたい。

八月九日のアクシデントが僕の人生を変えたことは確かだ。でも、僕はこの顛末に後悔はしていない。
あの時、気が急くに任せ、エスケープ・リヴァーへ立ち寄らず真っ直ぐここへ来ていたらとか、せめて二メートル本土側へ寄って走っていたらとか、他にいくらでもある別のアンカレッジへ行っていたらとか、或いは、もう一日か二日遅くリザード島を出航していたらとか考えたって何の慰めにもなりはしない。
それよりも、リザード島で挫折しかけた僕がそこから立ち直り、さらに航海に挑み続けたことの方が、僕の内にどれほど誇りと勇気と喜びを湧き立たせてくれたことだろう。例え、その結果としてアクシデントに出会い、若しかして不運にも僕が遭難して海の藻屑と化していたとしても、だ。
いずれにせよ僕の航海は中断を余儀なくされた。でも、繰り返すが、僕は後悔はしていない。寧ろ、敗れたとはいえ、全力を尽くして戦い抜いた爽やかさが僕の心を満たしていた。

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