■Part―3・The South Pacific Ocean 《その先の海》


[モーレア(MOOREA)]

六月五日、朝、スミコが、高等弁務官事務所へ、かねてから申請していたヴィザ延長の許可証を受け取りに行き、僕は、出航準備に取り掛かった。

いざ出航となると、どうやっても沖アンカーが揚がらなかった。近所の艇から何人も応援に来てくれて力づくで揚げてみると、何と、隣りの廃船のどでかいチェーンがいっしょに揚がってきた。混雑した港ではよくあることだが、頼もしい仲間たちの助けがなかったら、[禅]の錨は、僕一人では絶対に揚がらなかっただろう。

十一時、パピエテのパスを抜けると、同航する[シーレーブン]が追いかけて来た。針路は、ほぼ真西。後方一〇度ほどの風を受けて、邪魔なメィンセールを畳み、ジェノアをいっぱいに張った。

久し振りのクルーズは、モーレア島(Ile Moorea)のクックス・ベイ(Baie de Cook)まで、僅か十四・五浬のデイ・セーリングだ。気温三十二度、東の風十八ノット。快晴の空に真っ白い貿易風雲が流れ、インクを流したように真っ青な海を[禅]と[シーレーブン]が白波を蹴立てて走った。まるでハイキングのように軽快な気分だ。

出航前、モーレア在泊の[アクアココ]と無線連絡がとれた。旧知の仲間がどっさり錨泊しているといっていた。彼らは、クックス・ベイのパスを入ってすぐ左のラグーンにアンカーリングしているそうだ。見馴れたヨットだから、パスの位置を確認するには格好の目印になる。

午後一時、航程のほぼ中間に差し掛かった。目の前には、映画『南太平洋』で観たようなモーレアの奇怪な山容が迫ってくる。目的地が見えているということは、航海に全く杞憂するものがない。美しく、非の打ちどころがない素敵なセーリング。そして、モーレアは、いろんな航海記に世界一美しい島と書かれていた僕の憧れの島だ。

モーレア北岸のリーフをかすめ、[禅]はパスを目指して走る。目が醒めるように鮮やかな青緑のラグーンには、ホテル・バリハイの水上に張り出した優雅なバンガローがたくさん見える。背景には、山巓(さんてん)に綿帽子のような雲を頂いた垂直に切り立つ岩山が聳え、その麓は、したたるばかりの緑が織り成すジャングルだ。美しい!これこそが、僕が夢見ていた南太平洋のパラダイスだ。

アヴァロア・パス(Passe Avaroa)のブイが見えてきた。しかし、ラグーンにいるはずの[アクアココ]の白い船体が見当たらない。彼らがいっていた場所にいるのは、二艘の緑色のヨットとトリマランが一艘、そして、黒っぽいのが一艘。でも、アヴァロア・パスはここ以外には考えにくい。僕らは、用心深くブイを巡りパスに差し掛かった。

正面の広々としたクックス・ベイは、ジャングルの緑を映し、濃緑の鏡のようだ。その水面を、緋色のハイビスカスの花がいくつもいくつも僕らの方へ流れて来る。まるで、[禅]を歓迎するかのように。それは、昔、航海者を出迎えたという花冠を黒髪に頂いた乙女たちのカヌーの群れを髣髴させた。

ちょっと待てってくれ。話が出来すぎじゃないか?
初め、僕だってそう思った。しかし、何度見直しても、滑らかな水面を落花は次々にやってきて、艶やかに[禅]と僕の心にまとわりつく。これは昂ぶる心が描く幻想なのか、それとも現実なのか・・・その狭間で、僕は激しく揺れていた。やがて、信じがたく甘美な情景が、ふんわりと覆い包むように僕の心を領していった。
「あァ、これはパラダイスだ!」思わず僕はそう呟いた。

後で分かったことだが、この花はハイビスカスではなく、ハウノキ(Hau Tree)といって、ハワイなどでも見られる葵に似た直径十五Bほどの熱帯の花だった。しかし、その花の大きさ、華やかさはハイビスカスに劣ることなく、それらが群れをなして流れ来る中を遡る様は、まるで花嫁の手を携えてヴァージンロードを進むような晴れがましさと、忘れることの出来ない最大級の感動を僕に与えてくれた。

さらに、[アクアココ]は、ちゃんとラグーンにいた。彼らの真っ白い船体は、それ自体が発光するようなラグーンの青緑の反射に染め上げられて鮮やかな緑色のヨットになっていたのだ。その驚きに促されてよく見ると、ヨットの船体だけじゃなく、空中に浮かぶカモメも、低空を飛ぶセスナも低い雲の下辺までもがラグーンの青緑に染まっていた。信じられないような話だが、これらの体験一つとってみても、南太平洋に来て本当によかったと、僕は心の底から思ったものだ。

**

アヴァロア・パスを入ると、クックス・ベイは奥深く南へ続く。静かで、いかにも南太平洋の風趣を湛えた入江だ。

ベイの最奥にはパオパオ・ヴィレッジがあって、左手には、したたるような緑の狭間にクラブ・バリハイやいくつかのリゾートが点在する。ビーチには藁葺き屋根の東屋が佇まい、水際には色鮮やかなカヌーが散見できる。

濃緑の鏡を思わせるベイの中ほどには、四本マストの純白のクルーズ観光帆船[ウインド・ソング]がその優雅な巨体を横たえ、さらにその向うには、二十艘ほどのヨットが静かに錨泊していた。それらは、あたかもそこに描かれた絵画のように微動だにしない。いま僕の眼前に広がるクックス・ベイには、時間がフローズンしたような完璧な静謐があった。
「パーフェクトだ!」僕は、その何一つ欠けるもののない調和に感嘆の声を上げた。

***

挿絵:Cooks Bay, Moorea

クックス・ベイには、数え切れないほど旧知のヨットがいた。[ワミンダ]、[ディプロマティック・リトリート]、[Jazz]、[インディゴ]、[ディストニー]、[セールアウェィ]、[ファーザー]、[シーレーブン]、[プランB]、[ダーウィン・サウンド]、[リリック]、[ホーンパイプ]・・・親しい艇だけでも、全部はとても書き切れない。

[禅]は、ベイの奥やや右寄り、尖塔のある小さな教会の岸近くにアンカーリングした。すぐ前が[リリック]、すぐ後ろが[ディプロ]、左に[ワミンダ]と[シーレーブン]がいる。

夕刻、岸辺から、太い丸太をくり抜いた打楽器の連打が鳴り響いた。クラブ・バリハイのハッピーアワーを告げる合図だ。[プランB]のクリスと[ディストニー]のマットが誘いに来た。僕らは、ディンギーを膨らませ、みんなといっしょに出かけた。

なんの煩いもない長閑なひと時。夕暮れて心地よい微風が頬を撫で、東屋の周囲にいくつもの松明が燃え盛り、水面に火影の反映が揺れる。ローカルのバンドが奏でるタヒチアン・ミュージックが甘美な哀愁となって胸に迫り、パラダイスの黄昏のロマンチズムを加速する。

誰もが仲間だ。ここまで来ると、もう、航海の苦労話をするヤツはいない。それぞれが、自慢の故郷や家族の話、または、これからの人生の夢などを語る。それがどんなに突飛で、自信過剰であろうとも、誰も嘲笑なんかしない。ここは、誰もが、のびのびと夢を語る場所なのだ。

打楽器が打ち鳴らされ、ハッピーアワーが終わりを告げると、クラブ・バリハイではさまざまなタヒチアン文化のデモンストレーションが始まる。

ポアソン・クルーといって、生魚と野菜をライムとココナツのジュースで和えたマリネの作り方。客を歓迎したり、特別な催しの折に被る花冠の作り方。ポリネシアの色鮮やかな一枚の布、女性の常用衣装であるパレオのまとい方と、その多彩なバリエーションなど。特に、各艇の女性たちは、もう厄介なTシャツやパンツなど着用せず手軽で気候にマッチしたパレオを常用していたから、パレオのデモは、特に大賑わいだった。

或る日、[Jazz]のリサが、夕方から、ベイの中央でディンギー・パーティーをやろうといってきた。それぞれが飲み物やスナックを携えてディンギーで集まり、愉快に語らうというそれだけのことだ。奇抜だが、面白いアイディアだった。

はたして盛り上がるのかと危ぶみながら、僕らも日暮れ時、ディンギーでベイの中央へ向かった。ジョンとリサが、アンカーを打ってブイに旗を立て、ランタンを点し、パーティー会場を設営している。その周囲には、すでに二、三艘のディンギーが集まっている。僕らもその輪に入り、お互いのスナックを回し、他愛もない雑談にふける。

すっかり暗くなった頃、気がつくと二十艘ものディンギーが輪を描き、海上のディンギー・パーティーは大いに盛り上がっていた。

リゾートからも、時ならぬ賑わいに誘われてカヌーでやって来る観光客がいる。恐らく彼らは、今度モーレアに来る時はヨットで来ようと心に固く誓ったことだろう。もう底抜けに明るく、誰もが童心に返ってはしゃいでいた。混じっていた子供たちが、呆れて苦笑してしまうほど無邪気に。

夜更けて、ディンギーの数は半分ほどに減っていた。その時、誰かが、「流れているよ」といった。なるほど、パーティー集団は、かつてのベイ中央を離れてパスの方向へ五〇〇メートルほども移動していた。アンカーが、たくさんのディンギーのムァリングに耐えられず抜けてしまったのだろう。しかし、誰一人意にも介さない。そればかりか、パーティーは以前にもまして盛り上がってしまった。

或る日、[ディプロ]のヴァーニーが、明日の夜、メリールーのバースデー・パーティーを催すので来て欲しいといってきた。

さて、気の利いたお店なんかないモーレアで、プレゼントをどうしよう。スミコは、積荷の中から、プレゼントになりそうな物がないかと必死に探している。しかし、これという物はなにもなかった。

僕は、スケッチ・ブックを持ち出して、[ディプロ]の写生にかかった。現役時代の僕はイラストレーターだったから、絵はお手のものだ。船影が描き上がると、僕はさらにクックス・ベイと背景の奇怪な山容を写した。スケッチが出来上がると、僕の得意とするペン画に仕上げ、翌日、明るい陽射しの中で水彩絵の具で彩色した。幸いにも、額縁が一つだけ残っていたので、厚紙のマットを切り、僕はそれを、ちょっとした額装に仕上げた。

パーティーの席上、僕のプレゼントにメリールーもヴァーニーも大喜びしてくれた。正に芸は身を助くだ。恐らく今もあの絵は、[ディプロマティック・リトリート]の豪壮なメインキャビンを飾り、世界中を旅し続けているに違いない。

隣りのパペトアイ・ベイに移っていた[ファーザー]のKenが、日本からお母さんとお姉さんが訪ねて来たのでクックス・ベイへ戻って来た。

お母さんたちは、ラグーン側にあるホテル・バリハイに投宿し、僕らが艇を留守にしている折、みんなで[禅]を訪ねてくれたそうだ。夕方、Kenがお土産のクッキーやお茶、そして、マイルドセブンを一カートン持って来てくれてそう告げた。Kenも、今夜から数日、ホテルに同宿するといっていた。

その夜から、穏やかだったクックス・ベイを強風と雨が襲った。恐らく、[ファーザー]は無人だろう。戸締りやアンカーは大丈夫だろうか。

翌朝、僕らは雨の合間を縫って、ディンギーで[ファーザー]へ行ってみた。案の定、ハッチは開けっ放しで、雨がキャビンに降り込んでいた。ハッチを閉め、デッキを片付け、アンカーラインを点検して帰って来たが、それから何日間も、僕はKenを見ることはなかった。

或る日、ホテル・バリハイでタヒチアン・ダンスのショーがあった。投宿中のKenたちを訪ねたかったし、お土産のお礼もいいたかった。僕らは、[リリック]のタッドとジョイス、それに、[シーレーブン]のジェリーとヴィビアンと共にホテル・バリハイに向かった。しかし、Kenたちは、一足違いでチェックアウトした後だった。多分、帰国のためタヒチへ向かったお母さんたちを、Kenはフェリーで送って行ったのだろう。

僕らは、素晴らしいダンスを堪能して帰って来たが、ついにKenのお母さんたちに会うチャンスを失ってしまった。

そしてまた、その夜から、気象は急を告げた。南緯十六度、西経一七一度にサイクロン[ケリー]があって、南東へ進行中だった。モーレアは、南緯十七度三十分、西経一四九度五十分にあり、通常ならサイクロンの脅威の圏外にある。しかし、パピエテのラジオは、ケリーの進行方向に警戒を喚起していた。

六月十五日、ケリーは熱帯性低気圧に変わったものの、勢力は一向に衰えなかった。そして、真っ直ぐモーレアへ向かって速度を上げていた。計算だと、明日昼前に直撃ということになる。ベイはすでに白波立ち、三十ノットの風に翻弄されていた。美しいベイが、無惨にも灰色の風雨に凌駕されてゆく様は、見ていてとても悲しい思いだった。

全ての艇がスターン・アンカーを打っていた。僕らも、強風の中、予備の二十メートルのチェーンに三十メートルのロープを繋いで、船尾からアンカーを入れた。逆らってもだめだ。ヨッティーは、頭を低くして自然の脅威をやり過ごすしか方法がないのだから。

それにしても、[ファーザー]が気になった。Kenはまだ、艇に戻っていない。出かけて行ってもみたが、為すべきことはなにもなかった。

翌朝、フランス語を理解するセーラーたちが寄り集まり、パピエテのラジオに聞き入っていた。そして、午前九時、サイクロン・ケリーの脅威が完全に消失したことを告げた。上空を駆け抜ける雲の合間から青空が少しだけ顔を覗かせ、クックス・ベイには、ヨッティーたちの安堵のため息が広がった。

驚いたことに、そんな気象の中でも、子供たちのアルバイトは続いた。それは、前日夕方、何とかいう艇のロスという十歳ばかりの男の子と[ダーウィン・サウンド]の女の子が各艇を回って、ヴァゲ(細長いフランスパン)の注文を取りに来る。本数をいっておくと、わざわざ自分でベーカリーまで出掛けなくても、翌朝、子供たちが焼き立てのヴァゲを届けてくれるという仕組みだ。確か、一本につき五セントのマージンを載せて支払ったと記憶している。大人たちが出しぶる嵐の中、ずぶ濡れになりながらも、大きなゾディアックと二十五馬力のエンジンにものをいわせ、毎朝、毎夕、アルバイトに精出す彼らの姿は印象的だった。

Kenの話では、彼がハワイへクルーズした折、アラワイ・ボート・ハーバーで、ロスが同じアルバイトをしていたそうだ。子供ながらクルージングの世界に見事に溶け込み、その中を堂々と渡り歩く逞しい自立心にはほとほと感心させられたものだ。

*****

[アクアココ]がアンカーリングしているラグーンは、シュノーケリングの格好のステージだった。例によって、僕はほとんど潜らず、ディンギーでスミコの後を追う役目だ。

それでも、時には温かなラグーンの水に染まりながら浮かんでいるのは素敵な気分だった。海底には、色とりどりの珊瑚やイソギンチャクに戯れるさまざまな熱帯魚が、一級品の映画やテレビのシーンそのままに絵巻を繰り広げていた。一メートルばかりのシャークも時折様子を伺いに来るが、それさえも親しげで楽しい。

シュノーケリングが終わると、僕らは魚類図鑑を引っ張り出して、海底で共に戯れた魚たちの照会を始める。「これもいた、あれもいた」と、ページを捲りながら海底での夢を追蹤するアフター・シュノーケリングもまた充実したひと時だった。

多くの航海記の著者たちが絶賛するように、モーレア島は世界一素晴らしいアンカレッジだった。十年前、二十年前にここを訪れたセーラーたちは、かつてはこんなに俗化していなかったと嘆くが、それを知らない僕らにしてみれば、これはこれで十分に満足だった。

確かに観光化が進み、豪壮なホテルなどに刹那的な奢侈や現地の人が近づくことも出来ない植民地的な特権意識、そして商業的な生臭さも垣間見た。しかし、原始のままの自然の中で生きられもしない都会の垢にまみれた僕らが、島の暮らしの俗化を口にするのは奢りだろう。観光化が進まないマルケーサスにも、たくさんの新車のトヨタが走り回っていたではないか。現代では、パラダイスにだって限界がある。

そういうスタンスに立ってもなお、モーレアは僕の心のパラダイスだった。そして、もう一度訪れることが出来たなら、どんなに幸せだろうと思った。

先日のサイクロン騒ぎ以来、クックス・ベイに浮世を忘れていたヨッティーたちの間にも、夢から覚めたような気分が芽生え出していた。そして、一艘、また一艘と次のパラダイスを探しに旅立って行った。そろそろ僕らも旅立つ潮時だった。




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