*
ミッションベイ・マリーナからスーパーマーケットへ行くには、伐採を免れた僅かばかりの木が申し訳程度の林を形作っている場所を通る。木々の根方には、いつも焚き火の跡とスーパーマーケットのカートが二十台ほども置いてある。
アメリカでは、客が平気で買い物をカートに積んで家まで押して帰る。だから、街のあちこちに、空のカートが放置されていて、スーパー側では、トラックでカートの回収に回ることになる。
ところが、カートを収集する者が別にもいる。それは、ホームレスと呼ばれる人々だ。彼等は、現金を稼ぐために、アルミ缶を集めて歩く。スーパーのプラスチック・バック(ビニール袋)にアルミ缶を詰め、それをカートに積む。カートがいっぱいになると、その周りにさらにアルミ缶入りのプラスチック・バックを結びつける。カートの周囲は、まるで房飾りのように、アルミ缶入りのプラスチック・バックがぶら下がっている。カートは、ホームレスの欠かせぬ商売道具なのだ。
**
或る日、僕が林の脇を通ると、三人のホームレスが、集めたアルミ缶を踏み潰す作業をしていた。僕がそれを見ていると、中の一人が、「タバコをくれ」といった。
僕は、たった今、マーケットでラッキーストライクを一カートン(十個入り)買ってきたばかりだったから、彼らに一函ずつ上げた。そして、僕も新しい箱を開け、一本くわえて火をつけ、彼らにも火を回してやった。
「あんた、気前がいいんだな」と、口から煙を吐きながら一人がいった。そうしたら別の黒人の男が、
「そうじゃない。この人は親切なんだ」といった。さらに、もう一人は、黙って頷いた。
「何処に住んでる?」と、親切といった男が尋ねた。僕は、そこのマリーナのヨットだと答えた。気前がいいといった男が、
「それじゃあ、金持ちなんだよ」といった。もう一人が、
「うん、親切な金持ちだ」といい、別の一人が笑顔を見せて頷いた。
「チャイニーズか?」と一人がいった。僕が日本人と答えると、気前かいいといった男が、
「ほら、いったとおりだろう。ジャパニーズは金持ちで親切なんだ。オレは、お前さんがそこを通った時、あれは、親切なジャパニーズだって、すぐ分ったんだ」といった。三人目の男が、何度も頷いて賛同を示した。
別れ際、親切といった黒人の男が、
「オレ、ポールっていうんだ」といって手を差し出した。僕は彼の巨大な手を握り、
「zenと呼んでくれ」といった。
***
数日間、林に彼らの姿は見えなかった。そして、さらに数日後、焚き火の脇で、ポールが一人でアルミ缶を踏んでいた。彼の傍には、カートいっぱいのプラスチック・バックがあったから、作業はまだ相当時間が掛かるだろうと見当をつけ、僕はスーパーマーケットヘ向かった。
必要な食品のほかに、僕はカリフォルニア・ロールを2パックとビールを買い加えた。そろそろ夕暮れが真近な時間だった。
案の定、ポールはまだ林にいた。
「ポール、今日は残業かい?」僕がそういうと、彼はびっくりしたように顔を上げた。
「あァ、zenか。明日の朝、リサイクル・ショップへ持って行こうと思ってサ」
「一休みしろよ。そして、ディナーにしてはどうだろう?」僕がそういうと、彼は、
「何か、ご馳走でもあるっていうのかい?」と尋ねた。僕は、カリフォルニア・ロールとビールを差し出した。ポールは、うれしそうに笑顔で頷くと、僕にも焚き火の傍へ寄るように身振りした。
背中は冷えびえしたが、焚き火で顔を火照らせながら、僕らは寿司を頬張った。
「zenは、日本のどこの出身なんだ?」
「生まれは、北の島だけど、育ったのは東京だよ」
「北の島って、北海道か?」とポールがいった。僕はびっくりした。ホームレスだからって侮っていた訳ではないが、ほとんどの西洋人は、東京が日本のどの位置にあるのかさえ知らない。まして、北海道という地域があることを知る者は珍しい。
「そのとおりだ。でも、北海道なんて、どうして知っているんだ?・」
「ベトナム戦争が終わって、オレは、本国へ帰らずに日本へ行ったのさ。そして、札幌で、暫く英語教師をしていたんだ。もう、随分昔のことだから、日本語はほとんど忘れてしまったけどネ」
「そうだったのか!教師をしていたのなら、大学だって出ているんだろう?」
「マサチュセッツ工科大学でマスター・コースを終了した。だから、軍では、電子系諜報の技術将校だった。
初めオレは、日本で専門技術を生かす仕事がしたかったけど、どうしても就労ヴィザが取れなかった。オレの諜報関係の知識が外国へ漏れることを懸念して、軍部が圧力をかけていたんだろう。終いには食い詰めて、安直な英語教師になった訳さ。
しかし、それも永くは続かなかった。所謂ベトナム症候群というやつだ。確かに、ベトナムでは、ひどいこともしてきたし、されてもきた。とても、おぞましくて口には出来ないようなことをネ。ああいうことは、人間の精神を蝕むものだ。精神のキャパシティーなんて、実に底の浅いものでネ。何てこともなくやってきたことや、目の前で戦友が生きたまま切り刻まれたことなどが、英語を教えている教室で、突然、はっきり見えて来るんだ。そんな時のオレが、生徒たちには異様に見えたことだろうよ。何度もクビになって職場を移ったよ。そのうちに、オレは日本の警察に保護され、精神病院へ入れられた。そして、やがて本国へ送り返されたって訳だ。
身内としてただ一人、ミネソタに叔父がいるけど、彼は、オレの身元引き受けを拒否した。いや、恨んじゃいないよ。でも、それではオレは自由になれない。仕方がないから、精神病院を脱走した。職に就けば身元がばれるし、こんな暮らしをしていると、もう普通の生活に戻ろうという気もなくなってしまった。そんな訳で、オレはカートを押して歩いている(『ホームレス』という隠喩)のさ。気楽なものだぜ」
マサチュセッツ工科大学といたら、理系では世界でもトップの名門だ。しかも、マスター(修士)コースまで出て、アメリカ軍の電子系の最先端技術を指揮していた人が、何でアルミ缶を踏み潰していなくてはならないのだろう。僕は、ポールの不運を思うと、とても悲しい気分になった。
僕らは、暫く札幌の話などをした。すっかり夜も更けて、随分寒くなってきた頃、ポールは、恐縮した様子でいった。
「zen、すまない。もうじき客が来るんだ」
「OK,また会おうぜ。客は素敵なレディーかい?」
「いや、違う。戦友たちだ。毎晩、大勢でやって来るんだ。そして、夜明け近くまで、ベトナムの悲運を語り合ったり、唄ったりするんだ。もう、何人かが木立の向こうに来て、オレたちを眺めているようだ」
ポールは、そういいながらも、喉の奥でうめくように唄っていた。それは、アフリカ原始宗教のブードゥーのように単調で、ネグロ・スピリチュアルのような宿命めいた悲哀を漂わせていた。彼はもう、少し前までのポールではなかった。焚き火の反映が、彼の表情を幽鬼のように見せていた。僕は、最後に、
「ベトナムから、戦友はたくさん帰って来たのかい?」と尋ねた。
「イーヤ、みーんな死んだ・・・」
あァ、何てことだ。もう二十年以上も経て、ここにもまたベトナムの悲惨があった。ポールが夜毎繰りひろげる幻の儀式は、奇怪というよりは、僕にとっては、むしろ堪らなく悲しいものに思えた。
「みんなによろしく伝えてくれ」そういって、僕は、焚き火が燃え盛る林を後にした。
[完]
2001年12月著作