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ご無沙汰しております。
Mooloolabaのマリーナにじっとしていると、日々お知らせするようなことは何もなく、つい筆無精になります。
東日本はなかなか夏の名残が終わらぬらしく、西の方は台風やら雨の被害があったりで今年もまた異常な年のようですね。
オーストラリア、特にクイーンズランド州も同様です。乾期の冬に洪水注意報が出たり、何日も嵐が続いたり(これは、この地方として珍しくないらしい)。5月から8月頃までは、オーストラリアで一番いい季節と聞いていたのに、すっかり当てがはずれました。
気象の異常はどうも地球規模のようです。もっとも、異常気象と判断する基準が、気象学が一般化した100年にも満たない期間に照らしてのことです。地球の活動にしてみれば、100年なんて一瞬でしかありません。
つまり、地球物理学を背景に観察結果で補足した理論が、近年多少食い違いが多いというだけのことだとすれば、その食い違いにあたふたする人間の姿こそ滑稽というものです。官製の情報で支えられている(あるいは当てにしている)我々の生活の脆さが見えてきます。
先日、こちらで何かとお世話になっているDavies家の長女キャシィ(Kathy)の21歳の誕生日のパーティにシーマのタク(松浦氏)と共に招かれて行ってきました。
こちらは誕生パーティといっても、BBQが普通で、多くは食材から飲み物まで自前というケースが多く、いつの間にか始まり誰のパーティとも定かでなくワイワイ騒いで……いつの間にか終わります。
ところが21歳のバースデイばかりは著しく様子が違いました。キャシィのボーイフレンド数人、特に親しい近所の人達の他に、両親の親(キャシィの祖父母)が遠路来ています。
飾り付けもしっかり気を入れて室内から外周りまで飾っています。それにこの日はBBQではなく、本職のコックが来て、料理から食器まで全てをプロに任せているのです。
一番驚いたのは本人、そして両親のスピーチがあったことです。いつもなら声の大きい奴、一番騒々しい奴が主役になってしまい誰の誕生日か不明なんてことがよくあるのに、今日ばかりは間違いようもありません。スピーチだって、冗談を折り混ぜてなんてものではなく、「へえー、オージーもマジになることあるんだ」というスタイルです。キャシィ本人も神妙で、少々目を潤ませるばかりに感動しています。
たかだか21歳なんて半端な誕生日に、なぜこれ程までにと訝って私はキャシィの母親のウェンディ(Wendy)に尋ねました。
「21歳の誕生日は何か特別な意味があるの?」
「日本には成人式があるでしょ。でもオーストラリアでは、それぞれの21歳の誕生日がそれなの。21歳になると、家庭でも社会でも完全にアダルトと公認するの。その証拠として、両親は鍵をプレゼントする伝統があるのよ。大人の世界への鍵という訳。別に夜遊びして何時に帰宅しても不自由しないためじゃなくてね。オーストラリアでは21歳の誕生日は人生の大きなセレブレーションの1つなのよ。」
とのことでした。
面白かったのは、ボーイフレンドが6、7名来ていて、その序列がはっきりしていることです。本命は常にキャシィに付き添い、スピーチの時も傍らに控えているし、大抵は互いに手を体にまわしています。
その他のボーイフレンドは、それぞれの好意をキャシィへ向け正直に表します。日本なら恋人がいる女性には、全く関心がないように振る舞うのが普通で、恋人本人がいればなおさらです。
これを見て思ったのは、万が一本命が無礼な素振りを見せたり十分気配りしなかったら、いつでも序列は入れ替わるということです。本命とて気を抜いてはいられません。
西洋の男性が女性に示す実に細やかな気配りの原点は、どうもこんなところにあるようです。
ちなみにウェンディとそのご主人のジェフ(Geoff)は、私たち同様セーラーで、10年以上も前にヨットで日本を訪れたことがあります。各地で受けた心暖まるホスピタリティに感動し、熱烈な日本びいきで、ウェンディは大学で日本語を学んでいます。
タクや私に示すホスピタリティも日本で体験したそれのお返しなのでしょう。自分に翻って考え、日本へ帰って外国から来たセーラーに、これだけの緻密な気配りを私ができるだろうか、と心配になります。ホスピタリティを体験したものは自分に可能な限り、それをしなくてはなりません。その輪が人と人、国と国を繋いでゆくのですから。
一昨日、9月27日、撤去した風力発電機の代わりとして、ソーラーパネルの取り付けを完了しました。総工事日数何と4ヵ月弱。たかがソーラーパネルに4ヵ月なんて信じられますか?
6月の初め、船尾のパルピット(手すり)に溶接する形でステンレスのラック(櫓)を業者にオーダーしました。見積りを取るため、私の作った設計図だけでなく現場を見る必要があります。業者が実際に見に来たのが、それを要請して10日は経っていました。そしてラックが完成し、スターンパルピットに鎮座したのがスタートから1ヵ月半は過ぎていたと思います。
ラックを確認した上で、寸法等をチェックし、ソーラーパネル本体の発注です。私を担当している電気系の会社のセールスがいうには、2、3日でブリズベンから届くということでした。まあ来週前半には...と思っているうちにその週が終わりました。さらに翌週、以下にオージータイムとはいえ、といきまいて電話しました。
「禅なんだけど、ロジャーはいるかい?ソーラーパネルがまだ届かないんだ。」
そうしたら、会社の男は
「パネルはとうに来てるよ。ロジャーがシドニーまでクルージングに行っているものだから、届ける奴がいないんだ。」
えっ、2週間クルーズに出るなんて、彼は一言も言わなかったぞ。ンなこと、はじめから分かってることだろうが――、と独りでボヤいて更に1週間も待ちました。
2週間をとうに過ぎ、やっとパネルが届きました。ラックに合わせ、どう据え付けるかの検討です。いろんなヨットの事例を見て回り、独自のものを考え出しました。
ソーラーパネルは太陽光が直角に当たらないと全力を発揮しません。ラックはステンレスとはいえ、2メートルの高さに、相当の重量のソーラーパネルを支えます。しかも太陽光に向け、角度を変えられるような金具でしっかりと取り付けなければなりません。
精密な製図を仕上げ、ラックを制作した業者に発注しました。日曜日の午後だったと思います。もうこちらも慣れたもの。まあ早くて今週いっぱい、順調にいって来週早々と踏んでいました。そして来週いっぱい、つまり3日間の約束に13日間待った訳です。更に翌週の月曜日、私は電話をしました。
「3日でできるといったのに、もう2週間が過ぎた。俺はもう待てない!」
と叫んだのです。そうすると、何と
「Why not?(なぜ待てないんだ?)」
と返ってきました。あァ、オージータイム!私は、彼らのこうしたルーズさに慣れたと思っていたのが甘かったと思い知らされました。
それでもいろいろ文句をいった甲斐あって、翌々日の朝に金具が届きました。早速取付け作業です。ラックにパネルを据え付けるのに1日、船内の床板を剥がし、ロッカーの中に潜り、バッテリーまで配線するのに1日を要しました。
さて、通電してみると、バッテリーへ電気が来ません。チェックしてみると、過剰な電気をシャットアウトするレギュレーターが故障している様子。これを新しいのに交換してもらうのに5日を要し、一昨日めでたく完了。やれやれ、です。
これを読んで誰もが思うであろうことは、並行作業をすればもっと時間が詰められるということでしょう。私も何度もそれを考えましたが、どう考えてもそれは日本的発想です。できてみなけりゃ分からない要素ばかりのオージー仕事は、ひとつひとつ出来上がりを確認しつつオージータイムに耐えつつ、一歩一歩やるしかないということです。
前にもお知らせしたかもしれませんが、紅海の航海案内、すなわちパイロット(水先案内)の日本語のノート作りも大仕事の一つです。以前、100ページ程のパイロット誌を訳したのですが、取材は1991年と古く、湾岸戦争の前と後では状況が極度に変化していることが分かって、改めて300ページの"Red Sea Pilot"という本の翻訳に取りかかった訳です。
前の本に比べ記事は確かに変わっていました。以前ですと命の保証も定かではないといったところでも、街を散歩したり、買い物に出かけたり、少なくとも旅を楽しむことができるようになってきつつあります。勿論、今でも絶対に足を踏み入れられない危険地域はありますし、中東は紛争の火種みたいなもので、いつ戦争が起こるかもしれないという緊張は変わりません。
今ノート作りがサウジアラビアにさしかかっています。300ページ中、3ヵ月以上かかってやっと128ページまできました。一日のうちノート作りに費やす時間は6時間から多い時なら10時間です。英語の教科書と辞書とノート。何のことはない、英語の試験勉強か宿題をやっているようなものです。こんなことをこの年になってやるのではなく、何で学生時代にやらなかったのでしょう。今は自分の命がかかっているから夢中でやっているものの、学生時代にこれだけの時間、毎日英語に取り組んでいたら、ノート作りなどする必要もなかったことでしょう。後悔先に立たずですね。それでも(この年でも)毎日これだけやると英語環境にいることもあって、会話がとても進歩します。考えようによってはこの上なく素晴しい英語習得の環境にいることになります。
英語など語学というものは、一度身につけてしまうと実に大変な財産です。このホームページを読んでいる若いあなたに忠告します。若いうちに苦労しておきなさい。後々絶対に役に立つし、苦労が倍になって返ってきますよ。
紅海のパイロットからおかしな方向へ来ました。紅海が少しは穏やかになったと思ったらインドネシアです。オーストラリアはダーウィンを出ると向かうのはインドネシアの可能性が高いのです。それからマレーシア、スリランカ、インド南端、オマーン、そしてアデン(Aden)。これでは、コースがまた変わるかもしれませんね。
今ウィンドラスとアンカーチェーン、それを収納するチェーンロッカーのことで思索中です。進展したら、また顛末をお知らせします。お元気で。
禅ホームページ 読者の皆様へ
西久保 重信
Zen
1999年9月29日
オーストラリアにて