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9月17日(日)/曇・時々雨/東の風25Kn/26℃

まことに残念なことですが、私の力及ばず、遂に航海を断念することになりました。ご報告、並びに、今日までの厚いご支援に感謝を申し述べたく、これを記します。

かねてより、僅かながら体力の衰えを覚えていました。それが積もるにつれ、次第に、航海に不可欠な精神力の充足が得られなくなってきました。とはいえ、残り火を掻き立てるように最後の気力を振り絞り、航路として恐らくは世界で最も難関であるグレート・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)1600海里(2880km)を踏破し(その間、何度も深刻な逡巡を繰り返し、それでも何とか再起し続けました)、オーストラリア最北端の木曜島に達しました。

そのほんの僅か手前、たった30海里手前の入江に休息をとろうと試みたばかりに、海図にも載っていない岩礁にキールを激突させ、あわや沈没という事故を起こしたことは、既にお知らせした通りです。思えば、あの衝撃こそは、私の航海を断ち切る巨大な斧の一撃でした。

木曜島では、足を棒にしてヨットが修理出来るヤードを探し回りました。しかし、遂に、修理はおろか、陸上に引き上げる設備さえ発見出来ず、親切なヨッティ達の世話で、航行不能の【禅】をカーゴシップに積み、ケアンズ(Cairns)へ戻ることになったのです。

加えて、オーストラリア東岸を北上するこの航海を始めてより、航行中、何度か心臓発作が起きました。体力的減退とそれによる不安は被うべくもありません。

慌しく艇の修理を進める間、私にはまだ、航海途上の精神力が残っていて、早く修理を終えて木曜島へ戻り、何とか九月中にはダーウィンに辿り着きたいと意気込んでいました。大方の修理を終え、【禅】を水面に降ろしてからも、次なる航路のためのウエイポイントの検索やGPS上の航路設定、燃料や食料の買い込みなどを精力的に進めました。しかし、そうした作業を進めながらも、「本気で行けると思っているのか?」という、内なる疑問が次第に膨れ上がるのをとどめることは出来ませんでした。

「航海を止めてどうする。航海こそが俺の存在理由ではなかったか。航海を切り捨てた俺は一体何者なのだろう。人生を豊かにするために始めたこととはいえ、俺の中で、航海は微かに俺自身の人生への挑戦ではなかったか。それを断念することは、人生の敗北ではないのか。それに、私の航海に、ある種の夢と期待をかけて下さる人々がいる。その夢と期待を裏切れるのか。『自分の人生、自分の航海。他の目をすることないよ』といってくれる人もいるが、しかし、男の性としては期待と夢に応えたい。そして、世界一周を果たし、堂々と、晴れて凱旋したい・・・・・。」結論の出ようもない思案の堂々巡りが続きました。

或る日、エンジンの修理に【禅】を訪れたエンジニアが、寝ている私の様子を見て、彼の車で病院へ連れて行ってくれました。

「心臓が弱っている。機構的に顕著な問題はなさそうだから、薬を服んで、二日間絶対安静にすること。それから、航海はもう止めること。度々の発作は、航海のストレスが原因だ。航海を止めれば、恐らく発作は起きないだろう」といいます。冗談じゃありません。たかだか発作ぐらいでこの大切な航海が止められるか! そんな思いがあったのでしょう。「精神力が戻れば航海に何の支障もない。それに、死ぬ気でやれば出来ないことはない」と、私がいいました。医師は怒り出しました。「あなたは、この国にとって外国人なんだ。他所の国へ来て、予見できる無謀を許す訳にはいかない。それに、気力の充実した人が死ぬ気でやれば、確かに何事もクリアするだろう。しかし、今のあなたが死ぬ気でやれば、ただ、死ぬだけだ」

止めろといわれると、何が何でもやり遂げたいと願うヘソ曲がりの性分が、いろいろ反論したかったのですが、内面の問題を議論するほどの英語力もなし、それに、この際、医師のいうことは正論です。そのまま帰艇し、三日間安静を保ちました。その間、考えに考えを重ね、遂に断念を決意した次第です。

断腸の思いとはこのことです。口惜しさが尽きません。挫折、敗北、期待への裏切り・・・・・。そして、クリスマス・シーズンのプーケットも、カイロ博物館も、サイプラス(キプロス)・トルコ・ギリシャ・クレタ島などヨーロッパ文化の源を為すギリシャ神話ゆかりの地も、イタリア・フランスの地中海文明の奢侈も、プロバンスのグルメも、航海オフシーズンのヨーロッパ内陸旅行も、アルジェ・チュニジア・モロッコなど北アフリカの雑駁な旧植民地文化も・・・・それらをご報告することも夢に終わりました。本当に残念です。

しかし、今は、状況を率直に受け止め、いさぎよく航海から身を引くことを模索しています。仮にそれを敗北というなら、敗北にもそれなりの美学があると思うのです。

以上が、断念に至った経緯のご報告です。加えて、航海中、どんなにか支えになったか知れない皆様のご支援に感謝すると共に、ご期待に応えられなかった私の非力を深くお詫び致します。

zen/西久保 隆


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