ホーム
Home

6月16日(土)/曇、雨・23℃・不明/Cool & Wet

Sunset at Bora-Bora

 今、私は、日本に居ります。

 14日朝、オーストラリアのブリスベンをカンタス(JAL共同運航便)で出発し、夕方、5時に成田に到着しました。成田は、あいにくの雨です。しかも、気温が低く、日本の第一歩としては、ちょっと残念なお天気でした。

 引越し荷物が着く九月初めまでを暮らすための大荷物、バッグ3個を、まるで引き摺るようにして空港を右往左往しました。というのは、引越し荷物という別送品がある場合、税関の申告や免税処置の事前手続きが必要で、運輸関係の代理店などにも書類やパスポートのコピーを提出したりしなくてはなりません。これを怠ると、後日、荷物が到着した時、引越し荷物であることの証明や、免税申告などの厄介な手続きを全て自分でやらなくてはなりません。

 やっと煩雑な事務処理を終え、成田EXで大船へ向かいました。2時間もの時間を要するちょっとした旅行です。その間、乗客を観察したり、街を眺めたり・・・でも、雨の夜、東京の景色はさっぱり分りません。横浜では乗客の大半が下車しました。そして、やがて大船です。

 これからが大荷物を抱えての大奮闘になりました。空港ではキャリアーに荷物を積んでいましたから、大変といっても、まだ多少の余裕があったのですが、大船では、全ての荷物を両手と肩に負って運ばなくてはなりません。しかも長い階段の上り下り、そして、タクシー乗り場までは雨の中の長途です。

 やっとタクシー乗り場に辿り着きました。運転手はとてもいい人で、トランクへの荷物の積み込みを手伝ってくれました。私はもう息も絶えだえで、まるで水から上がった魚みたいに喘いでいたようです。「こんな大荷物、どうされたんですか?」という運転手の言葉に、今朝、ブリスベンを出発して、今、大船に着いた経緯を話しました。彼は、2年前、ブリスベンへ旅行したことがあるそうで話が弾み、私は、何だかほっとして気持を寛がせることが出来ました。

 藤沢グランドホテル・・・この街ではいちばんしっかりしたホテルだそうです。でも、国際的にいえば三流ホテルです。しかし、値段は一泊10,400円。国際的にいって、都市ホテルとしては一流の価格です。まあ、仕方がありません。これが日本なのだと納得することにしました。外国の場合、レセプションで空き部屋があるかどうか確かめ、値段を尋ね、了解できる価格ならその部屋を見せてくれというのが一般的です。部屋を見て、価格と見合わないと思えば、交渉事が始まります。しかし、日本のホテルでは、そういうシステムはありませんし、部屋の良し悪しや、値段の交渉でも始めようものなら、他のホテルへどうぞ、ということになってしまうかも知れません。

 部屋に落ち着くと、まず夕食の手配です。しかし、到着が9時に近く、レストランのラストオーダーが9時、さらに、ルームサービスのシステムがないということで、とにかくレストランへ直行しました。途中、息子の靖や大道へ到着を知らせる電話をしていましたので、ここの隣町である鎌倉に住む大道は、やがて訪ねてくるはずです。

 大道が来て、ささやかな土産を渡したり、永い歳月のつもる話をしたくても、ロビーのソファでは、いかにも空々しい限りです。そうしたら、レセプションのマネジャーが、お部屋へ上がっていただいてもいいですよ、といってくれました。あ、とてもフレンドリーで、なかなか親切なんだなァ・・・。

 結局午前2時まで、10年間ほどの空白を埋める対話が続きました。

 この大道という息子は、どうやら私と同様、社会的な規範に収まらない人間のようで、普通の会社勤めや、社会的な(表面的な)人間関係がやっていけないようです。従って、高校を途中で飛び出し、職人の道を選びました。そして今、筋骨隆々たる少々強面の逞しい若者に成長していました。しかも、音信が絶えている間に、結婚し、今年は子供が産まれたのです。私の6番目の孫です。

 14日の夜は、大道のワイフや赤ん坊の「光冴(こうが)」には会えませんでしたが、明日17日、久し振りの墓参の折には、晴れて対面することになっています。とても楽しみです。

 さて、昨15日は、20数年来の友達であり、或る意味で常に私の心の支えであり、拠りどころであった陽子のヘルプで、家探しが始まりました。彼女は、仕事を休んで、このせっかちな私のニーズを助けてくれました。

 朝10時から、夕方まで、私たちは何軒もの不動産屋を訪ね、何軒ものアパートや借家を見て廻りました。主に、藤沢・辻堂界隈です。2DKですと、大体6万円が家賃の下限のようです。

 昼過ぎに見た一軒家は、古い家でしたが、内装はリホーム済みできれいでした。和室と洋室が廊下をはさんで分かれている間取りが気に入って、九分九厘、これに決めようと思いました。ところが、この家は、年金生活の独居老人には貸さないかも知れないといいます。

 それでは、安全弁として、次なる候補を決めなくてはなりません。それで、もう一軒、アパートを見せてもらいました。間取りは特徴のない2DKですが、城址公園という途轍もなく広い、しかも充実した公園に非常に近く(この公園は、桜の名所としても有名)、アパートも小奇麗で、設備も整っていました。環境、利便性、設備等々の総合点でいえば、問題なくこのアパートが今まで見たものの中の最高得点です。

 このアパートを管理している会社の社長さんという人が、たまたまその場に来合わせていました。私が、不動産屋さんの伊澤さんに自分のデテェィルなどを話していたら、その社長さんが、急に、

「お話を聞いていて、あなたが誠実な方だと分りました。年齢や他のことはいっさい関係ありません。私がOKします」と、定住所も持たない私にいってくれました。もう、ついさっき見た一軒家は過去のものになりました。条件がどうこうじゃなくて、私を理解してくれようという人に出会えた喜びです。つい一昨日までは、はたして日本でいい人間関係が構築出来るだろうかという不安に苛まれていた私でしたから、こういうツーといえばカーという心のキャッチボールは、そうした不安をいっぺんに吹き飛ばしてくれるファクターがあったのです。

 これ以上、あちこち見て歩く必要は、もうありません。陽子と、念願の日本料理の夕食を共にし、今日一日のヘルプに感謝を示しました。この地域に詳しい陽子が居なかったら、こうも簡単に(たった一日で)、心から納得出来る住まいを見つけることなんて、とても出来なかったに違いありません。

 そして、今日は、朝から必要書類の作成、それをFAXで不動産会社の伊澤さんへ送ったり、契約日や入居日、契約時に準備するお金の額などの相談に費やしています。入居は、多分6月20日、用意するお金はおよそ35万円、保証人の印鑑証明等は、月曜日に手交することなどが決まりました。物凄いスピードです。これもみな、陽子や不動産屋さんの伊澤さん、管理会社の社長さんなどの厚意あるご協力の賜物です。何だか、急に、やっぱり日本っていい国だなァー、と思えるようになりました。

6月17日(日)/曇、晴・26℃/Almost fine

 今日は、一年半振りのお墓参り。しかも、14日夜、やっと十数年振りに再会を果たしたばかりの息子と、初対面の嫁の幸枝さん、生後2ヶ月の光冴くんも墓参に来てくれる日です。加えて、昨日、ポーランドの旅行から帰ったばかりの妹の雅子も合流してくれることになりました。

 日曜日の早朝、鎌倉では、多分お花も買えないと思い、私は、昨夜、投宿先の藤沢で花とお線香を買っておきました。花は、アネモネやラベンダー、トルコ桔梗など、紫色の濃淡で整えました。

 朝9時、ホテルのレセプションでタクシーを呼んでもらい、鎌倉へ向かいました。鎌倉は、古い街で、道幅も狭く、これといって様変わりしている所はありません。何だか、昔にタイムスリップしたような、懐かしい感覚です。紫陽花の盛りのせいか、まだ朝が早いというのに、鎌倉の街は、もう観光客で賑わっていました。

 お墓のある報国寺では、日曜座禅会の最中のようでした。別世界のように、境内がシーンと静まり返り、ここで十年以上も座禅修行を続けた昔が懐かしく思い出されます。「禅」という艇名も、この修行に端を発しています。今は亡き菅原義道老師の薫陶を頂き、私は、この報国寺で「寒隆」という居士号を頂戴しました。

 最初に、義道老師のお墓に詣で、続いて、お墓への急坂を喘ぐように登り、先ずはお掃除です。桶に水を満たし、それを運んでは、苔むした墓石を丹念に洗い、落ち葉をひとつひとつ拾います。そうしながらも、両親と、私がトンガのババウを航行中に他界した弟に、航海の完了したことを報告していました。

 やがて、妹の雅子が到着しました。しかし、息子の家族はまだ来ません。何か、特別の事情が生じたのかも知れないと察し、二人だけで読経を始めました。教典は、般若心経一巻、そして回向文を唱え終え、暫し瞑目した頃、やっと息子達がやって来ました。

 両親の墓前で、息子の大道の嫁幸枝さんと、彼等の長男光冴くんとの初対面を果たしました。幸枝さんは、私との対面を、とても楽しみにしてくれていたそうです。というのは、大道が私のことを語る時、その目が楽しげに、そして誇らしげにキラキラ光るからなのだそうです。私としては、とても嬉しいことです。

 光冴くんは、大道の赤ん坊の時にそっくり生き写しで、かつて鎌倉で繰り広げられた私の最も充実した時代を彷彿とさせてくれます。永い航海を一旦終えて故国に帰り、永らく連絡もとれなかった息子と再会し、しかも、その息子は幸せな家庭を築いていた訳です。そうした幸せを目の当たりにし、彼等の喜びを共有できる立場の私を客観的に見れば、正にそれは、幸福を絵に描いたような情景です。

 久し振りの親子水入らずのひと時を楽しむようにと、妹はじきに帰路につきました。私と息子ファミリーはお寺に近いイタリアンレストランで昼食をとり、その後、彼等のスイートホームへ向かいました。小さな家ですが、よく掃除が行き届き、とても快適そうな家です。主婦の細やかな感性が窺えます。

 つもる話をというのでもなく、まるでつい先日、互いの消息を確かめ合った者同士のように、和やかな対話が続きます。これも、親子のしっかりした信頼関係によるものであり、また、いい人間関係を心から願う幸枝さんの優しさに根ざすものです。光冴くんは、外出の疲れでよく眠っています。その様子は、まるで天使のように汚れなく、この家庭の平和を象徴しているようでした。

 4時までの数時間が、瞬く間に過ぎてしまいました。大道に駅まで送ってもらい、私は川崎へ向かいました。5時からは、私の航海をサポートして下さった方々、斎藤真美さん、増田浩さん、高橋努さん、岸郁夫さんらが集まって下さり、私の歓迎会を用意してくれています。

 川崎駅でみんなに会い、斎藤さんの家へ向かいました。はじめはどこかのお店で会食の予定でしたが、ゆっくりと話をするには家の方が静かで良いということになり、斎藤さんにご面倒をかけることになったのです。

 軽い会食を考えていたのに、斎藤さんは、たいへんなご馳走を用意してくださっていました。斎藤さんは、海洋生物の学者であり、お魚の専門家です。ですから、通常、我々があまり口にしないような珍しい料理がどっさり揃っています。美味しい料理は、快活で和やかな会話を促します。そして、ここでも、航海やその中断の経緯を報告するということではなく、ごく平易な話題に楽しい時が過ぎて行きました。

 加えて、コンピュータ音痴の私のために、オーストラリアから日本への設定変更、さらに、いちばん合理的な電話回線の接続を考えてくれました。増田さんは、東芝にお勤めの方で、アメリカのコロラドに住む山崎さん(この方もサポートグループのお一人)と共同で、去年1月、このコンピュータ(東芝サテライト2100)を私にプレゼントして下さった方です。そして、今度は、今まで使用していた携帯電話を名義変更して私に下さるそうです。その携帯電話はインターネットにも接続出来るので、あらためて電話を架設する必要がなくなります。新規の架設には、権利取得に7万円を要するということですから、本当に大助かりです。

 岸さんが、お母さんの健康が優れないということで、8時に帰宅することになりました。斎藤さんのご主人が出張中という状況下、夜更けて、あまり長居は失礼と考え、みんなでおいとますることになりました。ご馳走がどっさり残っていて、強く後ろ髪を引かれましたが、またの機会にということで、私たちは8時半、揃って川崎駅へ向かいました。

 友達っていいなァー、そして、危惧していたけど、やっぱり日本っていいなァー・・・今日一日を振り返って、そんな感想を頂いて藤沢へ帰って来ました

******

 実は、このレターは、17日には書き切れず、今は18日、午後3時です。昨日に続いて、今日もいい天気です。

 今日、住居の賃借契約保証人として、大道の印鑑証明をもらうことになっていました。ところが、印鑑登録に本人が出頭しない場合、いろいろと厄介な手続きが必要ということで、今日はそれが不可能になりました。

 不動産屋さんに午後伺う約束だったので、慌てて連絡をとったところ、印鑑証明は後日でもかまいませんよ、とのことでした。しかし、契約金の大金を何日間も持ち歩くのも嫌なので早速藤沢本町の不動産屋さんへ行くことにしました。社長の長岡さんは、去る15日、私の入居OKを即答された方で、とても親切な人です。契約事務を進める傍ら、何時入居されますか?という長岡社長の問いに、ホテルのリザーブが今日で切れる経緯をお話しました。そうすると、ガスの開栓や畳み替えの予定などを確認して下さり、明日(19日)入居しても構いませんよ、とおっしゃいました。私は、ホテルを移って、もう一日待たなければならないと思っていましたから、本当に大助かりです。

 そういう訳で、14日の深夜帰国し、19日午後にはもう新居に収まることになりました。期待していた以上に迅速な進展です。これもまた、人々の厚意によるものです。厚意に甘えっ放しではいけませんが、そういう温かな心の交流が得られるのもまた日本ならではなのです。今、私は、日本に、そして日本人の心の豊さに感謝し、やっぱり日本っていいなァーと感じております。

6月20日(水)/曇、時々雨・26℃/Humid weather

 昨日は、大変な一日でした。

 朝、ホテルをチェックアウトすると、すぐ鎌倉へ急ぎ、鎌倉市役所で息子の大道の印鑑証明を取ってもらい、その序でに、私の戸籍附票と戸籍謄本を取りました。これは、日本のいかなる場所からも住民票を抜いてしまっている私が、その復活のために、新たな居住地の役所へ提出しなくてはならないものです。それらを手にすると私は藤沢へ急ぎました。JR藤沢駅で小田急線に乗り換え、藤沢本町へ向かい、例の不動産屋さんへ印鑑証明を届けに行きました。

 それから、再びホテルへ戻り、預かってもらっているバッグからパスポート等を引っ張り出し、ホテルに近い藤沢市役所へ住民登録に向かいました。

 丁度、お昼時にぶつかってしまい、長時間待たされましたが、職員の対応は、ここでもとても親切で感じのいいものでした。私の後ろに並んでいる人たちには申し訳なかったのですが、特殊な手続きのため、その所要時間はかなりのものになりましたが、国民健康保険の加入も含め、午後2時には全ての手続きが終わっていました。

 ホテルへ戻り、美味しいコーヒーで一服し、その後、タクシーを呼んでもらって、ここ、藤沢市大庭の新居へ引越しです。何と、14日深夜に日本に到着して以降、たった5日目で、私の日本居住の一切が完了した訳です。驚異的なスピードです。

 新居に入ると、既に、ガスの開栓のため東京ガスの職員が見えたというメモがありました。一時半頃には到着していると云ったために、無駄足を運ばせていた訳です。すぐ電話をして、遅れた旨を詫び、再度作業をお願いしました。すぐに職員が来て、とても親切に一切をやってくれ、その後の手続き(支払いや、各種サービス)の説明をしてくれます。その間、畳やさんが来て、懐かしい香りの畳を運び込んでくれました。新しい畳がこんなにいい香りがしたことを、もうすっかり忘れていたので、それは、何か私への歓迎のように思えて、特別な喜びを与えてくれました。

 ちょっと天気が怪しくなってきましたが、荷物の片付けなどをしながら、四時に仕事を終えて私を買い物へ連れて行ってくれる陽子を待ちました。彼女は、今朝、6時からの仕事で疲れているに違いないのですが、さし当たって必要な日用品を買う手伝いをしてくれることになっていました。

 陽子が車で到着した頃には雨が降りだしていました。車ですから、さして気にもせず、近くにどっさりある巨大なスーパーマーケットの一つへ向かいました。買い物は、洋服ハンガー、スリッパ、台所洗剤、くずかご、食器、薬缶、鍋、箒、トイレットペーパー、布巾や雑巾、それに布団etc.・・・

 次に、電気製品の豊富なスーパーマーケットへ行き、三つある部屋の電灯、トースター、アイロン、掃除機、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどを買いました。大型のものはデリバリーになりますが、それでも車の中はいっぱいです。序でに、今夜の食事(お弁当)や明日の朝のパン、バター、チーズ、コーヒー、クリープ(西洋では、コーヒーに普通の牛乳を入れるので、クリープはとても懐かしい)、果物などを買って帰宅です。

 ところが、その頃、雨は本降りになっていました。我が家へ到着した時は、まるでバケツをひっくり返したような降りです。陽子に車に残るようにいって、その豪雨の中、車いっぱいの買い物を家の中へ運び込みました。もう、服ごとシャワーを浴びたような状態で全てを運び終え、疲れている陽子に礼をいって帰しました。

 濡れたものを脱ぎ捨て、着替えもそこそこに買い物の整理にかかりました。予め、商品のパッケージは、お店で取り除いてもらっていましたから、買い物の仕分けは楽でした。それでも、一応片付いて、買ってきたお弁当の夕食をしたのが十一時でした。

 それにしても、日本の食品の美味しいこと!単に故国の食品というだけでなく、味の深みや隠された味の微妙さ・・・これは世界中が認めていて、外国でも、日本食といえば特別な存在になっているのです。それに、コーヒーも特別です。日本ほど、単品の銘柄・産地を選べる所は他にありませんし、味も別格です。外国で、ひどいところになると、コーヒーか紅茶かの区別がつかないのさえあるほどで、これは決してオーバーな言い回しではありません。今日は、かつて愛用していたトラジャを1ポンド買ってきて、美味しいコーヒーを堪能しました。

 食事が終わると、今度は家中を箒で掃いて(深夜ですから、近所の手前、掃除機は使えません)、新しい畳の乾拭きです。12枚の畳を、固く絞った雑巾で拭き上げた頃は、もう、くたくたに疲れ果てていました。

 よく理解していないガスのシステムをおっかなびっくり操作して、お風呂で汗みどろの一日の汚れを流し、急いで寝床に倒れこんだのが2時でした。

 これを書いている今は、20日の朝です。今日も重い梅雨空です。一日くらい、ゆっくり、お得意の何にもしない一日を過ごしてみようかと思っています。

6月20日(水)/曇、時々晴・28℃/Moisturized warm

 何もしない一日のつもりが、さし当たって、斎藤真美さんに借りた携帯電話で用の足りることを、あれこれと片付けました。

 まず、電話の架設です。通常、電話の権利といわれるものが、NTTに問い合わせてみると76,440円もします。それを買わないことには、電話は引けません。何かいい方法は?と問い掛けると、NTTの女性が、権利を買い取る民間会社があって、そういうところなら30,000円前後安いと教えてくれました。イエローページで調べれば見つかるでしょうとのことですが、電話帳もない現状では調べようもありません。職場に電話しては申し訳ないと思いましたが、斎藤真美さんに尋ねました。2,3の会社を教わり、電話をしてみると、43,000円といいます。早速架設をお願いしました。

 午後からは、時々青空がのぞく天気です。まだ、ここの地理が皆目分らず、昨夜、陽子の車で帰って来る時も、迷いに迷ったほどでしたので、探検のつもりで出掛けてみることにました。

 角を曲がる時は何か目印を見つけ、約10分も歩くと、湘南ライフタウンの大通りに出ました。楓の大木が並木になった美しい通りです。あちこちに公園があって、日本では珍しいほど緑が多い街です。ヤマモモやクチナシの木々が、甘い香りを漂わせています。あちこちに桜や梅の木があり、中には枝垂れの桜なども見えます。樹木の数が多いだけでなく、その種類も豊富です。花の季節には、恐らく見事な景観を見せてくれることでしょう。

 さらに楓並木の道を進むと、昨日買い物をした東急に着きました。食品スーパーを抱えたデパート、或いはデパート的スーパーとでもいいましょうか、一応、求めるものは何でも揃う巨大な規模です。有名な食品店や、ハードウエアの大型店もあって、丸々一日だって飽きずに過ごせそうです。

 私は、昨日買い忘れたり、帰宅してから思いついたものをどっさり買い込んで、ガス、水道、電気の使用開始と振り替え払いの手続きの手紙を出しに郵便局へ行ったり、さらに、電話架設の43,000円を指定銀行へ振り込んだりしました。

 携帯がコールしたので受信すると、先ほどの電話架設を引き受けてくれた会社からです。いま振込みを完了しましたよ、というと、電話番号が決まりましたといいます。工事は月曜日(25日)だそうですから、午後からは開通します。

 明日は、リサイクルセンターへ行って、陽子が買っておいてくれた食堂テーブルとイスを引き取ってきます。その時若し、何か掘り出し物があれば、例えば、本棚、食器棚、洋服タンス、机などを見つけてこようと考えています。

Zen/西久保 隆


以前の手紙