■Part―3・The South Pacific Ocean 《その先の海》


[スヴァロフ(SUVAROV ISLAND)]

フレンチ・ポリネシアには五ヶ月間も滞在し、僕らは地上の楽園を満喫した。いつまでもい続けたいと思いつつも、旅人はいつかは旅立たなくてはならない。恐らくもう来ることはないだろうけれど、来られるものならもう一度訪れたいという思いが心に残った。

八月三十日、朝八時半、八千代さん、オリヴィエ、ジョンミッシェルらに見送られて、[禅]は、ついにアポイティ・マリーナを後にした。ライアティアには、二ヶ月と四日の滞在だった。

次の寄港地は,[独尊]が待つクック諸島の無人島スヴァロフ環礁(Suvarov Atoll)だ。航程は、約七二〇浬。聞くところによると、ヨットしか行けない絶海の環礁ということだ。どんな自然に遭遇するのだろうという期待と不安が僕らを興奮させる。

ボラボラ島南端を通過するまでは、ほとんど風がなかった。やっと吹き出した風もさっぱり方向が定まらない。

さらに、航海に出た途端、今回も船酔いと例の頭痛に悩まされた。海況も、凪いだと思うと、次々にサンダーストームがやって来て、あらぬ方向から強風が吹き出す。加えて、南からの大きなうねりが船腹にぶち当たり、極限まで[禅]をロールさせる。僕は何度もバースやナヴィ・ステーションから放り出された。

何という航海だろう。まるで神経にヤスリをかける我慢くらべゲームだ。こんなゲームが楽しいという奴は極度のマゾヒストに違いない。いつ終わるとも知れぬ神経戦には、クルージングの楽しさなんて微塵もなかった。

僕にとって、航海というものがだんだん疎ましいものになってきている気がする。こんなことでは、今に大好きな海までが嫌いになってしまうのではないだろうか。

そもそも、僕は気象についていない。度重なる時化が僕を徹底的に疲弊させ、やがて、風の唸りが次の修羅場への予兆に聞こえ出した。それを助長するように、ウインド・ジェネレーターのノイズだ。ジェネレーターを止めればいいようなものだけど、そうすると航海灯や航海計器が使えなくなる。電気系統に不都合があるらしく、大型バッテリーはいつもカスカスだった。そういう悪循環が、僕の航海の初めからついて回った。

終いには、何でこんなことを続けているのだろうと思い、次の寄港地で航海を打ち切ろうと本気で考えたりする。

しかし、航海者に停滞はない。車のように、どこかに置いて帰る訳にはいかない。出たからには着かなければならないのが航海というものだろう。それをいちばんよく知っているのは僕自身だった。

九月二日。赤子をあやすように、溶けてしまいそうな微風を拾って走り、次は諦めて機走する。その際限もない繰り返し。デイランもたった八十七浬。こんなことでスヴァロフに辿り着けるのだろうか。

無線をいじっていると、偶然、「4・4・II」を掴まえた。彼らは、明日、アメリカン・サモアのパンゴパンゴ(Pago Pago)を出て、トンガのニウアトプタプ(Niuatobutabu)へ向かうそうだ。[独尊]は、スヴァロフで僕らを待っているが、食料が底を尽いてきたので早くパンゴパンゴへ向けて出航したがっているといっていた。気は急くが、この海況では急ぐ手立てもない。ストレスばかりが鬱積する。

九月五日。美しい日の出だ。水平線にわだかまる積乱雲をピンクや黄金色に染めて、巨大な太陽が昇った。寝不足の目と頭には耐えがたく鋭角に突き刺さるが、ストレスで軋む心には希望のような安らぎとして染みわたった。

空には一片の雲もなく、未明までは三十ノットほどだった風も随分穏やかになり、巨大なうねりも次第に小さくなった。距離を稼ぐには絶好のチャンスだ。

帆装は、[禅]にとっていちばんバランスの良いワンポイント・リーフのメィンとフル・ジェノア。風が弱まると、バッテリー・チャージを兼ねてエンジンの助力を加え、[禅]は一路スヴァロフへと驀進した。

九月六日、朝七時。スミコが、「スヴァロフが見える」といって僕を起こした。

風は強いが天気は快晴。青々と連なるうねりの彼方、左舷前方に島が見えた。GPSで位置関係を確認しようとするが、誤報ばかりが連発して船位が確認できない。双眼鏡で眺めると、物凄く広範囲にわたって芥子粒ほどの島影がいくつも連なって見える。随分大きな環礁だ。

スヴァロフにアプローチする最終のウエィポイントに針路を合わせて進む傍ら、VHFで[独尊]をコールした。今朝あたり到着すると予測していたらしく、すぐ馨くんの明るい声が応答した。彼は、パス通過の有益な情報をどっさり教えてくれた。

パスに臨むアンカレッジ・アイランド対岸のコーラル・リーフは大回りするようにとか、パス通過後、正面の広大なコーラル・パッチと島の間の水路は、チャールス・チャート(アメリカで発行されている有名な航路ガイド誌)には浅瀬があると書かれているが、十分に水深があるから安心して通れるとか、島の南端を回った後は、[独尊]へ向けて直進しても途中に障害物はないとか・・・。

僕は、有用な情報もありがたかったが、すぐ近くに呼び掛けてくれる仲間がいることに、かけがえのない喜びを感じていた。

**

スヴァロフ環礁は、十五の島または環礁からなるクック諸島という国の無人島の一つであり、国立公園に指定されている。従って、国としては公園管理のために管理者を置かなくてはならない。

サイクロン・シーズンが終わる秋、四月、主島ラロトンガから軍艦で管理者の一家がやって来る。そして、次のサイクロン・シーズンが始まる春、十一月に、再び軍艦が彼らを迎えに来てラロトンガへ連れ帰る。その間、管理者一家に、ラロトンガから食料や日用品の一切の補給も人的連絡もない。雨水以外に水さえない絶海の無人島で、管理者は、訪れるヨットの補給のみに頼って半年間を暮らす。

聞くところによれば、サイクロンの猛威は、標高五メートルにも満たない島全体を洗い流してしまうそうだ。翌年、管理者が再び島を訪れてみると、仮設した小屋などは跡形もないという。自然の猛威の前に、人間は、到底、一年を通して暮らすことは出来ない。

それにしても、オフ・サイクロン・シーズンのスヴァロフは美しい。管理者が住むアンカレッジ・アイランド以外は、人間の手が触れることもない真っさらの自然なのだ。

僕らは、アンカレッジ・アイランドの風下に錨を打った。周囲にはいくつもの美しいコーラル・パッチがあって、[禅]の碇泊位置がそのまま最高のダイヴィング・ポイントだ。デッキから見下ろすだけでも、澄み切った海水を通し水深十五メートルの海底の豊饒が伺える。

[独尊]の片嶋ファミリーは、温かく僕らを迎えてくれた。碧ちゃんはマスト脇のラットラインに登って大きく手を振り、或いは、お猿の身振りをして、「オーイ、スミコさーん、zenさーん」と叫んでいる。馨くんと倫子さんは、デッキに佇んでにこにこと微笑み、苦しかった航海を労ってくれた。

アンカレッジ島に上陸し、入国手続きのため管理人のマーガレット・ウポコに会った。大柄で、褐色の肌が健康的なマオリ系の女性だった。とても知的で朗らかで、フレンドリーな彼女の人柄に僕らは安心した。

[希望号]の藤村氏がここを訪ねた二年前には、管理人とヨッティー間が不穏な状態になって軍艦が出動し、挙句、全艇がスヴァロフを即時退去させられるという騒動があったと舵誌の連載で読んだ。恐らく、過度の官僚的態度とヨッティーの偏屈がぶつかり合って生じたトラブルだったのだろう。

しかし、マーガレットや亭主のトム、十六歳の長男・ジャスティン、九歳のエディー、四歳のマークの一家は、実に楽しそうにヨッティーたちと共存していた。

その一つは、毎晩のように繰りひろげられるポットラック・パーティーだった。常に五艘ほどのヨットが碇泊していたから、少なくとも五品以上の趣向を凝らした料理が持ち込まれる。マーガレットは、巨大なヤシガニかロブスターを何匹も丸ごと茹でて僕らに提供してくれる。もうそれだけで豪華なディナー・パーティーになり、誰もが、この絶海の無人島に展開する束の間のコミュニティーに世界最高の楽園を味わうのだ。

ヤシガニを腹いっぱい頂き、ビールを片手に寛ぐその目の前に、それぞれのヨットが浮かぶラグーンが月光に煌いている。白砂のビーチには焚き火が燃え、覆い被さる椰子の木立のシルエットの下、誰もが心優しい話題をとり交わす。余計な挟雑物が一切混じらないシンプル・ワールド。様々な国の人々がここにたむろし、何一つ煩うものもない平和と幸福の共感が、温かな霧のようにすっぽりとみんなを包んでゆく。

いつだったか、僕はマーガレットに語りかけた。

「いろんな所で、それぞれ素晴らしいパラダイスを見てきたよ。でも、スヴァロフほど完璧なものはなかった。ここは、世界一のパラダイスだよ」 彼女は、うれしそうに微笑み、サンキューと呟いて僕の頬にキスをした。

毎日、僕らはシュノーケリングを楽しんだ。船からステップラダーを降りれば、そこがもう、最高のダイビング・ポイントだった。

点在するコーラル・パッチには、いろんな種類の珊瑚が勢いよく枝葉を広げ、海藻(草)はのびやかに育ち、熱帯魚の種類も数もかつて見たことがないほど多い。

ツノダシやハタタテ、クマノミ、アキレスタング、チョウチョウウオ、ウメイロモドキ、スズメダイ・・・もう数え切れないほどの種類の熱帯魚がいて、それぞれの種の中でさらに色や模様が入れ替わって無数の種類に分類される。彩りも鮮やかな珊瑚や海藻やシャコ貝、イソギンチャクなどを背景に乱舞する熱帯魚は、まるで万華鏡を覗くようにきらきらと色鮮やかな光の粒子を放散し、目の前に究極の幻想の世界を展開して見せる。僕らは時間の経過感覚と常識的な美的感覚を覆されて呆然と自失してしまう。

その他、海底を睥睨するハタや忙しく動き回るベラ、極彩色のフグやパロットフィッシュ、水面を群れて泳ぐ八十センチ以上もあるダツ、岩の間をひらりひらりと飛翔するツバメウオ、おでこに角のあるテングハギなども多く見た。

また、二メートル弱のホワイト・チップ(鮫)はいくらでもいた。シュノーケリングをしていると様子を伺うように近づいて来るが、人間の動きを察知すると、シャークは敏感に逃げてゆくので恐れることはない。

アンカレッジ・アイランドから、干潮時にはリーフ伝いに隣りのバード・アイランドへ歩いて行ける。リーフ歩きそれ自体も興味深く、[独尊]の馨くんは、毎朝、ジョギング代わりにリーフを歩く。そうすると、珊瑚岩のくぼみに、寝坊しているうちに干潮になって沖へ帰りそびれたロブスターがいたりするそうだ。馨くんは、ジョギング・シューズで押さえ込み、四十五センチもあるロブスターを手掴みで獲ってきたことがある。そのロブスターは、[独尊]がスヴァロフを出航する前夜のディナーに刺身となって登場し、僕らの飽くなき食欲の犠牲となって果てた。

僕らの場合、リーフ歩きは早朝ではないからロブスターには出会わなかったが、クモ貝やコーリー(ハチジョウダカラ)などの珍しい貝を採集したし、スミコは、色鮮やかなレモンイエローのフグを捕まえたりした。

リーフを渡りきるとバード・アイランドだ。そこは、名のとおり鳥の島だ。木立の中程にも茂みの中にも、地べたの岩の間にも無数に鳥の巣がある。巣には、様々な鳥のヒナがいて、僕らの闖入に大きな声で抗議する。僕らは鳥類図鑑を持ち合わせなかったので、鳥の種類を特定することは出来なかったが、親鳥よりもはるかに大きく、真っ白い和毛(にこげ)に覆われて黒いお面を被ったようなヒナがたくさんいた。

また、地べたの巣では、僕らの目の前で卵からヒナが孵ったことがあった。殻を抜けて暫くはよたよたとしていたが、そのうち、スミコが手を差し伸べると、掌に這い登って来た。彼女はヒナを掌に包み、もう一方の手で優しく背を撫でた。ヒナは掌の中で眠ってしまった。しかし、頭上では、親鳥たちが僕らの暴挙を非難して、騒々しく鳴き叫びながら旋回していた。これ以上、彼らの世界を乱してはいけないと、彼女はヒナを巣へ戻した。

ヨッティーの仲間内で、トロピカル・レッドテールという鳥の尾羽を採集することが流行った。それはカモメほどの中型の真っ白い鳥で、尾に一本だけ長く真っ赤な美しい尾羽を持っている。
トロピカル・レッドテールは、ヒナがいると人間が近づいても決して巣を離れず、ヒナを羽根の中に抱いて接近する人間を威嚇する。或るヨッティーが伝授するところによると、親鳥の正面に注意を集中させ、後方に伸ばしたもう一方の手で素早く尾羽を抜き取るのだといった。

僕は、可哀相だから止めるように諭したのに、スミコは敢えてそれに挑戦した。親鳥は、果敢に彼女を威嚇し、あまりにも近づき過ぎたスミコの首にぶら下げていたサングラスを奪ってしまった。彼女は戦意を喪失して尾羽採集を諦めたが、僕らは笑い転げてしまった。いまや、サングラスは巣の中にあり、取り返すことは尾羽を抜き取るよりもはるかに難しい状態だった。スミコは、

「サン・ディェゴのワンダラー・ショップで買った安物だから、鳥が欲しいのなら上げてもいいョ。でも、気に入っていたんだけどなァ」といった。僕らはまた笑い転げた。

手つかずの自然であるはずのバード・アイランドに、僕らは醜い文明の汚れを見た。本当なら、僕はパラダイス賛歌だけを唄い上げていたいのだけど、見てきた者として日本の人々に報告する義務があるので、敢えてここに記そうと思う。

島の反対側は外洋に面していて、荒々しい怒涛が打ち寄せていた。その荒波がリーフを越えて砕ける時、海上の漂流物は内側のビーチに打ち上げられる。

僕らは、うずたかく積もった波打ち際の漂流物をつぶさに見て歩いた。

圧倒的に多いのは、漁獲した魚を入れるトロ函とその発泡スチロールの破片だった。それに壊れた延縄(ハエナワ)や魚網などの漁具。どれをとっても、日本をはじめとする東洋の漁法に供されるものばかりだった。この近海には、日本や韓国のマグロ延縄漁船が二百艘も活動しているそうだから、それらの漁船が海に捨てたものと思われる。

そして、さらに目立ったのは、黒く丸い形が特徴的で見誤りようもない日本製のウイスキーの空ボトルと洗濯洗剤のプラスチック・ボトルだった。そのウイスキー・ボトルがビーチにあまりにもたくさん転がっているために、捨てられて打ち上げられた漁具の全てが日本の漁船が投棄したものに見えて、僕は息苦しくなってしまった。

海上投棄して視野から消えれば、恐らく投棄した者の良心が痛むことはないのかもしれない。しかし、そうした物が、この地球上にもう僅かしか残っていない自然の尊厳を汚し、破壊していることを知って欲しい。また、漁網や釣り糸を身に絡めて生き物が苦しみ、或いは死する結果となっていることを、どうか知って欲しいのだ。

渚には、何羽もの海鳥が漁具を絡めて死んでいた。それを見た時、このことを世に伝えるのは僕の使命だと思った。夢を破るような話で申し訳ないが、この場を借りて自然からのメッセージを伝えさせていただく。

[独尊]がパンゴパンゴへ向かう日がやって来た。前夜は、[禅]でお別れのディナー・パーティーを催し、ロブスターの刺身を食し、彼らの航海の無事を祈った。

九月十日、午前十時、[独尊]がアンカーを揚げに掛かった。丁度その時、トムが彼の家族全員と[LOVE]のブラッキー、息子のフォレストを乗せて、強力なエンジンを搭載したアルミのディンギーでやって来た。そして、ヤシガニ獲りに対岸の島へ行くからいっしょに行こうと誘ってくれた。僕は、[独尊]の出航を見送りたかったけど、トムは即刻出発という。恐らく、片嶋ファミリーも事情を察してくれていると勝手に解釈して、僕らはトムのディンギーに乗り移った。

たちまち轟音を響かせてディンギーは走り出し、[独尊]は遥かに遠ざかってしまった。

それにしても、僕らは全くの手ぶらだった。飲料水もランチも何一つ持っていない。ちょっと心配だったが今さらどうしようもない。

三十分も走っただろうか。六浬離れたモツ・トウ(Motu Tou)に着いた。荒々しい景色は、正に無人島そのものだった。外側のリーフには、恐ろしげな怒涛が遥かな高みに飛沫を打ち上げ、島は鬱蒼としたジャングルの混沌に覆われていた。

トムは、僕らを三つのグループに分けた。スミコと僕のキャプテンはジャスティンだ。僕らは、勇んで、そしてちょっと不安な思いを飲み込んでジャングルへ分け入った。

ジャスティンは、ヤシガニは、大木の根元の洞(うろ)に潜んでいるといった。僕は意外だった。ヤシガニなら、椰子の木にいるとばかり思っていたのだ。

彼が僕らを呼んだ。ここを見ろという。洞を覗くが暗くて何も見えない。しかし、奥の方で何かが蠢いているようだった。ジャスティンは、大きなブッシュナイフを洞に差し込んだ。それを巨大な青黒い鋏がガシッと捉えた。ジャスティンは素早くブッシュナイフを引き出した。足をいっぱいに開くと五十センチほどにもなるヤシガニが現れた。彼は、後方の一対の足を掴んで押さえ込んだ。彼が掴んだ足だけに鋏が届かないのだそうだ。

ヤシガニの鋏は恐ろしい凶器だ。かつて[ホロホロ]の溝田さんが、ヤシガニの鋏でアキレス腱を挟まれて大怪我をしたという話も聞いている。人間の指などは造作もなく切り落とすとジャスティンがいった。そして、彼は、ナイフをヤシガニの頭と胴の間に打ち込んで殺した。残酷さに顔をしかめた僕に、彼は、生かしておいては非常に危険だからと説明した。

僕は、一つの洞の中にヤシガニを見つけた。ジャスティンに告げると、彼は洞を覗き込み首を左右に振った。「来年まで獲ってはいけない」という。捕獲するには、まだ小さいのだそうだ。十六歳の少年だけど、立派に管理者としての貫禄が備わっていた。

暫くして、彼が休憩しようといった。喉が渇いたでしょう?そういって、彼は椰子の葉をブッシュナイフで切り取り、それを両端で固く結んで輪を作った。くるりとひねって8の字にすると、両方の丸に左右の足を入れ、椰子の葉の8の字を履いた。

その足で、椰子の幹に取り付くと、まるで何かに引き上げられるように、彼はするすると登りだした。なるほど、こうやって登るものなのか!僕は、そのジャングルの智恵に唸った。

ジャスティンは、見る間に天辺に登りつめ、次々にココナツの実をブッシュナイフで切り落とした。僕は、落下するココナツを避けながらそれらを拾い集めた。

降りて来たジャスティンは、その中から手頃なのを見繕って外皮を剥ぎ取り、つるりとした実を取り出した。そして、硬質の殻をブッシュナイフで十センチほど薄く削ぎ取った。これはスプーンですと彼がいった。意味が分からぬまま僕らはそれを受け取った。次に、彼は実の上辺を切り落とし、それを僕らに一つずつ差し出した。ジュースを飲むようにと彼がいった。

その味を、僕は今も忘れない。程よい甘味とひんやりとした冷たさ、そして、高貴ともいえる仄かな香り。僕は、言葉を失ったように無言でそれを飲み干した。ジャスティンは、僕の空っぽの実を受け取ると、ブッシュナイフで二つに割った。スプーンで食べるようにという。実の中を覗くと、内側に白いジェリーの層が見える。椰子の殻を削いだスプーンでジェリーを掬って口に運ぶ。未だ知らない味だった。しかし、熟成したバターのようなその濃密で薫り高く爽やかな甘味は、空腹を満たすには勿体無いほどに僕の味覚を充足させた。

思えば、彼もブッシュナイフ以外、何一つ携行してはいなかった。しかし、彼らにとって、ブッシュナイフは万能なのだ。多分、それさえあれば筏だって船だって作ってしまうだろうし、生活の全てをブッシュナイフ一本で賄う術を彼らは知っている。

何という英知だろう。道具や機械がなければ何も出来ない文化とは、或いは、用途に合わせ様々な道具や機械を使い分けることを先進文化と考えていた僕ら文明人とは一体何だろう・・・。

そこには、小気味よくすっきりとしてシンプルな人間の生きる形があった。大らかで何一つ煩瑣なものがなく、誰の心にも心地よく収まってしまうシンプル・ワールド。そんな世界に僕も生きられないものだろうか・・・。ジャングルを抜け、白砂のビーチを歩きながら、僕は、ぼんやりとそんなことを思い巡らしていた。

一グループ五匹までと決めたヤシガニ獲りは終わった。三グループで十五匹。今夜もまた、ヤシガニの豪華なディナーが待っている。獲物を満載して帰る僕らは誇らしく満ち足りていた。

スヴァロフの広大なラグーンが傾いた夕陽の中に煌いていた。遠くには、アンカレッジ・アイランドが、そして、その傍らには僕らの[禅]が静かに艇体を休めている。あァ、ここは紛れもないパラダイスだ!

***

スヴァロフの全ての想い出を綴ったら、恐らく長大な物語が出来てしまう。十二日間の滞在は、それほど充実したものだった。

それでも、やはり僕らは旅を急がなくてはならない。ニュージーランドまでは、まだまだ先が長いし、[独尊]がパンゴパンゴで僕らを待っている。

九月十七日は本格的な時化だった。こんな日に無理して出航するのは愚かというものだ。僕は、明日出航する旨をトムとマーガレットに告げた。

しかし、十八日も時化は続いた。マーガレットが、誰から聞いたのか、或いは、パスポートを見て記録していたのか、十七日が僕の誕生日だったことをいい出した。そして、今夜、ZENのバースデー・パーティーをするので出航を延ばすようにといった。次男のエディーが僕から離れず、もっと島に留まって欲しいとしきりにいった。彼は、猛烈に人見知りする子なのに、何故か僕には特別な親しみを示してくれた。

そうした情にほだされ、僕は出航を更にもう一日延期することにした。

その夜、あり合わせの材料を駆使して、スミコは大皿いっぱいの巻き寿司を作り、それを持参してパーティーに向かった。何もないこの島で、マーガレットは僕のためにバースデー・ケーキを作ってくれた。大勢がバースデーの歌を唄い、続いてケーキのキャンドルを吹き消した時、みんなの温かな心根に触れて、僕は胸が熱くなってしまった。

それぞれが料理を取り分けた。あっという間に、僕らが持ち込んだ巻き寿司は消えてしまった。僕らの口に一つも入らなかったけど、みんなが喜んでくれたことがうれしかった。

例によってヤシガニが振舞われた。僕は、もう味わう機会がないかもしれないそれを、心ゆくまで味わい尽くした。

時化は、夕方から収まっていた。夜も更けた静かなラグーンに涼風がわたり、究極の寛ぎの中で和やかな会話が交わされた。その時僕は、前に書いたように、マーガレットに、スヴァロフは世界最高のパラダイスだったといい、彼女は僕の頬にキスしてくれた。

エディーが、僕を焚き火の向こうに吊ったハンモックに誘った。そして、二人でそこに寝そべっていろんな話をした。彼は、僕に日本の歌を唄って欲しいといった。僕は、『知床旅情』を唄った。エディーは、じっとそれを聞いていた。いつの間にか、ハンモックには末っ子のマークも割り込んできた。歌が終わると、焚き火の前に座っていたジャスティンが、「いい歌だね」といった。

エディーは、折に触れて、

「ZEN、もっと島にいてよォ」と切なげにいい続けた。何だか、僕はエディーがいとおしくなってしまった。

彼が、急に、空手をやって見せてといい出した。彼らは、日本人は誰もが空手の達人と信じている。僕は、高校生の頃にほんの少し齧っただけだから、大いに躊躇った。彼はどこからか一辺が二十センチで厚さ四センチほどの菱形の自然石を持ってきて、これを割って見せて欲しいといった。僕は、エディーを失望させたくなかった。スミコは、怪我をするから止めるようにといったが、暫くその石を手にしていると、割ることが出来るという不思議な確信が湧いてきた。切り倒した二本の椰子の木に渡しかけ、気を集中して手刀を振り下ろした。石はきれいに二つに割れていた。エディーは目を丸くして、「オー、ゴッドハンド!」と叫んだ。そして彼は、ますます僕に纏わりついた。

翌朝、僕らはクリアランスのために島へ向かった。お世話になったお礼に、ファミリー一人ひとりにプレゼントを持って。みんなとても喜んでくれた。そして、僕ら二人を囲んで、みんなで写真に収まった。

その後、エディーが、作業をしているジャスティンのところへ僕を連れて行き、

「夕べ、ZENが空手で石を割ったよ」といった。ジャスティンは信じなかった。エディーはむきになって事実を主張した。

「ZEN、本当だよね。夕べ、ZENは、空手で石を割ったよね」と繰り返した。そして、昨夜割った石の片割れを持ってきて、もう一度割って、ジャスティンに見せてやって欲しいといい出した。

さて、困った。昨夜の石は平たくて大きかった。しかし、今、エディーの差し出す石はその半分しかない。力学的に考えても割ることの難しさはケタが違う。僕は、エディーの夢を壊したくはなかった。とはいうものの、さてさて、大いに困った。

でも、いつの間にか、昨夜同様、割ることが出来るという確信が湧いてきた。スミコが止めるようにいったが無視した。

僕は、適当な場所にそれを置いて、昨夜よりも何倍も真剣に気を充実させた。気合一発、石は見事に割れていた。ジャスティンは唖然として信じられないという顔をしていた。しかし、エディーは、自分が割ったように得意満面ではしゃぎ回った。

彼等にとって、話には聞いていても、人間の手が石を割るという物理的不条理を本気に信じてはいない。だから、空手の信じがたいエピソードが実際に目の前に現出すると、本当に驚いてしまうようだ。


そろそろ出発の時間になった。僕らは、みんなと抱擁し、最後の挨拶を交わした。しかし、エディーの姿が見えない。マークが、エディーが向こうで泣いていたといった。僕はあちこち探してみた。しかし、彼はどこにも見当たらなかった。僕は、エディーに心を残したまま艇へ戻った。

アンカーを揚げようとすると、コーラル・ヘッドに噛んで、どうしても揚がらなかった。僕らが苦労していると、[トロピック・バード]のオーナーでフランス人のジルと息子がやって来て、十五メートルもの水深をダイビングして、コーラル・ヘッドに噛んだアンカーを外してくれた。

僕らは、彼等との再会を約し、ついに世界一のパラダイス、スヴァロフを後にした。

アンカレッジ・アイランドの先端を回ろうとした時、岸の岩場に赤いものが動いていた。エディーだった。彼は、別れの挨拶に耐え切れず島の先端へ逃れ、一人で僕らを見送るつもりだったのだ。

僕は、声の限りにエディーの名を呼び、大きく手を振って別れを告げた。エディーが、あれほどにも僕を慕ってくれた気持ちを思うと、今でも切ない思いが湧いてくる。




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