エレンがヨットを訪ねてきたのは、まだ寒い九月のことだった。
私は、マストの根方に座り込んで、メインセールのスライダーを縫い付けていた。厚いセールの生地が何枚も折り重なったラフの部分に錐で穴を穿ち、針で糸を通すという手間と力のいる作業だった。時々手元が狂い、力任せの針先が指に血を滲ませた。
ヨットの傍らのドックに立って、その作業を焦れったそうに見ている女がいるのを、先刻から私は知っていた。私が手元を狂わせて針で指を突くと、「オー・マイ・グッドネス」とか、「オー・ボーイ」とか、時には、「シット!」などと呟いた。
仕事が思うに任せぬ苛立ちで、私はその呟きが癇に障った。
「一体、何の用なんだい?気が散って、手元が狂ってしょうがない。ただの見物なら、そろそろ退散してもらいたいものだ」
「あなたの失敗は私のせいじゃないわ。それはあなたが下手だからよ」
「じゃあ、きみがやってみろよ。力のいる仕事なんだ」
女は、ドックで靴を脱ぐと、ショルダー・バッグを私に手渡しデッキへ上がって来た。まさか、本当にやるとは思わなかったので、私は少し慌てた。
「ごめん、ごめん。きみに、こんなこと、させる訳にはいかないよ。つい、苛立ってきついことをいってしまった」
「あら、いいのよ。見ていて、私がやってみたくなったのだから」
そういって、女は、私が座っていた場所に腰を降ろした。彼女は、錐で穴を穿つ位置を私に示し、私の仕事とは桁違いにきれいに、しかもバランスよくスライダーを縫い付けていった。
その作業を進めながら、彼女は、名前はエレン、ブリスベーンに住んでいて、大学でバイオテクノロジーの研究をしていると語った。さらに、このマリーナから、先月ブリスベーンへヨット[マチルダ]を移したイアンとウノの紹介で私を訪ねて来たといった。エレンの話によると、ウノは、私が、良いクルーが見つかれば乗せたいと思っているといったそうだ。
私は、期待を持たせては厄介だと考え、ウノの勝手な憶測を否定した。
「いいのよ。私も簡単に決まる話だとは思っていないから」
「いや、そうじゃない。決まる、決まらないの話じゃなく、私はクルーなんか探していないし、乗せるつもりもない」
「OK、そのことは分ったわ。でも、お友だちとしてヨットに遊びに来てもよいでしょう?」
「それは構わない。むしろ歓迎だ」
彼女のお陰で、夕方にはスライダーの縫い付け作業は終わった。私が一人でやっていたら、多分もう一日を要しただろう。しかも、あまり達成感も得られないこんな仕事が愉しくさえあった。
「ありがとう。お礼に夕食をいっしょに食べていってもらうと嬉しいのだが」
「残念だけど、ブリスベーンへ帰らなければいけないの。バスの時間はあと三十分しかないわ」
私が淹れたコーヒーを飲み終えると、彼女はインターシティーのバス停へと急いだ。
「今度来る時には、私がディナーを作ってあげる。私は料理が得意なの」
「期待しているよ。素敵なオランダ料理を」
作業をしながら、そしてコーヒーを飲みながら、彼女は自分がオランダ人であること、オランダへはもう十年以上も帰っていないこと、現在の研究室の人間関係に少々嫌気がさしていることなどを話した。
察するところ、エレンは、ヨットのクルーをしながらヨーロッパへ帰りたいらしい。そんなことをウノに洩らしたから、シングルハンダーのヨット[海神(ネプチューン)]が、この秋、インド洋、紅海を経て、地中海へ向かうことをエレンに告げたのだろう。ウノは、私が航海をエンジョイ出来るよう、パートナーを見つけることを強く勧めていた。挙句、「いい人を見つけて上げる」といってムルラバのマリーナを発って行った。
エレンを送り出し、一人で夕食をとりながら、心の片隅にほんのりと温かみが潜んでいるのを私は感じていた。そういえば、あの単純作業が愉しく思えたのも、あれは一体何なのだろう。
マリーナでは、ヨットに暮らすヨッティたちと日常的な付き合いはある。互いに挨拶を交わし、雑談をし、時にはいっしょにスーパー・マーケットへ買い物に行ったりする。ヨット仲間だから、人手を要する艇体の修理作業などをしていると、頼まなくても向こうから手を貸してくれる。ハッピーアワーと称して、夕方のひと時、どこかのヨットのコックピットでビールやワインを飲み、とりとめなく談笑もする。しかし、そこまでだ。互いのプライバシーに立ち入らないのがこのコミュニティの不文律だ。
何日かが過ぎ、私は、エレンの再訪を心待ちにしている自分に驚いた。今まで人恋しさなど感じたこともなかったのに、具体的な対象を得て、自らの心の間隙に気づいたというのだろうか。
さらに、数日が過ぎた。
土曜日の昼過ぎ、私はエンジン・オイルの交換で油まみれになっていた。エンジン・ルームに首を突っ込んでいたので、私は、艇の外から呼ばれたことに気づかなかった。ウエスで手を拭い、ふとコックピットを見るとエレンがそこにいた。
「返事がなかったから、勝手に上がってきたわ。土曜日というのに、お仕事なのね」
「なに、すぐに終わる。それにしてもよく来てくれたね」
「あら、また来るっていったでしょう。それとも、全然信用していなかったのかしら?」
「そんなことはない。毎日、今日か明日かと待っていた」
私は、自分の言葉に赤面した。こんな気障な台詞は、かつていったこともない。しかし、そういった後に、自分の気持ちをサラリといってのけた満足感があった。
「kenはお仕事を続けていて。私はディナーの買い物にいってくる」
「いや、待て。じきに終わるから、いっしょに行こう。それに、エレンはマーケットの場所が分らないだろう」
おおかた終わりかけていた仕事を大急ぎで片付け、私たちは買い物に出掛けた。
スーパー・マーケットでカートを押しながら、私は、常に見かけるカップルの買い物客と、いま私たちが同じに見えているのだろうかと、面映い思いで周囲を見回した。エレンは手際よく食品を選び、ぽんぽんと放り込む。たちまち、カートはいっぱいになった。
「こんなに、今夜食べ切れないよ」
「あなた一人じゃ、どうせちゃんとした食事もしていないのでしょう。明日の分と、それから何日間かは保存が利くものも拵えるの」
大きなショッピング・バッグを下げ、料理用のワインが要るというので、私たちはボトル・ショップへ寄った。私は、常なら4リットル19ドルの安ワインを飲んでいる癖に、料理用のほかに一本30ドルもするワインを買った。店の女主人は、あら?という表情をみせたが、エレンを顧みて微かな笑みをもらして頷いた。
ヨットのギャレーは狭い。エレンは、
「手伝ってもらいたいけれど、この狭さじゃ邪魔になるだけね。一時間ほど散歩に行っていらっしゃい」といった。
九月も終わりに近づいて、少し暑いほどの陽気だった。私は、マリーナを出て公園の芝生を横切り、ビーチへ向かった。まだ春先というのに、オージーたちは、寒さも知らぬげにひろびろとした砂浜で水に戯れていた。私は、サンダルを両手に下げて波打ち際を歩いた。寄せる波が、時折、足を濡らした。引く波が砂を奪い去ろうとする感触が足の裏をくすぐった。そうした全ての感覚が、いま私の内に脈動して活き活きと感じられた。
ビーチを抜け、街へ出た。ホリデー・アパートメントのグランド・フロアにフローリストがあった。無雑作に束ね、セロファンに包んだ赤いバラが私の目を引いた。一束求め、私は艇へ戻った。エレンは、こちらが驚くほど赤いバラを喜んだ。
「日本人ってシャイだっていうけど、kenは違うのかしら」と彼女がいった。
「冗談じゃない。私は、いまここを飛び出して行きたいほど照れているんだ」
彼女は体を二つに折って笑い、そして私の頬にキスをした。
「きみのお陰で、いま私はとても幸せな気分だ。そのお礼のつもりでバラを買った」
「食卓に花が欲しいと思っていたの。でも、無駄遣いする女と思われたくなかったから我慢していたのよ。ありがとう、ken」
グリーン・アスパラガスをバターで焼きチーズを乗せてとろかせた前菜。セロリ、キャロット、マッシュルーム、ブロッコリー、オニオンを、仄かなジンジャーの風味で煮たビーフシチュー。香采を敷いて、粒胡椒が香ばしいソースをかけた帆立のワイン蒸し。グリーン・サラダ。極上のワインと、香草入りのオリーブ・オイルで食べるフランスパン。デザートには、ラムの青い炎で風味をつけたスフレ、そして香りたかいコーヒー・・・・。
それは、正に至福のひと時だった。心を込めた料理とはこういうものかという、エレンへの畏敬の思いがあった。心までが満腹する食事なんぞ、この航海に出て八年間、ついぞお目にかかったこともなかった。
食後は、ブランデーを飲みながら南太平洋のアイランド・クルーズのアルバムを眺め、いつになく、私は熱を込めて解説していた。
ふと、気づくと十時を回っていた。
「しまった。バスの時間のことをすっかり忘れていた」私は叫ぶようにいった。
「ディナーとなれば、もうバスはないの。今夜はここに泊めてもらうつもりよ。洗面具もパジャマも持って来たわ。差し障りがなければ、だけれど」
「それは構わない。でも、二人きりできみは平気かい?」
「男と女が一つ屋根の下で寝れば何かが起こるというのは、いまや大昔の伝説よ。当事者の意思が、かつてよりも自立しているから、互いにその気がなければ何も起こらない。昔は、さらに人の目を意識するということもあったと思う。でも、いま他人のことに、そんな関心を持つ人なんて居ないわ。kenがそれを気遣うというのなら話は別だけど」といって、エレンは私の目を覗き込んだ。
「OK。それじゃあ時間を気にせず、ゆっくり飲み、ゆっくり話すとするか」
ブランデーが空になったのが午前二時だった。それを潮に、私たちは眠りについた。
翌朝、私はコーヒーの芳しい香りで目が醒めた。
「お目覚めのようね。コーヒーが入っているわ。ベッドへ持って行きましょうか?」
「いや、起きるよ」そういって、私はのろのろとベッドを這い出した。頭の隅に、二日酔いのしこりのような痛みがあった。
「寝るのがあんなに遅かったのに、きみは辛くはないのかね。私は少し二日酔い気味だ」
「お年の違いね。私はこの通り元気いっぱいよ」そういって、エレンは両方の二の腕に力瘤をつくる仕草をした。パジャマ姿のその動作は、何だか子供染みていてとても可愛らしい。私は声を立てて笑った。
二人は、コーヒーカップを持ってコックピットへ出た。少し寒かったが、寝覚めの気だるさはたちまち吹き飛んでしまった。
「kenは、今日どうなさるおつもり?ヨットのお仕事があるのなら、私は朝食が済んだら帰るし、特に予定がなければ、夕方までゆっくりしていくわ」
「勿論、何もない。きみに一日居てもらいたい」心象を語る気障な言葉も、一度超えてしまうと淀みなく口をついて出た。
「そうさせてもらうわ。ここに居ると、煩わしいことがみんな忘れられる」
コーヒーが終わると、私たちは散歩へ出た。ビーチに降り、波打ち際を裸足で歩いた。他のカップルがそうするように、私たちもいつの間にか手を繋いでいた。
かなりの距離を歩き、ビーチ沿いのカフェでブランチをとった。日曜日ということで、ブランチにはシャンペンのサービスがあった。エレンは、二度、三度お代わりをした。「きみは相当の酒豪だね」と私がいった。
「あら、そうかしら。上手なお酒の飲み方を知らないからよ。あなたほどにお酒を楽しめていないもの。kenは、飲み始めて何年になるのかしら?」
「そうだね、四十五年かな」
「え、それじゃ六十三歳」
「ああ、きみは、私がオーストラリア流に十八歳から始めたと思っているね。私は十歳から飲んでいた」
「呆れたわ。それじゃ、kenはいま五十五歳なんだ」
「どうだ、年寄りで驚いただろう」
「大体、その位の見当はついていたわ。ちなみに、私は三十二歳。どうだ、オバンで驚いただろう」エレンは私の口真似をしていった。
艇に戻ると、来シーズンの航海計画の話をした。話しながら、いろんな局面で、エレンを計画に組み込んで語っている自分に気づいた。
誰かを航海に誘うということは、例え相手が望んでいることにせよ、私が命を預かることである。それに、ヨットの長期航海を始めるということは、人によっては途轍もない人生の転換を伴うものだ。この世界は、通常の社会生活とはあまりにも物差しが違う。三十二歳という若さには、私などには眩しいばかりの可能性が潜んでいる。エレンの場合、オランダへ帰って、平凡な家庭を持つことだって出来る。平和で、安全で、心静かな幸せ。こういう生活をしていると、平凡なのがいちばん好いということに気づくものだ。軽々に誘ってはいけないと頭の片隅に思いながら、私はエレンを巻き込んだ航海計画を語っていた。
夕方、来週も来るといってエレンは帰って行った。
しかし、次の土曜日に彼女は来なかった。艇の外で舫い綱が軋む音にも、都度エレンが来たかとハッチから外を窺った。風邪でもひいて寝込んではいないか、何か不都合があったのではないかと気が揉めたが、確認の手立てもなかった。
その翌週、ブリスベーンへ所用があって出掛けた。私は、ボタニック・ガーデンに隣接した大学を訪ねてみた。レセプションで、バイオテクノロジーの研究室のエレンと告げたが容易には分らなかった。研究室を主宰する教授の名前はと尋ねられたが、私がそんなことを知る訳もなかった。レセプションの女性は何ヶ所かに電話をし、
「やっと分ったわ。シンプソン教授の研究室だったわ。エレンはじきに来ますよ」といった。
二十分も待っただろうか。眼鏡をかけ、学者然としたエレンが白衣を翻し、慌しい足取りでやって来た。ヨットに来る時のあのゆったりとした彼女ではなく、私は一瞬戸惑いを覚えた。
「ああ、ken。あなただったの」
そういって私の頬にキスをする彼女は、もう私が知っているエレンに戻っていた。
「訪ねてくれて嬉しいわ。でも、わざわざ来てくれた重要なご用件は何かしら?」
「いや、重要な用件なんて何もない。ブリスベーンのイミグレーションに用があって村から出て来た。先週、エレンがヨットに来なかったので、風邪でもひいて寝込んでいるのではないかと心配でね。序に寄ってみた。仕事中に訪ねて迷惑じゃなかっただろうか?」
「ごめんなさい。先週は、急ぎの報告書を仕上げなくてはいけなくて、木曜日から徹夜仕事が続いたの。土曜日には、とても出掛けられる状態じゃなかったわ」
「謝ることはない。元気な顔を見て安心したよ。それじゃあ、私はこれで失礼する」
帰ろうとすると、彼女は私の手をとって、「私がせっかく仕事のけりをつけてきたというのに、お茶を飲む時間もないというの?」といった。
「そうじゃないけど。きみは仕事中だろう。邪魔をしたくない」
「OK。この奥にティ・ルームがあるの。そこで待っていて。すぐ行くわ」
私がティーをオーダーしていると、エレンが普段着姿で現れた。
「早退して来ちゃった。国から叔父が来たといったら、教授が、急ぎの仕事がなければ早退けしてはどうかって」
「おいおい、そんなことをして大丈夫なのかね。それに、きみに東洋人の叔父が居ると教授が信じるだろうか?」
エレンは、私の紅茶にスプーンで砂糖を入れながら、ふふふと笑った。
ティー・ルームを出ると、私たちは繁華街を宛てもなく歩いた。あちこちのショウ・ウィンドーを覗き、時にエレンに従ってブティックなどへも入った。と、ある靴屋で、室内履きのように柔らかい白いカーフのスリッポンを見つけた。マリーナのドックや艇のデッキで履くと具合がいいので、以前から探していたものだった。ワンサイズ小さいのがエレンにぴったりだったので二足買った。
歩き疲れて、エリザベス・ストリートとエドワード・ストリートの交差する角のパブに入りビールを飲んだ。
ブリスベーンのシティと称する中央部分は、街路名が、縦横、それぞれ英国の王と王女の名前になっている。それに、往時の英国に習い、街の角にはパブが多い。余談になるが、番地は偶数と奇数が道路をはさんで対称になっていて分りやすい。
五時を回るとたいていの商店は閉店する。私たちは、他に歩くところもなくカジノへ行った。昔、造幣局だったという石造りの豪壮な建物だった。
エレンは、ブラック・ジャックでも、ルーレットでもツキまくった。五百ドルほど勝った彼女は上機嫌だった。今夜は私がディナーをご馳走すると、エレンは完璧なフランス料理を食べさせてくれる店へ私を誘った。
市街地を蛇行して横切るブリスベーン・リバーの波間に、行き交う船の灯が砕けていた。東洋人の若い女性が演奏するピアノのモーツアルトが爽やかに耳朶を打つ。テーブルには、キャンドル・スタンドの三本の蝋燭が淡い光を投げかけ、グラスの中のシャブリを琥珀色に煌かせた。
料理は、日本の懐石を思わせた。アメリカやオーストラリアのように、大皿いっぱいに料理を盛るという無粋とは、およそ縁遠い洗練振りだった。それをいうと、エレンは、
「料理とは文化だと思うの。食文化とでもいうのかしら。それは、技術文化とは全く違うものよ。唯一、その民族の美意識だけで育む伝統文化でしょ。だから、歴史の浅い国には食文化がまだ育っていないのね。日本料理の美しさや風味の繊細さは、フランス料理と双璧をなすものだと思うわ。しかも、茶道とか、華道とか、さまざまな芸能と脈絡する。料理がホビーの私としては、日本へ行って本物の日本料理を試してみたいと思うわ」といった。料理という、一般的には空腹を満たし栄養を補うものに、そんな見方もあるものなのかと、私はエレンの楽しげに語る様子を見守っていた。
食事を終え、ひんやりとした夜気に包まれると、あらためてワインの仄かな酔いを頬に感じた。
「いかがでした?今夜のディナーは」とエレンがいった。
「パーフェクト」と私は答えた。
「ふらりと出て来て、こんな素敵な夜になるなんて考えてもいなかった。それはそうと、私の今夜のホテルを取らなくてはいけない」
「まだ今夜は始まったばかりよ。よろしければ私のところへいらっしゃい。ルーム・メートと二人で借りているフラットだけど、彼女はいま故郷のニュージーランドへ帰っているの。ビールなら冷蔵庫にどっさりあるわ」
「いいのかい?ルーム・メィトの留守に泊まり込んで」
「また、kenの余計な心配が始まったわ。大丈夫よ。それに、kenがいやなら誘惑しないから」エレンは照れもせずにいった。
「いやなことがあるものか。でも、そうなったらきみが困りはしないかね?」
「ほらほら、それが余計な心配というものなのよ。この前もいったでしょ。なる、ならないは、自立した大人の分別だって」
「後のことは兎も角も、ビールにありつくとするか」
「まあ、私よりもビールに魅力があるって訳ね」二人は、腕をとり合って歩きつつ他愛もなく笑いこけた。
エレンのフラットは、アルバート・ストリートを登りつめたウイッカム・テラスという通りに面した高台にあった。すぐ前がウイッカム・パークで、その木立の向こうに眩い都会の灯が美しかった。
フラットは、ツーベッド・ルームで、大きなリビングにはキッチンとダイニングが組み込まれていた。エレンの部屋がマスター・ベッド・ルームらしく、ウオーキング・クロセットと、その先がバス・ルームになっている。ルーム・メィトの部屋はリビングを挟んで反対側にあった。中を覗くと、几帳面な女性らしく、室内は整然としていた。ベッドは微塵の乱れもなくメイキングされていて、私は、一夜であれ、このベッドを借りることが躊躇われた。事と次第によってはソファで寝ることも出来る。
西洋人の習慣で、家中をひととおり案内され、リビングでの雑談が始まった。しかし、ビールという奴は、暑い盛りに息もつかずに飲むには好いが、長時間、話しながら飲むには腹にたまって具合が悪い。十二時を回る頃、何となく話に倦む格好になった。
「kenは、ヨットでないと調子が出ないようね。一日、歩き回って疲れたのでしょう。そろそろ休みましょうか?」とエレンがいった。
「ルーム・メィトの部屋は遠慮するよ。あんなにきちんと整理している部屋に、むさい男の匂いを残す訳にいかん。私はここのソファを借りるよ」
「お好きなように。でも寒いかも知れないわ。窮屈かも知れないけど、kenがよければ、私のベッドでもいいのよ」
「おいおい、私は、まだれっきとした男だよ。きみのベッドに寝させてもらうなら、その前にきみの覚悟を聞いておかねばならん」
「馬鹿ねえ。私にそこまでいわせるつもりなの。私だってれっきとした女よ。これでいいかしら?」
エレンがシャワーを遣っていた。私は、困ったことになったと落ち着かぬ気分で、もう一本ビールを開けた。
頭にバスタオルを巻き、白いタオル地のバス・ローブを羽織ったエレンが、私に、シャワーをどうぞといった。完全にペースを握られている。今となれば、もうなるようにしかならないと腹をくくり、私はバス・ルームへ向かった。
これがきっかけとなって、エレンを航海に伴うことになるかも知れないと私は思った。それでも、今更この成り行きに抗することは出来ない。私の男としての本能が、行くところまで行けと命じていた。
私は、シングル・ハンドに固執する理由を自分に問うた。思い当たるものは何もなかった。強いていえば、日本を出る時、シングル・ハンドで世界を一回りすると見栄を切ったほどのことだった。女房とは離別していたし、子供たちは既にそれぞれ独立している。どこにも遠慮はない。
我々日本人は、初志を違えることを恥じる。しかし、西欧では、事情の変化に伴い、よりベターな選択があればチェンジマインドという言葉で容易に方向転換をする。それが、より合理的で正しいことと考えるから、彼らは決して恥じとは思わない。八年も日本に帰らず外国を放浪していると、いつか私の観念にも、そうした考え方が浸透してきているらしい。
あらためて考えを整理してみると、私の躊躇いは消えていた。バス・タオルに体を包んで、私はエレンの寝室へ入って行った。
仄暗いベッドに彼女がいた。ブランケットを捲り、私は彼女の横に滑り込んだ。彼女もまた一糸も纏ってはいなかった。二人は、ごく自然に互いを抱擁した。
荒れ狂う海が私を翻弄した。狂おしく何かに縋り、狂おしく何かに埋没しようとした。埋没の果てに自己破壊の渇望が萌し、自らの破滅の淵へと突き進む。激浪の向こうに大きなうねりがあった。心を委ねていると、やがて静謐が訪れた。計り知れない長い時間、私は中空を漂っていた。
ふと見ると、エレンは頬を紅潮させて眠っていた。私が、そっと彼女から離れると、彼女は束の間の眠りから覚めて力いっぱい私に縋った。
エレンは、土曜日ごとにヨットに通うようになった。成熟した女の夜を過ごし、日曜日の夕方、彼女はブリスベーンへ帰って行った。
その年も暮れに近づいた或る日、私たちは、ウィットサンデー諸島のハミルトン・アイランドに五泊のバカンスをとった。
真夏のウィットサンデーは、正に最高のリゾートだった。奢侈を極めた五日間は夢のように過ぎていった。
最後の夜、ディナーの折、私は、彼女にプラチナのイルカのペンダントを贈った。
「裏を見てごらん」と私はいった。
彼女は、キャンドルの灯りに透かし見て、
「三叉の矛が彫ってあるわ」といって、訝しげな視線を私に戻した。
「そう、私のヨットは[海神]と漢字で書いて、[ネプチューン]と読む。ネプチューンはギリシャ神話でポセイドンだね。ポセイドンの手には、何物をも貫く三叉の矛がある。ヨット・ネプチューンのクルーの印だ。いや、パートナーの印と云い換えよう」
「エッ、私を連れて行ってくれるの?」
「もう、とうの昔に決めていたことだ。今では、きみを残して航海なんぞ考えられない。いっしょに来てくれるね?」
「勿論よ。私、ほとんど諦めていたの。ただ、kenが五月に出航した後どうしたらいいか自分でも分らなくて、随分悩んでいたのよ。また以前のように、異郷で肩肘張って生きていくしかないのかって。安心してそばに居られて、しかも私の主体性を100%認めているくせに、100%私を縛っている人なんてどこにもいないもの・・・」微かに目を潤ませて彼女がいった。そして、急に席を立ち、私の傍らへ来て熱烈なキスをした。周囲のバカンス客が、興味深げにそれを見ていた。
「おい、エレン、止めろよ。みんなが見て笑っているよ」といって、私は彼女を強引に席へ戻した。
「きみのお陰で、私は心身共に若返った。長期の航海にしても、行きたい気分と、行かずに、のんびりと気に入った外国のどこかで暮らしたいという願望とが半々だった。でも、エレンを航海の伴侶として考えると、いろんな夢が湧いてきた。エレンを連れて、あそこも行きたい、ここも行きたいという具合に。航海というものは、夢がなければ絶対に続けられるものじゃない。ほとんどが辛いことの連続だからね。それが、若しかすると、エレンがいっしょなら辛いと思わないのではないか。その先にある夢の方が辛さを上回るからだ。本当に好きな人に心から喜んでもらうことが究極の幸せなんだと、いま私は考えている。
さあ、地中海までの航海の無事を祈って乾杯しよう」
一月いっぱいで研究室を退職し、二月の初め、エレンはヨットへ越して来た。
狭いヨットに配慮し、大きめなセール・バッグと段ボール箱一つという簡単な引越しだった。それでも、私には華々しい祭典のようにドラマティックなものに思えた。
その夜、私たちは新たな生活の始まりを祝って、ヨット・クラブのレストランで祝杯を挙げた。
既にエレンと顔なじみのヨッティーたちが何人か居合わせて、私たちの祝祭に加わった。艇名[ガーディアン]のブラジル人、アティラとアビゲイル、[ハーモニー]のイギリス人、グレイハムとシルビア、そして、国籍不明、航海の計画などというものは考えたこともないという[アルバトロス]のジョナサン。彼とは、サモア、バヌアツなどで航海中に出会っているが、正に思いがけぬ所に現れる男だ。三十二フイートの小さなヨットで、もう二度もサーカム・ナビゲーションを果たしているという噂だが、真偽のほどは誰にも分らない。最近は、フィジー、ソロモン、ニュージーランド、オーストラリアなどの、この辺りでいうグレート・サークルをシーズンも関係なしに廻っているらしい。年齢は恐らく三十歳代の後半から四十歳代前半。髭面の、誰からも愛される愉快な偏屈者である。
「ジョナサン、次のシーズンの航海計画は?」と私は尋ねた。これは、彼をからかう時の常套句である。決まって、彼は、不機嫌そうに「そんなものはない」という。
「kenとエレンについて行くよ」とジョナサンがいった。異例のことで、みんなが顔を見合わせた。
「珍しいことだ。嵐が来るぞ」とグレイハムがいった。
「ほんと。ジョナサン、一体どうしてなの?」とシルビアが尋ねた。彼はただ笑みを浮かべて何も答えなかった。私は、何故とは知らず、ふといやな予感を覚えた。
熱帯のような暑い日々が続いた。
エレンと私は、朝起きると水着に着替え、毎朝ビーチでひと時を過ごした。
大勢のボディボード・サーファーに倣い、エレンはサーフィンを始めた。彼女は数日でコツを呑み込み、快適に波乗りをしていた。私も何度か試みたがすぐに諦めてしまい、ビーチからエレンの滑走振りを眺めていた。
三月も終わりの頃、私は、ボードに乗って沖に漂うエレンの傍らにジョナサンがいるのを見た。彼は、ボディボードではなく、本格的なショートボードにうつ伏せに乗ってエレンとにこやかに話していた。
或る日、ボードを抱えて水から上がって来たエレンに私はいった。
「今日も、ジョナサンがいっしょだったね」
「彼、とてもサーフィンが上手なの。いろいろ教えてくれるのよ」と彼女はいった。
私は、ただ頷くだけだった。
そう気づいてみると、ほとんど毎日、エレンの傍らにジョナサンがいた。ここは、そうしたことにいちいち目くじらを立てることのない西洋の地であり、しかもエレンは西洋人である。私は、文化、風習、さらには考え方の違いに、いいようのない焦燥感を噛みしめるばかりだった。
エレンとの暮らしに変化はなく、それだけに、私は、彼女とジョナサンのかかわりに口を挟む余地はなかった。
曇って少し寒さを覚える朝、私たちはいつもより早くビーチを後にした。ボードを抱えて、エレンは私と並んで歩いていた。彼女が、気遣わしげに私の顔を覗きこんでいった。
「ken、どうかしたの?何だか悩んでいるみたい。前から感じていたのだけど、私と関係のあることなら話してみて」
私は躊躇った。あらためて考えてみれば、ジョナサンが、度々エレンとサーフィンをしていたというだけのことだ。それを取り立てて口にすることは、何か男の度量に拘わることに思えた。
「何でもないよ」と私は言葉を濁した。
「いいえ、何でもなくはないわ。さあ、話して」
追いつめられたように私は口篭った。もう一度、彼女は「さあ」といった。
「ジョナサンのことだ。エレンがどう思っているか知らぬが、彼はきみが好きなんだと思う。ものの考え方や感じ方は、私よりも彼の方がダイレクトにきみの心にアクセスし、きみの心を動かせる。それに、これは私の僻みではあるが、彼は若い。いまエレンを失ったら、私は・・・・」そこまでいって言葉が途切れた。
「やっぱり、そのことだったのね。kenが、ジョナサンのことを気にしていると気づいて、私は彼を遠ざけるようにしているわ。彼はただのお友達だと思っているし、kenに対する私の気持ちは少しも変っていない。それに、kenが年寄りだなんて思ったこと、一度もないのよ。現在のkenの若さで、私は十分に満足しているわ」そういって、エレンは私にキスをした。
四月に入ると、めっきり涼しくなった。艇に関する大方の準備も終わった。
四月半ばから、私は気象のパターンをデーター的に観察したり、チャートの準備をしたり、GPSに航路のウエイ・ポイントをインプットしたりという、いわゆる航海術に関する仕事に取り組んでいた。
一方、エレンは、艇に積み込む食料や日用品の買い込みに忙しかった。さらに、それらをロッカーに収め、どこのロッカーに何が入っているかを示すリストを作った。予備の品は、手頃な段ボール箱を捜してきてそれに詰め、フォルクスに積み込む。段ボールといっても、食品が入っていたものはゴキブリの卵が産み付けられている可能性が高いから、家電品や文具、薬品といったものの箱に限定される。エレンは、毎日どこからか、それらを見つけてきて艇に運んだ。
やがて、五月になった。
毎日のように何艘かのヨットが出航していった。天候と風向きを吟味し、それが目的地への航行に好都合なら、躊躇なく舫を解く。
同行する何艘かのヨットのキャプテンが、毎日互いの情報と見解を持ち寄り、出航のタイミングを計った。ダーウィンまで約五週間から七週間。オーストラリア東岸を北上する間はデイ・セーリングで行く。世界一大きなリーフであるグレート・バリア・リーフの中を進む訳だが、パッセージの中とはいっても、水中を監視出来ない夜は走らない。どこに錨泊地を求めるか。どこでディーゼル・エンジンの軽油を補給するか。生鮮食品の補給が出来る港、例えばマッカイやボーエン、タウンスビル、ケアンズ、ポートダグラスなどには何泊するか。トーレス海峡では木曜島に停泊するか、或いは一気にアラフラ海を突っ切るか・・・。そうした事柄が、毎日話題となっていた。
五月九日、半晴。
早朝から出航の機運が盛り上がっていた。誰いうとなく九時に出航と決まった。
同行艇は四艘だった。今日中に、フレーザー・アイランドの南端まで進み、ワイド・ベイ・バーを入ったどこかの入り江にアンカーを打つ。途中のコンタクトは、VHF72チャネルで保つ。申し合わせはそれだけだった。
石積みの堤防で守られ、沖に突き出たムルラバの水路を出ると、各艇は、それぞれ思い思いの針路で海原に散った。
初めての航海にエレンは張り切っていた。セールを揚げ、針路を定め、ウインド・ベーンに舵を任せると、私たちはキャビンへ降りてコーヒーを飲んだ。朝からの慌しい出航準備で朝食を摂っていなかった。エレンは、チーズ・スプレッドをパンに塗り、グレイス・ジンジャーのスライスを挟んだサンドウィッチを作った。それをほお張りながら、エレンは、
「いよいよ始まったのね。好いクルーになるよう頑張るから、いろいろ教えて下さいね」といった。
「私も、好いキャプテンになるよう努力しなくてはいけないね。こちらこそ、よろしく頼む。それはそうと、ジョナサンは来なかったようだね」と私がいった。
「ほっとしているのね。私も、気苦労がなくてその方がいいわ」とエレンがいった。
サンシャイン・コーストの岸沿いは、水深が浅く波が悪い。航海の始まりの頃は誰でも船酔いをするものだ。しかも、エレンは初心者である。私は、思いきり艇を沖出しして、彼女にとって少しでも快適なコースをとった。
風は東南東15ノット。波高1メートル。昼近く、雲は払われ快晴になった。航海の初日としては申し分ない海況である。アビームの風を満帆に受けて、艇は快調に走った。
遥か西を、エレンとよく散策したマルチドールやヌーサの街並みが過ぎていった。沖から見ると、数センチにも満たない集落である。あそこに、いろんな思い出や夢を残してきたかと思うと不思議な気がした。
エレンは元気がなかった。軽い船酔いにかかっていた。こればかりは、助言は出来ても本人が耐えるしかない。
「キャビンで横になって、出来れば眠るといい。目が醒めたら船酔いは治っているものだ」彼女は、頷くと、黙ってコンパニオン・ウエイを降りていった。
私は、誰かを艇に乗せた時は船酔いはしない。恐らくは、同乗者への責任感からくる緊張と、ベテランとしての見栄がそうさせるのだろう。キャプテンが船酔いすると、同乗者はほとんど例外なく船酔いにかかる。勿論、生理的変調が主因ではあるが、船酔いとは、それほど心因性の要因が大きいものだ。
コックピットからキャビンを覗くと、エレンは左舷のソファで眠っていた。横向きに体を丸め、左の掌を頬に当て僅かに唇が開いている。その無邪気ともいえる姿が愛おしさを感じさせた。
彼女が居るということが、私の航海への躊躇いを跡形もなく吹き払ってしまった。これからの航海にどんな辛いことが待ち構えているかも知れないのに、命ごと、彼女の全てを私に預け、私を信頼してくれた。若しも遭難して死ぬことがあれば、私といっしょに死ぬという覚悟だ。そう思うと、私はどんなことがあってもエレンを守りきろうと自らに誓った。
午後三時近く、難所といわれるワイド・ベイ・バーを過ぎた。フレーザー島と本土の間を通るインナーパスから吐き出される潮と沖から寄せる波がぶつかり、巨大な三角波が立つ所としてヨット乗りに恐れられている。しかも、砂のバー(帯状の浅瀬)は日によって移動し、三メートル弱といわれるそれがどこに潜んでいるか分らない。近くのチンカン・ベイのコースト・ガードが、毎日このワイド・ベイ・バーの状況を報じ、航海者の安全を期している。
潮汐表をつぶさに調べた甲斐あって、三時前後は、ちょうど停潮時に当たる。それでも、バーの付近には潮が渦をまいていた。
私は、大事をとって、帆とエンジンを両用した。極度に大きな揺れもなく、平水のインナーパスに入った頃、エンジン音で目覚めたエレンがコックピットから顔を覗かせた。
「どうだい、船酔いの方は?」と私がいった。
「ほんと。目が醒めたら治っているわ。kenは名医なのね。ところで、いまどの辺りなの?」と彼女が尋ねた。
「ああ、もう目的地に到着だ」
「えっ、私、何もクルーの仕事をしていないのに」彼女は、おどけて慙愧に堪えぬといった調子で叫んだ。エレンはすっかり元気になっていた。
インスキップ・ポイントを廻り、ペリカン・ベイを窺った。このベイは、ほとんどが砂の浅瀬で一メートルにも満たない。その中を、小川のような水深二、三メートルの水路が通っていて、そこがアンカレッジになる。何艘かのヨットが錨を入れていて、既に十分な錨泊余地はなかった。VHF無線で僚艇を呼んでみると、[ガーディアン]はチンカン・ベイ・マリーナに舫いをとったそうだ。私は、[海神]もそこへ行くからバースを予約してくれるようにアティラに頼んだ。まだ沖にいる[ハーモニー]も、私たちのじき後にいる[ケ・セラ]も、ペリカン・ベイに余地がないのならマリーナへ向かうということになった。
「やれやれ、我々はすっかりマリーナ慣れして軟弱になってしまったものだ。これから先が思いやられるね」と私はぼやいた。
マリーナまでは、チンカン・インレットの穏やかな水面を六海里ほど航行する。砂洲やマングローブの岸の様子が珍しいらしく、エレンは飽かず眺めていた。私は、時折出っくわす浅瀬や早い潮に退屈する間もなかった。
しかし、この選択は、その夜から吹き始めた北東の強風に処して、極めて幸運だったといえる。恐らく、ペリカン・ベイのヨットたちは辛い夜を過ごしているに違いなかった。
マリーナに落ち着いてみれば、先の航路に心が逸った。しかし、前からの風では、不可能ではないにしても、とても快適な航行は望めない。それに、どの道、ワイド・ベイ・バーを越えることは出来ないだろう。私たちは、この風が収まるまでマリーナで寛ぐことにした。
翌日も、天気は快晴だった。強風注意報が出ていて、チンカン・インレットの水路は白く波立っていたが、陸は穏やかなものだった。私たちは、近くの村のカフェでのんびりと半日を過ごした。
オーストラリア東岸の気象の特徴は、吹き出すと最低一週間は続く。嵐も一週間以上。快晴も同様だった。
エレンと私は、午後から内陸の散歩に出掛けた。特に見る所とてない僻地である。田舎の長閑さを全身にまとうようにして、私たちは歩いた。鮮やかな赤と緑と青のインコの群れや真っ白な鸚鵡が突然現れて散歩の単調さを補ってくれた。
一日中することもなく過ごした[ケ・セラ]のジェイとデビーは、フレーザー島と本土の間をハービー・ベイへ抜けるグレート・サンディー・ストレイトを北上してみてはどうかと提案した。強風は北東だから、航路はフレーザー島の風下に入り航行に支障はないと彼らはいった。それに、のんびり錨泊しながら進むので、ハービー・ベイへ出る頃は風も収まっているだろうということだった。
私は、多分ファンネル現象で、却って向い風が厳しいかも知れないよといった。結局、[海神]以外の三艘はグレート・サンディー・ストレイトを北上し、翌日はゲリーズ・アンカレッジに錨泊することになった。
無線連絡によると、私の予想どおり向い風が強く、三艘のヨットは、ゲリーズ・アンカレッジで足止めを喰らっているとのことだった。
私たちは、チンカン・ベイに五日間滞在した。強風はやや収まりかけていたし、それに、今日あたり、風が南東に変わると予測され、[海神]は出航した。
朝凪の頃が、丁度潮が停まる時間と重なっていたことも幸いして、ワイド・ベイ・バーは、覚悟していたほどに厳しくはなかった。それでも、エレンにはライフ・ジャケットとハーネスを装着させ、しっかり何かにしがみついているように念を押した。
フレーザー島の南端とインスキップ・ポイントの間の水路に差し掛かると、外洋は白く波立っていた。常のように、一瞬私の内を躊躇いが過ぎった。
バーへ接近すると、紋をなして潮が流れ、いくつもの渦潮が沸きかえっていた。さらに進むと、立ちはだかるように二メートルほどの三角波が艇を持ち上げ、そして突き落とした。艇は、後足で立った馬のように舳先を持ち上げ、前方の視界を奪った。次の瞬間、舳先は水中に没し海水を掬い上げた。デッキを走る水はコックピットへ打ち寄せ、私たちをずぶ濡れにした。
「しっかり、何かに掴まるんだ」と私は叫んでいた。エレンの蒼白な顔が視界の端を過ぎった。スロットルを全速に押し込み、私は仁王立ちになってティラーを操った。
まるで異次元に飛び込んだように、突然海が静まりかえり、バーを越えたのだと知れた。
「さあ、冒険は終わった。少々怖かったかな?」私は彼女の顔を覗きこんだ。
「スリル満点。もう、ジェット・コースターで悲鳴を上げることはないわ」唇の端に、まだ緊張の名残を見せてエレンがいった。
真正面からの風に逆らって、機走でさらに二海里ほど直進し、やがて北北東へ舵をきった。明らかに、風は南東へ変わろうとしていた。やや後方のアビーム。25ノットの風がメイン・セールをワンポイント縮帆した艇を駿馬のように走らせた。
フレーザー島北端のサンディ・ケープから北へ二十海里続くブレイクシー・スピット、さらにその先にある灯台船まで約百海里。その東方三海里に設定したウエイポイントを目指して艇はひた走った。
目的地は、灯台船から五十海里先のレディ・マスグレィブ・アイランド。グレート・バリア・リーフ南端に位置し、ハービー・ベイのバンダーバーグから北東五十海里の洋上に浮かぶ小島を擁した美しいラグーンである。
フレーザー・アイランドは世界一大きな砂の島である。いくつかのリゾートがあり、魅力的なアトラクションもあって観光地として脚光を浴びている。洋上から、岸辺のリーフに砕ける波の向こうに、深い森や急斜面の砂丘が見えた。
午後になって、風は20ノットまで落ちた。日没までに六十海里の航程を稼いでおきたかったので、縮帆を解除し艇速を6ノットに維持した。
夕暮れが近づいて、フレーザー島の上空が朱に染まった。エレンは、カメラを持ち出してシャッターを押していた。
「こんな見事な夕焼けなんて、見たこともないわ。これが見られただけでも、連れてきてもらった甲斐があったわ。ねえ、ken、あなたはこんな夕焼け見たことあって?」
「何日も陸地が見えない外洋を走ると、どこを見ても海ばかりになる。その中で、唯一の変化はこの夕焼けだ。毎日見るものなのに、一日として同じ夕焼けはない。天気が好ければ、エレンは毎日感嘆の声を上げることになりそうだ」私は笑いながらそういった。
「つまんない。私の大発見だと思ったのに」エレンは唇を尖らせて文句をいった。
夕映えはやがて色褪せていった。朱やオレンジ色が次第に灰色を帯び、夜が兆した。そして空の片隅に金星が光った。と見る間に、暗さを増す空のあちこちに、降るかと見える星群が煌き出した。
エレンは、また歓声を上げた。私は、星座のいくつかを説明した。あれはオリオン。真上に長く連なるのがスコーピオン。そして、やや後方に見えるのがサザンクロス・・・。彼女は興味深げに聞き、頷いていた。
暫くすると月が昇り、星が威力を失っていった。明日あたりが満月だった。東から、海上を銀色の帯を延べたような煌きが、波間を渡って艇に届いていた。エレンが、うっとりと眺めていた。
「さあ、夜風は体に悪い。舵はウインドベーン任せだから、もう中へ入ろう」そういって、私はコンパニオン・ウエィの階段を降りた。名残惜しげに、彼女がそれに続いた。
私は、チャートとGPSのルートとを照合し、前方に警戒すべき浅瀬やリーフがないか、もう一度チェックした。
エレンは、夕食の準備をした。航行中の食事は、片手で食器を抑え、片手で食べる。従って、いくつもの器に料理を盛り分けて、バラェティに富んだものにはなりにくい。理想的には、一つの器に食事の全てを盛る。しかも、汁が多いと艇の揺れで器の外へ溢れてしまう。彼女は、小口に切ったチーズとハムをたっぷり入れたオムレツを作った。
食事を終え一服すると、私はいった。
「さて、エレン。いよいよクルーの仕事の始まりだ。先ず、いちばん初めはきみが眠ることだ。私は、十二時までウオッチにつく。きみは十二時に起き、三時間私とウオッチを交代する。いいね。さあ、眠るんだ」
「最初の仕事が眠ることだなんて、へんな仕事ですこと。でも、分ったわ。仰せの通り眠ります」エレンは、ジーンズのスラックスだけ脱いでバースに潜り込んだ。
私は、以前計算したルート上のウエイポイントをもう一度取り直し、それをGPSにインプットされたものと照らし合わせた。ルートを左へ二海里以上外れなければ、航行は全く安全だった。
「興奮して、眠れないわ」とバースの中からエレンがいった。
「それを、無理にも眠らなくてはいけないから仕事なんだ。いま眠らないと、エレンのウオッチの時、眼を開けていることも出来ないほど眠くなるぞ。そうしたら、ヨットはリーフにぶつかって沈んでしまう。さあ、眼をつぶって、頑張って眠るんだ」
「へんなの。頑張って眠るなんて」彼女は不服そうにいった。それでも、暫くすると軽い寝息が聞こえてきた。私は眠っているエレンの額にキスをし、見張りに立った。
見張りといっても、何かが見える訳ではない。いや、むしろ何も見えないことを念じて見張るのだ。私は、月明かりの海原に眼を凝らした。
十時少し過ぎ、GPSが、東へ張り出した岬の沖、南緯二十五度のウエイポイントを交わしたと告げた。私は帆とウインドベーンを調整し、新針路三百五十度に艇を転針した。風向が変わらない限り、これで夜明けまですることは何もない。
十一時を回る頃、フレーザー島の辺りに、一瞬明かりが見えた。釣り舟か、それともどこかのリゾートの灯かも知れない。
GPSが示すルートと実航路の偏差をとり、それをチャートにプロットしていると、エレンがバースの中から、
「もう、交代の時間でしょう?」といった。
「そうだね。もうそろそろだ。眠気がとれたら、きみの仕事を説明しよう」
私の傍らにエレンが立った。私は、GPSの示す偏差が、予め私が設定したルートに対し、艇が左右にどの程度ずれて航行しているかを示していると説明した。
「現在は、右へ0・5海里ずれているね。ルートの右には障害物はないと考えていい。ただし、左には二海里ずれると暗礁がある。エレンは、この偏差の部分を見て、左へ一海里以上ずれたら私を起こすこと。それから、コンパニオン・ウエィから周囲をよく見張る。多分何も見えないはずだ。何かが見えたら、やはり私を起こす。釣り舟やヨットなどが自動操舵で走っていて、こちらに気づいていない場合がある。対向している時は、あっという間に接近するから、航海灯が見えたと思ったら躊躇せずに私を起こすこと。質問は?」
「偏差が左へ寄ったり、何かが見えたり、その都度kenを起こしていたら、あなたが眠る時間がないじゃない。それでは、kenの体がもたないわ。私がそれを回避する方法はないの?」
「そのうち、きみにその方法を覚えてもらうよ。それまでは、いま私が説明した通りにして。それに、航海というものはそういうものなんだ。若し、私が一人なら、私は一睡だって出来ないんだよ。きみがいるおかげで、仮眠がとれるだけ私は楽が出来る」
そういって、私はオイルスキンを着たままソファに横になった。耳もとで、船体を洗って過ぎる水の音がしていた。それを聞きながら、私は眠りに落ちていった。
数分眠ったかと思う頃、エレンの声に起こされた。実際には二時間眠っていた。
「ken、左に明かりが見える。ヨットが、何かにぶつかってしまうわ。お願い。早く、どうにかして!」とエレンが叫んでいた。
私は、彼女を押しのけてコックピットへ出た。一閃、そしてまた一閃。その間隔はおよそ十秒と読めた。
「安心していいよ、エレン。あれはね、フレーザー島北端の灯台だ。航海が安全であるようにと瞬いている灯りだ」私はエレンの肩を抱いてそういった。
「灯台なんだ。灯台って、あんな風に瞬いているんだ。私、初めて見たわ。起こしてしまってごめんなさい。でも、どうして、そこに灯台があるって分るの?」
「チャートにそう書いてある。さあ、キャビンに降りてチャートを見てみよう」
ナビゲーション・テーブルに広げたチャートを彼女に示し、これが灯台のマーク、最初の記号FLは灯台の発する光質でフラッシュの意味。その後の数字とアルファベットは、閃光と次の閃光の間隔とその光の色。FL10Wなら白色光で十秒に一回閃光する。そして、mはメートルで、灯台の高さ。Mはシーマイルで、何海里遠くから見えるか。そういう個々の灯台の特質を全て表していると説明した。
「この海域に、この特質を具えた灯台は他にない。灯台のアイデンティティーだね。だから、その灯質を見れば、自船の位置をつかむことも出きる。どお、分ったかな?」
「よく分ったわ。そうやって、船は安全を確保して航海するのね。また一つお利巧になったわ。さあ、もう一時間お休みになって」とエレンがいった。しかし、興奮がさめた彼女は眠そうだった。
「私はもう大丈夫だ。代わりに、エレンが眠るといい。ほらほら、瞼がくっつきそうだ」
五時を回った頃、東の空に黎明の兆しが見えた。ウオッチは、この頃が一番辛い。堪えても堪えても睡魔が思考を停止させる。一生懸命眼を閉じまいとしていると、遂には眼を開けたまま眠っていることがある。
コックピットへ出て、大きく体を伸ばし、ストレッチして眠気を払った。あらためて前方に眼を凝らすと、薄闇の中、遥かに灯台船の灯の瞬きが見えた。約五海里先。四秒間隔のフラッシュだ。二十一時間で百海里。丸一日の航程が約百二十海里と読めた。予定通りだ。
六時、灯台船を遥か左に見てウエイポイントを通過した。
六時二十分、水平線に太陽が昇った。もう一度、全身を大きく伸ばすと、眠気が跡形もなく消えた。
針路を二百九十度に転舵し、夜間の安全を期して縮帆した帆をフルセールにした。風がほとんど真後ろから来る。帆走には、あまりありがたくない風向である。セールを左舷いっぱいに出し、ブーム・プリペンダーを緩く締めた。固く締め込むより、その方が艇に自由な動きの余地があって揺れも小さくなるし、ブームが水を掬った時、抵抗を逃がすので、ブームを折るということもない。
目指すは、二十八海里先のレディ・エリオット島沖に設定したウエイポイント。レディ・マスグレィブ島は、さらにその二十二海里先にある。五ノットで計算して、残航十時間。午後四時の到着になる。日没が五時八分だから、出来ればもう一時間早くマスグレィブに着きたい。せめてアベレージ五・五ノットをキープできないか。ナビゲーション・テーブルで、チャートを見ながらそんな思案をしていると、エレンが、
「おはよう。ken、ウオッチを代わりましょう」といった。
「おはよう、エレン。今日も好い天気だよ。私は、まだ大丈夫だ。朝のコーヒーを味わってから少し眠らせてもらうよ。今朝、きみのご機嫌は如何かな?」
「素敵な朝だわ。もう、完全に船酔いも治ったし、今日はどんな仕事も出来そうよ」
そういって、彼女は寝床から起きて、私にキスをした。
午前七時半から、私は二時間余り眠った。そして、再びエレンの声で目覚めた。
左舷前方五海里辺りに、レディ・エリオット島が見えると彼女が告げた。
私は、エレンが差し出すマグ・カップを受け取り、好い香りのコーヒーを飲んだ。
「十時半か。絶好のペースで進んでいるね。この分で行けば、三時過ぎにはマスグレィブにアプローチ出来そうだ。さて、ナビゲーションのチェックをしようか」
マグ・カップを手にコックピットへ出た。潮のせいか、海面はざわついていたが、波高は一・五メートルほど。風は南南東に傾き、二十二ノットだった。ウインドベーンが風向の変化を捉え、針路が僅かに東へずれていた。GPSを調べ、左舷に出していた帆を右舷にジャイブし、西へ五度ベアリングを変えた。そうしている間に、レディ・エリオット島が、左手二海里を過ぎて行った。
小さく平坦な島があって、その周囲を大きく取り巻くリーフに、所々白波が砕けていた。エア・スリップがあるらしく、小型飛行機が緑の木立の中へ消えた。
エリオットを過ぎて三時間後、遂に今日の目的地であるレディ・マスグレィブ島が水平線に見えてきた。
「昔の船乗りは、マストの上に設えたルックアウトから海上の見張りをしたんだ。見張り番が陸を発見すると、大声で『ランドホー』と叫んで仲間に知らせたそうだよ。正しくは『LANDFALL』だろうが、呼び声として、最後の音がホーになったというのが面白いね」私が説明すると、エレンがマストを支えるシュラウドを左手に握り、右手を小手にかざして「ランドホー!」と大声で叫んだ。そして、
「なんだか、大昔の海賊になったみたい」といって笑った。
三時過ぎ、マスグレィブ島北東のリーフ一海里沖に到着した。ラグーンの中、島の手前にヨットのマストが何本か見えた。
この時間だと、パスの海底に散在するボミーと称する岩やコーラルヘッドを監視するのに光線の具合が好い。ぐるりとリーフの北の縁を回り、北西側にあるパスに対峙した。
エレンは、ポラロイド・サングラスをかけ、舳先に立ってボミーを避ける見張り番である。右へ回避するか、それとも左か、前方を向いたまま手を高く上げて合図する。手の振り具合で舵の加減を知らせるという難かしい役目である。ボミーが接近すると、思わず振り返って「もっと右!」などと叫んでしまうが、そうすると、舵を操る者はその加減を見失ってしまう。あくまでも冷静に、手の合図だけで艇の針路を指示しなくてはならない。
パスの入口の赤と緑のビーコンの間を過ぎた。強い潮流が船縁をざわざわと音をたてて流れ、舳先を左右に振る。
「さあ、エレン、始まるぞ。しっかり見て、冷静に合図するんだ!」私は舳先にいるエレンに向かって叫んだ。
水路の右二百メートルほど前方に、緑のビーコンがもう一本ある。それを過ぎるとラグーンの中だ。さらに、その先に暗礁を示すブイがあって、それを左に交わす。それまではパスの中央を維持して航行する。以上がこのパスを通る大雑把な要領であった。
水はあくまでも透明だった。じっと見ていると、船が空中に浮いているような錯覚に陥る。
エレンは、腕を高く掲げ、右に左に合図を送った。それに従って私は舵をきった。完全なチームワークだった。いくつかのボミーを回避し、艇は小島に程近いアンカレッジに錨を打った。
初めての航海を成し遂げた時の感動を、私は今でも鮮明に覚えている。アンカー作業が終わりエンジンを止めると、私はエレンを腕に抱きしめていった。
「初航海達成、おめでとう。よく頑張ったね。きみのお陰で好い航海が出来た」
「キャプテン・kenのお陰で、私は素晴らしい経験をしたわ。何だか、言葉ではいい表わせない達成感があって、もう、涙が溢れそう」そういって、彼女は本当にその眼に涙を湛えていた。
午後四時半。太陽が西に傾き、ラグーンに夕凪が訪れようとしていた。不遜な云い方が許されるなら、これは、自分たちの力でかち得たパラダイスの風景だった。
朝食の用意が出来たとエレンに起こされた。まだ七時半だった。
「どうしたんだね?こんなに早く」前日の疲れもあって、私はまだ寝足りなかった。
「目が醒めて、デッキを回ってみたの。ヨットの周りの海底には、珊瑚礁に魚がいっぱい群れているのよ。それはもう、とてもきれいなの。早くkenにも見せて上げようと思って、急いで朝食の用意をしたの。食べたら、シュノーケリングしましょうよ」
「そうゆうことか。ここは海洋公園に指定されていて、珊瑚も魚も保護されている。だから、南太平洋の小島に負けないほど海底は美しい。ただね、シュノーケリングは太陽が高く上がってからの方が好いんだよ」
「kenは、まだ眠っていたいのでしょう。それなら、私一人でシュノーケリングする。kenは眠っていらっしゃいよ」エレンが珍しく子供のような我儘をいった。考えてみれば、エレンを喜ばせることがこの航海の一つの意味でもあった。眠るのは、シュノーケリングの後からだってよい。
「OK、エレンのしたいようにしよう」
素晴らしい快晴だった。エレンが興奮するのも無理がない。食事が終わると、私はフット・ポンプでディンギーを膨らませ、五馬力のエンジンを取り付けた。さらに、黒いビニール製でシャワーのノズルがついた袋に、真水をいっぱいにした。これを日向に出しておくと、一時間ほどで丁度好い湯加減になる。水着姿のエレンが訝しげに見ていた。
「これは、泳いだ後に浴びるシャワーだ。海水を体に残したままでいると不快だし、時には、プランクトンで皮膚が虫刺されのようになることもある」
「ごめんなさい。kenはまだ眠かったのに、余計なことまでさせちゃったようね」
「構わないさ。さあ、フィンやゴーグルはデッキに置いたままディンギーに乗ってごらん」
エレンは、いわれた通りディンギーに乗り込んだ。二人分のゴーグルとシュノーケル、そしてフィンを渡した。彼女は、ディンギーの真中にあるバーに腰掛け私を待っていた。
「さあ、行っておいで」そういって、私はデッキから舫い綱をディンギーの中へ放った。
ラグーンというものは、地形的にいえば確かにバリアリーフに囲まれている。しかし、ほとんどのリーフは水面下に隠れて見えず、ふとした折に、大海の真っ只中にいる感じがするものである。潮の流れで、ディンギーはすぅーッとヨットから離れて行った。エレンの顔が訝しげに私を見つめ、次に恐怖の表情を露わにした。
「ken、助けて!私、ディンギーの操縦出来ないのよ。ken!」
ディンギーが十メートルほど離れると、私は舷を蹴って飛び込んだ。水面に顔を出した所に、エレンの不安そうな顔があった。
「ken!私、死にそうに怖かったのよ。一人でシュノーケリングするなんてもういわないから、こんな恐ろしいこと、絶対にしないで!」
「分った。もうしないよ。ごめん、ごめん」
私は、エレンのうなじに手を回し、彼女の顔を引き寄せてキスをした。しかし、彼女の表情から恐怖は消えなかった。私にして、それは軽い悪戯のつもりだった。それなのに、これが、後日のあの出来事の心理的伏線になろうとは、その時の私には想像も及ばぬことであった。
ディンギーへよじ登ると、エンジンをかけ、リーフの縁へと走った。小さなマッシュルーム・アンカーを放り込むと、
「さあ、始めよう。バリアリーフの内側を探検するといい。バリアリーフの上をシュノーケリングするのはいいが、それを越えて外側へは行かないこと」と私はいった。
二人は、勢いよく海中へ飛び込んだ。正に、眼を見張るばかりの海底風景である。僅かな環境変化で珊瑚は死滅し、砂色になってしまう。しかし、マスグレィブのそれは生きている珊瑚だった。赤、青、紫、黄緑、レモンイエロー、オレンジと色が鮮やかで、いろんな種類の小さな魚が群れていた。私たちは、手を繋いで海面を漂った。とりわけ美しい何かを発見すると、それを指差し、ゴーグルの中で微笑をかわし互いに頷いた。
シャコ貝やコゥリー(宝貝)、クモ貝などがいて、私たちが近づくと、するりとその軟体を内へ引き込んだ。五十センチ以上もある大きなスナッパー(鯛)やグルーパー(はた)、時にはうつぼや艶やかな蓑カサゴなどもいた。
正に、時を忘れた浦島太郎よろしく、気がつくと、私たちは二時間近くもディンギーの周りを漂っていた。
「そろそろ上がろうか?体がふやけて、魚になっちゃうよ」と私がいった。
「まだ、三十分ほどしか経っていないのに、もう上がるの?」エレンがいった。
「冗談じゃない。もう二時間経っているんだ。ウエットスーツを着ていないから、体温が下がって猛烈に疲れてしまうよ」
「エッ、二時間ですって?嘘よ。せいぜい一時間ってところよ。それに、私はちっとも寒くないわ」
「女性は皮下脂肪というウエットスーツを着ているからね。男性としては、もう体力の限界だ」彼女は私のダイバー時計を覗き込み、
「本当だわ。時間がどこかへ掠め取られたみたい」そういって、私たちはディンギーによじ登り、ヨットへ戻った。
デッキでシャワーを浴びながら、
「楽しかったわ。こんなに素晴らしいシュノーケリング、初めてよ。でも、ken、もうあんなことしないって約束して」とエレンがいった。
「ああ、怖がらせて悪かったと思っているよ。もう絶対にやらない」
レディ・マスグレィブの二日間は、快晴に恵まれ夢のように過ぎた。
三日目の正午、私たちはグレート・ケッペル・アイランドを目指して抜錨した。航程は約百海里。明朝の到着が予測出来た。
風が少し強くなり、海面に白波が見えた。風向は真南。注意すべきは、四十五海里先にあるポルメイズ・リーフがルートのすぐ北の風下側にあるということだ。GPSの偏差に気をつけていれば問題はないが、どうしてもヨットは風下へ流される傾向がある。しかも、その辺りを通過する時間は夜の九時頃だろう。日中なら、遠くからでもリーフに砕け沸き返る白波が見えるが、夜間では、針路の正確さだけが頼りである。
私は、コンパス・コース二百九十度を、五度南へ向けてウインドベーンをセットした。こうすることで、偏差は常にルートの南側に維持することが出来るはずだった。
天候が崩れ出していた。夕方には、空はほとんど雲に覆われ、風は二十五ノットに達した。エレンが期待する夕焼けは、醜悪な黄と黒にくまどられ、凄惨なドラマの始まりを思わせた。
生理が始まったことも影響して、彼女は再び船酔いで元気がなかった。異様な夕焼けを一瞥すると、彼女はキャビンへ降り、バースで横になってしまった。しかも、波の衝撃の度に、怯えたような視線を私に投げかけた。
「エレン。心配することはないよ。私は、このヨットで八十ノットの嵐を凌いだこともある。海上でいちばん安全な乗り物はヨットなんだ。安心して少しおやすみ」
彼女は頷いた。しかし、不安というものが理屈で解消するものではないことを、この私がいちばん知っている。怖いという感覚は、如何にヨットが安全であると認識しても、どうすることも出来ず怖いものなのだ。
それにしても、フレーザー島沖のクルーズをあれほどエンジョイした彼女が、一体どうしたというのだろう。彼女の心理の深みに何がわだかまっているのか。しかも、僅か数日の間に?・・・・・若しかすると、あのディンギーを流した一件なのか?あの程度のことが、それほど人間の深層心理に影響するものだろうか?
しかし、それ以外に思いつくものはなかった。単に、ディンギーが十メートルばかり流れたということではなく、海そのものの本質に根ざした底知れぬ恐怖を、彼女は経験してしまったのかも知れない。何という無配慮なことをしてしまったのだろう。私は、自分の悪戯を呪った。
風は、コンスタントに三十ノットに吹き募った。五ノットを予定した帆走が七ノットで展開していた。これでは、夜明け前にグレート・ケッペル島の沿岸に到達してしまう。島の東端に灯台があるとはいえ、この時化の海で未明の陸岸接近は賢明ではない。私は、スプレッダーライトを点灯してデッキを照らし、オイルスキンにハーネスを着装し、目深くフードを被ってデッキへ出た。波の飛沫が、激しく私を襲った。艇は、波高五メートルの波間を荒馬が跳躍するように疾駆していた。
ツーポイント・リーフのセールを、さらにスリーポイントにリーフし、ジブセールを約半分までファーリングした。しかし、艇速に目立った変化はなかった。私は、もう一度デッキへ出て、メインセールを完全に降ろしてしまった。スピードは効果的に変化した。しかし、艇のローリングによる居住性と保針性は著しく悪化した。
八時前、GPSの偏差と、艇のポジションとを併せ見た私は、一瞬パニックに陥った。GPSは、艇がポルメイズ・リーフに差し掛かっていると告げていた。
私は、コックピットへ飛び出した。夜目にも白く、数百メートル前方にリーフに砕ける怒涛が見えた。ウインドベーンを解除し、私は夢中で左へ舵をきった。舳先が風上に立ったせいで、ジブセールが恐ろしい音でシバーした。私の慌しい動きとセールのシバーするただならぬ音に驚いたエレンが、コンパニオン・ウエィから顔を覗かせた。
「エレン。出て来てはいかん!」私は叫んだ。彼女はキャビンへ戻り、ギャレーのシンクに顔をうずめるようにして吐いた。
ポルメイズ・リーフの風下には、もう一つの小島を擁するリーフがあった。この暗闇の中では、無理をしても障害物のない広い海域へ出なければいけない。エンジンを始動し、激しいパンチングに阻まれながら、小一時間もの間、艇は風上へ向けて喘ぐように進んだ。
エレンは、掴まり立ちもままならぬ艇の動揺に抗し、シンクの縁に縋るようにして何度も嘔吐した。そして、精魂尽き果てたかのようにバースへ倒れ込んだ。
取り回しが楽なジブ帆走を止め、私はセールをスリーポイント・リーフのメインセールだけに替えた。この方が、艇速を抑えるには適さないが、はるかに保針性はいい。
安全な水域へ出てからも、私は舵をウインドベーンに任せず、コンパスを頼りに自分でティラーを握った。左右に三十度づつ蛇行することで過剰な艇速の辻褄を合わせ、夜明けを待った。
午前四時頃、左舷前方にグレート・ケッペル島の灯台の灯が見えた。およそ十海里。六時前にはケッペル島とその東七海里にあるバレン島を結ぶ線を越えたくなかったので、逆張りにしたストームジブとスリーポイント・リーフのメインセールでヒーブツー態勢に入った。こうしておくと、艇は右に左に行きつ戻りつして、現在位置を大きく離れることはない。さらに、レーダーを二海里レンジにし、物標を感知したらアラームが鳴るようにセットした。居住性は悪いが、眠ることは出来ないまでも二時間ばかり休息は出来る。
西に陸影が仄かに見え出した頃、私は命がけで睡魔と闘っていた。エレンが、何か出来ることはないかと尋ねたが、今の彼女に、悪意を剥き出しにしたようなこの時化の海を見せたくはなかった。私は、眠気を払う意味も含め、ヒーブツーを解除して蛇行帆走を再開した。
七時少し前、右手にバレン島が見えた。左前方は、立ちはだかるようなグレート・ケッペル島である。入り組んだ陸地に遮られるせいか、風は二十ノットほどに弱まった。
波は最悪だったが、陸に取り付いたという安心感がエレンに生気を取り戻させた。ケッペルの島影に入った途端、あたかも急に凪になったかのように、辺りは静まり返った。彼女の青ざめた顔色に僅かに微笑が仄見えた。
私は、エレンも私も、いま非常に休養を必要としていると感じた。
「どうだろう。この島影にアンカーを打つか、それとも、もう三時間我慢して走ってマリーナに入るか。エレンはどちらにしたい?」
「我儘いって申し訳ないけど、ken、お願い、マリーナにして」
「OK。この先十三海里にヤプーンという街がある。そのすぐ南にあるロスリーン・ベイ・マリーナへ行こう」
ロスリーンには、二日間滞在した。バスでヤプーンの街へ出ると、エレンはすっかり元気を取り戻した。そして、船酔いはしたにせよ、何故この度の航海があれほど辛く思えたのか、自分でも分らないといった。
「もう大丈夫よ。ナーバスになったら、どこまでも際限なく落ち込んで行くということが分ったの。この次のレグでは、しっかりクルーの役目を果たすわ」
ショッピング・センターのカフェで、ミートパイとティーのランチを摂りながら、彼女がいった。
三日目の朝、ロスリーンを出航して、四十五海里北のポート・クリントンへ向かった。ポートといっても、北へ張り出した岬の陰に入り組んだいくつかの入り江があるだけのアンカレッジである。
風は南東十五から二十ノット。追手の風は、二十ノットでも微風のように感じるものだ。しかも、半晴の日中である。エレンがいうところの「ナーバスになる」余地はなかった。
ポート・クリントンでは、時折ガストが艇を揺すったが、夜は錨泊を忘れさせるほどに静かだった。
翌朝は、五十五海里北西のサースティ・サウンドを目指した。プラムツリーという岬の先端の小村落と対岸のクゥェイル・アイランドの間の狭水路の中にアンカーを打つ。距離が前日よりも遠いのと、複雑な海岸線を航行するので六時半に出航した。
風は南東二十ノット。左手の岸と並行するせいで、岸辺に寄ると風が卓越し、離れると風は力を失った。それでも、深い入り江や本土と島の狭間などの沖を通ると、収斂した風が艇を襲い私たちを驚かせた。
正午、ケープ・タウンシェンドを交わして間もなく、サンダー・ストームが通過した。いかにも底力のありそうな風が艇を大きくヒールさせると、エレンは一瞬表情を固くした。
「大丈夫。これは一過性のストームで、三十分とは続かない。ナーバスにならないと、エレンは約束しただろう?勿論、侮ってはいけないが、この時間のサンダー・ストームは、それほど危険はない。日中の輻射熱を十分貯えて夕方に来る奴は、時に風速五十ノットにもなることがある。雨が激しくなるかもしれないから、エレンはキャビンに入っていてもいいよ」
「いいえ。私、ストームと対決してみる」そういって、彼女はキャビンからオイルスキンを持って来た。
風は二十五ノットまで吹き上がった。そして、激しい雨と雷がそれに続いた。二人は、フードから雨を滴らせながら、ローリングするコックピットで顔を見合わせて笑った。エレンは、突然立ち上がると、両手でメガフォンを作って、風上へ向かいあらん限りの嘲罵を叫んだ。
「そう、そう。その調子だ!」私は囃し立てた。その時、空間を裂くような雷光と、さらに凶暴なガストが襲い掛かり、艇を四十五度も傾けた。雷鳴の中で、立ち竦むようにエレンの罵詈が絶えた。その顔には、あの夜の航行の時と同じ恐怖の表情があった。
四時半に、サースティ・サウンドに投錨した。狭水路の潮は川のように速く、艇は舳先を潮上に向けて、アンカー・ラインを緊張させていた。天候は穏やかで、アンカレッジは理想的に保護されていたが、理由もなく心が落ち着かなかった。
思いに耽るかのように、エレンは無口だった。そして、重苦しい夜が更けていった。
就寝を前、私はもう一度アンカーのチェックをしにデッキへ出た。懐中電灯の明かりで予め錨泊地点をマークした陸標を探した。それが見つからぬばかりか、月明かりに見る景色に見覚えがなかった。
バウへ急ぎ、アンカー・ラインを引いてみた。錨掛かりの手応えがなく、軽々とラインが引けた。走錨している!私はエンジンを始動し、
「エレン。スプレッダーライトとデプスサウンダーを点けてくれ」と叫んだ。
「どうしたの?」彼女が、不安そうな顔をコックピットに覗かせた。
「質問は後だ。スイッチを入れたらすぐ来てくれ」
スプレッダーに灯りが点り、デッキを真昼のように明るくした。エレンが、パジャマ姿で出て来た。
「潮が逆転して、アンカーが外れたようだ。もう大分流されている。安全な場所を見つけてアンカーを打ち直すから、必要になったら舵を代わってくれ」
私は、周囲の景色とデプスサウンダーとを交互に見て、適当な錨泊場所を探した。
六時が満潮だったから、三時間経過した今は、丁度干満の半ばだろう。すると、さらに一メートル五十センチ潮が引くことになる。[海神]の喫水が一メートル九十センチだから、三メートル五十センチ以上の水深が必要だ。
行きつ戻りつして、四メートルの場所を見つけ、さらに周囲の水深を確かめた。私は舵をエレンに預け、バウへ急いだ。アンカーを静かに降ろし、彼女に微速で後進するよう手で合図した。チェーンを三十メートル出し、ウインドラスをロックした。
「ありがとう。今度は大丈夫だ。転潮時に起きて、もう一度チェックするから、もう心配することはない。驚いたかね?」私はエレンの顔を覗き込んだ。彼女は懸命に笑顔を作ろうとしていた。
翌日は、約五十五海里北のディグビー・アイランドに錨泊した。ローリーで居心地は好くなかったが、さらに翌日が久し振りの都会ということで、エレンも健気に耐えていた。
ディグビー・アイランドを午前七時に出航し、マッカイまで四十七海里。いくつかの島と浅瀬を迂回し、沖合いからアプローチする。
適度の風を得て、快適な航海だった。エレンも、以前のように、通り過ぎる島や近づく本土の風景を楽しんでいた。
途中、イルカの群れの伴走に、彼女は子供のようにはしゃいだ。イルカに話し掛け、口笛を吹き、彼らのジャンプに号令をかけた。
「野生のイルカを見るのは初めてよ。鯨も来ると好いのになあ」と彼女がいった。
「それは、ちょっと欲張りだね。鯨は、九月頃にならないとこの辺りには姿を見せないよ」そういって私たちは笑った。
イルカが去ると、私はトローリングの仕掛けを流した。じきにラインが緊張し、後方で何かが跳ねた。白い飛沫の中に、メバチマグロの砲弾型の姿が見えた。
「エレン、大当たりだ。最高の獲物がかかったようだ。さあ、艇速を落とすから、きみはラインを引いてくれ。糸を弛ませないように注意するんだ」私は、メインとジブのシートを弛め、セールから風を逃がした。
「ken、とても駄目だわ。重くて全然ラインが引けない。お願い、代わって!」エレンが悲鳴を上げていた。快活な悲鳴だった。私は、彼女からラインを引き継ぐと、ぐいぐいと獲物を引き込んだ。体長七十センチ、胴の直径が二十センチはある見事なメバチだ。刺身にして、こんなに美味い魚はない。強引に抜き上げるようにデッキへ取り込んだ。その瞬間、疑似餌が魚の口を離れ、空を切った。今夜の刺身は、その顔を見せただけで海へ帰って行った。
暫し、私たちは呆然としていた。そして、堰を切ったように二人が同時に笑い出した。私たちはとめどなく笑った。体を二つに折って、互いの体を叩き合いながら笑い転げた。
三時にマッカイ・ハーバーのファスト・リーディング・ビーコンが見えた。岸辺とやや内陸のビーコンを重ね、ハーバーへ接近する。やがて港口の奥にセコンド・ビーコンが見え、さらに進むとサード・ビーコンが航路を導いた。
マッカイ・アウトハーバーは、もともと砂糖工場の積み出し用に堤防を築いて作った港である。従って、小さなプレジャーボートにとって居心地が好いという訳にはいかない。それに、マッカイの街までは五キロメートルあって、歩くか、ヒッチハイクで車に乗せてもらうか、運がよければタクシーが見つかるかのいずれかで、とても便利とはいえない。
私たちは、街へ帰るというヨット・クラブのメンバーの車に同乗させてもらい、食料や日用品の補給をしに出掛けた。
エレンが、久し振りにディナーの腕を奮うというので、生鮮食品をどっさり仕入れた。歩き回るには、少々買い物袋が重かったので、カフェに腰を落ち着け、ガーリック・ブレッドを食べながらビールを飲んだ。私たちは、黙って通りを行き交う人の流れを見ていた。
「何を考えているの?」と彼女がいった。
「何も考えていない。放心状態で、美人のお尻を眺めていた」
「素敵なお尻が見つかって?」
「いや、まだだ。今のところ、きみに勝るのにはお目にかかっていない」
「あら、結構なことですこと」そういって、エレンは何かをいい淀んでいた。私は、彼女の表情を窺ったが、問いただすことはしなかった。紙ナフキンを折り紙を折るように小さくたたんでいる。さらにそれを広げて掌で平らに伸ばし、ふっと溜息をついた。
「ken、私をヨットに乗せて、ご迷惑ではなかったのかしら?私、自分がこんなに海に弱いなんて知らなかったの。誰もがヨットに乗って航海に出て行くし、陸から見ている限り、ヨットは優雅で楽しげに走っている。私にもそれが出来て当然だと思ったわ。でも、陸から見えないところに、もう一つのヨットライフがあったのね。いつも神経を張り詰めて、十分に眠る時間もなく、プレジャーというよりは、むしろぎりぎりの真剣勝負をしているみたいな。遭難して私が死ぬのは、あなたに全てを委ねたのだからいっこうに構わないの。でも、ヨットのために私が何も出来ないことが、私を底なしの恐怖に引きずり込んで行く。ねえ、ken、私にヨットを続ける力があると思う?」
エレンの目に、克己心と、敗北の安逸へ逃げ込みたいという願いとがないまぜに映っていた。
「問題を整理してみよう。いいかね、エレン。きみは、まだヨットの何たるかを知らないし、きみもいう通り、ヨットを操る技法を知らない。海というものが、これほどに混沌として、茫漠として、そして底知れぬものとは思ってもいなかった。それなのに、私はほんの悪戯のつもりで、あんなことをしてしまった。海には、他では得られない安らぎや、慰めや、美しさがあるというのに、きみは、対抗する手段を身に付ける前に、恐ろしい方の海の正体を見てしまった。きみの恐怖の大半は、私の配慮の欠如が原因だ」私はそこで言葉を切ってビールの残りを飲み干した。エレンはじっと私の目を見詰め、次の言葉を待っていた。
「海の恐怖というのは、誰もが持っている。私も、そして全ての熟練したヨット乗りも同様だ。決してエレンの占有物ではない。風も、波も、海そのものも怖い。怖くて、怖くて、手足が竦んでしまうことだってある。しかし、それが普通の人間だと思う。
エレンは、レディ・マスグレィブへの航海の時、十分に楽しんでいたし、到着した時、初めて経験する達成感ということをいった。あれでいいんだ。それ以上の、見えもしないものに怯える必要はない。これから先、セイリングの技法や航海術、ヨットライフのサムスィングを、一つ、一つ覚えてゆけば、海とヨットの全体が見えてくる。その時、初めてエレンがヨットに適性があるかどうかが分る。折角、乗り出した船だ。逃げ出すのはいつだって出来る。もっと気を楽に持って、楽しいことだけピックアップしてエンジョイすること。それから、きみが[海神]に乗って迷惑かという質問だが、少しも迷惑じゃない。それどころか、エレンが艇にいてくれることを感謝している」
エレンはこくりと頷いた。
「分ったわ。もう一度、初心に返ってやってみる。ごめんなさいね、手の掛かる生徒で。そうね、思い出すわ。子供の頃、誰もいない夜道を歩いていると、誰かが追いかけて来るような恐怖があったこと。見えもしない、ありもしないものを怖れるのは、もう止めることにするわ。ken、ありがとう。とても、すっきりした気分よ。でも、ken、あなたも海が怖いなんて知らなかったわ」
「ある種の臆病は、航海の安全に不可欠なんだ。それと、本当に恐ろしいものを正確に知るということもね」
カフェを出て、私たちはタクシーを拾いマリーナへ帰った。エレンは、ヨットのギャレーで楽しげに料理に専念した。
僚艇との連絡が絶えていた。私は、マリーナ・オフイスへ出向き、メッセージがないかを尋ねた。[ガーディアン]が航海計画のメモを残していた。それによると、僚艇は三艘とも、すでにウィットサンデーにいるらしい。ボーエンに一週間滞在する予定とあったから、そこで合流することが出来そうだった。メッセージの末尾に、グラッドストーンで[アルバトロス]のジョナサンに会ったと走り書きがあった。
二日間滞在して、私たちはマッカイを後にした。今日の行き先は、ラグナ・キー・リゾート。直線にすれば四十五海里ほどだが、マッカイの北に横たわる浅瀬を大きく迂回するので実効航程は五十五海里になる。
風が弱く、艇を走らせるに十分ではなかったので機帆走にした。いっぱいに展帆したセールが、時々だらしなく垂れ下がった。
エレンは、全てが吹っ切れたように楽しげだった。出航してから、朝食にフレンチ・トーストとサラダを作った。ランチには、餅入りの鍋焼きうどんを作って私を驚かせた。料理の手がすくと、彼女はコックピットへ出て来てトローリングをしようといった。先日、逃がしたマグロを釣ると意気込んで仕掛けを流したが、遂にアタリはなかった。
午後二時を回る頃、岸辺にそれと分るリゾートが見えてきた。前日、私はエレンには内緒でロッジを予約していた。VHFで到着を告げると、やがてモーターボートが港口を出て来た。そこで私は、彼女に、今夜はリゾートのロッジ泊まりであることを告げた。彼女は、大喜びしたが、自分のために無駄なお金を遣わせると悔やんだ。ボートが[海神]の横に並び、青年が、潮焼けした顔に真っ白い歯を見せて、
「エレン&ken、ラグナ・キーへようこそ!お迎えに来ました。私について来て下さい」といった。エレンは、目を丸くして、
「さすがは高級リゾートね。ホテルの玄関でのお出迎えとは、まるで違うわ」と呟いた。
ビーコンが示す水路は乗り上げそうに浅かったが、航路を案内されて、私はただボートについて行けばよかった。指定されたバースに[海神]を滑り込ませると、ボートの青年とリゾートのメイド、そしてマリーナのマネジャーが手際よく舫をとってくれた。メイドが「お部屋に運ぶお荷物は?」といったが、特に運ぶものはなかった。
「今は何もない。とりあえずキャビンへ案内して下さい。必要なものがあれば、後で運びますから」と私がいった。
エレンは、着替えや洗面具、化粧品などをかき集めていた。多分、化粧品以外は全て揃っているからと彼女にいって、私たちは、手ぶらでメイドの後に続いた。サウスラグーンとホテルラグーンの水辺を通り抜けるとアコモデーション・エリアだった。
こんもりしたパームツリーの木立に囲まれ、広々としたテラスがプールに面していた。ヨットに慣れた目には、リビングやベッドルームの広さだけでもゴージャスに映った。まだ三時半だったので、必要な荷物は後にしてバスをつかうことにした。輝くほどに清潔なバスルームで、満々と湛えた湯に手足を伸ばすと、体の隅々に痺れるような快さが感じられた。
湯を替えて、エレンにもバスを勧めた。バスローブに体を包み、テラスへ出て風に当たった。備え付けの冷蔵庫に、シャンペンと白ワイン、そしてビールを一ダース入れて置くようオーダーしておいたので、そこからよく冷えたビールを一本取り出し、一息に飲み干した。世にこんなに素晴らしい逸楽があるというのに、何故あんな苦しい航海をするのだろうと不思議な気がした。エレンが出てきたらシャンペンを抜こう。そんなことを思いながら、私はデッキチェアーに体を伸ばした。
天気は好かったが、風が強かった。リゾートには何の影響もなかったが、ヨットに用事があってマリーナへ行くと、沖は白く波立っていた。この風では、ウィットサンデーの僚艇も身動きがとれまい。私たちは、五日間ラグナ・キー・リゾートで休養した。
エレンが、リゾートの美容院へ行くというので、手持ち無沙汰な私は次の寄港地のエアリィと、僚艇と落ち合うボーエンの港を下見に出掛けた。リゾートが車を仕立て、いろんな見所を案内してくれた。
最初に、いちばん遠いボーエンへ行った。街のはずれのがさつなマリーナだった。ほとんどがパイル係留といって、海底に打ち込んだ杭にバウとスターンを繋ぐ方式である。河川とか、アンカーの振れ回りのスペースがない所で多く採用されている。上陸にはディンギーを使う。買い物や艇の積み込み品を揃えるには便利が良さそうだった。浅い航路には、要所にビーコンがあって、アプローチに不都合はないようだ。
次に、エアリーへ行った。エイベル・ポイントから眺める水路に特に問題はなかった。序にシュート・ハーバーに立ち寄った。シュート・ベイへ向かう山間の道の高みから、そして大きく外洋へ突き出したパイオニア・ポイントから、ウィットサンデーのいくつもの島影が朧気に霞んで見えた。
ウィットサンデーへ船でアクセスする観光客を乗せたバスを、曲がりくねった海岸際の道で何台も追い越した。ハーバーには多くのチャーター・ボートがムァリングしていた。その中に、私は[アルバトロス]を見た。車の運転手が差し出す双眼鏡を覗いてみたが、ジョナサンの姿は見えなかった。
休養は既に十分だった。風はまだ、二十から時に二十五ノットと強かったが、私たちはエアリーへ向かった。距離にして四十五海里に少し足りないほどだが、狭い浅瀬の間や潮波が激しい岬の先端、それにウィットサンデーの島々と本土の間のパッセージを通る。いわゆる世話のやけるレグである。
七時にマリーナを出て、十時にケープ・コンウェィに差し掛かった。左に切り立つように迫る崖の直下、渦を巻く浅瀬や岩礁の間を進む。岬を交わすと、潮がぶつかり合うチョッピーな波に揉まれた。
ウィットサンデー・パッセージに入ると、真後ろからの風は強くなったが、操船は楽になった。パッセージのベアリングは真針路三百三十四度だから、この辺りのマグネット偏差約八度を引くとコンパス・コースは三百二十六度になる。オートパイロットに針路をインプットして、私は腕と肩の凝りをほぐした。エレンがコーヒーを淹れてくれた。大小の島々が右手に散開し、その間の海峡は、はてしなく白波に覆われていた。
「ランチは何がいいかしら?」とエレンが尋ねた。船酔いはしていないらしい。
「今日は元気がいいね。その調子で頑張るんだ。そう、この前のうどんが美味しかった。あれが好いな」
「OK。でも、もうお餅はないわよ。それでもいいかしら?」
「それで十分だ。出来上がったら、コックピットで食べよう。少し時化ているけど、追手だから、キャビンより外の方が快適だろう」
「そうするわ」彼女は鼻歌まじり、昼食の用意にかかった。
うどんを食べながら、私たちは、前方に見えるハミルトン島を眺め、去年の暮れの思い出を語り交わした。
「あそこで、私の人生が大転換したのね。イルカのペンダントをもらった時は、本当に嬉しかったわ」そういって、彼女はトレーナーのネックからそれを引き出して掌に握った。
「不思議なものだね。エレンが、ムルラバのマリーナに突然現れて、セール作業を手伝ってくれた。若しきみがマリーナに来なければ、セールのスライダーの縫い付けを手伝ってくれなければ、そして毎週[海神]を訪ねて来なければ、さらに、パートナーになって欲しいという私の願いを聞き入れてくれなければ、きみは今頃何をしていたのだろう。エレンがいう通り、人生の大転換の筋道がそこに見えるようだ。人間の可能性や、選び採らなかった無数の人生などに思いを馳せると、いま現在、きみとこうしてうどんを食べている現実が、とても貴重で不思議なものに思える」私は、ハミルトン島と、その西に寄り添うように横たわるデント島、それらを覆い包むようにそそり立つ背景のウィットサンデー島の、折り重なって一つの入り組んだ陸地に見えるそれらを目を細めて眺めていた。
やがて左手にパイン島、そのすぐ向こうにロング島、右手にデント島が過ぎて行った。もうすぐ、モール島と本土のシュート・ポイントの間を通るモール・チャネルへ入る。私はオートパイロットを解除し、ティラーを握って立ち上がった。トリッキーな潮波が立ち騒ぎ、その前方に浅瀬が見えた。
「エレン。前へ行って、浅瀬をウオッチしてくれ!」と私がいった。彼女は、駆けるようにバウへ向かった。
左へ針路を変えていたので、ジブセールが裏風を孕みシートが弛んだ。エレンの足がそれを踏んだ。次の瞬間、シートは激しく緊張し、エレンは宙に飛んだ。突然の出来事だった。私は、痴呆のように、ただ意味もなく彼女の名を繰り返し叫んでいた。
私は艇を回し舳先を風上に立てた。そして、馬蹄型の救命浮環とポールのブイを海中に放った。エレンの頭だけが波間に小さく見えていた。エンジンを駆動し、必死にその方向へ艇を進めた。彼女は潮流で沖のパッセージの方へ流され、救命浮環には辿りつけない様子だ。私はもう一度艇を風上に立て、飛び込もうと意を決した。
不意に、私の目の前に[アルバトロス]が現れた。浅瀬にアンカーを放り込み、ジョナサンが舷を越えて海中に身を躍らせた。[アルバトロス]の向こうで、彼はエレンを捉えていた。片手で意識を失いかけている彼女を抱き、ジョナサンは強い潮波に翻弄されている。
「何をしている!早く艇をこちらへ回せ!」彼が叫んだ。私は、自分の動きの鈍さに焦れながら、[アルバトロス]を迂回し、風下から彼らに接近した。ライフ・スリングを投下し、そのロープの内側に二人を巻き込むように彼らの周りを回った。二週目に差し掛かった時、ジョナサンがライフ・スリングのロープを捉えた。私はそれをゆっくり手繰り、浮環が彼の手に収まるように工夫した。彼はエレンの胴に浮環を巻いてロックし、私に引けと合図した。
二人掛かりで、意識のないエレンをデッキに引き上げた。セールがシバーする轟音の下で、ジョナサンは、
「後はあんたの仕事だ」といって、海中に飛び込み[アルバトロス]へ帰って行った。
私は、ただ茫然とそれを見送っていた。
エレンは、ほとんど水を飲んではいなかった。私は、必死でマウス・ツー・マウスの人工呼吸を続けた。急につかえた何かが外れたように、彼女の体に柔軟性が戻り、自律呼吸が始まった。呼吸と共に、彼女は咳き込みながら、嘔吐を繰り返した。
意識が戻り、状況が認識出来るようになると、エレンは私に縋って激しく泣いた。
「ああ、私、助かったのね?ken、私・・・」何度も、そう繰り返して泣いた。
「エレン。きみを助けたのは、ジョナサンだ」恐ろしい事実を告げるように私はいった。
「私は、ただ、おろおろするばかりで何も出来なかった。済まない。何があってもきみを守るなんて見栄を切っていたくせに!事実、私には何も出来なかった。不意に[アルバトロス]が現れた。逡巡する私を尻目に、ジョナサンが海に飛び込んできみを救った。ほら、あそこに」私は彼女の体を支え、[アルバトロス]が見えるように向きを変えた。
ジョナサンはアンカーの回収を終え、デッキをコックピットへと歩いていた。彼女が、彼を呼ぼうとしたが声が出なかった。代わりに私が彼を呼んだ。しかし、彼は振り向きもせず[アルバトロス]の舳先を回し、ウィットサンデー・パッセージの方へと艇を進めて行った。
私は彼の後を追おうとした。しかし、まだ意識も完全ではなく、顔色も蒼ざめたエレンを顧み、兎に角彼女が養生出来るマリーナへ急ぐことにした。この狭水路を航行していたのでは、キャビンへ彼女を運ぶことも、キャビンから体を包む何かを持って来ることも出来ない。私は、着ていたオイルスキンと綿ニットのスェターを脱いで彼女を包み、この狭い水路を抜けるまで我慢してくれといった。
エアリーのエイベル・ポイント・マリーナに到着した時、エレンは、乾いた衣服に着替え、キャビンで眠っていた。
係留を終えてから、マリーナのマネジャーに状況を報告し、エレンを病院へ運ぶべきかどうかを相談した。肺に海水が残っていると肺炎を引き起こすことがある。彼は、エレンの様子を観察し、顔色も正常で、憂慮するような状況ではなさそうだから、静かに寝かせておいてはどうかといった。私は、近くのアンカレッジや港に[アルバトロス]が碇泊していないかどうか調べてくれるように頼んだ。早くジョナサンを見つけ、心から礼を述べたかった。
夜中に、エレンはひどくうなされた。突然、飛び起きて、焦点の定まらぬ目で周囲を見回し、泣きながら何ごとかを口走った。
翌朝のエレンの様子は、当日よりも遥かに深刻だった。体調は紛れもなく回復していたが、精神的なショックが容易ならざるものに見えた。気力というものが全く影をひそめ、身動き一つさえも辛そうだった。
マッカイ以降、彼女は航海に順応しようと懸命に励み、ほぼそれを達成しかけていた。とはいえ、ややもするとそれは、彼女を覆い尽くそうとする不安を理性でねじ伏せていただけなのかも知れない。彼女の本質が、無心で航海を楽しんでいたとはいえないのではないか。 そこへ、この落水事故だ。若しかすると、彼女は再起出来ないかも知れない。例えそうであっても何の不思議もない。クルーの落水は初めての経験だった。私にしても、この出来事は相当に応えていた。
それでも、三日目には、彼女は、
「ken、いろいろ心配をかけてごめんなさい。本当にご迷惑ばかりかけて、私はクルー失格ね」といった。
「そんなことはない。あれは私の不注意から起きた事故だ。謝るのは私の方だ。ジブシートが暴れ回った時のパワーについて、私はきみに注意をしなかった。また、そういう危険があるところへきみを行かせたことも私の不注意だ。今まで、私はクルーを乗せたことがない。自分だけが注意していれば安全が確保出来たという習性が、そうさせるのかも知れない」そういって、私はエレンに詫びた。
四日間エアリーに滞在し、五日目の朝、私たちはボーエンへ向かった。航程は約三十五海里。難所はグローセスター島と本土の間を抜けるグローセスター・パッセージである。狭水路であるばかりでなく、いくつかのボミーや小島が水路の中にある。ビーコンが設置されているから、さしたる危険はないが、潮の干満をしっかり確認しておかないと浅くて通れない場所もある。
私は、エレンに、気が向かなければ無理にコックピットへ出て来ないようにといった。恐らくは、まだ落水の記憶も生々しい現在、海など見たくもないはずだ。
それでも、グローセスター島が接近してくると、彼女は、何かお手伝いしましょうかといった。手伝いそのものよりも、彼女がそういってくれたことが、私には非常に嬉しかった。
ボーエンのボート・ハーバーに近づき、VHF無線でハーバー・コントロールをコールした。入港の申告を済ませると、同じチャネルで[ケ・セラ]が私を呼んだ。僚艇三艘は、既に到着して「海神」を待っているとの知らせだった。ジェイは、
「みんな心配している。エレンは元気か?」とだけ尋ねた。無線は、誰もが聞いているから私的な詳細には触れない。
「全てOKだ。いまそちらへ行く」と私は答えた。
パイルバースに舫いをとると、待ち構えたように全員が[海神]に集まって来た。みんなが口々にエレンに慰めの言葉をおくり、女性たちは涙を浮かべてエレンを抱き締めた。
落水の情報はコースト・ガードから入ったそうだ。彼らは、私の依頼で[アルバトロス]を探していた。ヨットは、この近くのベイにアンカーリングしているのが見つかったが、ジョナサンは艇にはいなかったそうだ。
エレンの精神状態は極めて不安定だった。恰も、何ごともなかったように快活な日があるかと思うと、その翌日は放心したように、一日中バースに横たわっていた。
私は、僚艇に、この船団からの離脱することを告げた。エレンに十分な休養を与えたかった。それに、これ以上彼女を、この航海に無理に付き合わせることへの危惧もあった。若し、彼女が航海を断念するといったら引き止めてはいけない。そう腹を括った。
ボーエン碇泊五日目に、僚艇が出航して行った。エレンは、呆けたようにそれらを見送った。彼らがボートハーバーを出て船影が見えなくなると、彼女は急に、みんなが行ってしまうといって嗚咽した。
「心配しなくても大丈夫だよ。彼らとは、もう歩調を合わせる必要はないのだから、エレンが十分だと思うまで休養すればいい。急ぐことは何もない」
レンタカーを借りて、内陸の農園や牧場や塩田などを見て回ったり、ボーエンの街を散歩したりして、さらに三日間が過ぎた。四日目に、彼女は一人で街へ出た。私は好いリハビリだと思い、彼女のしたいようにさせた。
そして、五日目の夜、彼女は、突然[海神]を降りるといった。
「このままだと、kenも私も、両方共が駄目になってしまうわ。それに、私には海の怖さを克服出来そうもないの。もう一度陸の生活に戻って、自分を見つめなおしてみたい。kenの航海にご迷惑ばかり掛けて、何一つ貢献できなかったことはとても残念だけど、これが、この数日間、私が考えた結論なの。ごめんなさい、ken」
私は、もう引き止めたりはしなかった。これ以上航海に付き合わせることは、彼女にとって拷問に等しいと思った。
「分った。いっしょに地中海まで行けなくて、とても残念だ。エレンの決心は考え抜いた結果だと思うし、簡単に翻意してはくれないだろう。暫く陸の生活に戻って心の平静を取り戻すのは、今のエレンにとっていちばん大切なことかも知れないね」
エレンが[海神]を降りるということは、私たちの愛に終止符を打つことを意味した。今日までの真に充実した日々や、私の人生にもう二度と訪れることのない愛のある暮らしを思うと、惜別の涙がひとりでに頬を伝った。
エレンは、二、三日中に、準備が出来次第、艇を辞去するといった。私は、その翌日、彼女が二ヶ月は生活するに困らない現金を用意した。
「これは、当分の生活費だ。きみが自活できるようになるまで、役立てて欲しい。他に私に出来ることがあれば、ダーウィンのカレン・ベイ・マリーナ気付で連絡するように。かならず近況を知らせてくれ」といった。
翌日、私は、艇の修理のために部品を求めてチャンドラーへ行った。帰り道、コースト・ガードに立ち寄り、ジョナサンの行方を尋ねた。所在は依然として不明だった。そればかりか、昨日からヨットもどこかへ立ち去り、行方が知れないそうだ。私は、謎めいた彼の行動が解せないと思った。一匹狼のセーラーにせよ、つかず離れず我々の近くを航行しながら、何故姿を潜めるように行動するのだろう。
艇に戻った私は、キャビンのテーブルの上に、エレンの置き手紙と現金の入った封筒、そしてイルカのペンダントを見た。
「ken、ごめんなさい。お別れをいうのが辛いから、kenの留守中にさよならします。親切にして下さって、本当にありがとう。私にとって、素晴らしい六ヶ月間でした。どうか好い航海を続けて下さい。それから、昨日頂いたお金はお返しします。エレン」
遂に、来るべき時が来たと思った。私は崩れるようにソファに腰を降ろした。手紙を何度も読み返したが、行間に救いのようなものは見出せなかった。私は、レターペーパーの文章に向かって「エレン」と呼んでみた。堰を切ったように涙が溢れ、手紙を濡らした。
魂が抜けたように、私は航海を続けた。何度も航海を断念しようと思ったが、断念して、エレンの思い出に溺れて日々を送るのも、却って辛いことに思えた。
航海は、時に自暴自棄に陥ることもあった。見張りが不可欠なこのグレート・バリア・リーフを、ビーコンだけを頼りに夜間航行もした。暗礁に衝突するものならしてもいいと思ったが、何ごとも起きなかった。
ケアンズで、私は僚艇に追いついた。事情を話すと、女性たちは、エレンもkenも可哀想だといって泣いた。ジェイは、何度もけたたましい音を立てて洟をかんだ。
ダーウィンで、最終の補給をしながらエレンの連絡を待った。しかし、遂にFAXも手紙も来なかった。どこで、どうしているのだろうと心配したが、こちらから連絡の方法もなかった。
エレンの消息を案じながら、十艘に膨らんだコンボイと共に、私はダーウィンを出航しインドネシアへ向かった。
穏やかな海況の夜は、コックピットで星座を眺め、エレンに説明した通りの言葉を復唱した。美しい夕焼けは、彼女の興奮した姿を思い出させた。それらは、一つ一つあまりにも鮮烈な思い出だった。そして、それは、もう二度と私に訪れることのない真実の愛の亡骸だった。
彼女が去ってから三ヶ月余りを過ぎ、私は、次第に、エレンが幸せなら、あれはあれで好かったのかも知れないと思える余裕を取り戻していた。
我々は、ロンボク・ストレイトの入口、バリ島のべノアにある[バリ・インターナショナル・マリーナ]に舫いをとった。
コンボイの全員が揃った夜、久し振りの陸地と、長い航海を終えた興奮で誰もが羽目を外していた。僚艇以外のヨッティたちも加わり、パーティは異様にフィーバーした。ヨットクラブのバーがクローズする頃、私も他の連中同様にひどく酩酊していた。
私は、面識のない髭面のイギリス人と話をしていた。彼は、ニューギニアのポート・モレスビーから来たといった。
話が風変わりなヨットの話題になった。その中に[アルバトロス]の名があった。
「国籍不明、何処から来て、何処へ行くかも不明。次は何処へ行くのかと訊いても、知らんとしかいわない。分っているのは、艇名がアルバトロス、キャプテンがジョナサン、クルーがエレンということだけ。偏屈な奴だが愉快な男で・・・・」
私は、その話の先を覚えていない。ただ、飄然と席を立ち艇に戻ったことだけが、おぼろげな記憶にあった。
翌日、私は昨夜の男を捜した。男の特徴を細かに説明しても、誰もそういう男は知らぬといった。尋ね疲れ、夕飯も食べず、酒を呷っていつの間にか眠った。夜中に目が醒めて水を飲んだ。
月明かりが美しい夜だった。私は、舶用時計に掛けてあったイルカのペンダントを持ってデッキへ出た。月光が帯びのように水面を伸びて[海神]に届いていた。脳裏にフレィザー・アイランド沖の情景が過ぎった。私は、ペンダントを掌に載せた。掌を次第に傾けながら、私は、
「さようなら、エレン」といった。小さな水音がして、月光の帯が崩れた。
【完】
*Written by Zen Nishikubo
Apr.14, 2000 / Mooloolaba, Australia
ご感想をお寄せください。