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目覚まし時計は鳴らなかった。いや、勿論鳴ったのだろうけど、五十二日振りに碇泊中の船で眠った安堵感が、その音さえかき消してしまったのかも知れない。
あまりの静けさに目が醒めた。時計は十時を指していた。五時に起きるつもりが五時間も寝過ごしてしまった。慌ててデッキへ出てみると、周囲にいたヨットは全て出帆した後だった。入り江は静まり返っていた。
僕は、ビスケットと昨夜飲み残したコーヒーをコックピットへ運び出し、とにかく出発することにした。朝食は走りながら摂ることにしよう。
昨夜、あらためてGPSにウエィポイント(目的地への主要通過点。これらを結んで航路を作る)をインプットしてみると、ビクトリアまでの航程は、トータルで六十浬になる。もたもたしていると、今日中に入国手続きが出来なくなってしまう。今日が金曜日だから、土日が絡んで、うっかりすると来週月曜日まで上陸出来なんてことにもなりかねない。(実際には、土日も入国手続きは可能だった)急いでエンジンをスタートし、アンカーを揚げ、後ろも振り返らずに僕はポート・レンフリューを飛び出した。
ファン・デ・フカ・ストレィトは、東西にほぼ四十浬直線的に続いている。事前に得た情報では、船舶の往来が激しく航行には注意を要するといっていたが、めったに船の影も見えない。東京湾の混雑を思えば、こんなのは無人の海峡といっていい。それに、ストレィトの幅が五浬以上もあるし、水深も十分だ。機帆走なら航行に難かしいことは何もない。
そう思って、僕はオートパイロットに舵を任せ、キャビンで航路の再検討をしていた。一時間も走った時だった。[禅]が何かに激突し、僕は物凄い衝撃を感じた。
急いでデッキへ飛び出して周囲を見回すと、一本の巨大な丸太が浮いていた。あれに衝突したのか!船体に穴でもあいたのではないかと心配したが、特に異常は発見出来なかった。ただ、気のせいか、舵が少し重くなった感じだった。
暫くすると、前方から何かを堆く積んだ艀がやって来た。近づいて見ると、先ほど[禅]が衝突したような丸太を、高さ十メートルほども積み上げている。それが、時折、ゴロゴロと転がり、海中へ派手に落下していた。
これでは迂闊に走れないぞ。当たり所が悪ければ、プラスチックの船体なんかひとたまりもない。ファン・デ・フカ・ストレィトの場合、流木がここ固有のローカル・ワーニング(地域的警戒警報)だ。後日、或るビーチへ行った時、浜には、一財産築けそうなほどの原木が打ち上げられているのを見て驚いたものだ。艀は、時折丸太を落下させながら、長閑に通り過ぎて行った。
それ以降、僕は海面に厳重な注意を払い[禅]を走らせた。そうしたら、[禅]のすぐ前方の海面に、大河の流れのようなのっぺりとした部分が見えてきた。注意していると、突如、海面に長三角形の真っ黒な突起が突き出した。そして、次第に、白と黒の巨大な全体が現われてきたのだ。
「シャチだ!」と呟き、僕は息を呑んだ。西洋では、オルカとか、キラー・ウォエール(殺人鯨)と呼ばれ、獰猛な海獣として怖れられている。
ヨットがシャチに体当たりされて沈没したという話が脳裏を掠めた。脚色に違いないが、乗員は、みなシャチに食われたという話だった。勿論恐ろしさもあったけど、珍しさとその姿の美しさに魅せられ、僕は船縁に立ち上がって、食い入るように眺め続けた。
体を現したのは一頭だけだったけど、シャチはファミリーで行動する哺乳類だ。それに、水面の様子から推し測って、水中には、まだ何頭ものシャチがいたに相違ない。やがて、キラー・ウォエールは、悠然と、優美なばかりに滑らかな動きで海中に没し、ふたたび姿を現すことはなかった。
ファン・デ・フカ・ストレィトの岸辺は、森の国カナダの名にふさわしく、美しい原生林で覆われている。それは、遥か後方に聳える高い山々の頂にまで鬱蒼と続いていた。
しかし、先刻から、山と山の合間に、どう見ても不似合いな景色が垣間見えていた。それは、無残な禿山だった。明らかにひと山まるごと樹木が伐採された跡だった。恐らく、ストレィト以外、街や道路からは見ることが出来ない山だけが禿山になっているようだ。僕は、「あァ、これが、経済大国・日本の買占めによるものでなければ好いのだが・・・」と嘆かずにはいられなかった。
カナダにしてみれば、日本へ材木を売って利潤を得ることが正当な経済活動だろうけれど、森の国・カナダの山々を日本の商社が禿山にしたなんていわれるのは、まことに不名誉で、嫌な話ではないか。
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穏やかだったストレィトに、ふっと腰のある西風が吹き込んできた。それは、吹いたり止んだりする気紛れな風とは違い、大きな変化を暗示していた。
特に、西からの風は、ファン・デ・フカ・ストレィトが直線的に東西四十浬も続いているだけに、地形的に考えて脅威になると知れる。それは丁度、煙突が空気の流れを収斂し早める働きをするのと同じだ。
僕は、メィンを降ろし、ジェノアだけにして強風を待ち伏せた。予想としては、真後ろからの二十五ノットほどの風と思っていた。ところが、たちまち二十五ノットを超えて四十ノットに吹き上がってしまった。
後方からの波は、[禅]を追いかける小山のようだった。それはまた、[禅]を容赦なくプレーニングさせ、挙句の果てブローチングさせようとする。もう、ジェノアさえ航行の邪魔になった。ジェノアをファーリングしても、[禅]は八ノットで走った。
何とか風のブランケットになる所はないものかと見回しても、真っ直ぐ東へ伸びるストレィトに、都合よくそんな場所はなかった。残るは、ビクトリアへ向けて北へ回り込む水路へ急ぐこと。その曲がり角のレース・ロックは、この先八浬だ。八ノットで走っているなら一時間だけの辛抱と腹を括り、ふたたび小さくジェノアを展帆した。
念願叶って、レース・ロックは過ぎた。これで西側を遮る山々のブランケットに入れると思った。しかし、期待は裏切られた。高い山からは、強い吹き降ろしがあり、しかも、日本を出航したあの夜と同じように、横からの大波が左舷を越えて打ち込んできた。
もう、海図を見る余裕もなく、僕は、ビクトリア港の入口とおぼしき方向へ向けて走った。そして、VHFで、ポート・コントロールを呼び出した。
[禅]であることを告げると、昨夜から連絡が絶えて心配していたという。僕は、何度か交信を試みたのだけど、高い山に遮られて応答はなかったのだと答えた。
「これからビクトリア港へ入港するが、入港許可を頂きたい。ついては、入港後、どこヘ向かえばよろしいか」 「ラジャ。入港はOKだ。入港後は・・・」
「ジャスト セカンド。ちょっと待ってくれ。港の赤灯台がもう目の前だ。これ以上、交信している時間がない。後程、再度コールする」そういって、僕は一方的に無線をクリアしてしまった。
灯台を過ぎると風は少し弱まった。そして、目の前には都会があった。たくさんのボートや水上飛行機やフェリーや貨物船や遊覧船が行き来していた。僕は、出来るだけ風が弱い西側に[禅]を停める場所を探した。
マリーナが見えた。取り敢えずあそこへ行こう。
船足を微速に落としマリーナへ接近した。何人かの男がポンツーン(浮き桟橋)へ出て来て、[禅]を支えてくれた。
「日本から来た。どこか、ヨットを停める所が欲しい。それから、入国の手続きをしたい」 そうすると、一人の男が進み出て、
「ちょっと待った。このマリーナでは入国の手続きは出来ない。上陸して、後で厄介なことになってはいけないから、そのまま待っていて欲しい」といった。
暫くして、さっきの男が出て来て、僕に、手書きの地図を渡した。そして、その図を指で辿りながら、
「ここを出て、水路を左へ曲がる。本船の岸壁を右に見て直進。前方、やや右に〈CUSTOMS〉(税関)のサインが見えてくるから、そこのポンツーンへ行って接岸する。電話をしておいた。OK?」
「OK。すぐそちらへ向かう。親切にしていただいてありがとう」そういって、僕はまた、水路へ戻った。
港の奥へ進んで行くと、風はほとんど感じられず、足漕ぎのレンタル・ボートや遊覧船が行き交う。時には、水上飛行機も港内を走っている。そして、みんなが僕に手を振ってくれる。何という大らかさ、何という明るさ・・・この華やかな開放感がたまらなく好きだ。あァ、CUSTOMSのサインが見えてきた。ポンツーンには、女性のオフィサーが手を振って僕に合図してくれていた。
***
「カナダへ、そしてBCへようこそ」入国審査官のクリスティーンがいった。
BCとは、ビクトリアを州都とするブリティッシュ・コロンビア州の略称だ。そして、誰もが愛着を込めてBCという。
「それでは、ペーパーを持って来て」とクリスティーンがいった。ペーパー?
キャビンへ戻ると、僕はノートを持って戻ってきた。彼女は、これではない、といった。入国して、最初にノートを持って来いというはずもない。何だろう?入国手続きで必要なペーパー・・・アッ、若しかすると書類のことか?
僕は、パスポートや船舶登録証などを持って行った。クリスティーンはとても快活で、しかも、とても親切だった。幸いにも、日本に一年間いたという男性のオフィサーも混じって僕の英語の拙さを補ってくれた。お陰で手続きは簡単だった。その後、税関の審査を受け、飲めもしないくせにどっさり積み込んだお酒に一一七ドルも税金を払った。税金の払込みが別棟だったので、僕は、男性オフィサーのジョンと連れ立って久し振りに道路を歩いた。足が何とも覚束ない。厚く柔らかな絨毯を踏んで歩いているようにフワフワして、しかも地面が波打つように揺れる。相当に足が弱っているようだ。
「何か買いたいものはないか?」とジョンが尋ねた。 「薫り高いバターと焼き立てのパンを買いたい」僕が答えた。
「いい店を教えて上げよう」そういって、ジョンは、足がふらつく僕を従えてどんどん歩いて行った。
パンとバターを手に入れて、僕はご機嫌だった。さて、ポンツーンヘ戻って、[禅]を一般のバースへ移さなければならない。しかし、水路は狭く、ヨットがぎっしり詰まっている。そこへもってきて、マリーナの中ではまた強い風が吹いていた。僕の懸念を察しジョンがいった。
「大丈夫。手伝って上げよう」
ジョンが僕といっしょに[禅]に乗り、カスタムスのバースを離れた。くねくねと曲がった水路を辿って、ほとんどドン詰まりのバースへ向かう。強い横風が吹いていて、こんな狭い隙間を回りきれないと危ぶんだ時、所定のバースには、クリスティーンをはじめ何人ものオフィサーがてぐすね引いて待っているのが見えた。僕がずぼらに舵を切って、艇をバースへ近づけた。そうしたら、みんなが力ずくで[禅]をドックへ納めてしまった。
気がつくと、もう七時半を回っていた。それなのに、カナダのオフィサーたちは、嫌な顔ひとつ見せず、僕のために頑張ってくれた。先ほどの関税申告の折も、手続きが終わると、税関の女性オフィサーは、
「私はGENEROUSであったか?」と僕に尋ねた。つまり、思いやりのある対応をしたかということだ。僕は、勿論「YES」と答えた。そして、どうしてそんなことが気になるのかと思って尋ねてみた。彼女は、
「私の大好きなカナダを、あなたにも大好きになって欲しいからよ」と答えた。素晴らしいことではないか。これほどの誇りと愛情を自分の国に抱けるということは!国旗を反動的だと引き摺り降ろすような奴なんて誰もいない。日本では、よく国際化ということがいわれるが、国際化の第一歩は、まず自分の国や国旗に誇りを持つことなのだ。僕は、航海五十三日目にしてやっと正式に入国したばかりのこの国が、きっと想像する以上に素晴らしい国に違いないと思った。
****
ドックに[禅]が納まって後、さっきから僕のムアリング作業をじっと見ている人たちがいた。僕は手を休めて彼等を見上げた。男が、にっこり笑って、
「無事に手続きが済んだようだね」といった。アッ、僕に地図を描いてこの場所を教えてくれた人じゃないか。彼は、奥さんと息子を連れて、わざわざ僕が無事到着しているかどうか確かめに来てくれたのだった。しかも、
「これを・・・」といって手渡してくれた紙袋には、ラズベリーやブルーベリー、ストローベリー、りんご、オレンジなど、いろんなフルーツがどっさり詰まっていた。
長期航海で、もっとも欠乏するものは、保存がきかないフルーツなのだ。ヨットマンの彼は、それを知っていて、僕の安否を確かめる傍ら、フルーツを届けてくれた。この親切、この優しい心配りは一体何だろう。僕は、それを受け取り、みんなと握手しながら目頭がジーンと熱くなってしまった。そして、彼等は名前も告げず、「カナダのクルーズを心ゆくまで楽しんで下さい」といって帰って行った。
もう九時に近かったけど、やっと夕方の気配が漂いはじめたばかりだった。
ドックで陸電のコンセントに苦労していると、隣のヨットの女性が「どうしたの?」と尋ねてくれた。日本で用意したコンセントのアタッチメントがカナダのそれに合わないのだというと、彼女の亭主のビルが出て来て、コードを貸してくれた。プラスとマイナスのほかにアースが付き、それを差し込んでから捻る仕組みになっている。明日、電気屋へ行って買って来なければ・・・。
本当に久し振りにレストランへ行った。そして、ちゃんとした椅子に座り、ちゃんとした料理をサーヴされる贅沢を堪能した。しかし、陸酔いというのか、僕の感覚はまだ、揺れない椅子の上で揺れていた。
食事の後、その店の公衆電話でバンクーヴァーの裕子へ電話しようと思った。しかし、何度やっても上手く繋がらない。ウエイターにそれをいってクォーター(25¢硬貨)を何枚か渡すと、すぐに繋いでくれた。
出たのは次女のAYAKO(綾子)だった。妹の裕子は留守とのことで、AYAKOに、僕がビクトリアに到着したことを告げておいた。しかし、その後、AYAKOが『ビクトリア』を聞き漏らしたことから大騒ぎになってしまった。裕子は窪田氏へ連絡し、窪田氏はコーストガードへ入港情報を尋ねた。
それでなくてもトフィノ・トラフィック(コーストガード)とは、レンフリュー以降連絡が途絶え、またビクトリア港入口でコールしたとはいえ、入港作業が切迫していると一方的に無線を切ってしまっていた。僕がレストランからマリーナへ戻ると、何人もの人から、コーストガードがコールしていたよと教えてくれた。
呑気にも、僕は、無線を後回しにして、隣のヨットからお誘いのハッピーアワー(特別なもてなしの時間。この場合は、気軽なパーティー)へ行ってしまった。三組の初老のカップルが、楽しく語らっていた。二組はアメリカのヨット、隣のビルとジョイスはカナダのヨットだった。カナダのビクトリアとアメリカのシアトルはほんのお隣同士という感じだから、僕まで含めて全然国籍が異なるという意識はなかった。
暫く僕の航海について質問があり、僕はそれに答えていた。そして、妹とそのファミリーがバンクーヴァーにいて、二、三日後にはそちらへ行くといった。そうしたら、
「zen(この時から、僕は『zen』と呼ばれるようになった)、この辺の潮汐について知っているのか?」とビルが尋ねた。僕は、常識以上のものは知らないと答えた。
「それじゃあ、バンクーヴァーまで何日掛るか分らないョ。この辺には、非常に特殊な潮汐があって、難所のアクティヴ・パスは越せない。また、そこまで行くにもたいへんな思いをすることになるゾ」という。そして、ビルは、普通の潮汐表ではなく、一冊の分厚い潮汐図を見せてくれた。それは、場所と月日、時間毎の潮の方向と早さを、物凄く細かに図示したものだった。こんなものは初めて見たと答えると、これは是非必要だという。
その後、暫くビルの姿が見えなくなった。次に彼が現れた時、ビルは、その潮汐図をコピーし、分厚く綴じたものを僕にくれた。そして、バンクーヴァーまでの彼のサイン入りの詳細なチャートも。彼は、
「これを持っていってくれ。そして、これを見たら、カナダと今夜のことを思い出してくれ」といった。これにも僕は、またジーンときてしまった。
ビルのヨットを出ると、見知らぬ男が、「ヨット[禅]か?」と尋ねた。そうだ、と答えると、すぐコーストガードをコールするようにといった。
僕は、[禅]に戻ると、十六チャンネルでコーストガードをコールした。
「あァ、[禅]か。やっとコンタクト出来たね。いやー、昨夜から、ずっと探していたんだ。何か困ったことがないかと思ってね。それに、ミスター窪田とあなたの妹が、あなたを探している。若し、この無線を妹さんに繋いで欲しければ、そうして上げよう」といった。
昨夜から、彼等は、僕を二十四時間以上も探し続けてくれていたんだ。それも、僕が不案内な海上で迷ったり、或いは、何かで困っていないかということのために・・・。何という気配りなんだろう。もう、僕の周りは善意の洪水だった。VHF無線を妹の電話へ繋いでもらい、暫し無事を喜び合った後、僕は妹にいった。
「オレの英語じゃ上手く伝わらないから、裕子から伝えてくれ。オレが、コーストガードの親切に感動し、言葉でいい表わせないほど感謝していると・・・」
その夜、日本を出航して以来五十三日間の第一レグは、どう受け止めていいのか分らない善意の渦と、それに向けた感謝の中で終わった。
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やっと夕闇が兆す頃、僕は街へ出てみた。
ウォーフ・ストリートを右へ進むとインナーハーバーがあって、その正面には州議会議事堂が聳えている。議事堂は威厳に充ちた古い石造りの建物で、その輪郭がイルミネーションに飾られ、まるで夢のように壮麗だった。インナーハーバーの最奥には瀟洒なマリーナがあり、その突き当たりの海に向かって傾斜した芝生には、『WELCOME TO VICTORIA』と白く書き抜かれていた。
州議会議事堂の手前には、世界的に名の知れたエンプレス・ホテルが、中世のお城のような威風を誇っている。それらは、広々とした公園の芝生と色とりどりの花々で隔てられ、絶妙なハーモニーを醸していた。ビクトリアは、自らに冠したガーデン・シティという言葉に相応しく、街全体が箱庭のように美しい。その街を、夕暮れの散策を楽しむ人々が三々五々そぞろ歩く様は、まるでロマンチックな物語の情景を眺めるようだった。
エンプレス・ホテルから議事堂の方へ回る辺りに人垣が出来ていた。近づくにつれ、哀調を帯びたインディオの音楽が流れてきた。
覗いて見ると、五人ばかりのインディオが演奏をしている。ギターや太鼓やオカリナや竪琴、そして、竹を音階順に並べた笛などで構成された旅回りのバンドだった。時折、彼らの前に広げられたギターの空のケースに、聴衆がコインが投げ込んでいった。
人垣の輪の中を、彼等の演奏を録音したカセットテープとCDを売り歩く若い女がいた。真っ黒な髪を後ろで一つに編み込んでいるその顔は、ちょっと見には日本人のようにも見えた。僕は、その女の行き暮れたような風姿に胸を衝かれた。
彼女が僕の前に差し掛かると、僕は、躊躇うことなくカセットテープを買った。そして僕は、特別の思いを込めて彼女の目を見つめた。彼女は、はじめその強い視線に驚いたようだった。でも、僕の目の中にひそむ愛しみの感情を敏感に感じ取って、もの問いた気に僕の目を見返した。
それはほんの数秒のことだった。それでも僕らは、互いに見つめ合う視線の中で、凄くたくさんのことを語り合ったと思う。
やがて、彼女は、カセットテープとCDを掲げながら向うへ行ってしまった。
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翌日は凄く忙しかった。
船具屋へ行って、ガルフ・アイランズ(バンクーヴァー島と本土の間の多島水域)のクルージング・ガイドや船具を買ったり、電気屋でコードを探したり、航海中に書いた膨大な量の手紙を投函したり、スーパーマーケットへ行って、新鮮な食品を買い漁ったり・・・。
マリーナへ帰る道筋、エンプレス・ホテルの前に差し掛った。向う側で、誰かが僕を見つめていた。僕は、その視線の優しさに覚えがあった。昨夜のインディオの女だった。
「あなた、夕べテープを買ってくれた人・・・」と、彼女はスペイン語訛りの英語でいった。 「そう。覚えていてくれたんだね」
「覚えていたわ。昨日、あなたは私をじっと見つめた。だから、夜、あなたの夢を見た」女がいった。
「それは光栄だ。時間があったら、お茶でもいっしょにどうだろう?」
「Why not?(いいわ)」そういって、僕らは、エンプレス・ホテルのロビーへ入って行った。
丁度、『デス・オヴ・ザ・チョコレィト(チョコレィトの食い倒れ)』というイギリスの伝統的なイヴェントをやっていたので、そのコーナーに席を見つけて座った。僕らはダージェリンをオーダーした。そして、ウエイターが、彼女の指差す何種類ものチョコレィトを、お皿に積み上げてくれた。
「こんな豪華なホテル、初めて。何だか緊張しちゃう。あなたは?」
「僕もさ。でも、ホテルで緊張してもはじまらないよ。楽しまなくちゃネ。ところで、僕はzen。昨日ヨットで着いたばかり。今は、ウォーフ・ストリート・フロートというマリーナに碇泊している。ヨットの名前も[禅]というんだ。きみの名前は?」
「私はカチェリーナ。メキシコ人だけど、父も母もインディオよ。もっとも、純粋なインディオなんか、もうほとんどいないけど。あなたはチャイニーズ、それともジャパニーズ?」
「日本人だ。僕は、はじめてきみを見た時、日本人かと思ったよ」
「そう。私、日本に憧れているの。みんなお金持ちだし、お洒落だし、素敵な車やテレビやステレオなんかがあって、それに、世界中のエンターテイメントが東京に集まって来るし・・・。東京へ行ってそういう贅沢をしてみるのが私の夢なの。でも、私たちって貧乏だから、夢はやっぱり夢に過ぎないけど」
「そんなことはない。頑張れば、夢はいつか叶うものさ」
「ねえ、東京のこと、何でもいいから話して」僕は、東京や日本のことを思いつくままに話した。カチェリーナは、じっと聞きながら、次々とチョコレィトを食べた。
「きみは、チョコが好きだね」 「女の子って、誰だってチョコが好きよ。それに、こんなに美味しいチョコ、食べたことないもの」
「いくらでもお上がり。でも、太っても知らないよ」彼女は、フ、フ、フと笑って、また次の一つを頬張った。
僕らは、そんな他愛もないことを話していた。そうしたら、カチェリーナが急に僕の話を遮って、
「ねえ、zen。夕べ、どうしてあんなシリアスな目で私を見つめたの?」と尋ねた。僕は、その唐突な質問に戸惑った。
「どうしてだろう。僕にもよく分らない。でも、きみを見ているうちに、人間の寂しさという思いが浮かんできたのだと思う。
僕は、五十三日間も一人で太平洋を航海し続けてここへ辿り着いた。航海中は感じる余裕もなかったけど、周囲をたくさんの人に囲まれている今、僕は、どうやっても埋めることの出来ない本質的な人間の寂しさをというものを感じている。或る人はそれを孤独という。でも、その言葉では十分じゃない。もっと弧絶して根源的なもの・・・。それと同じものを、僕はきみの中に見たのかも知れない」
「そう・・・」彼女は、しばらく物思いに耽るように沈黙した。そして、ポツリといった。 「夕べの夢の中で、あなた、同じこといったわ」
僕らは、もう一杯紅茶をお代わりした。そして、僕らはもう、あまり言葉を交わさなかった。その沈黙の中を、諦めに似た思いだけが積もっていった。
***
夕食を終え、僕はキャビンでうたた寝をしていた。そうしたら、誰かがデッキをノックした。夢うつつでいると、もう一度ノックが聞こえた。そして、「zen」と呼ぶカチェリーナの声を聞いた。僕は慌ててハッチを開けながら時計を見た。午前二時だった。
カチェリーナが影のように立っていた。少し酔っているのか、体が揺れていた。僕は、手を伸ばして彼女の手をとった。引き上げるままに、彼女は軽々とデッキに上がってきて、崩れるように僕の胸に顔を埋めた。
彼女は震えていた。そして、声もなく泣いているようだった。訳は尋ねなかった。僕らは互いの体を抱くようにしてキャビンへ降りた。
「お酒、ある?」と彼女がいった。僕は、グラスにウイスキーを注ぎ、それを水で割ろうとした。彼女は、
「そのままでいい・・・」といって、生のウイスキーを口へ運んだ。一口飲んで、彼女は大きく溜息をついた。そして、僕をじっと見つめていった。
「あれからずーっと、私、zenが話したことばかり考えていたわ。でも、私にはよく分らない。それが私にとって、とても大切なことなんだと思えるし、誰かが、私の心の中で、ほら、そこに・・・といっているのに、それが何なのか分らない。気がついたら、ここに来て[禅]を探していたわ」最後は、消え入るようにいって、彼女は、ふたたび僕の腕の中へ崩れてきた。
僕は、彼女の顔を仰向かせ、その目を覗き込んだ。焦点が定かでない目が潤んでいた。そして、僕らは唇を重ねた。しかし、彼女は全然酒臭くなかった。ドラッグをやっているのだろうか。しかし、彼女を見ていると、もう、そんなことはどうでもよかった。彼女に対する愛しさだけが僕の心を包んでいた。恐らく、僕に話したことなんかより、もっともっと辛いしがらみが、彼女の若い人生を蝕んでいるに違いない。
「どうすれば、きみの心を癒すことが出来るのだろう?」彼女の耳元でそう囁くと、彼女は微かに首を振った。あたかも、そんなことは誰にも出来ないというかのように。
「横にさせて・・・」気だるそうにカチェリーナがいった。僕は、彼女をスターンの広いバースへ寝かせた。獣が病を癒すように、ぐったりと彼女は横たわっていた。眠ったのかと見えた彼女が、やがてこちらに寝返りを打ち目で語りかけた。「zen、ここに来て・・・」と。
僕は彼女の脇に体を横たえた。そして、カチェリーナの体を、力いっぱい抱きしめた。その腕の中で、彼女は泣いていた。何だか、僕なんかが到底入り込めない心の深みで泣いているという感じだった。
僕は、彼女の背を優しく愛撫した。暫くすると、彼女の嗚咽は潮が引くように収まっていった。僕らはそのまま眠ってしまった。とても深く、安らかな眠りだった。
ポートライトから差し込む懐中電灯の光で目が醒めた。僕の横で眠っていたカチェリーナがいなかった。そして、ヨットの外から、
「zen、何か異常はありませんか?」というジョンの声を聞いた。 僕はバースを抜けるとハッチを開け、
「異常はないョ」と答えた。そして、どうしてこんな時間にジョンが見回りに歩き、しかも、僕に声まで掛けていったのだろうと不思議だった。マリーナで、何か異常なことが起きたのだろうか。
それにしても、カチェリーナはどうしたのだろう。僕の目を覚まさず、どうやってバースを抜け出したのだろう。キャビンへ戻ると、僕は、フォクスルやヘッド(トイレ)を、彼女の名を呼びながら探し回った。狭いヨットの中で、他に彼女が潜むような場所なんてない。さらに、ヨットを出てドックも歩いてみた。それでも彼女の姿はどこにもなかった。僕は夢を見たのだろうか・・・。
もうすぐ夜が明けようとしていた。僕は不思議な思いのまま眠った。
翌日、この辺りで麻薬がらみの事件があったことを知った。ジョンが見回りしていたのも、多分そのためだったのだろう。そして、事件にカチェリーナが絡んでいたかどうかは知らないし、また、僕は、知りたくもなかった。勿論、あの夜、彼女が僕のヨットに来たことは、誰にも話していない。
後日、バンクーヴァーでインディオのバンドの演奏に出会った。街角でたくさんの人が彼等の音楽に聞き入っていた。しかし、テープやCDを売り歩く彼女の視線を捉えることは出来なかった。彼女は、何も見ていなかった。或いは、この世の外のさらに向うを見ているような目をしていた。彼女が僕の前へ来た時、「カチェリーナ・・・」と小声で呼んでみた。彼女がちらっと僕の方を見た。しかし、その視線からは、カチェリーナが僕を覚えている様子を伺うことは出来なかった。
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