5号線を北へ走り、ラ・ホヤを過ぎるとデル・マーの少し手前でソレント・バレー・ブールバードへのジャンクションに差しかかる。それからはキャニオンを駆け上かり、純子がミラ・メサ・スカイラインと名付けた美しい道が続く。彼女は、この道を箱根を越えて伊豆スカイラインへ続く道に似てると思う。いや、彼女が思うのではなく、リックがそういったのを都度思い出すのだ。
数年前、山火事で焼けたせいもあって、ほとんど木らしい木もない累々たるキャニオンの、とある尾根に彼女の家を含む美しい集落カミニート・ローダーがある。
役所がキャニオン全体にスプリンクラーで水を撒くようになって、最近は辛うじて草木の緑が地面を被うようになった。カリフォルニアはどこも恐ろしく乾燥していて、放っておくとたちまち砂漠化現象が起きる。だから、純子が勤めから帰って一番先にすることは庭の水撒きだ。
特に、クリーム色の細かな桟がはまった出窓の前のレモンツリーには丹念に水をやる。人はレモンの木はあまり水を必要としないというが、純子は感情移入のつもりでたっぷりと水をやる。それでも、5分もすると地面は乾燥した土色を見せ、艶のある葉にたまった水滴だけが、たった今彼女が水撒きしたことを物語っている。
夏の日など、水撒きを終え、まだ日が十分に高い夕方のひと時を、彼女はこのレモンツリーのある出窓の前で過ごすのが好きだ。
時にロッキングチェアに揺られながら本を読み、時にキーポードでシャンソンを弾いたり。リックかいた時は、互いに目のなかを覗き込むようにして寄り添い、この出窓の前で彼とビールやコーヒーやティーを飲むのがとても楽しかった。でも、もう4か月も前、ずいぷん昔の話だ。
彼女はセーターを編んでいる。別に誰のためというのでもない。大きさはまぎれもない男物。色合いはこの窓から見る夜明けの霧、そして夕立の後の虹をイメージしたパステルトーン。
何年か前にも同じようなことがあった。彼女は、多分このセーターも出来上がることがないということを知っている。
象牙色にブルーグレーの毛糸を継ぎ足し2編みしたところで電話が鳴った。多分、リック。彼女はどうしようか迷う。毛糸の色の調和が思いのほかいい感じなのに・・・・。もうひと編みして横のガラステーブルに編み物を置き、ヨッコラショと声に出して揺り椅子を立つ。
テーブルの一輪挿しに黄色のクロッカスが咲いている。
「ハロー、ジューン。ぼく・・・」リックの声。
「ハロー、リック。わたし」
二人の電話のいつものイントロダクション。彼が純子の家を出て行ってから、彼女が勤めから帰る時間に彼はほとんど毎日電話をかけてくる。何で毎日電話するの?といつか純子が聞いた。彼は、ジューンが今何しているか知りたいからと答えた。
「何している?」
「編み物。セーター編んでる」
「ジューンの?」
「いいや」
「じゃ、誰の?」
「別に。誰のでもない。 何となく編んでるだけ」
「ふーん。変なの」
「変じゃないよ。ただ編んでるだけなんだから。誰かのでなきゃ変?」
「あ、そうじやないけどさ。でも、セーターって着るものだろう。だから、着るのは誰か って思うじゃない。そういうこと」
「リックがセーター編んで欲しいの?」
「そりゃあ欲しいけどさ」
「いやだ。編んであげないよ。誰のでもないから編むのが楽しいんだから」
「変なの」
「変じゃないよ。ねえ、リック、電話切るわよ。今、いいところなんだから」
「ああ。それじゃ、またね」
純子は受話器を置く。リックの側で電気的なプツンという音かし、彼女はまたレモンツリーの出窓の揺り椅子に腰を降ろす。
ひと編みして手を止め、彼女は「変じゃないよ」と声に出していってみる。声が空間に吸い取られるように消えていく。それってちょっぴり孤独で、やっば、少し不自然かな、と彼女は思う。
しかし、考えてみると私の人生の或る種決定的局面はこのレモンツリーの前で演じられてきた、と純子は思う。
日本から敏也と来てこの家で暮らし、しばらくして、きみとは別の人生を歩むと、この場所で告げて彼が去った。大学の語学研修のクラスで知り合ったダニエルと、何となく8か月間を暮らすようになったきっかけのあの凄絶な落日を見たのもこの出窓。あれはサンタアナと呼ぶ強い東風が吹く日だったっけ。この世の終わりのような夕日に染まりながら、互いに激しく求め合った。その彼が、キャニオンを深い霧が被うクリスマスの朝、きみとはもう終わりだとかけてきた電話を聞いたのもこの場所。信じられない嵐いで、私がただ泣いていたのもこの出窓の前。
その後、何人かの男が私の目の前を通り過ぎていった。しかし、自分が傷つかぬよう恋愛感情を操れるほどに私もタフになっていった。或いは、その程度の相手だったということかも知れないけど。 そして、ちょうど3年前、太学の図書館に勤めていた時、日系三世のアメリカ人で、日本から帰ってきたばかりのリックが私の前に立ちはだかった。
彼は京都大学で言語学の修士課程を終え、UCSDの人類学の研究室にやってきた。髪と眉毛と額ひげか黒く、目が灰色がかったブルー。ニヒルな風貌に時々やんちゃ坊主のような残忍な微笑を浮かべるこの青年は、あたかも凌辱するかのように、会った瞬間に私を彼の視線の中に組み敷いていた。
もう何年もそうしているように、逢ったその日から二人いっしょの暮らしが始まった。それが何の抵抗もない自然な成り行きだったと、純子は今でも思う。
朝自然に目覚め、今までいつもそうしていたかのように、リックがトーストとべーコンエッグを焼き、純子がコーヒーをいれた。新しい生活のための取り決めとして何かをあらためて相談したということは全くなかった。幾らしにそれほど言葉の必要もなかったから、二人を被う沈黙の上を、たいていはモーツァルトのコンツェルトが流れていた。
リックもレモンツリーのある出窓が好きだったのかも知れない。揺り椅子と小振りで丸いガラステーブルをここへ持ってきたのは彼だったから。
夏、勤めから帰って、純子が冷たいシャワーを浴びていると、リックはよく庭の草花に水をくれていた。彼女がシャワーを終えてカンフォタブルな部屋着に着替える頃、彼は水撒きを終え、レモンツリーの出窓に冷えたビールのボトルを2本持ってくる。彼女が揺り椅子に掛けているとへ彼は後ろから屈むようにして頬にキスをする。彼の腰の中にラ・ホヤの方向に傾く夕日が映っていた。そんな時純子は、とても自然に、申し分のないこの幸せが永遠に続くと信じることができた。
夢のような一年が流れた。リックにとって久しぶりに味わうハローウィンもサンクスギビングもクリスマスもとても懐かしい行事だった。
デル・コロナドのクリスマス・ウイークの口開けを飾るパレードとオープンハウス、ホテル・デルコロナドの巨大で豪華なクリスマスツリー、ダウンタウンの盛り場などで繰り広げられる中世風の衣装を着飾ったディケンズのキャロル合唱隊、サンディエゴ・ベイの飾りたてたヨットのパレード、チュラ・ビスタのシュガーケーン通り街ぐるみのクリスマスディコレーション・・・・・
春になると、キャニオンや砂漠にカリフォルニア・ポピーや菜の花が一度に花開き、アーモンドの木が桜の花に似て、しかも日本の桜以上のスケールで妍を競い花吹雪の狂爛を演じた。
夏はリックの友人のヨットでカタリナ・アイランドヘクルーズし、アバロンの港で素敵な日々を過ごしたりした。
そして、サンクスギビングが過ぎ2年目のクリスマスがやって来た。去年と同じく、デル・コロナドに行く約束だったのに、リックは彼の論文が或る研究機関による今年の傑出した研究として受賞したことで東京へ出張した。一週間の予定が日本の大学の同窓会にも出席するということで滞在がさらに一週間延びた。だから、ダウンタウンの或るホテルのクリスマスツリー点灯のパーティも見送ることになった。純子はクリスマスなのに、何てひどいスケジュールなんだろうと無言で憤っていた。
そして、イブ。東京での所用を理由に、リックは帰って来なかった。
授賞式を終え、リックは新幹線の車中にあった。
成田に到着し、財団差し回しの車で都内のホテルに落ち着いてより、専門誌や新聞の取材が数件予定されていて、授賞式までの3日間は結構多忙に過ぎた。時差による疲労をいっている暇はなかった。そして、48目の午後は授賞式、夕方からはレセプションとパーティ。翌日一日を休養にあて、授賞式の翌々日に純子の待つアメリカへ飛んで、それでも8日間も費やすことになった。
授賞式の夜、疲れのせいもあって癇癪を起こしかけていた時、大学時代の友人が電話をかけてきた。お前が来ていることを新蘭で知った。急遽、同窓会を計画したから京都へ来いと有無をいわせぬ懐かしい友の言葉がうれしく、リックは、休養は取り止めにして明朝一番でそっちへ向かうと答えていた。受話器を瞬いてから、純子との約束が思い出され一瞬困惑したが、彼はその旨を電話で告げ詫びることにした。
時差による時間調整をし電話をかけたのに彼女は留守だった。
そして翌朝、出発前の時間はアメリカ西海岸は真夜中だった。新幹線の座席で、リックはそのことが気掛かりだった。
京都に着き、数人の友人に出迎えられ、気分はもう完全に学生時代に戻っていた。彼は電話のことを忘れてしまった。 そんなことが折り重なって、純子へ京郡の寄り道を告げたのは、ダウンタウンのホテルのパーティ当日になってからだった。彼女は電話でリックの不誠実さを強く非難した。
同窓会の席で、リックは学生時代の恋人に逢った。友人に同窓会の話を聞いたその時、すでに気持ちの片隅に彼女との再会のひそかな期待があったのを彼は知っている。
直子はリックより2歳年上だった。確か今年で三十一のはずだ。 彼が日本を離れて半年して彼女は結婚した。リックの不在に体も心も少し慣れたと思えたから。それなのに、9か月の後、彼女の夫は急逝した。日本の一流企業のビジネスマンに多い過労死だった。
新婚気分も抜けぬ新居を後に、直子は実家へ戻った。しかし、両親と兄夫婦の同居する家は彼女の住める場所ではなかった。直子は父の了解を得て伊豆の別荘に移り、そこでひっそりと暮らした。彼女はそんな暮らしが自分には似合うと思った。
同窓会の知らせが届き、リックが来ていることを知った時、直子の心は騒いだ。近況は全く知らなかったが、何か昔の夢に逢える気がした。彼女は心を込めて身を整え、京都へ赴いた。
アメリカ女性には見られぬ繊細でたおやかな曲線を湛えた細い体が、藍色の地味な巻物に包みきれぬ艶を滲ませていた。彼女はリックの想像以上に美しく歳を重ねていた。
同窓会は大いにフィーバーした。
会が終わってからも、酒宴は2度3度と会を重ね、リックが解放されたのはほとんど明け方に近かった。
直子はひそかに彼のホテルでリックを待っていた。彼が仲間と会場を出て行く時、そっと直子の手に滑り込ませたメモに、そうするよう指示してあったから。
しかし、リックは彼女が自分の指示通りホテルへ向かったかどうか、全く自信がなかった。
彼は静かにドアをノックしてみた。何度かノックを繰り返し、反応がなければフロントでキーをもらって来なければなるまい。つまり、彼女は彼の部屋へ来なかったということだから。
彼が二度目のノックをしようと手を上げた時、ドアが静かに開いた。そこに端正な着物姿の直子がいた。心持ち蒼ざめた顔に目が燃えている。彼は包み込むように彼女をその腕の中に抱き留めていた。3年糸りの歳月がその一瞬の中に溶けていった。
翌朝、遅めの朝食をとると二人は三島へ向かった。新幹線の座席に並んで腰を降ろし、その間で手はしっかりと結ばれて片時も離れることはなかった。
そうしながら、互いの物語りはそれぞれの思いに背き、この歳月が埋めようもなく二人を隔ててしまったことを告げ合うばかりだった。
どうにもなりはしない、と直子は思う。リックのいうように彼について行かなかったあの時、このセッションは終わっていた。取り返しのつかない過去、やり直しがきかない人生。でも、いいわ。彼が日本に留まる間だけでもいいから、青春の残り火を余すことなく燃やし尽くそう。出来ることならリックを道連れにして。ああ、でもそれは多分無理よ。
列車は三島駅に滑り込んだ。乗降する人はあまり多くはなかった。
直子は駅前の駐車場から車を出すと、市内を抜けて国道l号線を箱根に向かった。折れ曲がる道を上りつめると右に折れ、伊豆スカイラインへ入る。初めて来たはずなのに、美しく冬枯れした尾根づたいの道に見覚えがあるとリックは思う。デ・ジャ・ヴーのような不思議な感覚に並行して純子の面影が一瞬過り、そして、自然に消えていった。
伊豆韮山の直子の住まいにリックは3日間を過ごした。
直子は、もう決して戻ることのない時間を噛みしめるように味わい尽くし、未練は断ち切れたと思った。それなのに、彼が新幹線のデッキでさようならをいった時、彼女の目に涙が溢れた。リックはその涙の向こうに、美しい冬枯れの道を見ていた。
リックがサンディエゴ空港に降り立ったのはクリスマスの日の昼過ぎ。ロスアンジェルス空港での乗り継ぎの折に電話をして、空港には純子に迎えに来てもらった。トランクに僅かな荷物を積み、クリスマス・イヴ明けの倦怠感を漂わせた街を通って、車は5号線のフリーウエィに乗る。やがて、ラ・ホヤ・ブールバードのジャンクションを過ぎ、デル・マーの手前をソレント・バレー・ブルーバードに乗りかえると、リックの目の前に美しく冬枯れした伊豆スカイラインの道が拓けてきた。
それが、純子のいうミラ・メサ・スカイラインであると気づく前に、リックは、思わず直子の名を呼んでいた。二人の間に重々しく沈黙の時が流れていった。
ニューイヤー・イヴの日、リックは日本での出来事を全て告白し、純子の家を出た。
単なるアバンチュールではない束の間の出逢い。それは、成熟した愛の凝縮した時間であると純子は思う。だから、今後の展開かないことでリックを信じることが出来るのに、今までのように、いっしょに暮らすことはもう出来ないと感じてしまう。
純子は思う。潔癖過ぎるのだろうか。もっと、イージーに考えられたらどんなに楽だろう。いつも、そう思う。レモンツリーのある出窓の前、揺り椅子に腰掛け、パステルトーンの毛糸のセーターを編みなから。その視界の端の方、ラ・ホヤの辺りに美しく夕日が沈んでいった。
[終]
1996.1.19/San Diego
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