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4月12日(月)

花便りが日本列島を駆け上がって行ったのはつい先頃だったのに、それがもう櫻の季節も終わりです。只々、歳月の流れの速さに驚きを禁じ得ません。

一昨日の土曜日、共に花を愛で、その詩情を語り合える女性と近くの大庭城址公園を訪れました。咲き残った櫻花が、折からの春風に花吹雪となって散り掛かります。地面には花びらが雪のように降り敷き、正に花のむしろを往くようでした。

櫻はこの上なく華やかな花です。峰をなす花の連なりを見ると、思わず絢爛豪華という言葉が飛び出してきます。かと思うと、櫻は恐ろしいばかりに妖艶です。梶井基次郎をして「櫻の樹の根元には死体が埋まっている」と言わしめた妖しさがあります。

そして、吹雪の如く散り急ぐ様は、滅びゆくももの美の極致を見るようです。

さて、『その先の海』は、今回15日の更新で最終回になります。

出版社に持ち込んだ時、「活字離れ時代の今どき、こんなに長い読み物を読む人はいないから」と出版を断られたほどの長編が、正に歳月の流れの速さに押し流されるように、たちまち完結してしまうことに驚くと共に、拭いきれない一抹の寂しさを噛み締めています。それにしても、この長い読み物を最後までお付き合いいただき読み続けてくださった皆様に心から感謝を申し上げます。

このセミドキュメンタリー航海記『その先の海』は、私のもう一つの人生の記録です。ヨット仲間やちょっとした団体からお声が掛かって、私はたびたびこの航海をテーマに講演に出掛けました。そして、航海の一節一節を取り上げて人生のロマンを語ってきました。

ヨット仲間にお話する時は、私は、最後に「皆さんも、是非ヨットで世界の海へお出掛けなさい。そこにはもう一つ、これこそは自分だけのオリジナルな人生というものが必ずありますよ」と結ぶことにしています。

人生は、若しやり直しが利くものなら、せめて一部分なりともやり直したいと誰もが願います。しかし、それは残念ながら不可能です。でも、今日まで歩んできたこの人生とは別に、もう一つ別の人生を歩むことが出来るとしたら、それは素晴らしいことに違いありません。

私がこの航海を終えて感じるのは、ありきたりな社会生活を踏まえて生きた人生の他に、明らかにもう一つ別の人生を生きたという実感です。しかも、どこにも類型がない全くのオリジナルの人生です。そして、これさえあれば、人生の終焉に向かって納得し、我が人生は充実せり!と豪語できる、そうした中身のぎっしり詰まった凝縮した人生なのです。そういう意味で、『その先の海』は、私のもう一つの人生の記録と申し上げた訳です。

この航海記は、物語の流れに歩調を合わせるようにいくつかの超短編小説が挟まっています。これは、航海上に起こる事実の羅列の他に、私の心の航海を語りたいという願いから試みたものです。

極端な言い方をすれば、航海途上は海の変貌を描く他に述べることは何もありません。なにしろヨットの周囲には海しかないのですから。それでも、航海者の心は極まるところを知らぬ旅を続けているのです。そうした心の高まりを物語にして挟み込んだのが数々の短編でした。読者の方々からは、どこまでが事実なのかとお尋ね頂いたこともありましたが、私は、現実の航海と、私の心の中に繰り広げられる航海との両面を読み取って頂きたいと願っております。

私は今年9月で68歳です。急速な健康の衰えや持病の進行などがあるとはいえ、まだまだ海への情熱だけは衰えていません。折あらば、もう一度あの荒振る海に乗り出したいものと炯々と機を伺っております。我が人生を含め、私の旅はまだ半ばです。

長い間、『その先の海』をご愛読頂き、心より篤く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

Zen


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