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Nov. 9 (Tue.)

相変わらずオークランドに居ます。

実に困ったことになりました。ビザを更新しようと思ったNZで、発給を完全に拒否されてしまいました。

理由は、ボートの修理を理由に長期滞在しようとしているという疑いと、Visiter Visaでボート修理のためオーストラリアへ行くというのはVisitorの定義にはずれるというものです。Visitorはあくまでも旅行が目的であり、1ヵ所に留まるべき性格のものではないという、かなり融通の利かない判断です。

事実として、Mooloolaba Yacht Clubには3年間も滞在している人達もいて、柔軟な考え方のイミグレーションオフィサーは、ヨットの特殊事情(ボートの修理、熱帯地域のサイクロンシーズン)を理解し、ビザを出しています。私が再申請の折からお願いしたビザ専門のコンサルタントの話では、オーストラリアのイミグレーション中、オークランドは特に厳しいそうです。

それに、初めの申請が棄却されたとき、小1時間も激しくオーストラリアのオフィサーとやりあったことが、心証として影響していること、2度目の申請の折、ブリズベーンの税関のNeilが一生懸命イミグレに働きかけプッシュしてくれたのも、日本流に言えば越権行為としてオークランドのオフィサーを意固地にさせたのかもしれません。

いっしょに南太平洋をクルーズし、ニュージーランド到着以降こちらに住み着いたエイプリルフォースのクニとノビ、さらにM. Y. C. のマネージャーのイアン、そして前述のネイル(Neil)などは、私のために本当にいろいろと手を貸してくれました。ビザコンサルタントのカバーレターを含め、私の申請理由書、マリーナのマネージャーの手紙、クニ&ノビの手紙、今日までの航海のルートを世界地図に図示したもの、それに船籍票、オーストラリアのクルージングパーミットなどを申請書に添えて提出し、今度こそは!と期待しましたが、却下の裁定だった訳です。

それでも、最後にオーストラリア総領事館の女性のオフィサーは気の毒そうに、「Sorry, 一度日本へ帰るのがいい方法かもしれないよ」と謎めいたコメントをくれました。後日、ビザコンサルタントにこのことを話すと、少し時間をおいて、日本でETAS(3ヵ月滞在可で1年以内なら何度でも入国できるビザ)を取るのが一番早道だという示唆でしょう、といっていました。

目下、私はオークランドのYHAを転々と(1週間以上の宿泊はできない。すぐ近くにあるもう1件のYHAを行ったり来たり)しています。

YHAにはたくさんのワーキングホリデイビザの日本人や韓国人、イギリス人等々が居て、年格好からいってもちょうどよい相談相手として若い人達と日々を過ごしています。

幸いにも12月の初めから2週間程南島に用があり行ってきますが、それ以降はNZのビザ(90日間有効)が切れるまで物価が安く住みやすいNZにアパートを借りて住むつもりです。

まあ、こんなのんきなことをいっていますが、建て前だけでイミグレーションが対応してくるなら、私はオーストラリアの自分のボートに戻ることはできません。(そういうことはないと思うけど)そうなったら、航海の継続は断念せざるを得ません。何故なら正式に長期滞在ビザを発給されるのは私が67歳になってからですし、3年以上も放っておいたヨットを外洋に進めるのに、さらに1年間以上の修理を要します。

それにしても、個人の(全)財産を本人の手の届かないところに置いて、何等救済措置を考えようともしないオーストラリアのイミグレには腹が立ちます。この立腹を押し通そうとすれば、弁護士を頼んで裁判に持ち込む以外に手はありません。その金と時間を考えると、やはり一度日本へ帰って……ということになる訳です。

日本へ帰国しても、私は可能な限り短期間でオーストラリアへ戻るべく手を尽くすつもりです。理由は、日本に長い間滞在したら、ボートを修理する蓄えが底をついてしまうこと、そして、もう容易に辛い航海へ向け腰が上がらなくなるかもしれないと考えるからです。

物価は日本の2分の1以下。特にお米は5キロで350円〜400円。それも日本の普通のお米と比べて、全く劣るところがなく、きわめて上質のお米が、です。

***

ずっと不順な天候が続いていてアメリカズカップも盛り上がりがいまいちです。

先日、第1ラウンドロビンが終わり選手も一息ついている頃、ニッポンチャレンジの内々のBBQパーティがあり、招待されて行ってきました。

選手、スタッフ、それらの家族、マスコミ関係入り交じって楽しいひと時を過ごしました。さすがに選手達の食欲は物凄く、ステーキ程の肉を一度に5、6枚皿に取って行きます。シェフの北村さんは、40kg用意したビーフとラムが30分と持たなかったとボヤいていました。

ピーター・ギルモア(ニッチャレのスキッパー)はとても気さくな人で、それに日本語がとても上手なので私とはほとんど日本語だけで話をしました。

数日前、第2ラウンドロビンが始まり、緒戦に勝ち、次のイタリア・プラダとの試合をセールトラブルで落としました。ギルモアの世界ランキング1位のマニューバリングが冴え、スタート時全勝のプラダをスタートマークの外へ追い出し、さらに1分もの差をつけてレースを進めた時は、これでルイヴィトンカップ(挑戦者決定戦)の流れを変えると思わせたものです。プラダはニッポンがリタイアした後、ゴール前、スピネーカーが引っかかって下りてこないというトラブルがあったにもかかわらず勝ちを拾うという幸運に恵まれています。

地元の新聞には、第2ラウンドロビンは風が強くなり、そうすると日本が有利になると見出しに出ていました。選手もスタッフも頑張っています。私も時折宿舎へ出かけ激励を続けます。

オークランドより、近況をお知らせしました。

Zen, Nov. 9, 1999, Auckland, NZ


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