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2000年5月13日(土)

早くも、GOLDEN WEEKが過ぎ、日本は、春から初夏へと足早に季節が変わって行く頃ですね。私としては、いちばん大好きな季節です。

こちらは、今まさに、秋たけなわ。今日などは、地元の人にいわせると、冬の天気だそうです。快晴で、南からのカラッとして、ひんやりしたそよ風。気温20から24度ほどの、とてもしのぎやすい天気です。

それでも、三日前までは、毎日、強風注意報が出て、まるで嵐のような日が二週間も続きました。クルージング・シーズンの始まりがこの天気ですから、ほとんどのヨットが足止めを喰らい、マリーナ中が、何となく落ち着きのない雰囲気でした。

今日の天気を見て、出そびれていたヨットが、明朝、いっせいにスタートするようです。今日の午後は、出発に先駆け、セールを揚げたり、エンジンをかけたりのテストや、ディンギーをデッキに引き上げたり、燃料を補給したり、水を積み込んだりと、とてもい忙しそうでした。

私は、もう一つ気象の山を越えた今月末頃の出航になります。

4月26日、六ヶ月のヴィザの延長をして来ました。何と、私のETAS(短期ヴィザ)が終了するその日でした。これで、安心して西(インド洋、紅海、地中海)へ進めます。若し、この延長が出来なかった場合は、ニューカレドニアやバヌアツ、ソロモンなどを、もう一度廻って来ることになったことでしょう。やれやれ、です。

先日、大事をとって、エンジンの再点検をしました。油水分離器の水抜きの際に、エンジンにエアが入り、これを抜かなくては(エア抜き)エンジンがかかりません。エア抜きだけなら、さして問題ではないのですが、分離器の水を抜く度にこういうことの繰り返しでは、ちょっと厄介なので、構造的に改良しようと取り組んでいるところです。なにしろ、紅海で入手する軽油には、ときたま10%も水が混じっているという粗悪品もあるようですので、予め対策を講じておこうという訳です。それにしても、周囲は、原油を汲み出すやぐらが林立している産油国なのに、何故、良質の油が供給できないのか、不思議ですよね。

先日から、歯痛に悩んでいます。今まで、歯の苦しみというものの経験がないほど、歯は丈夫でした。やはり、年には勝てません。痛みもただ事ではありません(横になると痛むので、十日間ほども椅子に座って眠りました)が、これから先の寄港地を考えると、今、しっかり治療しておかないと、ちょっとヤバイことになりかねません。こちらのドクターも、東南アジアは歯科技術もさることながら、歯科医でエイズに感染する心配をもらしていました。インドでは、露天の歯抜き屋というのがあるそうです。滑稽なのは、その隣に、入れ歯屋が入れ歯を山積みにして店を出していたそうです。これは、このマリーナのすぐ近くに住む日本人で、歯科のドクターがいっていたことなので、まんざら誇張でもないようです。

航海をしていると、体力の低下が顕著です。ですから、弱いところがあると、すぐに悪化します。神経を張り詰めているので胃潰瘍になったり、頭痛の持病があると(私は偏頭痛持ちです)いつも頭痛に悩まされ続けたり、治療が半端な歯があると、凄い早さで悪化したりします。ですから、今、きちんと治療しておかないと、少なくとも地中海に出るまでは、対策の講じようがありません。日本人のドクターに診てもらうと、奥歯の神経が死んで、恐らく、歯茎との接点まで化膿しているらしいとのこと。一時的に痛みが止まることがあるが、航海で体力が低下すると、その時は、顎の骨の骨膜炎を引き起こし、40度近い熱が出て、緊急入院が必要になると脅します。洋上でそんなことになったら、精神的なダメージも含め、航海の継続が怪しくなることでしょう。

こちらは、歯科に保険がききません。もっとも、私は保険を何一つ持っていませんが。その料金は、すぐに1000〜2000ドルほどにもなります。出航間際の私としては、洗いざらいヨットの補修にお金をはたいたばかりです。歯科へ行き、十分とはいえない英語を並べ、出航まで時間があまりないこと、序に、お金もほとんどないことを説明しました。その結果、レントゲンを撮り、今度の火曜日に抜歯しましょうということになりました。治療でお金が掛かると思っていたのに、もう、抜くしか手はないということらしいです。

月曜日は、クルージング・パーミットをとりにブリスベンへ行きます。これがないと、何処の国でもそうですが、航海が出来ません。入港する主だったオーストラリアの港で、カスタムス(税関)へ出頭し、これを提示し、次の港へと航海を繋いで行く訳です。

先日は、インドネシアのクルージング・パーミットを申請しました。発給まで建前5週間、実際は3ヶ月近く掛かるので、今から手続きが必要になります。いよいよ出航へ向け慌しくなってきました。

5月15日(月)

今朝、早起き(7時)して、スーツにネクタイ、革靴を着用してブリスベンへ出掛けました。いつも気になるのですが、長距離の大型バスに8人ほどしか客が乗っていません。よくこれで路線廃止にならないものだと感心します。

ブリスベンに着いて、アポイントメントの時間まで少し間があったので、久し振りに都会をぶらついてみました。

こちらでスーツにネクタイをきちんと着ている人は、ほとんどといっていいほど居ません。昔の言葉(私が日本にいた頃)の言葉でいえば、一点豪華主義で、靴はフェラガモです。そんなのを履いていると、普通のブレザースーツが、ダンヒルか何かにでも見えるのか、靴屋で、白のカーフのモカシンはないか?と尋ねると、返事は、sirで返ってきます。

“シーズンオフでして、只今、店には置いておりません。申し訳ありません。sir”

“私は、それをヨットのデッキで履きたい。白がシーズンオフというが、クルージングは、これからがオンシーズンだよ”

“おっしゃる通りです、sir。デッキシューズでしたら、いろいろございますが、sir”

“いや、私は、野暮ったいデッキシューズは好まぬ。”

“ごもっともです。また、お立ち寄り下さい。お好みに合う物を用意しておきます、sir。”

ってな具合。ちょっと誇張もあったかも知れませんが、気分でいえば、まあ、こんなやり取りでした。ヘェー、こっちの奴らも、結構、見てくれで、こうも態度が違うものか!と感じ入った次第。

 すっかり面白くなって、携帯電話屋とか、洋品店とか、万年筆屋とか、片っ端から冷やかして歩きましたが、中には、数千ドルもする品物を押し付けられそうになったりして、馬鹿な真似はこの辺でやめておこうと、今日の目的であるカスタムスへ向かいました。

 カスタムスで、NZのヴィザ騒ぎなどでも、随分お世話になったNeil Clerkeに逢って、滞豪中のお礼を言おうとアポをとって行ったのに、急に出掛けて留守とのこと。ちょっとがっかりでした。代わりのオフィサーが出てきて、私の書類(バンダーバーグで入国した時の)を見て、“えっ、これは私が書いた書類だ。”といいます。“バンダーバーグにいらしたのですか?”と聞くと、“うん、去年の暮れまで、ね。でも、記憶にないなぁ、毎日、何人ものヨッティに会うから。”“私は、覚えていますよ。会った時から、どこかでお逢いした人だと思っていました。”彼は、“二年前だよなぁ・・・”といいながら、ものの五分でクルージング・パーミットを発行してくれました。いえいえ、お上手ではなく、本当に見覚えがあったのです。それに、巻き舌で、その上、凄いオーストラリア訛りにも、覚えがありました。

 帰りは、もう、悪戯は止めて、トランジット・センターというバスや列車の発着所へ急ぎました。というのは、私が予約したバスですと、三時間も待たなくてはなりません。急いで行けば,三時四十五分発のバスに変更出来るからです。

 首尾よく、間に合いました。ところが、このオーストラリアで、国道一号線が渋滞しているのです。渋滞なんて、ロサンジェルス以来経験していません。珍しい現象に、暫くはのろのろ走る車の流れを見ていました。しかし、そう面白いものでもなく、いつの間にか眠ってしまったようです。目が醒めると、もうすぐマルルバです。時計を見ると六時半。このバスの到着予定は五時半ですから、一時間以上の遅れです。それでも、誰も文句ひとついいません。ドライバーと近くの客が、冗談をいい合って笑っています。やっぱり、この国は、のんびりした国なんですね。

ヨットに着いたら、七時を回っていました。夕飯の支度が億劫でしたから、レストランで何か食べて行こうかと思いましたが、結果は、ご飯だけ炊いてお茶漬けです。ブリスベンで、カーフのモカシンとか、ワイシャツの仕立てとかいって、高級店を冷やかして歩きましたが、まあ、あれは一場の夢ということで、現実は、永谷園のお茶漬けが相応の身分ということです。

クルージング・パーミットも取得し、いよいよ出航の準備は万端整いました。毎日、オーストラリア沿岸の航路を、チャート上で検索し、GPSのウエイポイントを出してインプットし、ルート作りをしています。気分的には、もう、航海は始まっています。

次のお便りは、多分、洋上からになると思います。洋上から発信は出来ませんが、コンピュータでフロッピーに手紙を書き、次の港で投函するようになります。どんな航海になるやら・・・。血湧き肉躍るなんて荒っぽいのは、ごめんです。出来ることなら、穏やかな海上を、滑るように帆走したいと考えています。イルカや鯨に出会ったり、流したトローリングにマグロが掛かったり、若しかして、洋上にロマンの花が咲いたり・・・残念ながら、そんなことは起こらないでしょうが。

Zen / May 16, 2000


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