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12月25日(月)/半晴・33℃・東の風20Kn

随分ご無沙汰いたしました。ページ上から、お詫びを申し上げます。

私がCairnsで艇を修理しつつ、今後の人生をどう生きようかと悩み続けている辺りで、お便りが途絶えたのだったと記憶しています。

あの頃は、自分の周辺がまるで濃霧に閉ざされたように、何一つ見えませんでした。現在、自分が立っている場所も、これから歩いて行く方向も何一つ見えないという不安と寄る辺無さは、これまでの自分の来し方の検証と反省、平たく言えば、私の人生とは一体何だったのだろうという疑問に取り囲まれていたと思います。

人間とは、自分の座標というようなものを感じ取り、その上で何となく安堵しているものです。つまり、自分が人生のどんな位置にいるかを、それとなく認識しているとでもいうのでしょうか。それが、座標を見失ってしまうと、能動的な意識も感性も失われ、ただひたすら厭世的な虚無感に包まれてしまいます。

もともと海でしか生きられないと自負していた私です。何も見えない霧の中で、途方に暮れていた三ヶ月だったと思います。

兎に角、焦らぬこと。見えもしない先を手探りで突き進むことはせず、目の前に現れた問題を、一つひとつ丁寧に片付けて行こうと考えました。その内に自分が進むべき道も、私自身の座標も見えてくるに違いないと・・・・・。

先ず、艇をMooloolabaへ移すこと。これには、何となく、そこが私にとって安心出来る場所という意識があったのかも知れません。確かに、本当に心を許せる友人も何人かいます。それに、Cairnsは物価が高く、住むには快適とはいえませんし、夏期間はサイクロンの直撃があり、猛烈に蒸し暑い雨季ということもあります。さらには、若し、艇を売却するなら、ボート市場としてCairnsは全然よくありません。

そんな訳で、体力・気力の衰えた私自身ではなく、安心して任せられるプロに頼んで、艇をCairnsからMooloolabaまで、向い風の1800kmを回航してもらいました。恐らく、普通のセーラーなら風待ちや天気待ちで1ヶ月半は掛かる航路です。

艇がMooloolabaに着いたのが、Cairnsを出航して2週間後の11月2日の夜でした。それまでは、私はモーテル暮らしでした。毎日、ビーチへ出掛け、何時着くかも分らない艇を待って沖を眺めて過ごしました。その頃から徐々に、“このままで終わる訳には行かない”という思いが芽生えてきました。

11月3日から、私のMooloolabaでのマリーナ暮らしが始まりました。毎日のように旧知のヨット仲間が、風の便りに耳にした事故のお見舞いに立ち寄ってくれます。何だか、生まれ故郷にでも帰ったような気分でした。次第に体力も精神力も安定してくると、絵や書を楽しむ余裕も出てきました。誰かの誕生日のパーティーなどによばれると、それらの絵や書を額装してプレゼントして喜ばれたりしました。

Mooloolabaのブローカーに、一応、艇の売却をお願いしたとはいえ、3月までの期限付きで、それまでに売れない場合は、艇の売却を中止し航海を再開する準備に取り掛かることにしました。但し、今度は、味気なく無為に体力ばかり浪費するシングルではなく、気の許せるクルーを伴って航海をします。今、舵社に募集の広告を載せてもらうようお願いしています。因みに、募集要項は、35〜55歳までの独身女性で、ヨットに過度なロマンを抱かない程度に乗艇経験があれば、技術は不問。長期にわたって一緒にクルーズを楽しんでくれる人。食費として月5000円。・・・という具合です。

航路は、2001年5月にMooloolabaを出航し、グレート・バリア・リーフを回って、木曜島、そしてDarwinへ。Baliへ渡り、シンガポール、マラッカ海峡、プーケット(または、Baliで補給の後、チャゴス、モルジブ)経由でAdenかDjiboutiへ。それから紅海を北上して2002年の春、地中海へ出ます。地中海では、Cyplosに立ち寄り、Turkyへ。そこでoff seasonを過ごして・・・・といった計画です。あくまで計画ですから、どんなオプションが加わるか、或いは差し引かれるかは分りません。何しろ、風任せのヨットのことですから・・・。

さて、ヨットの売却ですが、どうも望みはなさそうです。というのは、オーストラリア人が禅に入ってくると、もう、それだけで息が詰まりそうに窮屈なのです。それに、全てのモジュールが日本人向けに出来ていますから、彼らにしてみれば、とても寛げる空間ではない訳です。それに、多くは、沿岸か数日のクルーズを意図する人々ですから、コックピットに客を招いて夕方のハッピーアワーをワインかビールで楽しむスペースが不可欠ですし、自分達カップルのほかに別のカップルを招いてディナーということになれば、このサイズでは不足です。サイズといっても、船のサイズではなく、設備と余裕空間のことです。尤も、カップルでオーシャンゴーイングのクルーズをするのなら、逆に無駄がなくていいのでしょうが、そういう買い手はオーストラリアといえども稀にしかいません。

そんな訳で、3月までに売れる見込みは無さそうなのです。さて、その場合、問題なのは税金です。オーストラリアに1年間以上滞留したヨットは輸入されたと見なされます。さらに1年間の留保をおいて、2年目に差し掛かると税を払わなくてはなりません。但し、ブローカーに依頼して売りに出している場合は、売れた時に税を払うという手があります。禅は、今、正にその状態にあり、まだ税金を払っていません。というか、時間稼ぎしている面もありますが。

税金は、艇体価格の15〜18%です。禅をAU$55000とした場合、税額AU$8250ということになります。約50万円です。(仮に売れた場合は、さらに売買コミッションが8%で合計AU$12650が売買価格から引かれる)これは、私にして大金です。白状しますが、私は年金暮らしです。しかも、この度の事故で、軽く100万円は消費し、預金も完全に底をついています。従って、僅かな年金から、大枚50万円をこれから3月までに貯蓄しなければなりません。辛い話ですが仕方がありません。それよりも溜まるかどうか???

VISAのことを少々お話ししましょう。

このマリーナの同じドックにSkywaveというヨットがいます。そのオーナーのLyleというオーストラリア人は常日頃、とても懇意にしています。先日、お茶を誘われて彼の艇にお邪魔した時、例によって事故の顛末を話すことになりました。一通り話し終わると、“ZEN、これは事故としてもとてもシリアスなものだ。オーストラリアのイミグレーションが、こんな状態で出国を強要するとは思えない。それに、私は6年前、日本へクルーズし、十分に楽しんで出国してきた。そうしたら、父島近海で嵐になってリギンに重大な故障を来たした。父島へ緊急避難し、日本のイミグレーションに期限までにはとても出られる状況ではないというと、no problem,十分に修理してから出航して下さいといわれた。海の常識ではあるが、私は、日本政府の寛大な処置に心から感動した。オーストラリア政府にも、私は、この寛大さを期待出来ると思う。私がレター(親書)を書こう。それを持ってイミグレーションを一度訪ねてみてはどうだろう。”といいます。

私としては、もう足掛け2年間も滞留していることだし、とてもそんな理屈は受け付けてもらえないと思いましたが、折角の好意でもあり、ありがたくレターを書いてもらいました。

かわって、別の友人でRon Kingという男がいます。彼とは、私がオーストラリアに入国した時、その港(Bundaberg)で会いました。Mooloolabaへ行くつもりだというと、“マリーナに空きがあるかどうか心配だ。私はそこのメンバーだから、バースを用意するように話して上げよう”といいます。お陰でバースが用意され、以後、好い友人も沢山出来ました。しかも、前にも書きましたが、生まれ故郷のような親しみさえ感じています。

Mooloolabaに着いて何日か過ぎた頃、RonとDorothy夫妻が訪ねてくれました。そして、当時クルーとして一緒だった純子とディナーに招待されたのです。それからというもの、暇を作っては禅を訪ねてくれ、車でいろんな所へ案内してくれたり、一人でぼんやりと大晦日を過ごしていたらイヤーエンド・パーティーに誘ってくれたり、それはもう、親身も及ばぬほど、いろいろとお世話をしてくれます。その彼が、今回の事故で、キャビンの造作全体が数センチ前へずれた(中間の隔壁[バルクヘッド]が、その圧迫で木っ端微塵に砕け飛んだ)ことにより、ガスの配管にかなりの不安があると、ガスのシステム全体を全く新しいものにする手伝いをしてくれました。それに、若し売却するにしても、オーストラリアの適法の設備でなければならないし、不安な個所を抱えて航海するのも気掛かりなことですから。

作業の合間、Lyleのレターの話をしました。“LyleはVISAの延長が可能だというが、Ronはどう思う?”と尋ねると、私も可能だと思うといいます。その上、“別な切り口で、私もレターを書いて上げよう。それに、イミグレーションで十分にデテールを伝えるために、私も同行して上げよう”とRonがいいます。

そんな訳で、去る12月22日、Ronの車でBrisbaneへ出掛けました。23日から26日まではクリスマス、さらに29日から1月6日まではニューイヤーの休業ということで非常に混雑していました。お昼少し前、やっと順番がきて、恐るおそる書類を提出し、顛末と滞在延長の趣旨を述べました。Ronが私の言葉が足りなかった部分を補足してくれ、私は参考の写真や領収書、貨物船の契約書、木曜島のカスタムスのCairnsへの逆送を承諾するドキュメントなどを、彼の話に合わせて提示してゆきましました。

オフィサーは大柄の中年のおばさんという感じで、とても温厚そうです。しかも、クルーズに並々ならぬ興味があるようで、我々の話をよく聞いてくれます。“ちょっと待っててね。スーパーバイザーと相談してくるから”といって席を立ちました。10分ほど待ったでしょうか。おばさんオフィサーが戻って来て“OKよ。延長は何ヶ月欲しい?”といいます。ダメモトで来た私としては、信じられぬ言葉です。通常のロングステイ・ヴィザでも6ヶ月です。小さな声で“Eight months”というと、“それで安全な航海の準備が出来ますか?”といって、早速VISAの証紙の作成に掛かりました。

長いこと外国に暮らすと、VISAの取得は最も難しく心配なことの一つです。それが身に沁みているだけに、私には信じ難いことです。“Unbelievable! I'm so lucky man”と呟くと、“オーストラリア政府からのクリスマス・プレゼントよ”と笑っています。

そこへスーパーバイザーの初老の紳士が現れ、“今、木曜島のカスタムスに電話で問い合わせたが、大変な事故だったようだね。あれでよく沈没しなかったものだといっていた。あなたの事後の判断が奇跡を生んだそうだ。私もヨットをやるが、船に故障があるというのは厭なものだ。折角、一命を取り留めたんだから、十分に修理して、今度こそ好い航海をして下さい”といってくれました。私は、“この寛大な処置は、広く日本の人々に伝えます。ありがとうございました”と答え、イミグレーションを後にしました。

そんな訳で、LyleやRon,それに寛大なイミグレーションのおばさんなどのおかげで、私は、2001年7月21日まで滞在を許可されました。

若し、従来の2001年1月までに出国しなければならなかった場合、前にも述べた税金だけでも難しいというのに、一時帰国の費用が、もうAU$6000も掛かるのです。そうなったら、航海の再開の望みも立たず、ひたすら税金を払うために艇を売るしか道がないということになっていたかも知れません。

1999年10月、私は、シーマのタクと一緒に、VISAを取得するためNZのオークランドへ出掛けました。そこで、手痛いVISA発給拒否に出会ったのです。その為に払った犠牲は、経済的にも時間的にも並々ならぬものでした。

以来、この一年間、やる事為す事、全く嫌になるほど裏目にばかり出ました。その究極が、あの事故でした。自分ではそれほど深刻に考えていませんでしたが、客観的に見れば“一命を取り留めた”というほどの事故だった訳です。その衝撃でしょうか、あの頃から悪運の種が尽きたようです。そして、幸運への明らかな転換が、この度のVISAの異例延長だったと思うのです。

それに、悪意ではないにせよ、私の航海断念の報に対し、“最初から、本当に世界周航など出来るのかと思っていました”という慰め(?)のお手紙を頂いたことがありました。そうしたら、私本来のヘソ曲りが、“それなら、一丁やってやろうじゃないか!”と、頭を持ち上げたという経緯もあります。何にせよ、どうやら航海再開へ事は向かいつつあるようです。これが、“目の前に現れた問題を、一つずつ丁寧に片付けて”きた結果です。

先日来、前述のガスのシステムの総取替えや、キャビンの床のニス塗りなど、毎日、艇のメンテナンスに忙しく働いています。3月を待つまでもなく、もう、航海の準備に取り掛かっているようだと、周りのヨッティーたちにからかわれています。それに、ご心配をかけた健康の方は、完全に復調しましたので、ご安心下さい。少々太ってきて、一生懸命、エクササイズに励んでいます。

今日はクリスマス。昨夜のイヴもひっそりと過ぎました。というのは、こちらの人は、イヴに一人で寂しげにしている人を、決して放ってはおかないのです。必ず、どこかの艇からお呼びが掛かることになる訳で、予定もしていない闖入者になりご迷惑をかけるのも心苦しく、おとなしくTVを観て過ごしました。

今日は、日中33℃でした。少し雲が出てきましたが、昨日までの3週間以上、カラリとして本当に気持のよい快晴の夏日が続きました。今は、高気圧と次の高気圧の間にあり、丁度この辺りに小さな低気圧も出来たせいで、少々ぐずついた天気でした。湿度が高くないので、33℃といってもクーラーが欲しいとは思いません。

これから、どういう展開になるかは分りません。この艇を、本当に必要とし可愛がってくれる人が現れ、買い取ってくれるならそれも良し。買い手が現れず、航海を再開することになるのなら、それを天命と謙虚に受け止めます。

お暇があれば、お便りを下さい。E-mailも可能です。アドレスは次の通り。

Letter: Zen T. Nishikubo
Mooloolaba Yacht Club
P.O. Box 90, Mooloolaba, QLD4557, Australia
E-mail: zen_t_n@hotmail.com (zenとt、tとnの間にあるのはアンダースコア/下線文字です。皆さん間違われますので、ご注意下さい。)

zen/西久保 隆


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