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2月13日(火)/曇のち晴・31℃・東の風10Kn/Sticky

 今日で、風速計の取り付け作業が本当に全部終わりました。

 9時頃、Timがインストラメントのキャビン側を覆うチーク板(合板)を工作して持ってきました。その板に、更に機械部をキャビン内に突き出す丸い穴(たった直径6mm)を一つ開け、壁とチークの化粧版の間を通るコードの溝を切り、ニスで仕上げして、乾いたところで壁に取り付けました。以前は、直径13cmほどのインストラメントが、壁に直径10cmもの穴を4個も穿っていました。先端技術が、こんなところにも感嘆をもたらします。

 午前中は厚い雲に覆われひと荒れ来そうな空模様でしたが、昼近くには晴れ上がりました。しかし、この辺りでは珍しいほどに蒸し暑く、そろそろ、次のお天気パターンに変わりつつあることを告げています。

 午後も遅く、Ronがやって来て、全てが完了したことを確かめました。

「Zen、明日あたり、ひとつテストセーリングをやってみてはどうだろう?」といいます。

「いいでしょう。早速、明日やりましょう。スラックウォーター(停潮時)が11時頃だから、その頃出航ということで・・・」

 Ronは、特別楽しい計画でも出来上がったかのように、にこにこして、ドロシーにサンドイッチを作らせよう・・・といいました。

 風速・風向計は、船首線と風向計の0度をアジャストさせるため、艇を広い海面で360度のサークリングを、最低二度して調整する必要もあります。丁度いい機会です。

 折角、Ronが楽しみにしているのですから、天気が最高に良いように期待しています。それに、遊びですから、風もそこそこに・・・。

2月14日(水)/晴・31℃・北東、のち南東の風12Kn/Fine

 朝から、出航の準備です。オーニングやフォアデッキの日除け、TVのアンテナ、それに、増し舫いのロープ3本、セールカバーなどを外し、デッキ上の空のジェリーカンやバケツや、水が満タンのポリタンクなどをドックに降ろしたり・・・それが済むとキャビン内の可動物を動かない所へしまったり、航行中のコーヒーを淹れたり・・・。目の回るような忙しさで約束の11時が近くなりました。

 スラックウォーターが11時なんていいましたが、毎日岸辺の石垣を見ていて、高潮時が今日は○○時だったから、明日は多分□□時。従って、停潮時は・・・という程度の読みでいっただけですから、今11時11分前、潮が停まっているのにRonがまだ来ないのが苛立たしい思いです。

 何故、停潮時にそんなに拘るかというと、潮が早い時は5Kn程にもなり、不自由なアスターン(後進)では、艇が何処ヘ向かって走り出すか予想もつかないのです。特に、一軸右回りのプロペラは、後進の時、艇を左舷後方へ進めます。しかし、10m左後ろには40ft程のカタマランがいます。予め、艇のお尻を人力で右舷へ振っておいて後進しなければなりませんが、引き潮の時は、右舷へ振ったつもりが、自分の艇と並びのヨット群へ押し戻されてしまいます。以前、近所のヨットの人が総出で禅を抑えてくれて、他の船に損傷を与えずに済んだというドタバタを演じたことがあります。

 ですから、潮が停まっている今、Ronの到着が待たれる訳です。そして、こんな日に限って、彼はきっちり11時にやって来ました。

 彼も心得たもので、私に荷物を手渡し、僅かに残った舫い綱を解きに掛かります。幸いにも、まだ潮は停まったままでしたので、いつかのようなドジは踏まずに済みました。

 さて、風速計のアジャストのため、マリーナの脇にある広い水面でサークリングを始めました。マニュアルは十分読んであるので、大体の手順は頭に入っています。しかし、Ronは、私が舵をとり、彼がアジャストするといいます。マニュアルを追ってボタンを押し、数字を合わせてゆくと、マニュアルにない画面が出ました。そこからは、Ronも何がなにやら分らなくなって、二周するまで放っておけばいいものを、やたらとあちこちのボタンを押します。彼も、どうやら私同様エレクトロニクス音痴なのだということが分りました。

 結局、ディーラーにもう一度教わろうということで、外洋へ向かいました。

 初めは風が7Kn程しかなく、波にがぶられてさっぱり進みません。タックを換え、波を横から受けるようにして、南のカルンドラの方向へ舳先を向けると、カートライト・ヘッドを交わしたこともあって、フレッシュな13Knの風を吹き出しました。重い禅が、急に生き返ったように走り出しました。

 Ronは、舵を持たせておかないと、また闇雲に風速計のボタンを押します。鳥山が見えたので、トローリングのタックルをとって来るからと、彼に舵を渡しました。鳥山が近づき、そして通り過ぎました。かなりの大物(80cm程のマックロー)が目の前で跳ねているのに、何の手応えもなく終わりました。タックルは、日本のケンケンです。Ronは珍しそうに見ていましたが、「Zen、オーストラリアの魚は、日本の漁法が理解出来ないから、この仕掛けじゃ釣れないよ」といいます。

「でも、クルーズ中に、これで何匹も釣ったよ」と、私。

「いや、4インチのスプーン(ルアー)の方が断然いい。この辺の魚に、このピンクのプラスチック・ベイトは美味そうに見えないんだ」と、Ronはお魚さんの立場でいいます。

 水曜日は、ヨットクラブ恒例のクラブレースの日です。折から、エッチェル級(22ftのソリングと非常によく似たキールボート)や、50、60ft程のレーサーがぞくぞくとパッセージを出てきます。邪魔にならないよう、沖出ししてあちこち走りました。

 Ronがサンドイッチの包みを開けながら、「しまった!」(ouch=アウチ)といいます。どうしたの?と尋ねると、「zenはチキンを食べなかったンだよね」

「No problem. 大丈夫だよ。ご馳走になるよ」そういって、記憶する限り食べたことのないチキンのサンドイッチを食べることになりました。ただの神経的な好き嫌いですが、チキンばかりは、今まで頑強に拒絶してきたものです。しかし、Ronが今朝、このセーリングのために自分で拵えたサンドイッチと聞けば、食べない訳にはいきません。目をつぶるようにして食べたわりには、美味しかったというのが感想です。

 これからは、週に一度くらいはセーリングに出なくてはと思いました。というのは、こんな穏やかな海面を走っているのに、全然、平衡感覚がおかしいのです。もう少し揺られたら、船酔いしていたでしょう。ワールド・セーラーが聞いて呆れます。

 約4時間海上をあちこち走り回り、3時に帰港しました。陽に晒されていた足や腕が日焼けで凄い色です。顔はひりひりしています。セールを畳みながら、Ronに「疲れたでしょう」というと、「少しね」との返事。いつもは疲れたなんて言わない人なのです。

「しかし、気持のいい疲れだね」そういってRonは帰って行きました。

 私は、少しではなく、本当に疲れました。

2月15日(木)/快晴・33℃・北東の風7Kn/Fine

 ホームページの冒頭に、[クルー募集]を載せてもらいました。そして今日、サポートの増田さんからメールが入りました。

 内容は、クルーを女性に限定し、しかも年齢制限付きでは、好い結果は期待出来ないというものでした。「zenさんをよく知っている人か、よほどの物好きでなければ応募してこないのではないでしょうか?見ず知らずのオヤジについていく度胸はないと思いますよ」と続いていました。

 私自身が常軌を逸脱した人間であるために、その辺の世間的基準がよく理解出来ません。しかし、こちらの新聞の募集欄などを見ていると、そんな私でも、これほど個人的なニーズを公に募集するものかと驚くものがよくあります。日本とオーストラリアでは文化のベースが違いますからね。それに驚きを感じる私は常識的日本人なのだと思っていました。しかし、増田さんのメールの意味するところによると、どうも私はそれほど標準的ではないようです。よくあることですが、変わり者に限って、自分は普通だと主張するものだそうですから、私もその類かも知れません。

 募集を女性に限定した訳は、かつての航海経験によるものです。

 つまり、こうです。かつて南太平洋を航海した時、女性クルーがいました。サンディエゴから同航し、オーストラリアまでの2年間いっしょでした。

 ヨットの中というのは、特に航行中は、極限的に逃避不能の空間です。嫌でも顔をつきあわせて何日も暮らします。もともとが耐乏生活ですから、何事につけても欲求不満が助長され、その捌け口を求めます。その最も手近な結果が諍いです。時には、自分でも諍いの原因が実につまらないものと分っていても、情緒不安定で始まった諍いですから収集がつかなくなってしまいます。心の中では、すまないなァ、とか、悪いことをいってしまったなァ、とか感じているのに、相手が言い返してくると、返す言葉が更にエスカレートしてしまいます。

 そんな時、諍いの対象が男性でなかったことに、心からホッとします。これが若し相手が男なら、言い争いでは済まなくなるのだろうなァ、と何時も感じたものです。私のような粗野な男でも、女性に手を上げることはありませんから、そこそこ互いの心に傷を負いつつも、いつか収束ということになります。彼女にとっては、今でも辛い思い出なのかも知れませんが、私には懐かしい思い出です。

 私が人一倍我儘な性格で、或る人にいわせると偏屈でもあるそうですから、男性クルーといつもにこにこと円満に航海を続けることは、多分不可能です。何時かは争いが持ち上がり、しかも、互いにエキサイトして力ずくともなれば、年寄りの私より若いクルーがはるかに有利です。私が海に放り込まれる側にはなりたくないと思います。

 次に年齢制限ですが、これはさしたる根拠はありません。

 30歳代にもなれば、考え方もしっかりと落ち着いたものになるだろうという期待と、パーティーなどにはカップルで参加するのが当たり前ですから、そんな時、あまり歳が離れすぎた連れというのは如何なものかと思った程度のことです。因みに、パーティーは、非常に重要な情報収集の機会であると共に、ヨッティー間の重要な社交です。

 私がヨットでいろんな所へ行ってみたいと思うと同様に、そんな風に考え、実行に移す機会を探している勇気ある女性がいても不思議じゃないと私は考えます。不況続きの面白くもない世の中に潔く訣別し、4、5年間、人生の1ページに自分の足で世界中を歩き回ることの痛快さを加えてみたいと願うことが、私には、それほど常軌を逸したこととは、どうしても思えないのです。やっぱり、私は、変わり者なのでしょうか?

2月16日(金)/曇・雨・27℃・東の風25Kn/Stormy Weather

 一変してひどい天気になりました。きっと外洋は大荒れでしょう。

 風が真横から吹き付けるので、艇がヒールしてテーブルの上のコーヒーマグがスターボ(左舷)側に滑ってきます。ヨットのテーブルは、端に滑り落ち止めのチークのフレームが付いているので、本もペンも辞書も、みんなテーブルのスターボード・サイドの集まり、そこにかたまっています。

 天気というものは、人の心に大きな影響をもたらします。

 こういう日は、あまり航海のことを考えないことが得策です。こんな日に考えたことは、悲観的で、消極的で、時には臆病な思考にしかならず、ろくな事はありません。風速計を覗き込み、27.6Knという表示を読むと、つい、雨混じりの時化の海を航行する辛さが思い浮かびます。ソファに寝転んでスパイ小説でも読んでいる方が、なまじ航海への危惧を掻き立てるより、生産的とはいわぬまでも適切な過ごし方かも知れません。

Zen/西久保 隆


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