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Home2001年3月1日(木)/晴・32℃・東の風18Kn/Sticky
早くも3月です。歳をとると、何故こうも時間の流れが速くなるのでしょう。子供の頃は一日が途轍もなく永く、楽しみに待つ十日先の日は永遠に来ないのではないかと思える程だったのに。今は、ふと暦を見ると一ヶ月ずつまとめて過ぎて行くようにさえ感じます。歳月が無為に消え去ってゆくようで、やり切れない気持です。
3月15日には、親友のRonとDorothyが西オーストラリアのPerthへ引っ越して行ってしまいます。寂しい限りです。それで、いつまでも3月にならなければいいのにと思っていました。しかし、今日はもう、紛れもなく3月です。
Ronは今、禅のフォアステイの検査とベイビーステイの増設を私に勧めています。
ジブセールのファーリング・システムを取り付けているフォアステイですから、常時強い力が掛かっています。しかも、もう10年以上も使っているワイヤーですから、検査をし、要すれば交換するというのは正論です。しかし、フォアステイを検査するためには、既にアルミが固まっているファーラー(現在、活躍している)を壊さなければなりません。検査の結果、ワイヤーに問題があればそれも仕方がありませんが、若し何の問題もないとなれば、みすみす活きているファーラーを壊し、新品を買わなければならない訳です。それも、ハーケンのファーラー・システムがワイヤー込みで(ワイヤー両端の金物やそのスェージングも)$2,500もします。さらにベイビーステイもとなれば、合計$3,500(23万円)です。まあ、日本に比べれば、恐らく半値以下でしょうが、年金生活者にこの金額は少々重荷に過ぎます。
Ronも、日本人は金持ちと信じて疑わない人ですので、検査や取替えの必然性は分るが経済的にどうも・・・なんていっても、その時は納得するのですが、翌日にはパンフレットやサンプル、見積りまで持ってやって来ます。
「今月の支払額は、ヨットの機材だけで$3,000を超えているんだ。その他の支出を含めれば、来月まで持ち越すべき(年金は2ヶ月毎に支給される)銀行残高が、限りなくゼロに近くなってしまう」 そう私がいうと、Ronは、
「しかし、航海中にフォアステイが切れてマストが倒れたら、全てを失うことにもなりかねない。お金のことは大変だろうが、zenの考え方は、Very dangerous gamble(危険過ぎる賭け)だ。OK. もう少し考えてみよう・・・」と、いいます。
Ronはそういって帰って行きますが、また翌日には、別のパンフレットとサンプルと見積りを持ってやって来る訳です。
しかし、彼ほど親身になってお世話をしてくれる人は、この6年間の航海中、他にはいません。自分の引越しが間近に迫り、目が廻るほど忙しいはずなのに、それでも、時々やって来て、何か不自由していないか尋ねてくれます。昨日も、ステレオのCDプレーヤーがおかしいンだ、というと、早速修理屋を探して持って行ってくれるという塩梅です。
しかし、この感謝の気持をどう表し、どう報いればいいのか。それを考えると、暗澹とした気分になります。これほどの厚意に報いる手段なんて、私には想像もつきません。なまじ通俗的な返礼では、却って彼等の厚意を仇で返すことにもなりかねません。
今、考えていることは、私が誰かをお世話出来るようになった時、Ronへの感謝の気持を込めて、誰かをお世話するということです。ヨットマン(ウーマン)の間に、世界中、こうした善意の輪が拡がったら、どんなに素晴らしいことでしょう。しかし、Ronほどの無心のお世話が私に出来るかどうか?・・・
3月2日(金)/晴・30℃・東の風15Kn/Mostly Fine
今朝は、Wendyさんと次女のDebbyが、それぞれ忙しい身なのに、私の為に貴重な時間をさいてドライブに連れて行ってくれました。
WendyはQueensland Universityの学生(年齢は50歳くらいです)で、勉強が大変ハードだそうですし、その他に、日本人のホームステイの学生を、常時一人か二人お世話しています。
Debbyは、日中はBig Pineappleというアミューズメント・パークに、そして夜は、Cole'sというスーパーマーケットに勤めています。どちらもフルタイムではないとはいえ、大変な労働です。アメリカもそうですが、一般的にこちらの若い人々は、親に学費や小遣いをもらうことはほとんどありません。大抵は自分で仕事を見つけ、自分で賄います。ですから、派手に遊んだり、高級な車を乗り回したり、それぞれが携帯電話を持っているなんてことはありません。
9時30分に、Wendyが車で迎えに来てくれました。Debbyは、昨夜も11時過ぎまで仕事だったので、まだ家で寝ているそうです。Nambourの彼等の家に着いた時、Debbyが眠そうな顔をして起きてきました。「仕事がとてもハードだというのに、私のためにご苦労を掛けてしまう。ごめんね」と、私がいうと、「My pleasure」と快活に挨拶します。
車はトヨタのミニカー。これもDebbyが自分で働いて得たお金を貯めて買ったそうです。クーラーボックスの飲み物を積み、早速ドライブに出発です。
Sunshine Coastを少し内陸へ入ると、小高い山道になります。見晴らしは最高です。以前、私が日本にいた時、伊豆の韮山にセコンド・ハウスを持っていましたが、箱根を越えて伊豆へ至る変化に富んだハイウエーが思い出されます。その景観をもう少し雄大にした景色といえばいいでしょうか。牛が草を食む広々とした高原が続き、その向うに朧気に霞む平野と海岸線が見えます。その平野のさ中、唐突に不思議な形の山が聳えています。道はなだらかに起伏し、そしてゆるやかなカーブを描いています。クーラーを止め窓を開けると、まるでミネラルウオーターみたいに清澄な風が、車内に流れ込みます。
日本でなら、まるでビロードのような草原はゴルフ場になり、見晴らしの好い高台は高級別荘地になってしまうでしょう。しかし、所々にスコットランド風のヴィレッジか散在する以外は、ひたすら美しい自然の景観が拡がるばかりです。国土が広いということは、こんなにも人々を大らかに豊かにするものかと感心させられます。
いくつかの美しい村を過ぎ、一時間も走ったでしょうか。Booloumba Creek State Forest Park(“ブールンバ森と小川の州立公園”とでもいうのでしょう)に着きました。鬱蒼とした森林の中にあるキャンプ場公園です。至る所に水道とバーベキューの設備がついたテントサイトがあり、すぐ近くをきれいな小川が流れています。所々には薪置き場があり、レッドシダーを手頃に割った薪が積み上げてあります。こんな山奥にまで水道が施設されているばかりか、炊事用の(勿論、バーベキューも)薪までしっかり用意されていることに驚かされます。オーストラリア(カナダも)では暮らしの豊かさのために、アウトドア活動が、そして人々が如何に心豊かな余暇を過ごすかが、本当に大切に考えられていて、これにはいつもながら感心させられます。
小川の向うには、山へ分け入るトレイル(小道)がいくつも見えます。流れを越えてその一つに分け入ってみました。森林の清々しい香りに包まれ、暫く山道を歩いて行くと、Wendyが小声で「Zenさん、ストップ」といいます。振り返ると、彼女が身振りでガムツリー(ユーカリ)の木立を指差します。よく見ると、幹の中程に1m以上もあるトカゲがいます。早速、カメラを向けましたが、残念なことに望遠レンズではありません。85ミリまでズーミングして撮りましたが、果たして映っているかどうか?
車を停めたキャンプサイトへ戻り、冷たい飲み物とビスケットを頂き、暫くして、フォーレスト・パークを後にしました。途中、Kenilworthという、まるで箱庭みたいに美しい村で昼食を摂り、景色を眺めながら帰ってきました。素晴らしい一日でした。
Wendyさんは、ホームステイの日本人学生のマユミを迎えに大学まで行くそうで、マリーナへは、Debbyが私を送ってくれました。Debbyに、“I had beautiful experience today. I say great thanks from my heart to you, Debby. ”と私がお礼をいうと、Debbyから“My pleasure!”例によって快活な返事が返ってきました。
3月6日(火)/曇・にわか雨・28℃・南の風25Kn/Stormy weather
日中は相変わらず暑いですが、今、夜の8時半になると、短パンTシャツではちょっと寒いくらいです。数日前からの嵐が、どうやら夏から秋へ一足飛びに気象を換えてしまったようです。
日中も、晴れているからと安心してハッチを開けたまま外出すると、急に暗雲が現れて激しい雨を降らせ、慌てて艇に駆け戻るといった具合です。駆けるといっても、昔のように走れる訳もなく、ただ歩くよりもいくらか速くなる程度ですから、メイン・ハッチの真下にあるTVやPCが雨に濡れていないか気が気ではありません。少しでも本気で走ったら、多分、呼吸困難に陥ってしまいます。艇に帰り着くなり、ハッチを閉めるよりも先に、気管拡張のスプレイ(喘息などの発作に使う)を喉に吹き込んで、少し息が出来るようになってから戸締りをするといった始末です。
しかも、今日の風は南風です。艇のやや後ろから風が吹くので、雨はコンパ二オンウエィから、まともにキャビンへ吹き込みます。夕食の支度でガスを使う時でも、全てのハッチは締めっきり。それでも夜は寒いと感じます。寒暖計を見ると21℃ですが、今までが常に30℃オーバーでしたから、この差はこたえます。
南風が吹くと、確かに夏でも涼しさを覚えることがあります。つまり、南極の方から吹いてくるということですが、別に南極から直接吹く訳もなく、途中(オーストラリア南部やタスマン海)に優勢な高気圧があって、はるか南の冷たい空気を反時計回り(北半球では、高気圧は時計回り)に、この亜熱帯地域に送り込んでくるからです。
今、タスマン海にある高気圧に取り込まれ、風がなくて苦労している人とヨットがいます。【酒呑童子II】の斎藤実さんです。今朝の無線交信では43°45’S/135°13’E(オーストラリア南岸)にいて、北東の風、風力1〜2の微風とのことです。タスマニアのホーバート(Hobert)まで残航540NM。どうやら3月10日前には到着出来そうもないとぼやいていました。
本来なら、その辺りは“Roaring forty”(咆える40度線)といわれ、常に烈風吹き荒ぶ海域です。それが、ほとんどそよ風しか吹かず、代わりに亜熱帯のこの辺りが寒い嵐というのも皮肉な話です。もっとも、高気圧のすぐ後ろから、強い前線が斎藤さんを追いかけています。風がないとぼやいていられるのもこの2、3日だけ。また1週間前のように風力9から10なんていう強烈な嵐が来るかも知れません。暫しの休息を堪能して下さい、斎藤さん!
本当に寒いです。ひざ掛けでも引っ張り出さなくては!
3月8日(木)/曇・28℃・南の風12Kn/Sticky
天気図を取って見ると、この辺りは980ヘクトパスカルの低気圧のど真ん中です。そして、タスマニア島付近には1031ヘクトパスカルという優勢な高気圧があります。これでは、天気が不穏なのも当然で、今、収まっている風も、何時また吹き出すやら分りません。
ちょっと困った問題が発生しました。リギンマンのGreg Gilliamが来て、リギンを点検している内、“こりゃー何だ!”と叫びました。“どうしたの?”といって近づいてみると、彼は、ドライバーの先でマストを突いています。
何か重大な問題がと尋ねるまでもなく、彼のドライバーの先からは粉のようになったアルミがこぼれています。電蝕です。それが、ブームを取り付けるグースネックやウインチ、シートストッパーなどが密集したあたりに広範囲に起こっているようです。Gregは、リギンの点検を中断し、マストのチェックに移りました。どうやら、マスト基部、大部分はグースネック部、それに、ロアースプレッダー部にも少し電蝕がみられるようです。
電蝕とは、異種金属同士が密着した場合、静電気の帯電がそれぞれの金属の電位差に作用して、弱い方の金属を崩壊させる物理的現象です。初めは表面の塗装が浮き上がってきますが、それが進行すると、塗装下の金属(アルミニウム)が分解を始めます。そして、アルミは全く金属としての状態を失い、鬆(す)が入った大根や牛蒡のようにスカスカになってしまうのです。
この電蝕がどの程度進行しているかは、もっと詳細に調べなければ特定出来ませんが、Gregによると、相当の重症ではないかといいます。よくぞこれで、去年の事故の際、衝撃でマストが折れなかったものだと驚いていました。
対応策として、悪い部分を除去し、新しいアルミで埋めるとか、小さな部分ならアルミ溶接するとかという方法もあるそうですが、長期の最もハードなこれからの航海を前提に考えると、そういう応急処置は、あまり推奨出来ないそうです。マストには、非常に繊細なバランスというものがあって、弱い部分も強過ぎる部分もあってはいけないのだそうです。そういうアンバランスは、激しい衝撃で簡単にマストを損傷(ディスマスト)する原因になります。
そうすると、最悪の場合は、マストをまるごと交換ということになります。中古のマストを探すという手はありますが、サイズの関係で、お誂え向きのものが見つかるかどうかは運次第。サイズの違うものを取り付けると、リギンは勿論、セールまでも作り直さなくてはなりません。更に、新品のマストは驚くほど高価です。今の私には、到底購入不可能!
Gregは、2、3週間内にマストの専門家を連れて来てくれるそうです。その診断如何に今後の私の行動計画がかかっています。やれやれ、次から次と、問題百出です。ヴィザや税金問題では、幸運の女神が私に微笑みかけてくれていると思ったのですが、どうも、一時の気まぐれ、女神の流し目程度だったのでしょうかね。
3月10日(土)/曇、雨・29℃・東の風22Kn/Gloomy
昨夕、【Harmony 88】というヨットのGrahamとSylvia,そして7歳のやんちゃ坊主のMatthew一家が出航しました。夜はパッセージの外のビーチに近い浅瀬でアンカーリングし、今日未明、ワイドベイ・バー(Widebay bar)へ向かうとのことでした。
昨日の予報では、今日は概ね晴(almost fine)、所によりにわか雨(scattered shower)で南東の風10〜15Knといっていました。素晴らしいセーリング日和になるはずでした。ところがこの天気です。特別ひどいコンディションとはいえませんが、いい天気で快適なセーリングを期待していた彼等にとっては、ちょっと辛い今期の初航海となった訳です。
昨夜11時ころから、激しい雨が降り出し、港外でアンカーリングしている彼等はどうしているだろうと考えていました。ここのマリーナは、Mooloola Riverが自然に形作ったSandspit(砂洲)の内側にあり、ビーチは、その外側です。距離にすれば、たった200m程しか離れていませんが、Sandspitの内と外では、ボートの居住性は大違いです。強い風雨の暗闇で錨泊している【Harmony 88】の幼いMatthewが心配でしたし、GrahamとSylviaも天気予報のハズレにガッカリしているだろうと思いました。
午前4時に出航すると、ワイドベイ・バーには午後3時か4時頃に着くはずです。バーは「エレンの消息」(私の短編作品)にも書いた通り、この風向きではかなりの難儀が想像されます。南西の風なら、ほとんど平水ですが、北東の風では地獄です。ほんの僅か南ッ気の東風ですが、あの辺りは風が収斂されて25Kn以上は吹いているでしょう。そうすると、やっぱり一寸した地獄を見ることになります。
無事にバーを越えて、静かなアンカレッジを見つけていればいいのですが。ここからでは何もして上げられませんが、どうか少しでも平穏な航海であったこと、安全な錨泊で夜を過ごしていることを祈るばかりです。
Zen/西久保 隆
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