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6月16日、スバを出てちょうど1ヵ月目の今日7月16日にフィジーの本島ビチ・レブ(Viti Levu)のブンダポイントマリーナ(Vuda Point Marina)に戻ってきました。その間ママヌカ諸島(Mamanuka Is.)やヤサワ諸島(Yasawa Is.)を巡航していました。
各島それぞれに美しく、いい思い出も沢山できましたが、いま一つフレンチポリネシアの良さを凌ぐものではなかったように思います。その場所の良さとは、それぞれの景観・海の豊かさと美しさの他に、ヨットにとって安全で良い泊地であり、土地の人々とのいい触れ合いであり、それになんといっても天候が大きくものをいいます。
どんな素晴しいところでも天気が悪かったりすると一文の価値もなくなります。クルージング中は、ほとんど連日快晴でしたが、錨かきが十分でない港/入江で、30ノットもの風と大きなうねりでも入ろうものなら、ロケーションがいかに世界的に名高いところでも地獄に変わってしまいます。
禅のクルージング中、5日に3日は30ノット近い風が吹き荒れ、夜はとても熟睡できる状態ではありませんでした。
加えて、島によっては不快なほどの功利性を見せつけられたりもしました。元々、フィジー人は素朴でのんきでお人好しです。しかし、フィジーの経済を牛耳っているのがインド人で、彼らはユダヤ人も及ばぬほどに物凄い金銭感覚としつこさを具えています。そうした影響を強く受けた島では、どこにも例のない錨泊料(1日10ドル)を要求したり、ガソリンをねだったりします。
我々(鹿児島の唯我独尊共々)は、フィジーの古くからの慣習に倣い、初対面の挨拶(セブセブといいます)の儀式もきちんと果たしての上にです。本来なら、セブセブが終わると島民同様に島における全ての行動が許され、時には家族同然にもてなされるというのに……。
そんなこんながフィジーの印象に何となく釈然としない影を落としているのかもしれません。このことは日本が外国の人を迎える場合、私たちはどうしていただろうかという反省にもつながることです。
勿論、素晴しい出会いも沢山ありました。家族総出で我々をピクニックに招いてくれ、朝五時(日の出は6時40分)から準備を始めていたベン爺さん。我々をお茶と昼食に招いてくれたメネリおばさんは、本当に貧しいのに隣家からビスケットを分けてもらってもてなしてくれたり、自分達の昼食だったはずのカッサバ(タロイモ)をわれわれに食べさせてくれたり……。後日、唯我独尊といっしょに古着を持参したときは、こちらがびっくりする程に喜んでくれました。そんな良い出会いや心の交流があったのに、たった2つ3つの不快な出来事が全てを台なしにしてしまうとは恐ろしいことです。
それでも、ブルーラグーン(同名の映画の舞台。正式には、ナヌヤ・セワ島Nanuya Sewa Is.)やナビティ島のソモソモ・ベイ(Somosomo Bay, Naviti Is.)、ワヤ島のリクリク・ベイやヤロンビ・ベイ(Likuliku Bay & Yalovi Bay, Waya Is.)、マロロライライ島のマスケット・コーブ(Masket Cove, Malololailai)などはフレンチポリネシアとは違った素晴しさで私たちを迎えてくれました。
約一ヵ月のクルーズはまさに耐乏生活の一ヵ月です。モノが欠乏するだけでなく、電気も水もほとんど生きるための最小限しかありません。現代にあって、冷蔵庫もない生活が考えられますか?シャワーもこの熱帯にあって十日に一度でも贅沢なのです。飲み物に氷のかけらでも浮いていたら狂喜するという暮らし……。それに加えて、夜もろくに眠れぬ強風の錨泊です。一時間ごとに浅い眠りも破れ、デッキに出て自艇の位置を確かめ(走錨していないか)、バウへ行って懐中電灯でアンカーチェーンの具合をチェックします。内二晩は、完全に徹夜のアンカー番。正直いって、クルージングに疲れました。だいぶ痩せたと見え、ズボンのウェストがブカブカになりました。
ですから、今日ブンダポイントマリーナにアンカーではなく岸に係留してどんなに安堵しているか、想像してみてください。
禅がマリーナに入っていくと岸で手を振っている人がいます。見ると、カナダ艇「ゴルカ」のジョンとイレインです。トンガ、ニュージーランド以来の親しい友人です。彼らが出迎えてくれたおかげで、ひと時疲れを忘れるほどでした。
マリーナに係留する作業をしていると、「Zen、久し振りだね。元気だったかい?」何人ものヨッティが挨拶に来てくれます。気分はまるでホームポートに帰り着いたみたいです。
2週間振りにシャワーを浴び冷たい飲み物を飲む幸せは筆舌には尽くせるものではありません。しかも、夕暮れ時、マリーナの堤防の外、珊瑚礁に突き出したバーに深々と坐り、ビール片手に薔薇色に染まった水平線と点在するシルエットの島々、そこに今点ったばかりの灯を何の不安もなく眺めながらニュージーランドからの長旅のことをホラ混じりに語り合い笑い合える時といったら、それはまさに至福のひと時といっても過言ではありません。
しかし明日からは再び現実に戻り、酷使してきた艇の何時果てるとも知れぬ修理が始まります。
そして一週間後の20日過ぎ、フィジーを発ちバヌアツのポートヴィラ(Port Vila, Vanuatu)へ向かいます。フィジーより、さらに十全な感動と人生の宝である素晴しい思い出を求めて。
また、お便りします。どうかお元気でこの夏をお過ごしください。
隆
July 16, 1997
Vuda Point Marina
Fiji