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Home7月26日午前11時、十日間休養したブンダポイントマリーナ(Vuda Point Marina)を後にし、禅は一路バヌアツ共和国ポートヴィラ(Port Vila, Vanuatu)へ向け出航しました。
ここだけの話ですが、去る21日に出国手続きを完了し、22日以後は不法滞在だったことになります。 出航が延びた理由は、ウィンドワーニング(強風注意報)が1週間以上も続いて出ていたこと(海難事故が続発しました)、そしてマリーナの何とも言えぬ居心地の良さになかなか腰が上がらなかったことなどです。
出航してしまうと、次にいつシャワーを使えるか、心置きなくたっぷり水が使えるかどうかも分かりません。お湯のシャワーとなると、ホテルにでも泊まらなくては望むべくもありません。それに、フレンチポリネシア以来の航海で会った沢山の仲間もいます。夕暮時が迫ると、マリーナの岬の先端に突き出たバーへ冷たいビールかピリリと塩の利いたマルガリータをやりに行こうと誰かが誘いに来ます。
バーからは、ママヌカ諸島(Mamanuka Is. Group)やヤサワ諸島(Yasawa Is. Group)の島々が、薔薇色に染まる海と空を背景にシルエットとなって見えます。やがて華麗なサンセットが終わり夜の帳が下りると、水平線に一筋の血のような夕照が残り、かすかに見えるいくつかの島影に一つ・二つ灯が点ります。そんな風景を眺めながら、それぞれがとっておきの体験談や思い出を語ります。
マリーナのすぐ隣にあるリゾートレストランは、我々貧しいヨッティのために毎夜ヨッティスペシャルメニューを用意しています。ピッツァスペシャル、フィッシュ&チップススペシャル、ローストビーフスペシャル、チャイニーズスペシャルなどです。
バーですっかりくつろいだ我々は重い腰を上げ、トーチの炎がゆらめく道筋をレストランへ向かいます。
そんな毎日を振り捨てるように出航することは、かなりの勇気と決意が要ります。534浬、約990km・5日間の航海―素晴しいこともありますが、90%以上は何かを耐えること。最初の何日かは、誰でもかかる船酔いに耐え、バッテリー保護のため冷蔵庫も使えぬため、生鮮食品は一切なく、風呂もシャワーもなく、時には急変する海の気象におびえ、時化に耐え……顔を洗い歯を磨くのだってコップ一杯の水。トイレに行っても手を洗う水も惜しい、なんてことだってあります。
そして、つくづく思う訳です……何で、こんな思いをしてまで航海に出るのか?と。
さて、出航初日の26日は、快晴で微風の、待った甲斐のある上天気のブンダポイントを出て、フィジーを大きく囲むバリアリーフまで15浬、約3時間の機走です。いよいよマロロパス(Malolo Passage)を抜け、外洋へ。勇んでセールを揚げると、風に全くパワーがありません。禅の重く厚いセールでは、はためくこともありません。従って機帆走せざるを得ません。時折いい風が来るとエンジンを止めてセーリングしますが長くは続きません。
フィジーの島々が遂に日没までずっと遥かに見えていました。一ヵ月半以上も楽しんだ美しいフィジーに惜別の情が湧き、夜の闇に見えなくなるまで島々の影を眺めていました。
しかし、依然として風は弱く、夜は遂に機帆走で過ごしました。一緒に出航した唯我独尊の航海灯が4、5浬後方にずうっと見えていました。
27日、航海2日目は曇り。前日同様風は弱く、時折エンジンのお世話になりました。
困ったことに非常に大きなうねりが3方向から押し寄せ、艇のローリングは最悪です。遂にパートナーのすみ子が船酔いでダウン。不思議なことに、ニュージーランドからの航海で、あんなにひどい船酔いに苦しんだ私はびくともしませんでした。出航前に風邪をひき薬を服みながらの航海ですのに。
夕方から風が北寄りの東風に変わり、南下しすぎたコースを修正する必要もあり、ジャイブしてからは、うねりの方角とうまくマッチしたのか、いくらか楽になりました。
そして今日、28日。出航3日目です。朝のうちは、またも機帆走だったのですが、シーガルネットの無線交信のためエンジンを停めているうちにいい風が吹き出しました。しかも苦もなくバヌアツへの257°のラムラインを走れる風です。
天気は快晴、時々手でちぎったような真っ白な貿易風雲がやってきて濃い青の空と海に美しく映えます。
ベアリング257°に対し、現在のコンパスコース253°、艇速5.4ノット、バヌアツまでの残航288.6浬。小高い丘のようなうねりの連なりが、遥か遠くからゆったりとやってきて、艇を揺すり上げ、烈しくローリングさせて過ぎてゆきます。今日はセーリングコンディションは最良。何かに向かって、手を合わせ「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいほどです。
夕方になりました。残航270浬になり、ポートヴィラの到着時刻の調整の段階に入りました。5.5ノットで走ると、夜中の11時頃の到着になります。4.5ノットにして朝の7時頃と読めます。
風は15ノット〜20ノットに力を増し、セールをリーフ(縮帆)しても減速できません。人間なんて勝手なもので、風が吹かぬと文句をいい、スピードが出すぎるとまたぼやいている訳です。
知らない港の夜間入港は何とか避けたいというのがヨッティの共通した願い。従ってこんな罰当たりな文句も出るというものです。
唯我独尊は夜8時半時点で7、8浬後方にいます。禅が艇速を落としているので、やがてスターボード(右舷側)に航海灯が見えてくると、月も沈んで真っ暗な海に目を凝らしています。只今午後11時です。
遂に時化てきました。今、29日の午前1時半。先程からコックピットに座り込んで時化の海を眺めていました。眺めるといっても、ただ真っ黒な闇です。その中をごうごうと音を立てて波が押し寄せ、そして崩れます。その崩れ波は夜光虫で真白く、キラキラと闇の中に光ります。美しいというよりは、何か凄味のある情景です。星もまばらな空には黒い雲が厚く被い、強い風を吹きつけてゆきます。要は黒と白しかない世界。底知れぬ恐怖を秘め、しかも美しい世界です。
物凄いローリング。この手紙もチャートテーブルにしがみついて書いています。29日午前零時で、ちょうどこのレグの半分にきました。あと2日間少々です。
明け方までワッチを続けました。時折、どうしようもなく眠くなりますが、それが過ぎると別に苦痛でもありません。ところが日の出前に襲いかかる睡魔……こればかりはちょっと太刀打ちできません。眠っているすみ子を起こしてワッチを替ってもらい、寝床に逃げ込みました。
朝8時、目覚めてみると快晴、微風。早速セールのリーフを解き快調に艇を走らせました。到着時間の調整を考えると、ちょっと走らせすぎかもしれませんが、本当に手を浸すと染まってしまいそうな青い海に快い微風が吹き渡ると時間調整など念頭から消えてしまいます。
今、30日の零時です。夕方から風が落ち、8ノットほどの北東風。セールで走っても3ノット以上の艇速は期待できません。メインセールはそのままに、ジブセールをファーリングし、エンジン始動となります。日もすっかり暮れ、ステアリングはオートパイロットに任せると、あとは何もすることがありません。パイプをくわえ、コーヒーのマグカップを携えてコックピットへ。体を横たえる場所を見つけ、ただボーッと降るばかりの星空を眺めています。
今、この航海の最終日となる7月31日午前零時を30分程回ったところ。
日中は文句なしの最良のセーリング日和でした。15ノットばかりの南東風にセールをいっぱいに広げ、一日中滑るように走りました。独尊はオマケがついて1メートルのシイラを釣ったそうです。それで、今夜の食卓は刺身とムニエル、それにツミレにしてお吸い物とか。禅ではオイルサーディンの缶詰で我慢しているというのに……
午前7時頃、ポートヴィラのあるエファーテ島(Port Vila, Efate)南端沖5浬に設定したGPSのウェイポイントに着く予定です。そこからさらに15浬(28km)でポートヴィラ。たぶん9時か10時頃になるでしょう。検疫、農畜産物検査、税関、そして移民局チェックを経て入国が許可されます。多分午後には1週間ぶりのシャワーに入れると思います。
昨31日現地時間10時30分、無事バヌアツのエファーテ島ポートヴィラに到着しました。今は明けて8月1日の午前10時。
我々の入港が午前中の検疫に少し遅かったせいか、午後4時過ぎまで検疫錨地で待たされました。することがなにもないのでひたすら午睡です。
ポートヴィラ入港等に関しては、現地在住のオーシャンセーラー、ヨット「北斗」の武田さんに大変お世話になりました。入港時の誘導から税関係官への連絡、挙句の果てには入国許可後の碇泊はなんとタヤナ42ftの堂々たる「北斗」に、唯我独尊ともども両側からはさむようにアロングサイドで艇を停めさせてもらいました。
他に「エープリルフール」という日本艇がいて、シングルハンダーの谷安さんが我々の面倒を見てくれました。
武田さんと谷安さん2人を並べて見ていると、まるでやんちゃ坊主とやんちゃ親爺という感じ。オーシャンセーラーというのは、故国で何かを振り捨ててきたという共通背景があるせいか、みんなフッと笑みが洩れるほどどこかが似ているものです。
ポートヴィラは、実に美しい街です。今まで歩いた南太平洋の島々で、フランス系の国はとてもセンスがよく、街も人々も美しく、食物も美味です。
サモア、トンガ、フィジーなどは独自の文化をわりと色濃く保持していて(勿論、近代化の過程でフランス以外の文化の影響を受けた跡は歴然としています)、見方によってはそこが利点ともいえるでしょう。
しかし、3日間や5日間の観光と違い、月単位の期間、オーバーにいえば現地の人と共に暮らすヨッティにとって、ある程度の文化的洗練度は心安らかに生活するためには不可欠です。例えば衛生度とか、最低限の生活設備(または公共設備)=水・電気・医療・電話・郵便などなど。それに日本並びに西欧文化圏の食事感覚にわずかでも耐えうる食習慣などです。或る国では、醜悪ともいえる文化的影響国の最も醜い部分を表面的に真似ている若者を見、とても嫌な感じを味わったことがあります。その点、フランスのかつての植民地経営の上手さなのでしょうか、フレンチポリネシアやバヌアツ(おそらくはニューカレドニアも)は、鼻につくフランス臭がある訳ではないのに文化的洗練の傾向は全くフランス的なのです。
世界的に中華・フランス・日本は食文化において突出しています。その例に洩れず、ここポートヴィラは美味しいものであふれています。しかも、お洒落で人々はフレンドリー……バヌアツは本当にいいところのようです。
ここポートヴィラに10日ほど滞在し、その後エピ(Epi)、マレクラ(Malakula)などの島々をクルーズし、南下した後火山の島タンナ(Tanna)を巡ります。約1ヵ月の行程です。その後はニューカレドニア。また、ニューカレドニアのヌメア(Noumea)からお便りします。お元気で。
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