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Home9月後半に入ってから、立て続けに台風が日本を吹き抜けて行ったようですね。本当に、今年の気象ときたら世界的に異常なのでしょう。南半球のここニューカレドニアも異例の雨続き。なかなかクルージング日和には恵まれません。
今シーズンの航海も、ここら辺でそろそろ一服。あとはオーストラリアへの航海を残すだけになりました。去年のニュージーランド同様、ハリケーンシーズンはお休みということになります。
ニューカレドニア出帆は多分10月中旬になります。約8日間の航海(803浬、1500キロメートル)の後、オーストラリアのブリズベーンかバンダバーグで入国です。
ニューカレドニアはフランス領、いろいろと面白い特徴が見られます。フランス人というのは自国語に誇りをもつあまり、ほとんど英語を話せません。一応、世界の共用語となっている英語に見向きもせず、習うつもりもない様子です。
車にしても、ここは日本車が5%くらい程しか見かけません。大半がフランス車、シトロエン、ルノー、プジョーなどです。自動車王国アメリカでさえ80%が日本車なのに。
薬局に痛み止めと風邪薬を買いに行きました。例によって言葉が通じません。例えば、バファリンとかコンタックと説明すると、「アメリカ系の薬はない。全てフランスのものばかり…」とのことです。電器製品にしても、ソニーやパナソニックなどを思ったほどは見かけません。
どうも、フランスは言葉だけではなく強いナショナリズムを骨格として成り立っているようです。
今シーズンの航海もそろそろ総決算に近づいた昨今、いくつかの事故のニュースが入ってきています。私もよく知っているカナダ艇のオーナーが、航海中ハリヤードのトラブルを修理するためマストに登り、落水死しました。奥さんが気づいたときは既に水死していたとのことです。
他に、やはり旧知のスイス人の若いカップルは、ご主人がソロモン諸島ででヨットの船底の汚れを清掃中、ワニに食われてしまったそうです。彼とは、ヒバオアの港で出会い、いっしょに洗濯場で衣類の洗濯をしながら、下手なドイツ語で歓談したのが交友の始まりでした。
シーズンの終わりに近づくと航海も厳しくなり、事故が相次ぐことが考えられます。次は自分ではない、という保証などどこにもありません。気を引き締め用心することにしています。
今、ヌーメアのポートモーゼルを出て、70浬程離れたイルデパン(Ile des Pins)に来ています。ここはニューカレドニアを大きく包むラグーン(礁湖)の南端にある島で、定期船便はなく、代わりに小型飛行機が週1便飛んでいるだけです。そのためか、来る人は少なく海も島もとてもきれいです。
南太平洋の外洋にさらされていて気象が荒いのと、デイセーリングで来るにはちょっと遠すぎる(航程のほとんどはラグーンの中を走るため、至る所に珊瑚礁があって夜は走れない)ため、ヨットの数も多くありません。クトベイ(Kuto Bay / Baie de Kuto)に錨泊中ですが、禅の他には4艇いるだけです。
今は深夜ですが、シーンと静まりかえり、時折風の唸りとラグーンに砕ける波の音が聞こえるだけです。岸に数個の灯火があるほかは、雲間に洩れる月明りだけ。割と静かな天候ですからのんきに構えていますが、これで時化た日にはずいぶん心細い思いをすることでしょう。
3日間この島にとどまり、本土のプロニー(Baie de Prony)に一泊してからヌーメアに戻る予定です。
またお便りします。お元気で。
禅ホームページ読者の皆様
西久保 隆(重信)
1998年9月30日追伸
10月4日(日)
今日の午後、ヌーメアのポートモーゼルに戻ってきました。イルデパンに着いたのが9月30日。翌10月1日と2日間クトベイで遊び、10月2日早朝に出帆。午後3時、日本艇エイプリルフールの谷安さんの待つプロニーベイ(Baie de Prony)へ戻りました。プロニーには数えきれないほどのアンカレッジ(泊地)があり、我々が艇を並べて錨泊したのは湾の入り口近くの入江の最奥です。
ご存じの通り、ニューカレドニアはニッケル鉱の埋蔵量が世界一なので、山肌が所々真っ赤といっていい程鮮明な色をしています。原生林の所々にそんな色合いを織りなす山々に囲まれ全く物音がしません。水面にはちりめんのような漣だけが見えるばかりのほとんど池といっていい程の静けさです。特に夜ともなると、岸辺に時折名も知らぬ鳥か動物の声がするだけ。折しも明るい月の光が山波をシルエットに塗りこめ、インディゴブルーの夜空にくっきりと描き出しています。人工の光も音も全くない泊地は、何か荘重な趣きさえ感じさせます。
10月3日は、入口近くの入江を出て、この湾の一番奥(10キロメートル程)の入江へ移動です。このアンカレッジはハリケーンホールとか、ハリケーンヘブンとかいわれ、嵐のときの避難港です。細い水路を右に左に折れ、更に深い山々(マングローブが岸辺を覆っています。)に守られています。1994年の有名なサイクロンの折りも、この泊地に避難した十数隻のヨットは他で事故続出にもかかわらず、全く安全だったそうです。勿論、前夜にも増して静かな夜です。それでも、エイプリルフールと禅の他に3隻のヨットがいる分、昨夜のような太古の自然という感じはしません。
夜更けて、私はデッキに座り、月の光に照らされながらハーモニカを吹きました。何か楽の音がしみじみと夜のしじまに吸い込まれてゆくようです。
そして、今日4日。朝6時15分には出航です。この先再び会うことがないかもしれない谷さんに別れを告げ、早朝の静けさの中にまだ身動き(みじろぎ)もしない泊地を後にしました。
スコールに打たれたり、疑うほどに強い潮流に行く手を阻まれたり、あるいは満帆にいい風を受けて8ノット近くで帆走したり…そして午後1時頃、ここポートモーゼルマリーナに帰ってきました。
明日からはいよいよオーストラリア行きの準備です。マリーナに帰ってみると、既に2、3艇はオーストラリアに向け出発したようです。
追伸がずいぶん長くなりました。それでは今度こそさようならを申します。
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西久保 隆