ホーム
Home

前略

11月14日、午後2時半、今期クルーズの最終地Mooloolaba(ムルルバ)に無事到着致しました.

これから約半年間のサイクロンシーズンをここムルルバで休養する傍ら酷使してきた艇を労いメンテナンスに費やします.振り返ってこの半年間は何かアットいう間に過ぎたようでもあり、同時にそれぞれの局面を回想すると何年間にも匹敵する重層的に密度の濃いものでもあったと思われます.とはいえ、訪れた国々ではそんなに活発に動き回ることもせず、ダラダラと錨泊した港で日々を送ることが多かったと反省しております.

それにしても“疲れた”と感じます.超過酷な労働、変動する気象と海況に向けられた精神的配慮、或いは不安との神経的な戦いなどなど…海が荒れてくると眠る間もやすんではいられません。身も心も疲れ果ててのムルルバへの到着です。どんなにホッとしているか、簡単に言葉につくせません。

8日間滞在したBundaberg Port Marinaを出航したのが11月6日午前5時半。周りのヨットはまだ眠りから覚めず、マリーナはひっそりと静まり返っています。朝靄に上って間もない陽の光が柔らかに漂っている朝です。ニューカレドニアから同行したヨット、「シーマ(Cima)」が禅のすぐ後に続いています。

潮がきついとはいえ、海面は穏やか、風は前方の南々東から微かに吹いています。禅とシーマは機走ですが、どこからともなく集まってきた4、5隻のヨットはセールを揚げコースを大きくはずし東南東へ消えてゆきます。午後に入った頃、元のコースに復帰してくるつもりでしょう。 GPSを見ると対地艇速がかなり遅いようです。そればかりかコースもずいぶん落とされています。恐らく南東方向から強い潮があるようです。このままでゆくと最初の錨泊地に着くのが日没ぎりぎりです。

正午頃、やっとシップチャネルの標識ブイ、"Fairway"が視認できました。この辺の海はどこも極端に浅く、陸地が霞んで見える沖でも水深3メートルとか、0.4メートルというところが随所にあり、広い海域でも船が通れるところは限られている訳です。航路標識ブイ「フェアウェイ」はそれを示すものです。また、このブイはバンダバーグから35浬の位置にあり、残高が20浬あることを示しています。

このブイを通過したのが13時。日没が18時ですから、何が何でも4ノット以上をキープし5時間以内に走り切らなくてはなりません。しかし、相変わらず潮はきつく、対水速度6.5ノット(目測)で対地速度4ノット出るか出ないかというところです。

Great Sandy Straitに接近するにつれ、ますます航路が狭まる中、我々の針路にはお構いなしで吹いてくる風をセールに拾うようにスピードを維持します。

16時、海峡内のWoody Is.が真横です。残航7浬。もう一息です。しかし、目の前にサンドバンク(砂州)が出てきたり、航路ブイが大きく蛇行していたりと予断を許しません。直線7浬は実質9浬にはなります。

King Fisher Bayの沖、1.5浬から広大な砂州を大廻りし、湾に突き進む頃、夕方の太陽はほとんど目の高さにあります。朝に東の方向に散って行ったヨットもサンドバンクの深めのところを近道したり、エンジンを最大限ブン回して日没と競争しています。

桟橋の左側、水深5メートルにアンカーを打ち、1日中回し続けたエンジンを切り、振り返ると日は既に沈み、見事な夕焼けでした。早い夕飯をいただき、もうブッ倒れるように眠りにつきました。

翌11月7日は1日ここで遊ぼうということになり、「シーマ」のディンギーでFraser Is.(フレーザー島)に上陸しました。フレーザー島はキングフィッシャーのある島で、全部砂でできた島としては世界一大きいとか。本土とフレーザー島の間の水路がグレートサンディーストレートです。ここは大きなリゾートになっており、ホテルやレストラン、カフェ、ベーカリー、商店など一応のものが揃っています。リゾートを散策し、レストランでランチを食べ、ワーフで釣り餌を買って艇に戻りました。夕方、潮が満ちたとたん、釣りが忙しくなり出しました。約20センチ少々の真鯛とフエフキ鯛が入れ食いです。シーマの松浦さんを含め3人分、1人2匹のムニエルと決め、6匹釣ったところで打ち止め。思いがけぬディナーにオーストラリアワインがはかどる夕食となりました。

このストレート(水路)の潮流は干満とも3ノット以上。逆潮になると身動きがとれません。従って、これからは潮汐表と首っ引きのクルーズです。しかも水路に1メートルを切る浅瀬が沢山あり、潮の高い時のみ航行可という条件つき。神経のすりへるクルーズになりそうです。

11月8日、今日も快晴・微風。我々の今夜の泊地、Garry's Anchorage(ジェリーズ・アンカレッジ)へ行くという、イザベラという地元ブリズベーンのヨットが先行しています。午前10時半抜錨、正午が満潮のピークです。この水路には我々がこのストレートに入って来た入り口と、フレーザー島の南端の入口とがあります。潮が満ちてくると、その南と北の入口からグレートサンディーストレイトに潮が入って来ます。ですから水路のちょうど中間で潮がぶつかる訳です。潮が引くときも同様で、海水は転潮と共に北と南へ分かれて流れます。山中の川ですとこれを分水嶺というのでしょう。

その分水嶺に着くのが、満潮から干潮に転ずるときと航海計画を立てました。うまく潮に乗ると常にツレ潮で楽に走れるという読みです。転潮時の前後30分は潮があちこちに流れたり、かと思うと変にノッペリと平らな水面があります。まるで沼地のように周囲をマングローブの森に囲まれた分水嶺近辺は、何か田園地帯でも航行しているかのようです。右に左にコースは蛇行し、コースを定めるため、次の次のブイを発見することに血眼です。どうしても発見できず、次のブイを過ぎたらどうしようと途方に暮れていると、前方の森の中から反航するヨットが現れたりすることもありました。

幅が十数メートルもない(その両外は水深1メートル以下)水路が遂に終わり見通しの利くところへ出てきました。分水嶺域を通過した訳です。そしてチャートに示すStuwart Is.(スチュアート島)が見えてきました。今日の航程は約20浬。しかも全航程ツレ潮ですからまだ午後も早いうちに目的地に接近です。

今日の泊地、ジェリーズ・アンカレッジは、メインの水路に少し突き出したスチュアート島の裏側に入り込んだ森の中。水路から枝道のコースを辿り島の裏側へ向かおうとしたその時、水深Kが急速に上がり出しました。2メートル少々の辺りで止まってくれるとの思惑をよそに1.9、1.7、そして遂に1.4メートルになり禅はつんのめるように一度船首を沈め止まりました。座礁です。禅の喫水は1.9メートルですが、水深計のトランスデューサーが付いているのが船底であるため1.4メートルを示したところでキールが水底に乗っかってしまった訳です。このまま前進して深いところへ出るという保証はありません。急いでアスターン(後進)にギアを入れ、砂底をノロノロ這うように後退します。これがもし、海底が珊瑚や岩などの固いリーフだったら大変です。簡単に脱出できない上、潮が引いてヨットが横倒しにでもなれば船底に穴を穿つこと必定です。

この枝水路にはスチュアート島の向こうに出口が通じています。元の主水路に戻った禅とシーマはもう一つの枝水路へ回りました。しかし、そこも2メートルを切る箇所がいくつもあり、冷や汗ものです。それでも3時前、森の中の湖といった泊地にアンカーを入れました。午後から下り坂の天気で強い風が森の樹の天辺を唸りながら吹き抜けているようです。それでも、ここジェリーズ・アンカレッジは穏やかです。何の危惧もなくその夜はぐっすり眠りました。

11月9日、11時40分抜錨。今日の航程は、この水路の最南端で出口でもあるワイドベイ(Wide Bay)から少々手前のペリカンベイ(Pelican Bay)。ワイドベイを出るのには、時刻は午前中、潮は満潮の1、2時間前、風は北東か東でできれば微風の時。うねりは2メートル以上では危険という。相当の難所のようです。従って、最も近いペリカンベイに錨泊しタイミングを計るというのがセオリーとか。

南東の風が20から35ノットと強い。雨にはならぬが空は重く暗い。潮は水域が広い分、あちこちに流れ安定せず、時に逆潮。そこへこの強風。舵がひどく重い。

航路ブイが遠く、しかも曇天のせいで発見しにくい。双眼鏡でクルーのすみ子が夢中になって探しましたが、なかなか見つかりません。「早く見つけろ!」と私は叫びましたが、見つからぬものはどうにも仕様がありません。そのうち、雲間から陽光が洩れ、遥かかなたに緑のブイを発見しました。舵が重く背中と腕が痛みます。

14時、ペリカンベイに接近。この強風、この気象で明日のワイドベイ脱出は考えにくい。しかも天気の回復には数日を要すると判断し、行き先をグレートサンディーストレートから、さらに南へ下るティンカンベイ・インレット(Tin Can Bay Inlet)の奥、スナッパークリーク(Snapper Creek)にあるティンカンベイマリーナに変更しました。はかどらぬ航行に苦しみつつも、15時40分、マリーナへ着きました。初日もきつかったですが、この日の航行の辛さは別格でした。

11月10日〜12日

ティンカンベイマリーナにて天気待ちを兼ねて休養。小ぶりですが設備も一応揃い、気さくで良いマリーナです。近くの町まで歩いて30分のところにあり、スーパー、郵便局、銀行、ベーカリー、八百屋、肉屋などがそれぞれ1軒ずつあります。店どうし競合することもないからのんきで大らかなようです。広大な空き地が広がり随所に公園がありバーベキュー設備があります。右にスナッパークリーク、左にティンカンベイ・インレットの青い水面が美しい。まだ南東の風が強い。

11月13日

昨夕、松浦氏に航海計画を説明し、「禅が出るならついていく」と一応の了解を得ました。即ち、ペリカンベイまでの水路は逆潮だが、16時12分の満潮に利し、その2時間前の14時にワイドベイのサンドバーを突破し、8浬南のダブルアイランドポイント(Double Is. Point)まで行き一晩錨泊、翌日ムルルバに入港しようというもの。

10時45分、マリーナを出ました。先日通っているので浅いところは大体分かっているつもりでした。しかし、11時頃はまだ干潮の底に近く、チャートに0.5メートルとあれば本当に0.5メートルしかありません。いきなり禅が前のめりになり、サンドバンクに乗り上げてしまいました。航路ブイに寄りすぎたせいのようです。脱出し暫く行くと、また前のめりして停止。そんなことを繰り返しつつスナッパークリークを出ました。

以前経験したほどは逆潮がきつくなく、艇は良く走ります。そのせいでワイドベイに着くのがちょっと早すぎることになりそうです。

風は理想的な北東風、風力2(4.5メートル/秒)、潮もきつくないとなれば、難所といえどもさしたる危惧もありません。それに俺達は百戦練磨のインターナショナルセーラーとして、極限的な珊瑚礁も通ってきたんだという誇りがあります。マリーナで無為に時を過ごすうち、ワイドベイ、何するものぞという不遜な気持ちも湧いてきました。

艇速の趣くままに、インスキップポイント(Inskip Point)を過ぎ、ワイドベイバー(Wide Bay Bar)へ。航行不可のサンドバーエリアには、さすがにサーファーが喜びそうな巻波が白く砕けています。しかし、私が設定した脱出ルートには話に聞くほどのものもありません。気がついてみれば、ワイドベイバーはいつの間にか通りすぎていました。

前方に雲がわだかまる海面があり、どうもその辺が我々の目的地、ダブルアイランドポイントのようです。雲は西へ移動しているので、到着の頃は晴れと読んで進みます。

案の定、久し振りに青々と透明な水(マリーナはどこも河にあるので、水はきれいとはいえない)と陽光に包まれて、ダブルアイランドポイントに着き、アンカーを入れました。16時。

ほとんどが外洋にさらされた錨泊地で、少々ローリー(揺れる)ですが、風も穏やか、天気もよいし…などとのんきに構えていた時、突如真っ黒な雲に覆われ、17時半にストームが襲来しました。風は30ノット、波はたちまち高くなり、艇内で立っていられないほどに艇を揺すります。シーマはアンカーに不安があるらしく、電動ウィンドラス(揚錨機)でアンカーを揚げ、移動しています。禅はこの状態で40ノットの風を何度か凌いでおり、心配もせず、キャビンで寝転んで本を読んでいました。ストームはやがて収まりましたが、強風とうねりはそのまま残りました。

11月14日

一晩中ローリーな艇で過ごしました。一応、アンカーワッチを立て、すみ子と交替で誰かが起きていることにしました。とにかく、こんな不快なアンカレッジは早く出ようと、朝4時45分、そぼ降る雨の中を出航しました。

今日の航程は、ムルルバまで45浬です。これを走り切れば半年近い休養が待っています。雨に濡れながらも気持ちが軽い。昼頃、天気は回復し、午後には快晴になりました。時折鯨やイルカや、そして大きな海亀がやってきました。

Noosa Headを過ぎる頃、そろそろMooloolabaが見えてきました。田舎町のマリーナ位に考えていたのに、最初に見えたのは、リゾートホテルやアパートメントの高層ビル群でした。その区域もとてつもなく広く、暫し呆然と遠い景色に眺め入っていました。Sunshine Coast(ムルルバのハーバーは、ムールーラリバーを少し入ったところにありますが、その外洋側)のビーチは、何かカリフォルニアのダナポイント(Dana Point)や、ラグナビーチ(Laguna Beach)などの高級別荘地の風景と同じ明るい透明感があります。これはとんでもなく良いところに違いありません。

一目瞭然の入港標示のブイを辿り、Mooloolaba Yacht ClubのC35バースへ。このバースはここのメンバーであるRon King(バンダバーグのマリーナで友達になったオージーのセーラー)が予約してくれていました。

舫いをとりつつ、これで暫くクルージングのことは忘れて過ごせるのだという、今期を通じての達成感と、何故か明日にも出航するのだといった、恐らくは習慣的な気忙しさがない交ぜに感じられました。それでも隣のバースに入ったシーマの松浦氏と握手し、「終わったね」、「うん、終わった」と語り合うと、長い夏休みに入ったときに似た解放感と喜びが湧いてきました。

この次のことは今暫し忘れよう。とにかくは飽きるまで休養だ!

以上がバンダバーグ〜ムルルバ間の様子です。ムルルバの街のスケッチ、サンシャインビーチの輝きなど、余りに長くなるので次回にお知らせ致します。

いずれにせよ、皆様のご支援が心の支えとなって続いた航海だったと存じます。ページ上で厚く御礼を申し上げます。

お元気で、またお便りします。

草々

読者諸兄姉各位

Zen
西久保 隆(重信)
1998年11月18日


以前の手紙(バンダバーグ、オーストラリアで投函されたもの)