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前略
Homeまた、ちょっとご無沙汰したようです。お元気でしたか?
結構々々、私も元気で航海を続けていました。ご無沙汰の弁解をさせていただければ、何しろ、郵便局はおろか電話もなく、時には人も住んでいない島々を渡り歩いたのですから、近況をお知らせする術もないといった始末です。
しかし、そんな超自然、ピュアナチュラルだからこそ、すべては美しく感動に心を奪われる次第。特に、クック諸島のスバロフ(別名スワロー)は、私が体験した本当のパラダイス。クックスの海軍の艦艇がラロトンガから年に2度だけ、島の管理人を乗せて来て、そして乗せて帰る。それだけが本国とのつながりという孤島です。勿論、ハリケーンシーズンは無人です。翌年来てみると、家やちょっとした設備はハリケーンで跡形もないということですから、人間がそこで過ごせるはずもありません。4月〜11月、この6・7ヵ月だけが、人間の介在を許す猛々しい自然そのものの島です。
しかし、好天の続く5〜10月辺りは、前述の通りパラダイスといえるばかりに美しい島となります。それを味わうことができるのは我々ヨッティだけ!!
美しいラグーンに、シーズン中は常に5〜10隻ほどのヨットが錨泊しています。
スバロフの次はアメリカンサモアのPago Pago(パンゴパンゴと発音します)。米領のため、物はあふれんばかりに豊かです。しかし港は死んだ海。島の奥へ入ると、かつてのサモアが少しは残っているのですが、パンゴパンゴに近い地域は、住民の意識が伴わぬ消費文化に毒された化け物のようでした。
早々にアメリカンサモアを後に、トンガのババウへ行きました。波と風がちぐはぐで辛い航海でしたが、Vava'uはフレンチポリネシアやクックスと違った絶賛するに足る美しいところ。ものの本で得た先入観は、国が押しつける禁欲的な宗教と逞しく野性的な国民性が織りなす歪みが、時に狡獪で暴力的な面を見せるとあったのですが、それはとんでもない誤りです。彼等はKingdom of Tongaに冠するフレーズである“フレンドリー・アイランド”という言葉を本当に自分たちのものにしようと懸命です。一見、強面で大柄で、ちょっととっつきにくいのですが、本当はとてもシャイで親切です。頼まれたことは決してNoとはいわず、一生懸命果たしてくれます。
そして、Vava'u群島の美しいこと。どの島にも美しい入り江があり、ビーチがあり、ヨットが錨泊しています。
Vava'u群島からHaa'pai群島へ。ここも美しいところでしたが、折からフィジー近辺に発生したサイクロンのせいで天気が悪く、十分にその素晴しさを味わいきれなかったことは残念でした。
嵐の中、Nomuka群島にちょっとだけ立ち寄り、トンガの首都、Nuku'alofaへ来ました。ヌクアロファ(またはヌカロファ)には、ニュージーランド(NZ)行きのタイミングを計るたくさんのヨットがいました。ニュージーランドの南方には、まだ冬型の気候が残っており、多くの低気圧を生んではNZ近辺に送り込んできます。低気圧には寒冷前線が伴い、ゲール(嵐)となって海を時化させます。
NZまでは10〜14日間の旅。1度は仕様がないが2度もゲールには会いたくない。1度会うゲールもできれば余り荒れ模様とならぬように。そこで、タイミングを計るという賭けになります。自分で判断し、出航してしまえば、何が来ようが、どこが壊れようが、すべて自分持ち、自分の責任。さらにいえば、出航してしまえば、途中で中止はありません。出た以上、何が来ようと行くしかない。これが航海というものです。
昨日は3隻、今日は4隻、そして明日はあの艇とこの艇が出航するらしい…となってくると、次第に気持ちは追い立てられるような焦りを覚えます。余りのんびりしていると、逆に赤道近辺にサイクロンやハリケーンが発生しても不思議ではないシーズン。
或る日、何かに促されるように私たち(禅、唯我独尊、エイプリルフォース)は出航しました。前途に10日、或いは2週間の長途を覚悟して。
3日目、大洋のド真ん中に忽然と浮かぶリーフ(珊瑚礁)に着きました。1000m, 2000mの深海から干潮のときだけ顔を出すリーフがそそり立っているのです。その名もミネルバ・リーフ。魔女の名前なのです。人工的なものは一切なし、全てはまっさらです。しかし、その恐ろしさの陰に身震いするほどに美しいラグーンが潜んでいるのです。ラグーンの中に艇を進めれば水深8mばかりの絶好の錨泊地もあります。
入港のタイミング、つまり干・満潮のあいだ、ちょうど潮流が止まるときを待つ間、受信した気象Faxは今までになく穏やかな気象を、南つまりNZ方向に繰り広げていました。
出発は今だ!3艇のキャプテンの意見が一致しました。ミネルバに到着後、わずか3時間半後、私たちは再びNZへ航海を始めていました。
何日間かは微風でしたが艇は5〜6ノットで走ってくれました。しかし、まさにトンガとNZの中間辺りから風は衰えを見せ、34°S辺りはほとんどカーム(無風)になってしまいました。どうも貿易風帯と温帯域の境目に赤道無風帯同様風が絶えてしまう特性があるようです。仕方なくエンジンと帆による機帆走です。24時間ほどエンジンを回しては3時間ほど休め、冷却系に不安のあるエンジンをかばいつつの走行でした。
11月19日の気象Faxには、オーストラリア南海上に発生した低気圧とその前線が猛々しく印されていました。スピードも早く、場合によっては20日中にも我々の頭をなぎ払うように前線が通りそうです。19日夕方から、少しずつ風が吹き始め、ニュージーランドのオプアまで残航200マイル余りを、できるだけNZに近づいておくチャンスと、縮帆することもなく走りに走りました。
20日の夜半、風はコンスタントに25ノットに吹き上がり、しかも艇の進行方向よりから吹いてきます。これ以上風速が増すと、この針路では辛くなる。当然縮帆し、少し針路を風下に落としてやるしか手はないかと覚悟を決めていました。0時を回り、21日にさしかかる頃、風は30ノット、時には35ノットになりました。しかし、注意してみると少しずつ風は横へ回っているようです。正に天の助けです。もし、針路を落とし、帆を縮めていれば、21日の日中の入港(到着)が難しくなることもありえるからです。
未明、前線は通過し、風は15ノット、風向は北西になりました。もう、放っておいてもOpuaに向かうほど、イージーなコンディション。夜が白々と明ける頃には、ケープブレットの灯台の灯と、うっすらとした陸の影も見えます。予想より早く、Bay of Islandの入口に到達しそうです。
21日9時過ぎ、11日間の航海の末、Opuaの手前の水路を走っていました。前方には、半年間以上を南太平洋を航海し続け、折々親しくなったヨットがたくさんいます。
泊地に入り、すれちがう艇から「Zen、ご苦労さん。いい航海だったかね?入国手続きが終わったらお茶でも飲みに来いよ」と声がかかります。みんな楽しんでいるとはいえ、溜まりに溜まった半年間の航海の疲れを休め、気が抜けんばかりにほっとしているのが判ります。そうです、これからの半年間は、南太平洋のハリケーンシーズン。ハリケーン圏外のニュージーランドで航海のひと区切りをつけているわけです。Zen(禅)も全く彼等と同じ。ここOpuaで入国し、しばらく休養したら、デイセーリングでいくつかの泊地をたどり、オークランドへ行き、マリーナに艇とわが身を休めることになります。
Zenの航海Part 1は日本からカナダへの53日間、Part 2はシアトルに始まりサンディエゴまでのアメリカ西海岸の旅、そして、この南太平洋(サンディエゴ―フレンチポリネシア―クック諸島―サモア―トンガ―ニュージーランド)航海がPart 3。それが今、終わろうとしています。辛かったり楽しかったり、時に絶望したり感動したりの8ヵ月がここで終結します。
長い間、Zenの航海を見守ってくれた皆様に紙面、いやホームページを借りて厚く感謝します。皆の暖かなまなざしがあってこそこの航海も達成できたと思います。本当にありがとうございました。
明年4月、このニュージーランドを発ち、フィジーへ向かうPart 4の始まりまで、ひとまずしばしのお別れです。お元気で!!
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